第9話 ホムンクルス

 孤児院にやってきて、二日もすれば、彼女は院の子供らにすっかり馴染んで歌っていたりした。故郷で母から聞かされて育った伝承らしいが、やっているうち、自分でも元気になれたらしい。


「マキビさんは――、ここに長いんです?」

「物心ついた頃からそうだよ。

 ほかは途中から入ってくる子どものが殆どだけど。

 だから……世間知らずなんだと思う」


 侯爵のところへ、クレオを行かせてしまった。

 それは失敗ではなくとも、苦い体験だったことを否めない。

 既にアイドニは、そのくだりをルスキニアから聞いている。


「お互い、苦労がつきませんね」

「あぁ」


 頷くほかない。……けれど、マキビが彼女とこのように良好な関係に至れるのは、彼自身からしてみれば『意外』だったりする。

 ゲーム本編のマキビは、研究に没頭していた。

 当時、フラスコ七都市の炉と熱循環を帝国全域にめぐらす、『カロリーネットワーク構想』というものにどハマり、それについて興奮しながら彼女へ熱く語るシーンがある。

 完全に早口で喋るオタクのそれであり、結果、彼女からは徹底して否定、というか夢物語のはかなさを論破された。

 その記憶のある彼からすると、アイドニという少女は苦手意識の塊だったはずだが――悪い奴ではないというのも、また知っている。

 当時、なぜその構想について否定されたのか。

 カロリーネットワーク構想そのものは、フラスコ七都市を軸とする帝国のシステム成立に深く係わっている。しかし各都市セクション間の関係悪化や派閥争いに伴い、各都市首長の全会一致による議決がないことには、実現できない。

 「帝国全土にまんべんなく熱循環を行う」、ただそれだけの話なのに、それをしたくない吸血鬼貴族もいる。たとえば重工業で栄える『フレアフラスコ』。

 ここはフラスコ外の農地などに、この熱を寄越したがらない。

 重工業の経営基盤に差し障るからだ。

 そういう各都市の実情を無視して、足並み揃えろというのはかぎりなく難しい。

 建国当初だったならとかく、現在のフラスコ都市の運営理念や役割、五百年後の実情とはずれがあったということだ。

 それを、孤児院育ちのマキビには、想定できるだけの視点が足らない。

 だからフラスコ都市の成立当初の崇高な幻想に、マキビは魅入られたわけでもあるが、それは「世間知らずだったから」、世界はもっといいものに変えられるのだと、子供心にまっすぐ信じていられたから。結果、妄信だったわけだが。

 その点、国土運営面に関してはなぜかやたらとリアリスト視点だったアイドニやルスキニアとは、本来的に馬が合わない、そういうキャラクター設計だったのだ。

 でも……こうして話していると、それまでの苦手意識が、はなから虚構だったようにさえ感じる。


「助けてもらったとき、ルスキニアくんの、眼があって」

「うん」

「綺麗なはなだ色だった。

 吸血鬼って、赤い眼の人が多いでしょう?」

「気になれば、彼自身に聞いてみなよ。

 機会はいずれやってくるんじゃないかな」

「どうして?」

「……きみは彼を、珍しがってるとは違うだろ。

 俺は聞いたことはないけど、きみになら彼、きっと心を開く。

 支えてやってくれないか」


 数週間、行動を共にしただけで、親友面ができてしまう。

 そんな自分の厚かましさが、いまは嫌いじゃなかった。



 吸血鬼というのは、その殆どが赤い瞳をしている。

 前世の記憶を得た俺が、実物を初めて見たのは、ヤームル所長に会ったときだ。

 人間が理由もなく彼らに近づくのは、なるべく避けられたい。

 人間は吸血鬼という「高潔なる上位種」に支配され、庇護される側であり、その範囲から逸脱することを、社会が嫌う。

 吸血鬼は無論、人間側からも、社会の在り方にそぐわない奇特な例外は、それだけで侮蔑されるものだ。

 郷に入っては郷に従え、という言葉が示すように、人間は――というか、知性を得て生まれる群体というやつは、すべからくそういうものかもしれない。

 自由という考えは、社会の通念に束縛されるゆえに、解放されたいと望んで初めて至れる考えだ。

 型を破りたければ、まずは社会の形をあるがまま知ることから始まる。

 ――それがどれほど薄汚く腹立たしい現実だったとしても、客観に見極めなければ、その先に進めない。

 馬鹿にとって、生きるのは妥協だ。それは孤児院のために、身を粉にしよう俺自身もそうなんだろう。

 だが、ときに周囲の人間より卓越する知見なんて得たときは……生きるってことが「孤独と苦痛」に繋がってしまう。

 俺にとって、前世の記憶というやつは、他者に相談できない自身のひずみだ。

 正直、自分が考えていることをいつまでも「正しい」なんて信じられないくせ、それまでの自分が知らなかった視点や境地へ、自分を導いていってくれることもそうであって……だから、頼りきりにはならないつもりだが、地に足のついた人間なら、こんな妄想と紙一重の人格を得れば、「こいつは壊れた」「気が狂った」と同義だろう。

 そうなりかねない弱さは、実に恥ずべきことだった。


「明日、幼馴染ちゃんに呼ばれてるって?」

「えぇ」

「その格好で?

