第17話 ヒトの器
侯爵の人を見る基準が、正直わからない。
いつだってそうだ。
「彼女を壊すおつもりですか」
「あれの顔がいいのは認めるが、あの女は愚かなどではない。
ここでいう愚かさとは、学のあるなしのことでなく、与えられた機会に誠実であることだ」
「?」
「ただの貧民は、ないものをねだる。
自身の器にみあわないことさえ気づけない、これほど哀しいことはないだろう。
あの女は、自分の器に余るものを知って、謙虚たろうとする。
その強かな徳こそ――どうか、穢れないまま、育まれていてほしい。
いいや、私は守ろうと誓った。
前の妻は、亡くなって久しい。
私が人並を超えた生涯で、捧げるべき義理は果たしてきたつもりだ。
これまでそう在ったように、私の在り方は、変わらない」
――ここまで来ると、彼女が侯爵に抱かれた意味が、なんとなくわかってしまう。
マキビ自身は、到底認めがたいことだったが、もう目をそむけられるほど、子どもでもない。
性根は歪んでいるが、実際、逞しい男である。
「周りや彼女は、あなたに自身を不釣り合いだと、諭さなかったのですか」
「諭されたとも。私はあの女に、わが子を産んでほしい。
私があの女を選んだのではない。
それを叶える安心を、彼女は私で買った――勝ち取ったのだ」
「っ」
男の立場なら、なんとでも言える。……それでもその言葉の自信の確たること、そしてマキビが喫茶店で見た彼女の恍惚が重なり――、彼は、うなだれた。
この人外は、はなからすべてを担っている。
金だけの性悪ならもっと恨めた、だが自身が望むものにどこまでも貪欲にして誠実で、幸せへ報いる手立てと知見を持っていた。
こんなものに、一介の少年がなにを勝れるというのだ?
「貴様も、合格だよ。
自らの器を知りながら、貪欲であることをやめない。
若さとは、そのようにして在るべきだ」
「恐れ入りますね……」
掠れた声で、賛辞を受ける。
ゲーム本編では、マキビはもっと感情的に侯爵へ詰めより、煙たがられ、孤児院と幼馴染の安否を天秤にかけられる形で、物語から排斥されるはずだった。
これは……なかった進捗だ、なのに。
どうしてこんなにも、苦しいのだろう。
ただ悪あがきして、迷走していた頃の道化が、羨ましいぐらいだ。
いずれ暴走の果て、短命にして朽ちるのだから。
足元の黒猫が啼いて、マキビの肩口に駆け上がる。
「その猫――そうか、貴様を選んだというなら、僥倖だな」
「なんだと?」
侯爵の笑みは、穏やかだった。
「いいだろう、提案に乗ってやる。
そのまま不遜な
警官たちの足音が、階下から迫る。
マキビはルスキニアを肩車した。
駆けつけた連中に、道を開けるよう、侯爵直々に指示を下す。
「通してやれ。彼らは我々の、優秀な協力者だ」
*
事の顛末を報告し終えれば、ヤームルの顔は険しい。
自然なことだった。
「……ふたりが無事で、ほっとした。
でも侯爵に目をつけられたのは、厄介ね。
それで――マキビくん」
「事務所には、しばらく近づかないようにします。
連絡はルスキニアを寄越してくれればいいでしょう」
「ひとつ、聞いていいかな」
所長の言葉を待つ。
「きみは、なにを望むの。
孤児院ひとつ守るのに、そんなにも多くのリスクを背負いこむ必要があった?」
「ないですね」
「――、だったら、なぜ」
「お金のことは、もう焦っていません。
ただ……知り過ぎてしまった、それだけでしょう」
工房の伝票をひらひらと揺らす。
彼の軽い態度が、ヤームルの声を剣呑なものにさせる。
「他人事のように、言わないで。
それを選んだなら」
「ですね。だから後悔してません。
俺のことは、ルスキニアに任せました。
やばいと思ったなら、その時は彼が始末してくれる」
「自分の尻拭いぐらい、自分でしたら?」
「……ですね」
まったくおっしゃる通りで、もはや愛想笑いさえ浮かべるのさえ憚られた。
夕刻、事務所をふたりと一匹で出て、例の工房までをしばらく徒歩になる。
「所長はああ言ったけど、お前のこと、本気で心配してる」
「わかってるよ」
「――、足引っ張って、悪かった」
「お前はなにも悪くない。
お前が行かなかったら、自分で飛び出してたかもだし」
侯爵という圧倒的な強者を前にして、ふたりは実質、なにもできなかった。
こびへつらうだけ、あの場でほかに、万事収まる道なんてものはなくて、結果手に入れたのは、
「こんな紙切れ一つに、なにをこだわってたんだろうな。
俺しきは……」
「いいや、結果かなりの譲歩を引き出してのけてたじゃないか。
侯爵を前に、よくあんなとち狂った話を呑ませたもんだ」
「それ褒められてんのか、結局貶されてんのかわからんくなるな」
「すまん……けどさ。
お前の言ってた、侯爵の望みって、いったい、なんのことだよ」
「みゃー」
黒猫が緊張感のない、けだるげな声を頭上であげた。
また爪が頭皮に軽く刺さる。いたい。
「これはたぶん――なんだけど。
こいつにも、関わってくる」
「にゃんこに?
