第15話 青い瞳のルスキニア

 マキビのほうでも直後、前世ゲーム知識からの顔グラ参照に引っ掛かる。

 いましたっけねぇ……ミドルプライスでグラフィックがあるだけ、シナリオにもそれなり関わっていたはずだ。


「知り合いか」

「あぁ、残念なことにご同業だ」


 向こうも気づいて、歩速を上げる。

 追跡者側のこちらを引き離そうと、壁の上へ跳躍した。


「くそ、俺は回り込む!」

「安心しろ、追い付くとは期待してない。

 その前に仕留めるだけだ」


 ルスキニアのみが高所へ飛んだ彼女をそのまま追う。

 周囲がざわつき、警察の方も跳躍する黒い外套の女に気づいた様子だ。


「さぁ、ここであったが何年目、だっけか……?」

「カンビオンのルスキニア――?

 っ、邪魔をするな!?」

「のこのこ現場付近を歩いてるあんたが悪い!」

「それは――仕方ない、こんなところで騒ぎを起こしたくなかったが。

 お前を殺す!」


 相手は短期決戦を仕掛けてきた。

 緋色の瞳が妖しく残光を走らせ、速度は途端、人外そのものの域へ。

 そのままルスキニアの懐へと突貫してきた。


「っ!?」

「相変わらず、暗器に頼るか。

 おまけにすぐ『道具をすられる』の、まるで改善がない」

「どうしていちいち、人の懐をまさぐろうとするんだ!

 あんたといい、マキビといい――」


 アイドニにもついさっき、やられたばかりなぐらいだ。

 ルスキニアは普段、制服の上にトレンチコートを肩口にかけて羽織っている。

 トレンチコートの内側には、多くの暗器をホルダーしている。

 対処して、肘鉄なんて直上から喰らわせようとしたら、すんでのところをかいくぐられて、また棒手裏剣と短刀をパクられてしまった。


「そりゃお前が、自分の持ち物も管理できない、お人よしだからだよ」

「!?」


 そのまま首筋と鳩尾に、奪われた切っ先が向かう。

 さらに――棒手裏剣と短刀を媒介に、彼女は自身の血を流し込み、武器に強化を施そうとした。

 そして……そこで異変に気付くが、もう遅い。


「なん、だ。

 この武器は――おかしい?」

「慣れないことをするものじゃ、ないよな。

 人のものを奪って、血で上書きしようなんて……恥知らずもいいところだ」


 女は彼の武器を手放して、急ぎ後退する。

 ルスキニアはその場へ立ち尽くしながら、にかりと笑った。


「俺は俺の弱点を知ってる。

 ものを落としやすい。というか、管理が雑なんだ。

 だからせめて、目印だけはつけておくようにしている」

「なにを言って――」

「個体優位、自身の肉体こそ至高にして完成、完結された武器。

 俺たち吸血鬼というのは、本来そういうものでしょ」

「紛い物のくせに、なにを偉そうに!?」

「そう、俺は吸血鬼として同胞より圧倒的に足りていない。

 現に、あんたはいま血を媒介に、ソーマを武器そのものとして象っている。

 あなたやまともな吸血鬼には『それだけ』のことが、俺には『とても器用に見える』。

 ……悔しいよ、それさえできない自分ってやつがな」


 ルスキニアの武器を手放した彼女は、自身の血から両の拳に、ジャマダハル状の刀身を顕現させた。


「俺ははなから道具に頼らねばならない紛い物――だから自分の持ち物を、ほかの吸血鬼に使わせない、奪われないよう、あらかじめ血を刻印している」


 彼の血を扱う技術は、眷属とした武器に、まとわせて強化するものになる。普通の吸血鬼が一から自身の血で造成するのとは違う。


「小癪なガキだ。血の造成もろくに扱えない劣等が、なぜ戦う?

 いたずらに傷を増やして、下手をすれば、並みの吸血鬼よりよほど死にかかるというに」

「俺の力は、自分の身の周り、誰かを守るために使おう。

 そのためだけで、必要なものはもう満たされていた。

 ――そうと決めたなら、たとえ普通でなくても、技術で劣っていることを、誰から蔑まれたって構わない。……事前に血を貰っておいて、ほんとうに助かったな。

 傷の回復と刻印の発動、双方に集中できる」


 アイドニの血を与えて貰えなければ、傷の回復はもうしばらくかかったはずだ。


「そうかよッ」


 女は唐突に、背後にあった扉へ、ジャマダハルの一方を投擲する。

 扉が爆散し、その裏でドアノブに手をかけていた、マキビと黒猫が弾き飛ばされた。


「マキビっ!!?」

「ッ――、ルスキニア、止まるな!

 なにが今必要か、お前ならもう知っている!」

「!」


 こんなところで死にかけて、あいつの足手まといになるのは、本当に嫌だ。


(この場に這ってでも駆けつけて、足手まといにしかならないのか?

