第5話 血統学の授業
血統学は吸血鬼と人間を分かつためにある教科と言ってよい。
筆記試験など形骸的なもので、その構造上、ソーマを認識し、制御できる者でなければ応答しようもない内容になっていた。つまり事実上、人間が単位など取れようはずのない。
定期試験でもひとたびは上級クラスへ昇格したはずの人間が、ふるいにかけられるのは、吸血鬼の血を用いた異能や認識力を前提としたこの科目の評価が、不条理なまでに作用する。
これはカルセドニウスのみに限らず、各フラスコ都市にある学術機関でも、総合評価に関わっていた。
教師の話が始まる直前、マキビはプラムへ言う。
「ルスキニアのそばにいてやってくれ。
彼の血統技術のくせが強いのは、知っているだろう」
「言われるまでもない。
……けど、お前の方こそ大丈夫なのか?
ソーマも使えなくて、実践じゃ棒立ちにしかならないだろ」
「こっちは心配しないでいい。
まぁ、なるようになるさ」
ゲーム序盤、マキビが絡むはずのなかった、血統学の初回授業。
本来なら、ルスキニアは血の造成が使えない劣等を、ほかの生徒らから嘲弄されることとなり、プラムさえその場では彼を庇えなかった。
だから……たぶん今のマキビの声かけは、傍観者どまりな彼の決断を後押しするのに、きっと必要なことなのだ。
そして――ほかのクラスメイトから、マキビらへの揶揄が飛ぶ。
「カンビオンと、人間か。
くれぐれも俺たちの足を引っ張るなよ」
吸血鬼だらけのクラスで、俺だけ人間。
とはいえ、辛いのはルスキニアも同様だ。
彼の血統術は、武器や触れた事物を、血を媒介に強化する。
かたや一般的な吸血鬼は、道具を頼らず、自身の血そのものを武器やオブジェクトとして形成できる。
ルスキニアは作中当初から結社で働くだけあって、格闘能力や技術点はそれなりだが、如何せん「血の造成」による、単一事物の形成が下手であった。
これは吸血鬼社会でもごく稀なことらしい。
この社会には『個体優位主義』という思想があり、あれは不老不死たる吸血鬼は、それ単体で完結した至高にして最強の肉体を御し得るべき、という、端的には選ばれしものの完璧主義だ。
彼が自身の創造を具現するには、アイドニが扱う錬金術の補佐が必要になる。
それだって彼自身の持ち物ではない……ゆえに彼は力の扱いに謙虚たれるかもしれないが、個の実学として評価されると、文句なしの劣等として扱われざるをえなかった。
ほかの吸血鬼にできることが、自身にはできない。
そうしてゲーム作中序盤の彼は焦りを募らせていくなか、出会ったばかりのアイドニを紆余曲折あって(物理的に)傷つけてしまう。
前世の記憶を得たマキビが介入してからは、その兆候はいまだ見られないが、バカップルは互いに愛が重いので、一歩間違うと普通に暴走しうる。
現状は予断を許さない状況の続いていた。
授業が通常に進行すると、吸血鬼としての技能で、もっとも劣っていると烙印される。
マキビはそれを知っているから、ルスキニアには仲間がいるべきだと思う。
――吸血鬼の血統術とは、彼ら自身の血からソーマを消費することで発現する、ある種の異能、超能力だ。
人間であり、吸血鬼へ選ばれる資質を持たないマキビには、到底縁のない代物。
むしろ人間しきが使えてしまうようなら、そのほうが大問題だ。
吸血鬼が上位種として君臨する実力や意義からが失墜しかねない。
(というか、ルスキニアへの風当たりはまだマシなほうかもしれない。
問題は……)
「きみは、生き延びることができるか?
人間が血統学なんて、聞いたこともないけど」
どこぞの次回予告そのまんまな台詞(※むろんニュアンスは少なり違うのだが)を引っ提げて、金髪縦ロールな大公家令嬢がやってくる。
「お手柔らかにお願いしますかね」
マキビはそう答えた。
彼女、いちいち下民の俺になど構ってて、暇なのやら?
学年トップゆえの余裕ってこったろうか。
「きみ――ほかになんかないの?
この私に、声かけてもらってるのに」
「へりくだれというなら、せめて学外にしてください。ここでの俺は、一生徒です。
もっとも……吸血鬼のための科目に、俺がいることが気に食わない方々がいるのは存じています。優しいんですね、あなたは」
彼女は呆れているらしく、嘆息する。
「馬鹿じゃないの、きみ?
