第22話 銀の鉞の簒奪者

 まだもう少しだけ、働かなきゃならないらしい。

 人形は、白銀に染まる鉞へ、手を伸べる。


 ――きみは女神の金の鉞も銀の鉞も手に取らないと。


 こんなときに思い出すのが、あの男の言葉とは。

 なぞらえて言わせてもらえば、今の俺は、


「いいや。……さしずめ今は、銀の鉞の簒奪者、なんてな」


 身に余る超常を御し得るなら、きっと相応の代償がいる。

 気取ってなければ、やっていけるものかよ。



 関節の隙間などに、強化した十字剣を差し込むと、異形鼠の行動を、それなりに押さえることはできるようだ。

 鼠の肥大化は、全長5メートルほどになったところで、ほぼ止まっている。

 飼い主が死んだから、彼のソーマを吸いつくしたから、ということか。


「――早くけりをつけないことには、変わりないか」


 警察の甲冑機なんかが、街道の封鎖をおそばせながらやっていたが、さっき跳躍してから鼠は、いくつかの店の軒先を踏んだり潰したり、ろくなものではない。


「自分たちじゃ止められないからって、動ける吸血鬼に全部押し付けちゃうわけ?」


 これだけの騒動を引き起こせば、あちらの機動部隊が増援に駆けつけるだろうことは容易に予想される、というか、そろそろ駆けつけるはずだ。


「まぁ、ほっとけないのはその通りだが!」


(俺一人では、決め手にかける)


 ここは中層の市街地だ。人間も多いが、吸血鬼も店を頻繁に使う。

 とにかくこれ以上、化け物が動けないよう、四肢を十字剣の連撃で穿ってを繰り返していた。それが自立していられる、余地さえ残してはならない。

 しかし――直後、鼠が『吠えた』。


「!」


 消耗したルスキニアは、酒場の軒並みに弾かれる。


(あれだけやって――また立ち上がってきやがる?)


 咆哮とともに倒壊した、店のなか、ベンチまで吹き飛ばされ、背中を強かに打つ。


「ごッ――」


 吸血鬼の身でも、緩和しきれない衝撃。

 端目に、金属盆を胸に抱える、給仕姿の――


(グラス? この店だったか)


 ヤームル所長の呑みにくる店、この時のルスキニアは知る由もなく、叫ぶ。


「まずい!? 逃げろ!」


 鼠が店の中で飛び入り、真っ先そこにいた彼女へ襲い掛かる!



 あれがグラスのいる店だとは、すぐに気づいた。

 ルスキニアが弾かれたのを見た瞬間、全身の血が活性する。


(お前が守りたいのは、この街なのか?

 こんな世界なのか?)


 迷ってはいない。身体は既に動いているから。

 ただ――ただ、動いているなら、そこに必然が欲しい。


「院のことで手いっぱいだったじゃないか。

 お前が守りたかったのは、中層ここにいる恵まれた人間じゃない。

 ――、あの子たちだけだ。

 なのに、まだ足掻くの、手を伸ばさなきゃ、気が済まない?」


 今の俺はどっちだろう。前世か、元々のマキビなのか。

 まぁこの際、どっちだっていい。


「元々なかった命だろう。

 この街が、俺を殺すとしても――」


 認めるしかない。

 目の前に為せる力があって手が届くかもしれない、あとは朽ちるまで――己を使い潰そう。

 生への実感、この瞬間に全てをかける。


「俺に託したことを、悔やませてやるよ。あのポンコツどもが」


 ルスキニアとアイドニには、憤っていた。

 お前らが主人公だろう?

 自分の不始末のケツは自分で拭け。

 言っても仕方ないのは、知っている。

 お前らが取りこぼそうとしているものに、俺は最期まで人間として、せいぜい足掻いてやる。

 彼の瞳に、青磁色の輝きがうっすらと浮かぶ。


「メリディエス。お前がいつか、俺を殺すなら、それでも構わない。

 けどな――お前が生まれた意義は、今ここで果たせ!」


 運命を知っている。俺ができるのは、滅びに抗うことじゃない。

 滅ぶ先でもあの子たちに、俺が生きたことに、意義があったんだと、そう最期は胸を張って、前を向いていよう。

 ……俺が最善を歩んできたとは、欠片も想えない。

 だって俺さえ、変なことしなければ、アイドニはレイプされかからないし、吸血鬼先輩も死ななかった。

 俺は他人から、機会を奪って、身勝手にここに居座っているだけの簒奪者。

 そうでもなければ、無力な自分の怠惰を、取り繕えない。



 直上から降ってきた灰の人形は、異形鼠の首の皮をわし掴んで引き倒し、あっさりと店の外へと引きずりだして放った。

 一瞬、そこに膝を崩している、グラスのあっけにとられた顔が見える。

 ――間に合って、良かった。

 異形とは、振りかぶる程度の間合いがとれている。


「これ以上は俺のソーマが尽きる、ここで終わらせる!」


 鉞が白光とともに、遠心力と重量を直上に集約され、――ギロチンの刃のようにして、仰向けな首と肩甲骨の間に落とされる。そのまま、骨を断ち、心臓までこれを届かせよう。

 そしてもう一押しを、俺は要求した。


「ルスキニアっ、止めを!」

「おう――ッ!!」


 十字剣は、重ねて両目を穿ち、さらに頭上から脳天へ、重たい一撃を加える。

 歯は喉口から地面まで貫通し、もはや咆哮の出ることさえ、許さない。

 これで――本当に最後。

 この異形に今度こそ引導を渡すのだ、俺たちが!

 ふたりの呼吸と掛け声が、自然にシンクロしていた。


 肉が盛り上がり、不条理な再生が繰り返される。

 そのたび、押し返されまいと俺たちの刃が、震えて脈打つ。

 やがて手ごたえが、すっと軽くなる。


「終わっ……た?」


 ルスキニアが呆然と口を開く。

 そこに遺るのは、黒ずんで砕ける骨だった。


「朽ちて――ソーマを、使い果たしたか」


 サイレンが聞こえ、見渡せば周辺に、警察の甲冑機が寄せている。

 灰の人形は斧を前に突き出し、膝をついたままだ。

 ルスキニアは、ハッチを脇に格納されていたハンドルから強引に押し開く。


「無事か!?」


 マキビは消耗して、気絶している。

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