第6話 身から出た錆

 場にいた吸血鬼一同、教官を結果的に殴り飛ばしたマキビへ、絶句せざるをえない。


「マキビ、お前――人間じゃないのかよ?

 吸血鬼でない存在が、ソーマを扱えるはずがないだろ!?」


 最初に我に返ったのは、プラムであった。

 彼へ向けて、マキビは哀しげに微笑む。


「それはちょっと、いやちょっとどころでない誤解があるな。

 俺は人間だよ。……なにもソーマを扱う技術は、吸血鬼の専売特許じゃない」

「ば、馬鹿な!?」

「どうしてこいつ、傷一つはおろか、制服に汚れひとつ残っていない!」


 マキビに火球を放ったクラスメイト(笑)どもは、意表を突かれるとしきりにうろたえて、その場を逃げ出してしまう。


「わかってる、説明はするさ。

 それで君らが納得するかは保証しかねる」

「いいから――今のお前は、不可解通り越して不気味なんだよ。

 わかれよ、俺やイアクタさんに至っては、心配して損しただろ!?」

「あんまりな言われようだ」


 よもやルスキニアから、そのような罵倒を貰うとは思わなかった。

 マキビは額を押さえつつ、語りだす。


「いやぶっちゃけ、俺自身も相当ヤバかったんだよ。

 火達磨を避けたのは、自分の体表にソーマを循環させていたから」

「どうやって?」


 ルスキニアは食い気味だった。


「また錬丹術の話だ、内丹という概念がある、手短に言うと、帝国におけるソーマと、東方における丹、もしくは気と呼ばれるものは、その界隈ではほぼ同義に語られがちだ。

 生命力を、霊長の意識の核として修練する技法があってね。

 ソーマというのは本来、吸血鬼のみならず、霊長すべてが、肉体へある程度の内包と発散とを繰り返している。知性を担う万物が、それを獲得しうるわけさ。

 俺が今回初めて試したのは、まさしく内丹、自分自身のソーマを取り出して御し得る技術だ。東方国家では時として拳法にも使われる」

「バリツ、とかいうやつ?」


 東洋俄かなイアクタが会話に入ろうとしたら、マキビはばっさり切り捨てる。


「そこでシャーロキアンかよ……」

「しゃーろき? 今度はいったい何なの!?」

「いや冗談というか余談、ただの脱線だから忘れてろ」


 この世界にホームズがいるか定かじゃないが、スチームパンクははなから英国かぶれな文化だし、コナン・ドイルな文芸が花開いていても、不思議なことはないかもしれない。


「急にぶっきらぼうになったわね」

「悪いけど、殺されかけたら俺だって気が立つさ。

 ……吸血鬼ほどではないにせよ、ソーマや気を制御できれば、人間でもある程度の肉体強化をできるようになる」


 拍子抜けしたのは、プラムである。


「そんな間に合わせだけで、教官の火球を弾けたのか?」

「ベクトルを変えるぐらいは造作もない。

 ――理屈を、わきまえていれば、だけど」


 一回生のルスキニアたちは、それをこれから理論として学ぶ段階にあった。

 今はそれを教えるはずの教師が、のびている。


(悪気はなかったんだけど……)


