第10話 対峙する現実
ヤームルは言っていた。
マキビの探すもの――黄白丹の実物があろうとなかろうと、ホムンクルス・グールの私兵化とその周辺技術については、各セクションが競ってその研究情報を仕入れたがっている。
侯爵の持ち物を直接奪うより、持ち物について情報を得ている、その優位性を最大限に活用する――そのほうが万事穏当に済むだろうと。
すると、黄白丹の実物が見つかったところで、これを他のセクションに気づかれず、移動できるでもないし、仮に出し抜かれれば、かえって事態が複雑化しかねない。侯爵にはホムンクルス・グールの稼働という明確な目的があるが、その他で黄白丹、永久機関がどのような実験に転用されるか、予測がつかないからだ。
「きみの情報の価値より、その先見性と交渉力を私は買ってるの。
だから今後は――例のものとは別に、結社の一員として、雇われてみない?
今よりいい待遇を約束するわ。
そうしたら、あなたがしたい勉強にも時間があてられる。
単なる日雇いとは比べ物にならないぐらい、稼がせてあげましょう」
思った以上の熱意で迫られ辟易としたが、あの場で頷かない理由がなかった。
結局……所長は俺が欲しているものなど、すべて見抜いていたというわけだ。
俺はゲーム知識さえあればなんとかなると最初想っていたが、そうでないということも、今回、黄白丹の案件を通して、結局は身に染みることとなった。
あのひとには、勝てる気がしない。
でも――なにもできなかった今までとは、明らかになにかが変わりそうな、そんな予感と、僅かな確信が生まれ、ここで頑張らない理由はないのだ。
おかげで今日は少し、ましな顔でクレオに会えそうだった。
喫茶店に着くと、出鼻を……既にくじかれかかっている。
彼女の瞳が赤かった。
「あのひとの、子どもか」
掠れた声で、それでも最大限平静に努めるよう、ハーブティーを啜る。
気道に入りかかって、結局はむせた。
向かいの席の彼女は、頷くと愛おしげに腹をさすっている。
クレオは、侯爵の子を身ごもっていた。
いずれ彼女自身、吸血鬼になるだろう。
ゲーム本編だと吸血鬼化兆候を示すのだって、エンドロールのことなのに、――早すぎる。
なんでこんなに色々、起きるべきことが前倒してるんだ。
「随分あっさり、吸血鬼になっちまうんだな」
「だね。でも、いいことも沢山あるよ。
おかげで、もう老けることもないし。
あのひとは、私のこと、ほんと大事にしてくれてるから」
「――」
その言葉は、人外としての隔絶と微かな孤独を匂わせる。
彼女にとって、悔いのない選択だったはずだ。
それでも寂しいと想うことまで、やめられない。
「まったく。きみは俺より、先に大人になっていく。
そのくせ、年とったら、先に逝けってのかよ?」
吸血鬼は実質的な不老不死であるが、個体である故の限界もきちんと存在する。
吸血衝動や食欲を抑えつづけたら、ソーマの尽きる頃には、眠るよう、『望むように死ねる』。
それも望めば、自身の望む美貌は一切衰えず。
つくづく自身らにばかり都合のいい上位生物、それが吸血鬼だ。
「そういうんじゃないけど。
マキビには、話しておくべきだって、思ったから。
ほかの子たちには、言えないし」
「だな」
子どもたちだって、知り合いがいきなり吸血鬼になったとか、卒倒ものである。
確かに、たまには世の中、そうやって資質のあるのが召しあげられることはあるけど、やっぱり人種間の変化には驚く。
「それで、協力してほしいことがあって」
「血を提供する、パートナーか」
吸血鬼になる、ということは、定期的な吸血衝動と向き合う覚悟がいる。
その対処法として、オーソドックスには、人間の血を金銭で売買するか、定期的に人間のパートナーを擁立するものがあった。
「そうしたら、私に支払われるお金、孤児院やきみに流しやすくなるでしょ」
「わかった……俺の血なんかで、使えるってなら」
さっさと頷いてしまう。ルスキニアには、アイドニがいる。
彼はあの子を、全力で守るだろう。
それで、脈のない幼馴染の異性相手に、自分は本当に甘いのかもしれない。
子どもの顔は――侯爵の血を引く子なら、見せてもらえないだろうけど。
「お前が元気そうで、よかったよ」
そう語る自分の声は、どうしてこんなに頼りないんだろう?