私含めて、みんな単に珍しがってるだけよ。
自分にはできないとわかってて、なぜ履修するのか。
私には、無意味に見えるけど」
「理由がなければ、履修してはいけませんか」
「習得する気がないなら、それは金の無駄だし、教育への不敬よ」
「なるほど。……いえ、他意はないですよ。
あなたが言ってるのが、正しい。実際、教育ってのは、贅沢なものなんでしょう。
それが人間としてのわかりやすい箔付けにはなりますけど、それが通るよう社会を整備してきた先人がたには畏敬の念を禁じえません」
教育の費用対効果は、大事なんである。
「俺は吸血鬼の血そのものではなく、それに付随したソーマの制御について知っておきたいんですよ。
ソーマの制御は、吸血鬼のみならず、あらゆる霊長の研究に役立ちますから。
単位が取れなくとも、具体的にソーマを扱う授業なんてのは、学園でもこれぐらいです。
座学だけで足りないから、実物にも目を通す」
「あの青い瞳の子――、彼と親しいようだけど、彼に学んだんじゃ?」
「たしかに理屈ならですね。彼の血統術には、くせがあるんです。
血の造成……オブジェクトをいちから作れない、彼は元ある道具に自分の血を流し込む形で、変則的な強化を施したり、物体の支配権を得る」
「あぁ……だから彼、そういう扱いなのか」
金髪娘もそこまで説明されると、吸血鬼としての彼が紛い物足る所以を承知した。
「実践が見ておきたいというのはわかった。
でもあなた、目をつけられてるわ。
――下手したら、ほかの学業まで支障出そうなものよ。
あまり目立たないことね」
「……ご忠告、痛み入ります」
マキビはきびすを返す彼女へ、軽い会釈で済ませる。
周囲の吸血鬼どもの視線が重い。
殺気さえ感じられたし、実際そのはずだ。
吸血鬼の授業で、お前の居場所など欠片もない。
金髪娘は、あれでも尊大に見せかけた寛大というか、まだ寛容な方だ。
マキビがこの場にいることを、なんだかんだで認めているのだから。
(イアクタ・アーリア、だったか)
彼女の名だ。その名もまたマキビと同様、設定資料集が初出だったはずだが、当時に絵はなかった。
設定上は重要そうだが、本編には特に絡みのない。読みからすると『賽は投げられる』に類するかもしれないが、『ヴァンパイア・フラスコ』は賽を投げる前にシリーズが死んだので、今さら俺が死に設定を掘り起こすのに、果たして意味なんてあろうか?
いやない。……上級クラスに所属する、大公家の子女か。
「ようニンゲン、ちょっと面貸せよ」
クラスメイトの三人、吸血鬼の紅い瞳に囲われる。
「血の洗礼だ」
イアクタの言っていたことは、安直なパロディどまりではなかったかもしれぬ。
なるほど、人間の俺では――生き延びるからして、難しい。
「この科目、実戦となれば、生徒同士が直接ソーマと血統術をぶつけあう。
血統術とは、生まれついての吸血鬼ならば、誰しもが担っている。
――要領の悪そうな貴様には、このほうが実りあるんじゃないのか?」
そう言ったなら、彼の指先から血とソーマが迸り、発火。
豪炎がマキビの周囲を取り囲う。
「この程度、吸血鬼ならソーマでいなせるだろ。
お呼びじゃないんだよ、お前ごときは」
皮膚がチリチリと赤化する。さほどに痛みは伴わない。
これでも手加減しているってこったろうか。
(抵抗できない相手を、実践授業中の事故ってことで焼き入れよう?
吸血鬼には事故も事故のうちに入らないが、人間は脆いんだよ。
これだからボンボンの吸血鬼は……)
クラスメイトに憚ることさえしない。
多少距離は置いているが、イアクタからも見える位置だ。
彼女は呆れているが、手助けはしないだろうし、俺だって求めていない。
悪辣なのは――ルスキニアの視界から、意図して引き離され、孤立されている。
彼らが助けに来る前に、俺に痛い目見せよう魂胆は、見事成功――というか、こちらも嫌な予感が的中だ。
(これまでの俺なら、いなせない。これまで通りだったら、な)
「なぜ動ける? 火を恐れないのか」
おののく術者へ、首を横に振る。
マキビは豪炎のなかへ、腕を突っ込んだ。ブレザーの袖さえ燃えないとなると、取り巻きどもは揃ってぞっとしている。
「死にたいのか!」
「美しい」
「あ?」
マキビはまたしても軽薄に笑っていた。
「これが血統の火ですか。
なんと煌々として、かの
「知ったような口を。
人間如きに我々の血統を語る資格など、ない」
術者は歯ぎしりした。マキビは炎の熱波を受けているのに、傷一つ見えない。
「あいつの薄汚い口を塞げ」
言われるまでもなく、ほかのふたりは彼の炎に自身らの血統術を行使する。
傍観していたイアクタが、あっと口を開く。
炎の火力が、マキビから見て右にいたのの加えた瘴気ガスにより、爆発的に広がり――かたや左にいたほうがふたりの発火と助燃の熱量を空間単位でマキビへ向けて凝縮、集約させた。
マキビの姿が、炎球の内側へ見えなくなった。
イアクタが教官を呼んで駆けつけたころには、既に遅い。
炎の球は徐々に小さく、蹲る影だけが残っていた。
「なんてことを――」
イアクタは、気まずそうに息を呑む。
「よくあることです」
教官が次にそう言うと、彼女は唖然となった。
騒ぎに気づいたルスキニアたちがいよいよ駆けつける。
「人間相手に
それは既に、公正な教育の在り方と言えるのか。
ルスキニアもマキビへ近づく。
「おい、マキビ!?
