第16話 上位種、不自由なる覇者
侯爵は嘆息した。
「なにか決定的に、前提を勘違いされているようだ。
これはきみ如き下民との交渉の場ではない。
――上位種たる吸血鬼が、劣等に引導を申し渡す。
ただそれだけの、営みの過程だ。
人間如きが私の考えに、邪魔な企みで割って入ろうというのか?」
するとルスキニアからすれば、機会は完全に途絶えられたかと想われた。
が、マキビの表情に、揺らぎはない。
「私はあなたにたてつきたいんじゃない。
ただ……どうせなら、下民をもっとうまく活用してみませんか?」
別に相手に対等に見られる必要は、今さらない。
ただ『利益になる』と、その仲介に、本心から喰らいつく。
こちらはまだ、足掻き足りていない。
「話せ」
促され、頷く。
「あの研究室を、一刻も早く再開させて欲しいんです」
「この期に及んで、なにを考えている」
「ホムンクルス・グールですよ。
その実現は、この街や吸血鬼社会の発展に大きく貢献するでしょう。
ただし実用化には、燃費の壁がありますね。
グールを動かして制御するには『ソーマ』と、それを制御する『媒介』となるものが理論上必要です。
ホムンクルスの起動のため、ソーマを安定的に供給できる炉心、もしくは永久機関じみたものが、現状の理論では必要不可欠だ。
まぁ動力はこの際さておき、問題はそれを、制御するための新しいシステム。
媒介となるものです。
薬品を作っていた彼らは、最初は吸血種の血を介して、霊長から摂れる高純度のソーマを御しようとしたけれど、そのままでは失敗していたんじゃありませんか」
「問おう、きみは『彼らがなぜ失敗した』と考えている?」
「吸血鬼の血を、『そのまま使おうとする』のがいけない。
たとえば東方の近代錬丹術において辰砂を媒介とした、不老不死の研究技術があります。
吸血鬼とは異なるアプローチの、不老不死の技術。
そして東方における丹と、吸血鬼社会におけるソーマは、ほぼ同等のものと見做される。言わば霊長こそが宿す、知性と生命力のエネルギー
……吸血鬼の社会における不死の血統には、それを統御する最高位の権力者がいる。
かたや錬丹術は、東方にて草の根的に発達した、ゆえに本邦の血の縛りがない技術です。
伸びしろがある」
「いつ、あの研究室が錬丹術を扱っていると気づいた?」
ここで、説得力ある口上が必要だった。
あらかじめ、裏付けておいて助かる。
「厳密には、『これから扱う』でしょうか。
学園で申請されていた研究の予算と、使途を軽く調べていました。
どこの研究室が、自分の研究に都合がいいかと、見繕って考えていたんですがね。
なるほど、危険取扱物であるはずの辰砂が、随分露骨で大量に発注されている。
一部の教員は、学生にこれを扱えるのかと、首を捻っていましたよ。
管理が疎かになれば、あれは容易く人が死にます代物ですからね。
まったく――今度のやらかしはありましたけど、先輩方のことは尊敬しておりましたよ。
吸血種の血を、実験動物に与えようなんて、なんてまぁ、『愚かな』お話でしょう。
……どうせなら、もっとバレないように、嗜むべきだった」
「最後のは、冗談かね」
「もちろんです」
マキビは胡散臭い笑みを浮かべ、黙っていたルスキニアは、ドン引いていた。
「すると、禁忌実験が露呈した研究室の評判はダダ下がりですよ。
いくら侯爵がスポンサーをやっているとはいえ、教授は責任を取らなければならないし、このままでは、封鎖せざるを得ない。
せっかくこれまで積み上げてきた、錬丹術や血統にまつわる研究が、たかだか学徒の不手際で封殺されるのは、とても惜しい。
カルセドニウスだけでしょう、国中まわっても、これだけ先進的な研究ができるのは。
だから僕は残念でなりません――研究室にけじめを取らせつつ、備品の管理、実験内容の精査、これらを第三者の観点で、公正に審査する。
そういう誠実なポーズでもつけなければ、この研究は向こう何年立ち消えてしまうことやら。
僕はそうやって老いて、せっかく見つけたやりがいのある研究の時間が、青春とともに空費され、自分が漫然と年老いていくのが怖いですよ。
ということで『肝煎り』の手頃な監督者は、要りませんか?」
「本気でそんなことができると考えているのかね?」
「むろん、他のセクションから外圧はあるでしょう。
禁忌実験の再発防止を標榜し、研究室を再出発させるだけです。
そこにあるものが散逸するのは、僕にはとても惜しまれる。
そして僕は今回問題を起こした吸血鬼の生徒とは違い、人間です。
カルセドニウスの運営理念にも重なってくるはずですよ。
吸血鬼社会において、人間は馴染みようがない。
ですが僕を、研究室の監督者として取り立てることで、吸血鬼の血統を客観する立場として起用した、建前を作れますよ。
さすれば研究の成果を散逸させずに済む。
侯爵がお望みのものは――まさしくあの研究室に、あったように想われるのですがね」
「気色が悪い……貴様、本当に人間か?
