第2話 教授

 謹慎あけの大人が昼間から酒をあおっている。

 マキビは笑顔で蒸留酒の瓶を逆手に取ると、頭頂から振り下ろそうとし、背後から組みついたルスキニアに全力で止められた。


「待て待て待て怒るのはもっともだがここで教師を殺す気か!」

「なるほどこういう人間が上につけば、他者を腐らせることを証明する社会学の論文ってない?」

「社会学ってのが何か知らないけど、実力行使はまずいって!?」


 マキビは、瓶を取り上げられると、無表情で肩の力を抜く。

 無精ひげの、目に生気が宿らない男の胸倉を掴み、往復びんたする。怠惰な人間は、吸血鬼よりも見ていて不快になるものだ。


「マキビぃいいい!!?」

「この程度で済んでよかったですね、侯爵の前でなくて。

 命は惜しいですか?

 次はコンクリート詰めで湾に沈みますよ???」

「湾ってなに!?」


 ルスキニアのツッコミがやけにさえていた。

 教授はマキビの放つ殺意に、すっかり怯えている。


「あ、ぁい……」


 慌てて頷いて、椅子から後退して足が縺れてこけた。


「ここでしていた研究について、お伺いしても?」

「俺はここでなにも成しえなかった。

 だから吸血鬼や生徒に舐められる――あいつらは俺の監督など乞わず、侯爵への信奉さえあればよかった」

「そうして管理をおざなりにしてきたんですか」

「違う!

 奴らは学園に許諾されない施設をひそかに増設していた、私が連中に注意喚起を促せば、侯爵の意を傘に借りて、上からは新進気鋭の彼らを邪魔するなと、私の方が追い出されたぐらいだ。

 すると――先週、私のもとへ帰ってきたこの部屋は、以前のそれとは大きく変わり果てていた」

「……ふむ」


 言い訳は感心しないが、監督者として機能しなかったのは、彼個人というより、学園全体の侯爵日和見主義に難儀があったのかもしれない。


「私は侯爵という男の権勢に、振り回されるしか能がない。

 例年の生徒や先達が培ってきた研鑽を守るだけの虚勢さえ、張れなかった」


 薬品や道具には、手書きのラベルが貼ってあるが、棚に戻されていない。

 蓋がされているのはそうだが、瓶には倒れて露骨に亀裂が入っているものがあった。

 薬品の粉末や液体は、本当に最低限で片づけてあるだけで――定位置から外れる、ぐらいはままあるが、道具の損耗がやや激しすぎる。

 薬品の生成のための蒸留装置は、無理な使い方をされていたようだ。

 遺されたレシピを見るに、単一のマシンで、粗悪な質の薬を複数生成供給していたらしい。


「連中が複数回にわたりボヤ騒ぎなどを起こしたことがあったそうですね。

 学内からのクレームや理事会からの注意喚起があって、実質的な対応は侯爵を恐れて、誰もしなかった。

 挙句は脱法薬物を闇市場へ供給していたと」

「知らされたころには、遅すぎた」

「悔いているなら――俺たちのすることに、協力していただけませんか?」



 換気をかけ、教授をいったん外へ放り出した。

 まずは室内の片づけと、部屋にあった資料の整理からふたりは取り掛かる。


「連中の遺した資料を、あの男は律儀に散逸させていない。

 彼らの歪な研究、その決定的な証拠だってのに――燃やさず、取っておいたわけか。

 あの男……誰の味方なんだろう?」


 ルスキニアの言葉に、マキビが嘆息した。


「それは党派性に拠った考え方だな。

 まぁ群体の社会ってのはそういう観方を、いつの時代もどう足掻いたって捨てられないわけだが――あの男は、誰の味方でもないよ、そして敵でさえも。

 今この時点では」

「お前、あの男の前で侯爵の権威を用いない方がよかったんじゃないか。

 あのふたりと同じにしか見られなくなるぞ」

「実際、根本的には違わないだろ。

 侯爵の意向、期待に答えなければならない位置にあるのは、これまでの連中と違わない」


 自分でもやや不本意じゃある。

 ただそれを傘に着るでもなくして、吸血鬼社会の認める、目を引く研究なんてできない。

 ……そもそも研究は、ある程度採算度外視で投資すべきものだし、自分はやり方を間違えているのかもしれない。

 確実に成果の出る、金の稼ぎ方――でもルナフラスコはおろか、この地底帝国で土地を転がしても、大した商売はできないというか、一番有用な土地柄は、世襲貴族どもやよほど巨万の富でも持ち得なければ、これに手が届くことはない。

