パチパチと火が爆ぜる音だけが、真っ暗な山の中に小さく響く。

 この山を下りれば明日には出口に着いてしまう。

春太ともバイバイだ……

 そう思うと胸がチクチクと痛んだ。怖い目にあったはずなのに、この旅が終わるのが悲しかった。

 二つ並べた寝袋。なかなか寝付けず、わたしは背を向けて眠る春太に声を掛けた。


「春太……」


「……なに?」


 案外はっきりした返事に、春太も起きていたんだとちょっと嬉しくなる。


「眠れないから、ちょっとお喋りしててもいい?」


 春太がモゾモゾと寝袋の中で寝返りを打ちこちらを向く。金色の瞳に焚き火の炎の光が入って不思議な色に光った。


「別にいーけど。てかさ、お前、今更だけどオレが怖くねーの?」


「そりゃ、最初は怖かったよ。でも、襲ってこないし、なんなら助けられてばっかだし、今は全然怖くないよ」


「ふーん。大抵のヤツはビビって話しかけてこねーけどな。やっぱお前って変なヤツ」


 可笑しそうに春太が笑う。また笑ってくれて嬉しくなるけど、言ったら笑ってくれなくなるから黙っておく。


「わたしね、あっちで誰とも喋れなくて。だから、春太と喋れて嬉しいんだ。学校に行くと声がでないの。なんでか分からないけど……。そしたら居場所がなくなっちゃって……」


「家は?」


「家、は、お母さんがいるんだけど、いつも男の人を連れてきて、振られるたびにわたしがいるからだって叩かれちゃうから、あまり帰りたく、ない……」


 こんなことを誰かに話したのは初めてだった。悲しみを押し出すように、涙が頬を流れる。胸の中に詰まっていた黒く重たいものが、するする出ていくみたいだった。

 春太の手が伸びてきて、わたしの頬の涙を袖の裾で優しく拭う。伏せていた顔を上げると、強い力を宿した春太の金の瞳があった。


「今だけだ。大人になればなんでも自由に、自分で手に入れられる。だから、諦めんな」


 力強い言葉だった。

 せっかく春太が拭いてくれたのに、また次々と涙が溢れてくる。


「わたしに、できるかな……?」


「鬼に話しかけるくらい度胸あんだから、大丈夫だろ」


 からかうように春太が笑う。その笑顔があまりにも楽しそうで、つられたようにわたしも笑ってしまう。

 わたしはもう会えなくても、春太のこの笑顔を忘れないでおこうと思った。


「じゃあ、そろそろ寝るか」


「うん。ねぇ」


「ん?」


「手、繋いでいい?」


 男の子にこんなことを聞くのは初めてで、顔が熱くなって口の中がカラカラに乾いてしまう。

 怖くて見れなかった顔を恐る恐る見上げると、春太の顔も真っ赤だった。でも、ごしごしと服で擦った手を「ん」と乱暴に差し出してくれる。わたしはその手をそっと握る。ちょっと湿っていて、とても温かい手が握り返してくれる感触にドキドキした。

 でもすぐに久しぶりに触れる人の体温に安心して、睡魔に襲われる。重い瞼をなんとかあけて、最後だから、伝えたかった想いを言葉にする。


「春太、ありがとう。春太と一緒だったから、怖いこともへっちゃらだったし、楽しかった。

春太、大好き、だよ……」


 返事を待たずに、わたしの瞼は重力に耐えきれず落ちてしまった。

 微睡む意識の中、頬に柔らかな何かが触れた気がした。それが春太の唇だとは、わたしは知る由もなかった。

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