 まぁ制服と髪型はすぐきまるろうけど」

「……ちょっと、洗面所借りますね」


 鏡に映る自分を久々に見た。

 やたらニキビと目下の隈が目立つ。最近はルスキニアのおかげで寝れているのに。


「化粧水だけでも買っておこうか。また手持ちが心もとないけど。

 いちいちおしゃれにうつつ抜かしてらんないけど、流石にこのままはまずい。

 呆れられる」


 さっきのヤームルの反応から見るに、そういうことだ。

 ――というか、どうして今まで、確認できなかったんだろう。

 孤児院の洗面台の鏡は、一か月ほど前に割れてから、修繕できないままだ。

 ……口座から修繕費用を帳簿につけなければならない。一緒に下水道の詰まりもどうにかしないと。

 役所に頼めば、まともな業者は寄越してもらえるだろう。

 ため息を漏らしながら、メモ帳に割れた鏡の修繕費についてメモした。

 出てくると、ヤームルに言われた。


「働き過ぎよ。

 確かに、きみは人間としたら随分よくやってるほうだけど」

「すいません」


 変な心配をかけてしまった。


「どうせろくな食事もとってないんでしょ。

 ちょっと、顔かして」


 腕を引っ張られ、事務所の外へ出る。



 ヤームルは彼を連れて大衆食堂に入ると、まだ昼下がりというのに、芋菓子と発泡酒を延々と呷りだした。

 どこぞのアニメ映画で秒で素面に戻れると言ってた義体の少佐がおりますけど、吸血鬼というのもポーズとしては酔いながら、肉体の調整法に特化していると、内臓を傷めず血中のアルコールだけ水分と排出できるらしい。

 だからこの女の悪酔いは、ポーズだ。


「マキビくん、昨日のアパートではお手柄だったそうじゃん。

 ところでルスキニアみたいに、いい子、いないの?」

「なにを言い出すかと思えば――俺如きはあいつと違って、劣ってるところを働いて補うしかないんですよ。

 あの子たちに、みっともないところを見せられない。

 せめてあの子らには、まっとうな働き口や出世なり、人間らしい幸せを望めるように……そのためなら、なんだってする」

「吸血鬼の裏をかいてまで?

 そんなことしてると危ういの、わかってるでしょう」

「――」


 スライスされた芋の焼き料理を口に含む。

 思ったより甘くあっさりとした味付けに、目を瞠る。


「ありがとうございます。

 でも、俺は自分のやることは決めてしまったので」

「遊びが足りないぞ、若人わこうど

 人生、もっと豊かに楽しまなくちゃ。

 そういうのって、見てて伝わるでしょう?

 あの子たち、いまのあなたを見て、頑張ってるのは知ってるでしょうけど。

 それ以上、あなたが辛そうなのは、哀しむんじゃない?」

「それで……俺にどうしろってんです」


 向こうの言い分はわからないじゃない。

 結局、孤児院の帳簿やら役人とのあれこれやら、目先の日当やら振り回されるばかりで、自分だって無理しかできていないのはわかっている。

 ……これは侯爵のチート支援を受けようとしないからでもあり。じゃあ代わり、ヤームルにそれ以上のなにを望もうというのか。ここから先、これ以上の楽を望むには、俺は別の対価を要求されるだろう。


「きみには、例のものの正体、おおよそ見当ついているんじゃない?

 私がその情報を、買いましょう」

「正気、ですか」


 ヤームルなら、いずれにせよ嗅ぎつけてくるとは想っていた。

 だが――、世間知らずな一介の孤児から、情報を買う。


「俺が嘘を吐くとは、考えないんです?」

「それは私が聞いてから忖度することだよ。

 ……懸命なきみなら、交渉を誤らないんではなくて?」

「――」


 実質、強迫に近い。

 言わなければ、こっちはこれ以上、お前に支援などしないと暗に脅されている。

 言わなくても、わかれよと。


「いくつか、根拠のない憶測が混ざります。

 それで構いませんか?」

「そう」

麦芽種ビールお代わりのお客様!」


 ちょうど前髪をあげて額を出している、年頃の看板娘がやってきた。

 ヤームルが喜び、腕を上げる。


「グラスちゃん、待ってた!」

「!」


 快活そうな学園の生徒だ。

 よもやこんなところで、アルバイトしているとは。

 ゲーム作中では、謎の弾体アイテム(使える場面がまったくない)を主人公に渡す、貴族ご用達工房の娘だったはず。そういう省かれた裏設定とか?