あんたらなんてことを!」
ソーマの火達磨へ手を伸べるが、ルスキニアは弾かれ、プラムに背を支えられる。
続けて吸血鬼の教官は、マキビを助けようともせずに言うのだ。
「この程度、どうとでもできる。
侯爵の息がかかっていようが、たかだか資質も身寄りもない、人間如き。
一人死んだところで、それが何だというのだ?」
「そんなものは――それが」
ルスキニアは呆然と俯き、加えてイアクタが叫ぶ。
「それが吸血鬼の誇るべき在り方ですか!?」
教員は、相変わらずだった。
「我々の誇りは我々吸血鬼の高潔なる血統を絶やさぬことによって保たれる。
人間如きが、血統学に触れようなどとするから、その身を差し出す羽目になるのです。
身の程を知らないニンゲンの生徒が、これまで何人その無知と非常識から犠牲になったところで、そんなことはカルセドニウスに限らず、『よくあった』ことでしょう?
我々に非はないのです。……ま、死体は処分してやるのは、せめてもの手向け、我々の節義と言えるものかもしれません」
「そんな――」
イアクタらは絶句し、教員は何食わぬ顔で彼女の前へ立ちはだかる。
「いかに大公の家柄の子女でありましょうが、ここでは一生徒として扱われます。
吸血鬼の総体に悖ることをしようというなら、学園や首都には、そのように報告させていただきます――なぜ立つのです?」
陰険な男を前に、今さらながらも彼女は黙っていられなかった。
「これ以上、彼に手を出すことを、私は許しません」
「困りましたねぇ。……というのは嘘です」
直後、イアクタの身が直立のまま、動けない。
「血統術?」
「えぇ、この授業――いいや、吸血鬼の社会では、血の権能の強きものが、下位のものを侍らせるのです。いかに大公の家柄といえど、そのことは知っていますよね。
抗うならば己の血統をかけ、私に正面から抗うのです」
「!」
彼女の隣を過ぎた教官は、火達磨を前に膝を崩してあっけに取られるルスキニア諸共、引導を渡そうとするのだ。
「プラム、どうせならあなたも加わったらどうです。
この子たちは己の血を統御できている。
まともな造成もできないカンビオンなどとつるむばかりなら、あなたの評価にも差し障るでしょうに」
「そんな……」
どれほど言い繕ったところで、こんなものは――劣等種に対する、弱いものいじめだ。
「俺には――彼の尊厳を、先生方が貶めているようにしか見えませんよ」
「人間や劣等に、尊厳などない」
「カルセドニウスの存在意義はどうなるんです」
「それは全ての血に、資質を持つもののためにある。
少なくとも、このような雑魚どものためではない。
我々に立ち向かおうとでも?」
プラムは首を横に振る。
「俺には、こんなくだらないことに、手は貸せません。
それだけです」
「くだらなくなどありませんよ。
力を持って、優劣と支配の意義を示すのは――さ」
正面にさらなる火球を生成し、マキビだった火達磨へと振り落とそうとしたとき、割って入る影があった。
「イアクタさん!?
まずい、このままではぶつかる――」
血統による拘束を振り払い、ぎりぎりで闖入、しかしそのままだと、彼女へのダメージは避けられない。
(いや大公の娘を傷物にするのはまずいだろ!?)
打算的な教官は、手を止めようにも術が発動していた。
イアクタも気づいていたが、ここで身を張らないのは、自身の矜持が許さない。
「……たく、膝が震えているじゃないか」
いつまで経っても、火球の熱がやってこない。
皮肉屋な人間の背中が、目を開けばそこにあった。
「あんた、どうやって」
発動した火の球は、ベクトルを押し返されたらしく、教官は向こうの林まで弾かれ……したたかに頭を打ち付けて、気絶する。
――、マキビはやってしまった。
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