第8話 理事長室、のち応接室
理事長室には、先に侯爵とヤームルがいた。
部屋の主はというと――侯爵を前にして、冷や汗だらだらである。
マキビは侯爵の隣にイアクタが会釈して来客のソファに座るのを見るまで、その場で棒立ちだった。
「きみも座ったらどうかね」
侯爵に促され、彼もヤームルの隣へ腰掛ける。
「単刀直入に申し上げましょう。
問題を起こした教官は、自主的に退職となります」
理事長は言う。侯爵が剣呑だった。
「当たり前だろう。大公家子女に粗相をするような愚か者が、教師を名乗っているだけでも、カルセドニウスの品位が問われようが。
これ以上私を――ましてや未来ある若人らを、失望させるつもりか」
「我々も厳正に対処させていただく所存です」
「このようなことの再発を防ぐために、貴公らはどうするつもりか。
話せ」
おためごかしなど認めない、そういう口ぶりだ。
理事長もわかっているはずだ。
「ことの発端は、血統学の授業に人間の生徒が参加していたことにあります」
「彼はソーマの制御について学ぼうとしている。
志ある若者に、資質がないからと授業を受けさせないのか?」
「いえ……それは……しかし」
よもや侯爵に、こんなかたちで口上に使われようとは――期待されている、とは違う。
建前のために、ちょうどいいところでマキビという人柱があった、この男にはそれだけのはずだ。ヤームルはふたりのやり取りを見ているが、ほぼ無表情と言ってよい。
「よもや少年を、『今後授業に参加させない』とでも言うのか?
何ら補填をせずに? 私は――そして大公家令嬢は、厳正な対策とその確約を求めている。
吸血鬼の暴走が人を殺せば、統率する我々の治世総体に負担が及ぶ。
答えろ」
「とはいえ現状、当該の教官を欠いた状態で、人間が血統学の授業を受け続けるのは、異常と呼んで差支えない、過去に例がないのです、血統学で人間が単位を習得できることは。
人間に吸血鬼のソーマは扱えないのですから」
「話を逸らすな。俺は少年へ、授業を受ける権利のないなら、そも『参加を認めるべきでなかったし、一度参加を認めた以上、相応の経済的補填を彼へしなければならない』と言っている。
それが吸血鬼か人間か以前に、彼は一生徒としてここにいるのだ。
彼にかかった金を、貴様らから取り立てるだけだぞ」
「――、マキビ・ルーブラムの受けた被害には相応の補填をしましょう。
過去の案件にも遡り、彼が暴行を受けた上級生の家族には教科書の代金弁償なども請求します」
学園側もその件は感知してたんだ、大方ルスキニアを通じて告発のなされていたというのだろうか?
まぁいい、これまでの学園側から考えられないほど、一人間に対して、気迫のこもった対応を期待してもいいかもしれない。
「私が目をかけた手駒を、やすやす棄損する輩が、この学園にはいるらしい。
このままでは学園への出資そのものも、見直さざるをえないな」
「滅相もございません……彼の再始動させた研究室は、既に着々と新種果物の栽培などで、成果を上げており」
「それはマキビ少年の手腕があってのものだ。
私が投資するなら、今後彼個人に絞った方がよさそうなぐらいだ。
貴様らは私の信任をどこまで貶めれば気が済む?」
スポンサーの権力、強すぎる。
マキビは過去の経緯から、彼という個人は苦手だったが、その権力と辣腕を、今回はかなり頼もしいとも、恐ろしいとも思うのだ。
……この男の期待に背くようなことは、なるべく避けねばならない。
*
理事長室での話を終えると、うち侯爵とヤームル、そしてマキビは部屋を変えた。
「彼女はきみの身請け人と聞いたが?」
「えぇ、その通りです」
隠すようなことでもない。
一介の孤児が学生として活動するなら、奨学金か相応の学費の出処は探ったはずだ。
ヤームルの方で身元は当たり障りのないよう都合しただろう。
「というわけで、登録していた授業について、血統学は受けなくていい。
……ソーマの制御ということは、お前ならもうなにか掴んでいるんじゃないのか?