「本当に、それだけか」


 ルスキニアが怪訝だった。

 マキビは、彼にのみ耳打ちで補足した。


「短期間で習得できたのは、マナスの補助があったからだ」

「またあの猫……禁忌先輩がたはあれにいったいなにを仕込んでたんだよ?」

「まぁおかげで、俺はまだ五体満足ってこと」


 ほかのふたりは、まだ怪訝にしている。


「男二人で内緒話とは、気色悪いわね」

「いや、もう済んだよ」


 イアクタは肘を抱えている。

 全身華奢にして、足も長いし、なんだかんだで彼女スタイルいいよな、とマキビは呑気に思っていた。


「さ、これからどうすっかな。

 教官ぶん殴ったとなると、俺は休学か退学かしら」

「いや、これは完全に事故だろ」


 ルスキニアは歯がゆそうにしている。


「お前がこうなるまで、俺たちは誰も止められなかった」


 彼がそう言うと、プラムとイアクタが気まずそうに俯く。


「あの馬鹿どもがどう告げ口しようが、俺はお前を弁護する」

「るーくんがそう言ってくれるのだけが救いだよ」

「お前如きがアイの真似をするな、死にたいらしいな?」

「さーせん、流して……けど正直、大いにあてにしてる」

「あぁ」


 マキビは彼の肩を、ぽんと叩くと彼の背後へ通り過ぎた。



 半分くらいは嘘である。

 正直、ルスキニアひとりの弁明でどうにかできる内容じゃない。彼は頼りがいのある青年だが、カンビオンが人間寄りにする証言を、社会が色眼鏡で見るのは避けがたい。

 証人は複数いたが、イアクタやプラムは、気心の知れた仲ではないし、教官に加担はせずとも、マキビの味方のつもりはないのだろう。

 吸血鬼が人間を弁護する労力を割こうほうが、非効率はおろか「馬鹿げて」いるし、正義は「吸血鬼を至高とする治世」のためにある。


 教官が目覚めたのは、野外実習の刻限に近しかった。

 のされていたとはいえ、こちらも起こそうと試みたにも関わらず、ぎりぎりで目覚めて癇癪ふり撒くので手に負えない。

 『勉強熱心』だった生徒たちが、時間内に逃げ出してしまったのも、彼の憤怒に拍車をかけてしまった。


「マキビ・ルーブラム――お前、覚悟しろよ。

 俺に手を挙げて、ただで済むと思っているのか!?

 学園理事会の沙汰を待っていろ!」


 という具合だ。


「……で、またいきなりやってきたと思えば、私に相談かね」

「相談というか、ご挨拶ですね。せっかくの監督役を仰せつかっておいて、なにもしないうちから、やめさせられるかもしれません」

「はっは――そういやきみ、教官を殴ったといえば、俺のこともこの前おもいっきしびんたかましてくれたよな?

 なんか菓子折りぐらいないのかい」


 マキビの背後のルスキニアが、辛辣に言い放つ。


「職務中の真ッ昼間から酒呷ってたの、理事会に報告しなかったのが、マキビや俺の良心とは考えませんかね、教授?」

「ゔっ……」


 どっちもどっち、であった。


「でも最初は、その場を穏便にやり過ごすつもりだったろう?

 ソーマを扱って状況を偽装しつつ、授業終わりにでも、こっそり戻ってこれたんじゃない?

 大公の子女を庇って、なにも騒ぎをでかくしなくたって――彼女が怪我をしようと、吸血鬼であるなら、すぐに治癒するんだから」

「やだなぁ先生、打算が過ぎますよ。

 女の子が傷つけられるの、黙ってみてる方がやじゃないですか。

 ……大公の娘が、授業中事故にあったら、それこそ学園は大騒ぎです」


 ルスキニアも補足する。


「どのみち、状況はエスカレートしていた。

 教官は、マキビの骨ひとつ遺すつもりはなかったはずだ」

「血統学に人間アレルギーを持ち込ませるってのが、おそろしい化学反応だってことは、今のでよくわかった。

 ……とはいえねぇ、マキビ君、『身から出た錆』という言葉もある。

 むろん君が悪かったとは言わない、手順には則っていたわけだから。

 だが閉鎖社会の不文律に、きみが疎いとも私は想えないんだよ。

 最悪、命の危険がある――きみなら受ける前から、こうなることは察していたんじゃない?」

「それは」


 確かに、殺されかかるとはある程度事前で予想の取れていた。

 ルスキニアが授業で孤立しないため、なんて言い訳にもならないだろう。

 ……彼は自身の孤立より、下手な同情とか、結果俺が危険に晒される原因が、自分に関わると知れば、絶対に止めたはずだ。


「俺が注意しなきゃいけなかったんだ、自分のことばかりで。

 マキビを危険な目に遭わせるなんて、想像もできなかった」

「俺は自分の意思で、授業を履修してるんだ。

 お前が自分のせいだなんて思いあがらないでくれよ。

 こうなってから、俺はわりとすっきりしてる。

 悔いはないから」

「――」


 ルスキニアは押し黙った。

 納得はできないだろうが、これ以上追及することもないだろう。

 マキビには彼の性格が見越せていた。

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