第14話 蘇生する黒猫

 その舌を引きずりだし、マキビは指先につけた自身の血を舐めさせた。

 するとそれまでみすぼらしかった毛並みが急に艶を帯びて、青磁色の瞳が開く。


「……うちはなに見せられてる?

 猫、ゾンビ? 吸血種、なの? そう呼んでこれは大丈夫っ!?」


 所長の困惑は当然だったが、マキビからすると、こうしなければならない必然があった。


「仮死状態だったわけです、咬みついたって話は致しましたよね。

 こいつは俺を宿主ホストに選んだらしい。

 ソーマを介して、意識を俺の血中に忍ばせた。

 果断なものですよ、一時的に自らの肉体を捨ててまで、生き延びようってんですから。

 執念ですね」

「この猫は自身の死を偽装することで、学内の監視を免れた?

 強かなんてどこじゃない――絶対やばいわよ、こいつ」

「わかってます。これほど高度な判断力を持つ生き物、野放しにするほうが物騒でしょう。

 僕の方で、しばらく預かりますけど」

「えぇ、そうして。

 学園関係者には、くれぐれも見つからないように。

 学徒の研究は……結果『成功していた』ってことか」


 回収した死体を処理すれば済む、とばかり想っていた彼女からすれば、面倒ごとがさらに増えてしまった。


「その上級生が何を作ったのか、ひと通り調べる必要があるわね」

「同じ研究室から出た、闇の市場で出回ってた薬があります。あそこは胡散臭いですよ」

「それって――アイドニちゃんがかがされた?」


 マキビは頷く。現物についてはこの前、所長へ提出したばかりだ。

 背後ではルスキニアが静かにキレている。


「野郎は必ず、俺がとっちめます」

「おぉ……」


 ようやくゲーム中の頃に懐かしい、愛の重いヤンデレらしい仕草を見れた。待望してたわけじゃないが、自分の関わった女があんな目に遭って、関連があると聞いたら、男としたら冷静でいるほうが難しいか。

 対して、ヤームルは呆れている。


「今回は、様子を伺って、聴取してくるの。

 とっちめたらだめ、勢いあまって半殺しもナシだから。

 マキビくん、狂犬の手綱、くれぐれも頼んだわよ」

「えぇ……まぁ、わぁりましたけど」


 正直、とても「めんどくせぇ」ンであった。

 蘇生猫がマキビの頭によじ登り、前足を慰めるように置く。

 肉球は柔らかいのだが……爪、ちょっと削ってやらないとな。

 普通に刺さって痛い。



 蘇生猫の耳介裏には、蝙蝠の翼を小さくしたようなオブジェクトが生えている。

 吸血種の血を受けた証、ってことだろうか。

 けれどそうしたら――、


(この目の色は、いったいなんだ?)


 赤ではない。ゆえに難儀する。

 ルスキニアの青、ともわずかばかり違うように思うので、彼の原因とも違うのか。


「単に吸血鬼の血を受けた、だけとは考えない方がいいか……」


 スクーターは目的地についた。

 アイドニがやってくる。

 ルスキニアと猫と、揃って見開く。

 彼は黙っていられない。


「どうしてここに?」

「通りがかったの――で、グラスちゃんにも、その人のこと聞いて。

 ふたりは、最初からそのつもりだったんでしょ」

「なんで、きみに関係のないことだろう?」

「関係なくなんてないよ、ルーくん」


 さらっと聞き逃しそうになったけど、なんか糖度高めな呼び方してなかったいま?


「私もその人が何をしたかったのか、確かめたい」

「本気か?

 なんでそこまで、きみはただの人間じゃないか。

 傷ついて――自分を傷つけたやつらに、立ち向かおうって。

 そんなものはポーズだけにしてろよ!?

 身体を張るのは俺だけで充分だ、君は足手まといだ!」


 半ば、怒っているが、それがルスキニアの優しいところでもある。

 ここで足手まといと躊躇わず、断じてしまう。

 寧ろできないやつが、人を守るための仕事なんて選ぶべきじゃないのかもしれぬ。


「わかってるよ、ルーくん。

 私のこと、パートナーにしてくれるんでしょう?」

「それは……」

「確かに、危ないところに一緒についていくことはできないかもしれない。

 私は人間だもの。でも――きみなら、私の血に報いてくれる。

 だから私の想いだけでも、きみと一緒に、連れてってほしい」


 彼の懐から、小刀を抜き取ると、自分の左手、指先にあてがってみせる。

 それを見るルスキニアは、吸血衝動に喉を鳴らす。


「悪かった……足手まといなんて言って。

 そうだよ、俺は――きみの、きみだけのパートナーになる」


 彼女の人差し指の先に、自分の舌を伸ばして、彼女からの血と願いを託される。

 ……これが主人公CPの風格、ってことだろうか?