*
そのまま頼りない足取りで、放課後の学園の敷地へ。
戻るべきでなかったかもしれない。
ホムンクルス・グールの研究をやっている部屋を、知っている。
そこの地下に、例の黄白丹も秘匿されているはずだった。
そして――ここで俺は、なにをすると?
「研究室になにか用かね?」
「――」
ステッキをつく初老の紳士然な声、誰かはすぐにわかる。
あの男だ。
「私はここの、というか、学園のスポンサーをやっていてね」
「ホムンクルス・グール」
「ほう。知っているのか?」
すべての元凶。この都市の首長、支配者、吸血鬼。
いつかは俺の無力と無知を嘲る男。
こうして対峙すると、その性根の邪悪を知っているから、受け容れがたい、虫唾が走る。
こいつを排斥して――俺の人生のピリオドとできれば、そう何度となく、考えていた。
「街の最下層に、孤児院があります。
人間の子どもたちがいる」
「そうか」
「これができれば――あの子たちは、楽になるんでしょうか。
老朽化した、屍鬼の管理システム、あれのせいで、孤児院の敷地にも、屍鬼は入ってきてしまうんです、時々」
「それは大変だね」
他人事のような口ぶりだが、仕方ない。
こちらが憤ることを、待ってさえいる。
それが吸血鬼であり、権力者であるこの男の腐った性根だ。
……俺が戦うべき現実は、こんなものじゃないはずなのに。
自然、批難するような口調にならざるをえない。
「きみが私の援助を受ければ、研究に携われる」
マキビは首を横に振った。
「条件があるんでしょう。
なにをさせるつもりですか、一介の学生に。
いいえ、答えてくださらなくて結構です。
僕はこの学園と、学園で創出される研究や技術に、敬意を表します。
それがいずれ、この都市を、あの子たちにもその恩恵が行き渡るなら――僕はそれを願っている小市民です」
「そうしてなにもしないのか?」
「いいえ。
僕のすべき研究のテーマは、これと違う。
それだけですよ」
「きみは人間だな。それほど賢明なら、惜しい。
きみが吸血鬼の血が合わない身体でさえなければ」
賢明とは――こっちが建前の若気の至りで生意気を言っているだけだと、そっちもいい加減気づいているだろう。
それにゲーム本編で俺が直談判したとき、もっとそっけない感じじゃなかった?
クレオのことで揉めたのは当時あったけど、今だってこっちの抱えてる不快感はさほど変わらないんだが。
「どうかな。私と直接結べば、もっと面白いことをやらせてやろう。
吸血鬼の血の権能の欠片でも、きみは行使してみたくならないか?」
「人間にできる領分をわきまえているつもりです。
そりゃいつだって無限に仕事ができる、衰えない身体、学園で吸血鬼の方々を見るうち、欲しないわけがないですよ。
今、人の理を捨ててまで、支払うだけの代償がないですから」
「珍しいな、きみは女神の金の鉞も銀の鉞も手に取らないと。
吸血鬼になる道、そのものは否定しないのか」
「幼馴染が吸血鬼になりました。
あれには生き方を変えるぐらいの覚悟は要ったでしょうけど、よくある話です。
人間が人間であることに固執して――吸血鬼をいたずらに否定するようだから、人間は、吸血鬼の社会に負けたんだ」
「うむ、良い。貴様はよくわきまえているほうだ。
人間としたら、気に入った。
ここで私に靡かない、その気骨からして、驚嘆に値する。
――大いに励めよ、少年」
「?」
からから笑ってそう言い残し、侯爵は立ち去るのだった。
励めって、なにに?
オナニーか何か?
あいつがうれしそうなの……こちとらちっとも愉快じゃないんだが。
*
それでも今日帰るときまではなんとかもたせたんだ。
結局ぶちぎれてしまったことには、言い訳なんてできないけど。
玄関近く、来客用の個室前に通りかかると、カーシャが顔を赤らめて立っている。
奥からゴソゴソ、衣擦れの音がして、なにがあったか大体察してしまえた。
「マキビお兄ちゃん?