いい加減、名前つけてやれよ」
「おいおいな。
侯爵の望みは、吸血鬼を超えることだ」
「吸血鬼を、超える?
今さら不老不死以上の、なにを望むってんだ」
「女帝の支配からの、脱却」
「――、そのために、血の解析や、錬丹術のアプローチが必要だってのか。
確かに、お偉い権力者さまなら、考えそうなことじゃあるけど。
あの男、人の器がどうのとか言ってたじゃん。
それって、そいつはそいつの器に収まっていればいい、って話じゃなかったの?」
「器が広がらないなんて、誰も決めてないだろう。
あの男が進歩を喜べる覇者でなければ、到底この街は、今日のような発達を迎えることはなかったさ、こと学術においてもだ。
俺たちが普段忘れているだけで、この街の殆どは、あの男の金が作ったんだ。
反吐が出る」
「技術実績への尊敬はどうした」
「それとこれとは別。性根のねじくれた男と関わると、疲れる」
「ご愁傷様……」
ルスキニアから、なんだかとてもいやな憐れまれかたをした。
*
伝票の照会、工房の主人が直接出てきた。
グラスの父は、フレウというらしい。
「あんちゃん――オーダーメイドの依頼主は、うちでは大抵顔を覚えている」
「代理を頼まれたんだ」
というか、横から掠めたものを事後的に承諾とっただけだが、細かいところは端折ろう。侯爵のお墨付きだ。
これで本人確認がいるというなら、そのときはドンマイってことで。
工房の主人は首をかしげるも、伝票の物へ格納庫をすぐに案内してくれた。
「可変甲冑型車輌機か」
「メリディエス」
「え……?」
昏い灰色の車体を見上げて、マキビが唐突に呟く。
ルスキニアが見開いた。
伝票には機体名など書かれていない。
「俺の死神、ヒトの器――やだな、そういうことかよ」
全長六メートルほどの人形が吊るされたハンガーを前に、マキビは戦慄している。
前世、特殊辰砂という媒介なしに、黄白丹を搭載されたこの機体と癒着し、最期はルスキニアに介錯された。
鮮烈に、見たこともない忌まわしい記憶が蘇る。
2Dのグラフィックを画面越しに見ていた、前世とはまた違う。これはありありとした体感である。
人形は作りものであるが故、ヒトより大きくも、小さくも作れてしまう。それは人と異なる器かもしれないが――ゆえに人を凌駕する性能を獲得しうる。
「マキビ、おい、しっかりしろ」
肩を揺らされ、呆然と答えた。
「あぁ、すまん」
「大丈夫か――お前、この人形を、知ってるのか」
「いや……なんとも……驚いてただけだよ」
ゲーム作中における、自分の直接的な死因が、正面にある。
その『事実』は情報として、もっと客観できていたつもりのはずだが、なんだ、いったい今になってこの身の震えは?
俺はこの人形を、恐れている?
どうして、ただ見ているだけじゃないか。
ダメだ、飲み込まれそうになる――、
「っ!?」
右手の小指に痛みが走ると、咬みついた黒猫がぶら下がっていた。我に返る。
「おぉ……あぁ、いやすまん、ありがとうな、助かった」
いまは黄白丹もない、ただの置物のはずだ。
痛みとともに、平常な思考に回帰する。
黒猫を胸へ抱きかかえると、その額をマキビは、静かに撫で始めた。
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