 ゲームだったらやたら豪勢な劇伴かかって没入感マックスなるだろうところ、空気を呼んで黙っていることしかできない我、ふがいない。



「ところでクレオちゃんが身ごもったって、ガチなの?」


 後部座席のルスキニアに聞かれた。


「……仕事柄とはいえよくそこまで調べたよね、他人事だろうに」

「じゃあこの前、会いに行ったのは」

「吸血鬼を身ごもる母体は、緩やかに吸血鬼へ変質する。

 強い子を産むように、器そのものが置き換わるから。

 今後の血を提供する人間のパートナーで、俺にあたりをつけたんだ。

 でないと産気づいた頃が、相当しんどくなるようだし」

「お前――よく冷静でいられるな」

「あの子は元から大人だよ。たしかに手段にこだわらないところがある。

 でも……生まれてくる子のために、できることはなんだってしてやりたいのは、あの子の本当のはずだ。

 拒む理由もなかった」


 ゲームの特定エンディングでは、エンドロールの絵巻で出生児には強引に回収されるが、その時点でマキビは死んでいる。

 するとそのとき、彼女が人間のパートナーをどう調達したかの詳細は不明だ。

 たぶん――それでも彼女の周辺は、万事丸く収まる。


「でもよ……貴族の妾って、正妻からのあれこれとか世間体とか、しんどくない?

 侯爵の正妻はだいぶ前に亡くなっているそうだけど、子どもだけ取り上げられるなんてことも、充分考えられる」


 マキビは首を横に振る。


「あの男に限って言えば、人間が貴族だった時代みたいなヤリ捨てにはならない。

 彼女の出自でいける身分は限られているけど、彼女が母体として吸血鬼に取り立てられるってことは、ただの妾や愛人とは違い、彼女に身分を与えるってことだ。

 侯爵が見込んだ器にそれ以上、他人から文句は出せない。

 あれがあの子の選んだ、最善だよ」

「納得――してないよな?」

「する、しない以前の問題だ。

 俺たちみたいな、もともと身寄りもない、最底辺の人間に、出世の機会があれば、俺たちはそれがどういうものでも起死回生狙って喰らいついてしまう……そうするしかない生き物だって」

「どうして……」

「人生の金と時間で苦労しない、吸血鬼にはわからない」

「――、すまん」

「謝るなよ。

 侯爵は、こっちの処世術なんて見透かす眼力で、好き放題やってる。

 わかるってことは、利用できるってことだから……それがいいことだとも、想わないよ」


 ルスキニアはそんなことでいちいち謝らなくていいと思う。

 クレオの出産は、俺がいなくても滞りない。

 この社会で……俺が生き足掻いて、変えられることなんてない。

 俺がいれば、なにかが救われるわけでもなくて――のに、どうして。

 どうして俺は、まだ足掻いていられるのだろう。この社会に、居場所なんて欲しがっているんだ?

 昨日の上級生が住んでいる屋敷にたどり着いたのは、夕刻になる。


「妙だ、周囲が騒がしい」

「これ――消防隊と警察、来てるよな?