なんかお顔、怖いよ――」
「戻って夕食の支度でもしてなさい」
「もう食べ終わって、洗い物もしたよ」
「じゃあ風呂だ……戻りなさい」
彼女はそれまでなかった、柔和な優男だったはずの年長者が見せる圧に、グールの時以上に怯えながら涙目で逃げ出した。マキビがドアノブに手をかけると、老朽化していたのも相俟って、抜ける。
軸が折れないだけマシだ、後で直せばいい。
問題は――、部屋の奥で、アイドニの首に齧りついて発奮しているルスキニアである。
都合よく、子どもが遊んでいるときに残していたのだろうハリセンが床に落ちているので拾って、気づいた彼の後頭部を引っぱたく。
「ガキの情操教育によろしくない場面作ってんじゃねぇ、ぶち殺すぞ?」
「いや、これは純粋に血を貰いたくて、そのですね」
「ぱ、パートナーになりたいって、ルスキニアくん言ってくれて」
アイドニは助け舟だそうとするが、睨み返されてその場で委縮した。
「いやさあ、俺だって乗り込んで若いお二人のお邪魔するのは、すっげぇ気が引けるんだよ?
でもねぇ、場所だけはわきまえてもらいたいかな!
完全に昼下がりの団地で情事のそれだよ!?」
「日は暮れてるけど」
「そんな冷静なツッコミはいらない。
つかなんでてめぇは黙ってるすきにあ?」
「――、あ、いえ、ほんとうに、このたびはですね……今の名前にかけてた?」
「部屋の前でカーシャに聞き耳立てられて興奮してましたかはいそうですか、育ち盛りにとんだグロテスクなシーン見せる前でよかったね。
ほんとに悪いと想ってた?」
彼の懐、一部の暗器の位置は知っているので、笑いながら手が動いている。
棒手裏剣を一本引き抜いて、彼の胸倉を掴み上げると、そのまま壁に、彼の肩口から首筋にかけての肉を抉って固定した。
「おそろしいほど早い――ほんとに人間の速度?
つか院の設備に傷ついて大丈夫か……」
「どうせあとで補修する。で、人の心配はいらないんだよ。
これはどういうことだって聞いてるんだ変態、淫乱、DV吸血鬼っ!?」
制服のシャツ越し抓ったら、乳頭が立っている。
からかい半分でもやるもんじゃなかった。喘ぐな。
ばっちいとばかり、反射的に手をのける。
そんなふたり縺れあってる様子を、ベッドからはわわしながらアイドニが見ているが、放っておく。多少の腐向けサービスは、今時大体のノベルゲームなら標準実装されているし、今さらなんら珍しいところのない。下手に意識するだけ時間の無駄だ。
「……今ならどう罵倒してもなんら痛痒に覚えないな」
「だめだこいつも目覚めっちまった」
「なんの話?
いや、異性の彼女を吸血鬼のパートナーにするのは百歩譲って認めるよ」
どうせ昼間、幼馴染と契約したのは、俺だってそうだったし。
「他人サマがどこで乳繰り合ってようが、ほんとどうでもいい。
けどお前ら――わざわざ俺から安寧の場所を一切合切奪ってまで盛りたいの?
なに、俺に恨みでもあるわけ?」
「侯爵となにかあったのか?」
「煩い!」
図星を突かれて間近で怒鳴りつけてしまった。
棒手裏剣をねじりながら、乱雑に引き抜く。肩で息をした。
かたや吸血鬼の身体ってのは、多少いじめてもパートナーの血さえあればたちどころに快癒できてしまう、つくづく便利にして羨ましく恨めしい限りだ。
今しがた血を啜ってたばかりなので、放っておいても傷口がぐりゅぐりゅと音を立てながら、ルスキニア自身の肉片を再構成していく。
「これ以上口答えするなら、今すぐふたりして敷地の外に叩き出されたいか?」
「「さぁせんした!!」」
ふたりはベッドと床で揃って土下座する。
わかればいいんだよ、と言うだけの気力も残らぬまま、俺は個室の外へ出た。
……クレオもそうだが、この年頃、やたら性欲旺盛過ぎない?
ひとが一日、色々やって帰ってきたとおもえば、なんでいちゃいちゃねちゃねちゃやってんのこいつら、しかもわざわざ人に頼んでまで用意した部屋で。
俺自身、こういう考え方が恩着せがましくなっていけないのはわかるよ?
でも節度は守ってもらわなくちゃ。
「どうして、俺ばっかり――こんな苦労」
なんで俺の手元には、いつまでもなにも残らない。
子供たちのため、それを選んだのは、否定しないけど。
でも……ここまで雑な仕打ちを受けるいわれはない。
――どうして、こうなるんだよ?
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