悪辣にもほどがある、この前はまったくそんな素振りを見せなかったが。
ごみ溜まりで育った奴というのは、そうなのか?」
「お聞きしたいことが、ひとつ」
「――、なんだ」
「侯爵が囲っている、女についてです」
侯爵は、反応を示さない。
マキビは語り続ける。
「あの女も、俺と同じ身寄りのない孤児だとわかっていて、あなたは取り立てたはずだ」
「ならばあの女なら取り立てて、お前を取り立てない道理はないと?」
「いいえ」
彼は首を横に振った。
「人間なら、あまたいる。
そこで拾い上げるのが、身寄りのない根無し草だった。
――なぜ彼女だったんでしょう。
身分が割れてさえいれば、中層にいる女でもよかったはずだ」
「愛しているからだ」
その言葉の説得力の如何は、それだけでは、マキビになにか確信を齎すようなものではない。侯爵もわかっているのだろう、だから語り次いだ。
「私が最もよく目の当たる、人間の顔とはなんだろう。
君に想像できるか?」
「……なぁ、マキビ、もういいから逃げよう?」
黙っていたルスキニアが、肝を冷やして袖を引くが、マキビの返す視線は冷たい。
ふたたび押し黙る。
「嫉妬と羨望、でしょうか」
「なぜ正解など捜した?」
答えて見せろと言わんばかりだったが、見透かされるのは不快なのだろう。
「あなたは頂点の存在だ。
この街において、その自負がある。
清濁併せ吞む、崇高な矜持が。
侯爵のお考えなど、下民の私めには、到底考えも及びません。
――ただ、人が頂を見上げる、心理はおおよそ」
「下衆め。ああ、褒めている。
まったく……その通りだよ」
ゲーム知識から、彼の独白に多少の先回りをさせてもらった。
すこし申し訳ない気分になったが、前世よりマキビの主人格側が、もっとやれと暗黒愉悦のターンに入りかかっているのを、いまなんとか自重している。
綱渡り一歩間違えば、谷底へ真っ逆さまだというのにだ、もっと緊張感を持て。
「馬鹿な人間は嫌いだ。
すぐに人を妬み、原因に目を向けることをしない。
諦めにくれる、怠惰な人間など、論外だ。
生かしておく価値がない。
私の娯楽を知っているか」
「いいえ」
マキビは苦々しく、そう吐いた。
厳密には、知りたくなかったし、というかわかっているので、わざわざ語られたくなかった。
口を塞がせれば、それこそ無礼になるだろう空気だ。
「頭の足りない、顔だけの人間が壊れるさまだよ」
「――悪いが仕掛けるぞ、押し通る!」
ルスキニアがこらえかねて、跳躍する。
侯爵の頭上をとって暗器を振りかぶるが、侯爵は微動だにしない。
「!?」
そこになにもないのに、ルスキニアは弾かれて、マキビの足元へと転がり戻る。
高位の吸血鬼が持つ、念動だ。ある種の覇気と呼んでいいかもしれない。
圧倒的強者、吸血鬼として、生物として、人間とは別の格、次元に居座るもの。
これだけの力をもってなお、この男は――自身を不自由だと、想っている。
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