 警察の甲冑機が、敷地の周りを張ってる」

「ルスキニア、ちょっと」


 マキビの指さす館の窓ガラスが割れていた。

 おまけに壁面は黒ずんで、消火剤がかかっている。


「侵入者か」

「体裁は吸血鬼の館へ、強盗に入ったってとこだろう」

「強盗?」

「空き巣やただの放火ではありえない。敷地に入れば、常に使用人か誰かしら、張っているよ。

 昼下がりなんて特にな――とはいえ、豪胆すぎる」

「金品を狙うなら、館の主人の寝室や骨董品のある離れなどを狙う。

 あれは母屋の本館端に見えるし、消火されたあとじゃん。

 屋敷のなかに火を放ったのか、資産や持ち主に、傷がついて困らないとしたら」

「うん、単なる金品より、なんだかそこにあるものを入手するか、隠滅できれば御の字だったんじゃ。

 ……確定じゃないけど、これ、うちらも出張っていい案件じゃないかな。

 屋敷に侵入したのは、たぶん他のセクションから流れてきた、工作員だよ」

「その、根拠を聞いても?」

「あの研究室を介して、複数の薬品が開発されていた。

 吸血種にまつわるものだ、それだけで他のものと意味合いが違うし、昨日の今日でこれをやらかすような『敵』は、学内の関係者に紛れ込んだ工作員だよ。

 俺は警察に話聞いて、情報を集めてくる。

 ルスキニアは――犯人を捜してくれ。

 放火が最小限で済んだのは、当事者が最短で目的のものにありつけたってことだ」

「見つかると想うか?」

「わからんけど、近くに潜んでいる可能性は、否定できない。

 周到な奴なら、逃走経路を撒くだろうから、警察が張ってるところから、行動を逆張りしてみるのもありかな。

 さて……先輩さん、生きてるといいんだが」


 吸血鬼であっても、事故死などはありうる。

 失血や、それと同等に体中のソーマが枯渇すれば、理屈として。

 拘束状態で回復が追い付かないほど重ねて動脈を切られる・もしくは「傷口が開いたまま、棒などの障害物が差し込まれるなどして、固定される状態に陥った」などなれば、人間より快復力がタフなばかりに、やたら苦痛が長続きする。


「待て」「うん?」

「お前も一緒に来るんだ。

 聞き込みは最小限でいいから――一人で動くな」

「そう」


 ルスキニアの様子がおかしい。

 警察はなにも話さなかったが館の住人、吸血鬼の子息が襲われたらしいと、近所を通りがかる主婦らには噂になっているようだ。

 それから――ルスキニアに、路地裏へ連れ込まれ、拳銃を突きつけられた。


「よもや二重スパイ、とか言うんじゃなかろうな」

「は?」

「お前があの日、幼馴染を介したと仄めかし、例のものについて話を持ち込んだのは、その価値を予め知っていたから――なぜお前は、中身を知っていた。

 学もないはずの、お前が……すると理由の必然なんてのは、限られる。

 それにアイドニの自宅へ向かった時もそうだ、お前は妙に『間が良過ぎ』だ。

 彼女が襲われる一歩手前、俺を彼女と関わるよう唆したのか?

 答えろよ、マキビ。

 お前、あの男に脅されているんじゃないのか?」


 なるほど――彼からすれば、様子がおかしいのは、こちらのほうだったと。


「だったら結社を捜して、取り入る意味はないだろう。

 いくらなんでも、そんな回りくどい。

 アイドニさんのことは――最初に言い出したのはお前じゃないか」

「違うんだ」


 首を横に繰り返し振る彼は、どうやら理屈を求めていない。


「お前と関わるといつもだけど、そういう賢しいのはいらない!

 学のないはずの人間が、永久機関の価値なんて知っているところから。

 切っ掛けはあったはずだ」


 はっきりと前世で、そう言ってやれれば楽だが、銃を突きつけられる場面で言えたことではないな。そこまで神経太くなれない。


「……ふむ」

「どうなんだ。返答次第で、お前でも殺す。

 院のことは悪いようにしたくない、だけど。

 これが俺の仕事だから――恨んでくれて構わない」

「にゃー!」

「「!?」」


 鳴き声とともにマキビの背後から、猫が追い付いてきた。

 スクーターから追ってきたのだろう。

 彼の足を伝って、彼の右肩口に収まって、その頬を舐める。


「……、俺がいようがいるまいが、あの男は好き放題やるよ。

 なぁルスキニア。俺の命はお前に預ける。

 いつでも後ろから撃ってくれ、俺を信じられないなら。

 その後はきっと、あの子たちをきみやアイドニは、良きに計らおうとしてくれる。

 ――、それぐらい知ってるさ、ひとりで生きてるわけじゃない。

 今は……そうやって誰かに生かされてる。

 もし俺があの男の手駒なら、まずは証拠を用意してみたら?

 一歩、詰めが足りてないな」

「――」


 こっちがふざけていないとわかれば、ルスキニアは拳銃を下げた。


「その言葉の通りにしてやる。

 俺はお前を、見ているからな」

「構わない。……ぞっとしないね。

 放火強盗犯の続き、行こうか」


 ルスキニアは頷く。


「もし犯人を捕らえて、確保した証拠は、警察に見つかる前に、結社へ届けろ」

「なぜ?」

「侯爵が血眼になって捜す。

 あの研究室はいま、屋敷と同様、街の現地警察が乗り込んで、凍結されている。

 捜査の建前はあるが、街の行政執行は、実質侯爵の傀儡だよ。

 ものが薬品なら、必ず吸血種の血の研究に関わってくるはずだ。

 結社なら、交渉の材料にできる。

 ヤームル所長なら、相応に計らうだろう。

 ――あの先輩が襲われた時点で、もう相当にきなくさい」

「!」


 ルスキニアが刮目して立ち止まる。

 なにか見つけたようだ。


「あの女――」

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