第24話 認めるということ
大人になにかを褒められるという経験が、思えばすっぽりと欠落していたように想われる。マザーは亡くなったが、あれもひとを褒めるより、疲れると色々が雑だったというか、それだけこの社会で人間の身よりない子どもを育てることには、メリットが享受できない、見返りを求めない志は立派だが、あまりに身を削れば、自らが壊れてしまう。性産業で客を取らせるとかいう例外こそあるけれど、それは子どもの将来を願う大人がする選択では断じてないことは、そのはずだ。
あの人がなくなったとき、あの人の二の轍は踏まないと、クレオと誓いあった。
そのクレオが――あっという間に召しあげられ、吸血鬼に選ばれるとは、欠片も当時は思わなかったが。
人間なんてのは、愛されずとも、「生きるしかない」ものだ。
それでも多くの人は、自分が「愛され、求められる」実感を欲する。
ヤームルは吸血鬼で、マキビが死んだのちも生き続けるのだろう。
でもあのひとは、俺に大人として、ねぎらう姿勢を打ち出せる。
あれは……本当に尊敬できたし、感激さえ、したのだと想う。
「しばらく、後ろ向いててね」
壁に向いたマキビの背後から、クレオが咬みついた。
パートナーとして、血を分け与える、そういう契約。
ソーマというのは、通常に生活する分には、殆ど消費されないものだ。
一か月に一度、ほんの身体から十七分の一程度を持っていかれる、一回一回は大した負担でないが、最近はマナスに血を与えることもあって、すこし不安になる。
首から彼女の咢が外れると、静かに壁へ、手をついた。
「ありがとう。おかげで助かった」
「……あぁ」
「表彰されたんだって?
中層で聞いたよ」
「おかげで報奨金も出た。
設備の改修とかに、大体吸われるけどね。
ちょっと、うれしかった」
「そっか」
互いの顔を見ることはしない。
俺はこの血とソーマを介して、彼女に貢献している。
その事実があれば、充分。
「もっと、まっとうなやり方で、お前に報いれたなら……いいと、いつも想ってるよ。
いまだって、きっとこれからも」
「――」
「俺であの子たちを、守れるかな。
あの子たちも、いずれ成長する、でもそれは今じゃない」
ずっと壁に向いていた。
クレオは去り際に言う。
「マキビはきっと、正しいやり方を選べたと思う。
私はそうじゃなかったかもしれない……でも。
自分が生かされて、自分がなにかを育んでいることが、いまはまったく嫌じゃないの。
あの子たちにも、生まれてくるこの子にも、その先でなにかを勝ち取る人生があるなら、それを見届けたいって、私は思うよ」
「そうか……そうだな」
マキビも自分に言い聞かせるよう、頷いた。
「違いない」
自分が主体でなくていい、自分たちに、送り出すことしかできないとしても。
……彼らを見届ける資格ぐらい、僕ら自身選びとってもいいだろう。
*
ルスキニアが、低脂肪乳のパッケージなんて持っていた。
「これでいいのか? 普通の買ってきてもよかったんだが」
「あぁサンキュ、俺、すっきりめのが好きなの。
助かるぅー」
下民なので、路上で所かまわず開封して一気飲みしてる。
ルスキニアが、苦笑した。
「まったく――大した奴だよ、おまえほんと」
「なにが?」
「胆が据わってる」
「そう……そう言われるの、悪い気がしないね」
また鳴き声がして、いつものようにマナスが自分の背中を駆けあがってきた。
「さて――いよいよ今度こそ、試験が近いな」
「くっ、勉強教えてくれよ、マキビ」
「俺だって自分の勉強があるぞ、吸血鬼」
「だ、だったらさ!
勉強会しようぜ、プラムも連れて」
「そうか、男子寮で?」
「あぁ……そうなるのか」
「なにその微妙な反応」
「いや、俺自身は最近退寮してて」
「なるほど、アイドニさんと愛の巣か」
「言い方ぁ!!?」
だが間違っていないはずだ。
彼女のアパートを訪れて以後、彼と彼女の仲はそこそこハイペースに進捗しているようだった。昨今童貞捨てただろうのは、態度から滲む余裕でわかる。
おおかた表彰を受けた晩だろう。
――そうなってからの彼の匂わせについては、ゲームでもあるし、正直気色悪いが、ツッコミ待ちみたいなアレなので、放っておく。
そうそう……これは彼らが主人公の世界で、俺は脇役。
ある意味ではこれが、正しい配置なのだ。
「あぁ、勉強会のときにでも、惚気は聞かせてもらおうか」
「お前だって、最近所長やグラスさんと、いい感じのくせして」
「は?」
所長には子どもに見られており、グラスはマナスに懐いているばかりだ。
変なことを言わんといてほしい。
「マキビにー、お帰りー」
「おー」
孤児院の敷地前へ戻ると、あっちから気づいてカーシャやユーリたちが、駆けつけて出迎えられる。マキビは彼らの視線と高さを合わせるように、膝を崩した。
……我ながら、IQ3ぐらいの返しだ。もっとこう、あるだろう?
ただ――今日という日、クレオと話してからの自分は、不思議と満たされている。
自分はいまの自分が、そんなに嫌いじゃなかった。
だったらいまは、それでいい。
「お手紙、マキビにーにだって、差出人も書いてないの!」
「――」
あの男からの密書だと、受け取ってすぐに気づいた。
研究室の監督役になることについて、侯爵から連絡が待たれている。
その催促も、まず含まれているだろう。なるべく早く、返事を出さなければ。
「さて……どうしたものかね」
手紙を受けて、彼は苦笑した。
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