ティーブレイク・ディティクティブ

砂藪

ティーブレイク・ディティクティブ


 午後四時に一緒に待ち合わせをしていた友人Fは予定からだいぶ遅れて喫茶店に軽い足取りでやってきた。その時には僕の前に置かれたホットコーヒーはぬるくなっていた。

 彼は席につくなり謝罪してきた。その口元はマスクで見えないが、目元は綻んでいて、本当に申し訳ないと思っているのかも怪しかった。マスクの下の口元は笑顔なのかもしれない。


「なぁ、聞いてくれよ」

「なんだ」


 友人Fは僕の向かいの席に座ると唐突に話し始めた。マスクを外して、今しがた店員が置いたお冷をぐいと飲んだ。水分補給をすませるとすぐに彼はマスクの位置を戻して、僕に向かって慌ただしく語った。


「さっき、殺人事件に遭遇したんだ」

「……嘘か?」

「嘘じゃないさ! 本当に! しかも、お前が書く探偵小説よりも面白かったんだ!」


 僕の眉がぴくりと彼の言葉に反応する。確かに僕は探偵小説を趣味で書いているが、それよりも現実の事件の方が面白いと言われるのは癪だ。探偵小説はフィクションだからこそ、面白いのであって、現実の事件は被害者と加害者がいる時点で悲しいだけだ。


「不謹慎だろ」

「なんと、トリックが使われてたんだ」

「話をやめてくれ……」

「本当にお前の考えるトリックよりは実用的だからさ」


 実用的もなにも友人Fが遭遇した事件のトリックなのだから、もうすでに実用されているだろう。不謹慎にも程がある。そう思いながらも僕はそれ以上、彼を止めなかった。なにせ、僕自身も彼が遭遇した事件に興味を示し始めていたからだ。

 僕が興味を示しているということを僕の視線だけで汲み取ったのか、友人Fは両手を広げて、その場で即興劇を始めた。幸いなことに、店内には僕ら以外、客がいなかった。


「きゃー、みんな久しぶり~!」

「A、遅れてくるなら連絡してよ~」

「ごめんごめんって。髪をまとめてもらってたんだって」

「美容院行って遅れるなら言ってくれればよかったのに」

「まぁまぁ、そんなに遅れてないんだから元気にしてた?」

「Aちゃんこそ、何年ぶりよ~!」

「マスクしてるとみんな美人に見える~! ご時世様様よねぇ~!」

「なに言ってんのよ、マスクばっかりしててニキビできたんだから、やめてよねー!」

「結局、四人で集まることになったけど、Eちゃんも残念だよねぇ。仕事だって」

「まぁまぁ、通話しながら一緒に食事するんだからいいでしょ」

「そうだよ! 五人そろったようなものだって!」

「じゃあ、まずはドリンク頼んで適当に摘まめるもの頼もうよ!」

「私、オレンジジュースで! あ、ロシアンルーレットのたこ焼きとかあるよ!」

「絶対に嫌だからね、ワサビ入りのたこ焼きなんて。私は烏龍茶」

「私はバナナオレで、フライドポテトとかとりあえず頼もうよ」

「いいね、じゃあ、私もオレンジジュースで」

「かんぱーい! ごくごくごく」

「フライドポテト、超うま~い! ぱくっ、ばたっ」

「キャー! Aちゃん、どうしちゃったのー!」


 僕は冷めた目で一人芝居を眺めていた。話している言葉からして、彼が数人の女性を演じようとしているのは分かった。しかし、演じ分けられていない。全部、同一人物が騒いでいるようにしか思えない。効果音もジェスチャーで表現せず、口頭で伝えるあたり、劇団に所属している大根役者よりもひどい。

 やってきた店員が友人Fからホットカフェオレの注文を聞いて、ついでに「店内ではあまり大きな声を出さないでください」と注意して帰っていった。


「それで、お前は何を表したかったんだ」


 彼は椅子に座り直すとやたらと長い脚を交差させた。


「今のが俺の隣のテーブルに座った四人の女性のやり取りだ」

「いや、分からないよ」

「とりあえず、Aが死んだ」

「それは分かる」

「誰が犯人だと思う?」

「だから、分からないって」


 それだけではなにがなんだか分からない。


「まず、主な登場人物は四人。被害者Aと友人のB、C、D。あとは現場には登場しなかった友人Eぐらいだな。美容院に行っていた被害者Aは少し遅れて殺害現場となるお店へとやってきた」