 人間てのはどうしてこう、脆弱かな――、いや、まだ)


 視線がその瞬間ばかり、はっきりと集中していた。

 腹を穿っていく、ジャマダハルの刃。

 宙を道化に舞う黒猫。

 破砕したドアノブは、まだ握っている。


「!」


 そのまま、彼と女の間を狙って、壊れたドアノブを渾身で投擲した。

 女の視界が、一瞬遮られる。


「その一瞬で、充分だよ!」


 今度はルスキニアから、女へ向かって突貫していった。

 ジャマダハルと棒手裏剣が交錯し、吸血鬼の血の権能が押され合う。

 不意をうたれなければ、彼女も着実に対処したろうが、ジャマダハルは押し負け、彼女はそのまま、向こうの建物の壁面まで弾かれた。



 女が逃げ出して見えなくなると、ルスキニアは深追いせず、屋上に繋がる階下で倒れている、マキビへと駆け寄る。


「俺が追い付く前に片付くって聞いたから、油断してやってたのに」

「なんでそんな態度でかいんだよ。

 悪かった、無事か?

 人間が、無茶をするからだ」

「無茶のやりがいはあったよ。あの女は結局?」

「アクアフラスコにいた頃、見たことがある。

 詳細はわからないが、あっちの貴族に仕えているのは確かだろう。

 手練れだよ」

「……で、だ」

「またか」


 黒猫のおかげで、マキビの傷は癒えているらしい。


「人間のはずのお前が、人外の領域に手がけている。

 その黒猫、いったいどうなっているんだ」

「まいったな……」

「なにに?」


 マキビは頭をかく。


「細胞分裂、新陳代謝。

 この猫がやっている回復は濫用したら、どうなるんだろう」

「濫用って」

「人間は細胞分裂の回数に、限りがある。

 テロメアって、聞いたことがあるだろう。

 吸血鬼はソーマと血の権能を用いれば、細胞分裂の回数を意識的に操作できる。

 人間ならままならず、その回数をすり減らすだけのものが、吸血鬼ならば、伸ばして若返ることさえ可能となる」

「無茶な回復のたび、寿命を吸われるかもしれないって?」

「老けたくないなぁ、まぁ死ぬよりかはマシかもだけど。

 ……女の持っていたものはどうした?」

「交錯ざま、くすねることはできた。

 ただ、薬ではなかったよ」

「伝票、か」

「支払いは済んでいるらしいが、受取日は今日になっているな」


 よく見ると、ガーヴナン甲冑工房で発行したものだ。

 ということは、グラスの実家か。

 ルスキニアが苦笑する。


「薬と甲冑機に、いったいなんの関係があるのやら。

 あとは――これを警察の手に渡る前に」

「そうさな。

 警察より前に、私に引き渡すのが筋というものだ」

「「!?」」


 階上からつかつかと下ってくる人物。

 マキビは特に、聞き覚えしかない。


「青い瞳の吸血鬼、なんと賊を成敗してくれたのはきみか。

 感謝しよう」

「失礼ながら、どちら様でしょうか。

 私は屋敷への侵入者を追跡していましたが、あなたは屋敷の人間ではないはずだ」


 ルスキニアは伝票をマキビにそっと押し付けると、振り返って身構える。


「あ、おい!?」

「マキビ、それをこの男の手に渡してはならない。

 逃げろ」

「ほう……私に立ち向かおうというのかね?

 この街は、私の庭だというのに。

 そちらの人間は――やぁ、この前の、か、面白い」


 侯爵は、ふたりを射貫くような目で見下ろしている。

 とにかく……マキビも遅れて、立ち上がった。


「周辺は、警察が固めている。

 私に上を取られた時点で、君らは詰んでいるよ。

 青い瞳の、それできみは――私に手合わせしたいと?」

「っ、くそ」


 ルスキニアは劣勢、というか、この男と正面から戦っては勝てないと、既に肌身でわかっている。

 マキビも、今の彼ではこの男に勝つことができないのは、わかっていた。

 侯爵の言う通り、ふたりの状況は詰んでいる。


「学園生を前科者にするのは、気が進まないな。

 それとも死に急ぐか」

「ふざけたことを」


 ルスキニアが短刀を構えていると、その肩口に、マキビが手をかけた。


「せっかく俺たちで掴んだ証拠だってのに」

「侯爵の持ち物を、掠め取ろうとしたに等しい。

 持ち主に返すというのは、正しい判断かもな」

「研究はこの男の持ち物じゃない!

 こいつは金を払っているだけだ!」

「だからこそ、相応の権利を訴えさせてもらおう。

 ……きみたち、あの研究の中身まで掴んでいるとは、相当なものだな。

 まったく、どこのセクションから雪崩れた工作員というのか。

 残念だよ――きみも、孤児なんだろう?」

「!」


 侯爵ははっきりと、マキビを見ている。

 白手袋の指先を、彼の顔に向けた。伝票を返せと。

 マキビはこの状況で、笑っている。


「なぜ笑う?

 万に一つの勝ち目も逃げ場もないというのに」

「ええ、俺たちではあなたに勝てません。

 血の権能も組織の力も、大人のあなたは大胆に活用し、俺たちにはそれに対し、なすすべはないんですから」

「ふむ」


 マキビの自嘲じみた言い回しに、興味の引かれたようだ。


「時間稼ぎなら」

「いいえ、俺が今からあなたとするのは、ただのですよ。

 この伝票、このまま俺に寄越してくださいませんか?」

「!」


 侯爵の眉が僅かに上向き、あっけに取られている。傍らのルスキニアも同様だった。

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