 俺はただ、孤児院をより安定した土地へ移設し、子どもたちを安心させたいだけだってのに――そのためにやることが、まだまだ沢山ある。


「たかが人間にできることなんて、限られてる。

 俺にかかってる学費くらいで、中層のいい立地は買えない。

 ここまでだって、人が普通に稼ぐだけじゃ手に入らないものを手にしてることは、わかってる……あの子たちに恥じないやり方で、稼げたら、それに越したことはないんだけど……俺にできるのか、時々ほんと、不安になる」

「入学から一か月半しか経ってない、生き急ぎ過ぎてないか?」

「かもな」


 マキビの話は、外にいた教授にも、聞こえていたらしい。

 すぐに戻ってきた。


「きみ――一介の人間が、どうやって侯爵へ取り入ったんだ」


 この吸血鬼社会で、至極自然に行き着く質問だ。


「聞きたいんですか」

「きみがどういう人間か、見極めるのに必要なら。

 この部屋を、どうやって使っていくつもりか」

「教授はなぜ侯爵の意向に屈するとわかっていて、この研究室に居残るんです。

 惰性ですか」


 彼は首を横に振った。


「結果としてそれで処分されるなら、その時はその時だろう。

 この部屋が始動以来に培ってきた研究を、生徒たちの誇れるものとしたかった」

「諦めたんです?」

「それは! ……私には、行く末を見届ける責任がある。

 お前たちがどう言おうと関係ない、この部屋が取り壊されるか、辞めさせられない限り、俺はここに居座ってやる」

「さいですか。じゃあ俺は、ここを好きに使わせてもらいましょう」


 ただの臆病者ではないらしい。

 処分を喰らえば従わざるをえないが、この男は迎合できない。


「――最初に言っておくと、俺は新しい生徒を取り入れたうえで、ここで行われる研究を透明性のある、組織としてもより風通しの良いものにしようと考えています。

 そこから成果を出せるかは、また別問題ですが」


 やらかしたとはいえ、上級生ふたりは、この部屋を通して、ひとつの成果を出していた。

 それが黒猫――マナスという形をとっている。


「ところで、飼われていたはずの実験動物が見当たりませんが?」

「あ、あぁ……鼠のいくつかは、彼らの私費で飼われていたものだ」


 上級生は投薬のために、飼育用の籠を遺していたが、教授の手で清掃されて、部屋の片隅へ、それだけ押しやられている。


「備品と領収書の管理はどうなっています?

 帳簿を見せていただきたいんですが」

「あぁ」


 教授は部屋の奥へ向かう。

 それと入れ違いに、ドアをノックする音がした。

 ルスキニアが行く。


「アイドニだ」

「入れていい、彼女にも面通しさせたほうがいいか……」


 彼女が教授を見て、どういう反応をするか、確かめておきたい。


「マキビくん、呼ばれてきました」

「ありがとう。教授が戻ってきたら、ご挨拶ね」

「わかった。それでこの前の返事、なんだけど」

「うん」


 ルスキニアがやきもきしていた。

 アイドニは彼がいるところで、彼の病質的な劣情を煽る悪癖がある。

 いくらライトにヤンデレ趣向なゲーム世界とは言え、デフォルトでこれやられるとな。既にゲーム本編の進捗から、だいぶ離れているとはいえ――、これではしょうもない理由で、彼から背中を刺されかねない。

 マキビは肝を冷やした。


「私もマキビくんの研究に、協力させてほしい。

 研究室のこと、るーくんと一緒に入っていいの?」

「え?」


 ルスキニアがあっけにとられる。自分が入ることになろうとは、考えていなかった顔だ。


「とーぜん。錬金術とソーマ関連の技術を扱うには、きみとルスキニアの力が必要だ。

 お前だって、アイドニさんをひとりで俺のところに置くつもりはないだろう?」

「そ、それはそうだが……場違いじゃないのか?

 俺はその、研究って柄じゃ」

「学園にいる間、なにかしら活動をしている、実績も必要だろう。

 部活動に入るでもないなら」

「いい……のか?」

「お前がいなきゃ、なにも始まらないよ」


 結社の活動を彼を通じて、逐一確かめたいという、マキビ個人の思惑もあるので、まったくの善意ではありえない。というのに、マキビに求められると、途端ヘンに顔を赤らめるのは加減してほしい。

 目の前に自分の女がいるだろが、お前。

 ――今度はアイドニの顔が引き攣っている気がするのは、さすがに気のせいですよね?


「最近るーくん、マキビくんとばっかり話してるよね」


 むすっと膨れている。流石はゲーム主人公、かわいいな。

 その好意が一途にルスキニアへ向いているからこそ、傍観者は素直に称えたくなるものだ。

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