「さっき殺人事件に遭遇したと言っていたけど、もしかして、この喫茶店に来る前にランチでも食べてたってことか?」

「……それは今解き明かす謎ではないな」


 どうやら、僕との約束の前に呑気に食事をしに行っていて、遅刻したみたいだ。それを誤魔化すために殺人事件の話をしたのだろうか。


「探偵小説を趣味で書いてるお前にとっては朝飯前の謎だと思うぞ」


 そこまで言われても僕は探偵ではないし、小説のトリックだってなんとか捻り出しているようなものだ。現実で起こった事件のトリックがすぐに分かるわけがない。しかも、彼のよく分からない演技だ。なおさら分かるわけがない。

 僕の表情を見て、やれやれと友人Fは肩を竦めた。


「まぁまぁ、考えるだけならタダだろ? お前だって、小説のネタを探してるんだから、願ってもない話じゃないのか?」

「それは、そうだけど……」

「だったら、真剣に考えてくれよ」


 友人Fはどうして待ち合わせをしていたのかも忘れてしまったらしい。彼の忘却に乗って、僕は彼が目撃した事件について考えることにした。

 まず被害者Aの行動だ。


「亡くなった被害者Aの死因は?」

「誰の目から見ても毒殺だったな。隣のテーブルについていた俺にもあれはやばい薬を飲んで死んだって分かったくらいだ。いきなりうめき声をあげて床に倒れたと思ったら、痙攣してやがて動かなくなったんだ。泡もふいてたな」

「なるほど……」


 ここまではっきりと毒が使われたことが分かるような凶悪な毒が使われているのであれば、あまり、毒の入手元などは気にする必要がないだろう。

 被害者と待ち合わせをしていた三人の見た目や職業などを友人Fは明らかにしていない。ということは、職業など、毒の入手に関しての情報は必要ないということだ。


「被害者Aは毒で亡くなる前に、どこを触ったんだ?」


 友人Fは、今僕たちがいる喫茶店の入り口付近を指さした。


「彼女の行動をずっと見ていたわけではないが、警察の聞き込みをこっそり聞いてたんだ。彼女は店に入ると、店の入り口付近に置かれていた消毒液のボトルに触り、自身の両手にアルコール液をしみこませた。そして、店員に待ち合わせをしているという旨を伝えて、三人が待っている席に通してもらい、席について、おしぼりで手を拭いて、乾杯して、歓談しつつ、席に届いたフライドポテトを食べたところで亡くなった」


「……その情報がさっきの下手な演技に全て入っていたのか?」

「もちろん」


 友人Fは堂々と胸を張っている。本当に自分の演技が、伝えたい内容を相手に伝えられていると思っているかのようだった。あいにく、僕には一切彼が伝えたい情報は分からなかった。

 フライドポテトを食べて被害者Aが亡くなるまでに店内のもので彼女が触ったのは、消毒液のボトルとおしぼり。他にも細かいところを考えると椅子に座る時に椅子を触ったとか、鞄を触ったとか、色々言えるが、友人Fが言及していないのだから、トリックに関係あるのは消毒液のボトルとおしぼり、そして、彼女が最後に食べたフライドポテトだろう。


「フライドポテトは全員食べたのか?」

「ああ、亡くなった被害者A以外の全員が食べた。しかし、誰も死ななかった。ついでに言うと、毒はフライドポテトから検出されなかった」


 フライドポテト以外のものに毒が付着していて、被害者Aはそれを触り、毒のついた手でフライドポテトを食べて亡くなった。


「……友人三人の荷物から毒は?」

「なかった。誰も毒の入った小瓶とかは持っていなかったんだ」

「じゃあ、トイレには」

「誰も行ってない」


 もし、友人三人のうちの誰かが、被害者Aが触る位置に毒を塗っていたとすれば、毒を入れていた容器を持ち歩いているはずだ。見つからないようにトイレに流した可能性もある。