 設定資料集は買って読み流してたはずなんだけど俺……。

 まだまだ、知らない世界が多いようだ。


「ひょっとして、見とれてる?

 おさわりは厳禁だぞー」

「なにアホ言ってるすか」

「あ、学園にいたひと?」

「ども」


 顔を知られていたのに驚きつ、頭を下げる。

 変人枠とかで覚えられたくないな。

 背景に溶け込む程度のモブでも、「知られている」ってだけで心は和むものだ。

 耳打ちされる。


「ここのこと、あんまり学生さん同士には言わないでくださいね」

「どうして?」

「バレてどうってことないですけど、からかわれるの嫌なので」

「そうでないやつなら?」

「もちろん、大歓迎ですよ」


 やけに距離感が近いな。


「胆に銘じとくよ」

「ほら、マキビくんもなにか頼みなさい。

 今日は私の奢りだから」

「へぇ、じゃあ」


 メニュー表を引っ張り出す。


「なんか、お腹持ちのよさそうなの」

「それだったら、このリゾットとかどうです?

 おからが入ってる、ちょっと時間かかりますけど」

「じゃあそれで」


 おからがあるってことは、この世界、豆腐もあるんだろうか?

 案外あってもおかしくないとは思う。この手のゲームは、リアリティよりバラエティが大事だったりする。

 食物繊維とかの概念がこの社会にあるかは知らないが、勧められた手前ってことでそれにした。

 つい、厨房へ向かう彼女の背中を目で追ってしまう。

 あったかい食事……ほんと久々だ。


「気になる?」

「話、戻しますね」


 これ以上からかわれては、たまったものじゃない。


「おそらくは永久機関。

 尽きることのないソーマを供給する、夢の動力源です」

「急に、トンデモないガジェットが出てきたわね」

「知識のないひとが言えば、耳を疑うかもしれません。

 でも状況証拠なら、揃うんですよね。

 東方の国では、とある重工がその開発に成功したという話があります。

 それは辰砂を媒介に、人工的なソーマの原動反応機関をなんらかの手段で確立した。

 『錬丹術の近代化』は、彼らの先進研究においてひとつの社是だったそうです」


 それが黄白丹や特殊辰砂に関わる技術であり、重工はリムジン型の甲冑型車輌機の動力源として、それを三機に分割。彼ら曰くの『進化した錬丹術』の賜物である。


「東方の錬丹術、ね。それが学園とどう関わるの。

 または――この街の首長と」

「学内の公表されている研究の中に、『ホムンクルス・グール』というものがありますよね。

 あれの燃費問題の解決策です。

 えぇ、心神喪失した受刑者を軸に構成される、廃棄物ゴミ処理に携わる屍鬼グール、あれは残留思念による暴走を定期的に起こします。

 下層以下の居住者にとって、時々事件にもなるし、怖いものですけど。

 肝心なのは、あの研究のスポンサーに、あの男がついていることですよ。

 建前としては、『既存のグールとは違い、完全に制御される人形』とされている。

 素晴らしい理念です。これがあれば、吸血鬼たちが忌み嫌う、グールという最下等の吸血種を、我々は社会から、そして史実から完全に排斥追い出し、新たな吸血鬼社会の岐路に立つことができるでしょう。

 ――ただし、ホムンクルスを動かすソーマを、一体どのように供給するかという技術的問題は残ります、それを外部から供給し続けるシステムは、非常に燃費効率が悪い。

 実用化における最大の障害です。

 そして、じゃあこれがいざ実用化されたとき。

 これを技術的に転用しないなんて、誰も保証はしませんよね。

 新システムが実働できたら、それは無限に動き続ける不死にして私兵の軍団を確立することだって、理屈としては可能のはずです。

 あれがどういう意図でもってそれを国外から取り寄せたかは知りませんが、その研究が完成するなら、彼にとって『見込み』があることのはずですから。

 そんなものがある日突然湧いて出たら、まぁ周りは驚くし、困りますでしょう?」

「そして君のいうものは、既に学園へ運び込まれたと、君は見込んでいるの」


 マキビは頷いた。

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