あんなものは力を誇示したい連中がより集まって、自身の超常を表現したいだけだ。
それが超常である以上、実情は学業というより訓練に近しい」
ヤームルに向くと、彼女も無言で頷いていた。
これ以上、吸血鬼の生徒へ下手なプレッシャーを与えるな、ということだろう。
たった一度の野外授業で、殺されかかったほどだ。
吸血鬼生徒ども、資質はあってまだ若いとはいえ、権能の力に随分溺れている。
本来――そうした存在同士が権能で語らって、自身の力の社会的な位置づけを見つけ出していく、そういう趣旨の授業だ。間近でルスキニア以外の複数人の血統術を拝めたのは、それなりの体験だったと思うが、彼らは上級生に比べたら、資質も劣るろうし、マキビだって劣等な身体で、いちいち異能力バトルに放り込まれるのは、ごめん被りたい。
目の前の侯爵が扱う血統術は、この社会でも頂点にある異能だ。
この前見せられた、見えない壁、というより、圧、あれもその一部というこったろう。
ソーマの量より、質を限りなく凝らしているからこそ、並みの吸血鬼では相手にならない。
「仰せの通りにします」
「あの猫、どうしている」
「猫――ですか」
「とぼけなくてよい、学内で処分されるはずだった、実験動物だろう。
なに、取り上げようと言うんじゃない。
あれはお前が持っているのが、きっと良い」
「……いったいなんなのですか、あなたはあれに、なにを施したというんです」
本来、マキビが口答えを許されない場面とはわかっていたが、聞かざるをえなかった。
侯爵は微笑して言う。
「あれを作ったのは私ではないぞ。
ただ――賢者の石というものを知っているか」
「錬丹術では、特殊辰砂とか言いましたか。
不老不死にまつわると聞きますね、伝承では」
「現代の薬学において、その用途はわずかばかりに異なったものとなる」
「わずかに、異なったもの?」
不老不死と、という意味か。
「それ単体で、人間は不老にも不死にも至れない。
そんなものがなくとも、我々は血統をもって、上位種へ進化した。
今となってはすっかり廃れた技術だよ……ま、私に言えるのはそれだけだ。
あれを仕込んだやつは、失敗し、もうこの世にはいない。
残念な話だよ――彼の冒した禁忌の迂闊さはさておき、前途ある若者じゃあった。
血にまつろわぬ技術なら、帝国でもこれは未開の領域だ」
そんなことを、ヤームルの前で堂々と語れてしまうのだから、この男、なかなか胆が太い。
吸血鬼の血統にまつわらない不死のアプローチは、つまり女帝とその血族、吸血鬼社会の否定につながりかねないと、ここにいるみな、暗黙に察していた。
「開拓のしがいがあろう。
それで――理事長室に入った時から、その函はなんだ?」
「水耕栽培で、ウリ科の植物を改良していました。
これはごく初歩的な、交配のアプローチを変えているだけ、研究室内での栽培に特化した食べ物です。
お二方、試しに召し上がってみますか?
必ずご満足いただけるかと」
「ほぉ、豪語したな」
無論、果物ナイフで切り分けたなら、まずはマキビが毒身をしてみせてからになる。
メロンはふたりにも好評だった。
「こんなの食べたことない……日なたの植物は、採集だけでもこの地下都市では難儀でしょうに、こんなの研究室で作れたの!?」
「品種改良とか言ったか。稲や麦のほうではさかんだが――それに、ごく短期で育成しているようだが?」
「作り方は、企業秘密です」
迂闊にアイドニのことを話すと、彼女の身に危険が及びかねない。
「遺伝子レベルの操作をしていないなら、実の毒性などはある程度抑制できよう。
研究室から生まれた、名産品ということか」
「えぇ、これはお二方から始まる、売り込みです」
「うむ買ったぞ、販路や新たな設備が欲しければ、必要な分は手配してやる。
これならば、私はとかくとして、クレオなどよく喜んでくれそうだ」
「――!」
……これを育てているとき、自分は無意識に、誰が喜ぶ味を追及していたのか。
この男の言葉で、今になって思い知らされる。
甘いものを、不自由なく食べれる生活がしたい――クレオや孤児たちが、喜ぶものを考えるのが、俺の動機の一番最初にはあるのかもしれない。
「あぁ、それとグールの実験についてだがな。
……残念ながら、退学したふたりの薬学がないことには、これの実用化のめどは低い。
それでも――さっそく大した成果をあげてくれているようだな、お前は。
これなら貴族向けに売り込んでも、まったく遜色のない。
私のお墨付きだ……ついで、あの大公令嬢にも、食べさせてやるのだろう?」
「あぁ、それもいいかもしれません」
複数の爵位持ち吸血鬼の家柄が太鼓判を押すとなれば、嗜好品としての普及が見込める。
「週ごとの生産数には、今のところ限りがあります。
複数の植物の開発用に、異なるアプローチのプランターを用意する予定です。
室内の設備の整っていくようなら、ゆくゆく、設備を一般見学に開放するなども考えています――こちらが、私が現在提示できる進捗です」
メロンの栽培について、簡易に記した資料を、ふたりに手渡した。
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