「分からなくなってきた……」

「ヒントをやろう」

「どうぞ」

「喋ってることだけがトリックに繋がると思わない方がいい」

「……まさか、犯人は友人三人以外の人間で店内で人が触る部分に毒を付着させることができる、店員とか?」

「ぶっぶー! ちがいまーす!」


 友人Fが両腕を交差させてバツを作る。僕は少し眉をひそめながら、ぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。友人Fの前に店員が飲み物を持ってくる。

 彼の目の前に置かれたカップは指を通す小さな取っ手がついている。話に名前が出てきているわけではないが、取っ手に毒が付着していれば、被害者Aの指に毒を付着させることができる。しかし、カップに毒を塗ることができるのは店員くらいだろう。その店員が犯人ではないのだから、友人三人のうちの誰かが犯人だ。


「友人三人のうちの誰かが犯人なんだろう? 三人の情報は?」

「言っとくけど、その三人は犯人じゃないからな」


 僕は思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまった。その顔を見て、けらけらと友人Fが笑う。

 彼が話した内容で分かるのは、店内には店員と友人三人と被害者Aと友人Fがいたことぐらいだ。まさか、目の前にいる彼は犯人じゃないだろう。彼が犯人であるならば、事件が起こった後に僕との待ち合わせ場所に来ないはずだ。


「……他の人間が犯人か」

「毒がどこかに付着してたっていうのはいい線いってる。あとは、それがどこに塗られていて、犯人がいつどのようにしてその毒を塗ったか考えるだけだ」


 友人Fはそこまで言うと、まるで「もうヒントは出さないから自分でゆっくり考えろ」とでもいうようにゆっくりとした動作でマスクを外して、二つに折って、テーブルの上に置くと目の前に運ばれたカップに口をつけた。

 僕は彼の優雅な動作に目を細める。弄ばれているような気分がする。


「……被害者Aは店に来る前、美容院にいたのか?」


 彼は頷いた。

 先ほどの会話劇を振り返ると、被害者Aが遅れてきたのは美容院で髪のセットをしていたからだった。その時から毒が指についていたとしたらどうだろう。

 美容師ならば、被害者Aの身体に触れるのは可能だ。指先に毒をつけることも、やろうと思えばやれる程度のことだろう。


 僕は首を横に振った。


 美容院で指に毒を付着させたとしても、その後、待ち合わせをしているお店へとやってきて、アルコール液を手になじませ、おしぼりで手を拭いたとしたら、毒は拭えるのではないのだろうか。殺そうと思っているのであれば、確実なところに毒を塗るはずだ。

 例えば、被害者Aが食事をする直前に触れる食器など……。


「……なぁ」

「ん?」

「被害者Aはマスクをしていたか?」

「していたよ」

「飲み物を飲む前に外してたか?」

「そりゃ、外さないと飲めないし、食べられないしな」

「マスクの紐に毒がついていたとかはあると思うか?」


 友人Fはなんとか真顔を保とうとしていたが、その口元がにやけるのを僕は見逃さなかった。


 美容院でマスクをつけたまま髪を洗われたり、切られたりするのは、今のご時世では珍しいことではない。新型ウイルスが流行り、外出時にはマスクをつけることが暗黙の了解になり、店内でもマスクをつけることをお願いされるこのご時世。

 そんなご時世だからこそ、美容師は客がつけているマスクの紐に触れることは多々ある。髪を切る時、洗う時、髪を耳にかける時にその指はマスクの紐に触れるだろう。


「美容師がマスクの紐に毒を塗って、被害者Aがマスクの紐を掴んで外した時に指に毒が付着して、毒がついた指でフライドポテトを食べてしまった……」


 喉が渇いていたのか、熱いにも関わらず、友人Fは一気に飲み干して、空になったカップを置いた。律儀にマスクをしてから目を細める。


「そうそう。よく分かったな! 俺の教え方が良かったんだろうな!」

「……」


 僕は席を立った。

 鞄を持ち上げると肩にかけて、友人Fに冷たい視線を向けた。


「レポートの手伝いはいらないらしいな」


 途端に彼は両手を合わせて「ごめん!」と謝って、すぐに僕の服の裾を掴んだ。


「レポート手伝ってくれよ! お願いだ! 奢るから! なんなら、お前が書いた探偵小説の添削もするから!」


 僕は大袈裟にため息をついて、席についた。

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