第2話 覚悟する

 男の俺が女性向けゲームに触れたきっかけはごく単純、男性向けのエロゲライターをシナリオ買いしているうち、その人の新境地がこっちだったというそれだけ。

 シリアス極振りのサディスティックな作風は、完全にそっちのひとらしいものだったけど、本作の評価としてはまぁまぁだったらしい。

 終盤の展開が、開発の遅延に伴ってか、やたら性急なことが時折批難されるが、それはライターというよりスケジュール調整を管理しきれなかった開発全体の問題である。

 このゲームが佳作どまりな理由は、シナリオよりか、主にはUI、ユーザーインターフェイスのお粗末さと戦闘アクションパートの悪魔合体による。

 なんでも担当するはずだったひとに結局病欠で断られて、その時点でCGとシナリオは上がっていたようなのだが、予算とスケジュールの折衷、中途半端な実装になってしまったとか。

 だったらアクションパート無理にやらなくてよかったんでは?

 という意見も大半で、結果的には実質、吸血鬼同士の格ゲーに女主人公が、契約して使役するヤンデレイケメンにバフぶっかけて圧倒するシナリオ展開なのに、ヤンデレ君覚醒後も依然として敵のゲージがやたら固いしほぼ確殺なカウンター技も被弾する。

 結局携帯機種へのコンシューマー移植も半年ほどで行われていたが、箔付け程度の意味しかなかったらしく、壊滅的な不評を喰らったアクションパートのゲームバランスは一切改善されていなかったそうな。

 あとシナリオの風呂敷はでかいわり、作中で回収されていないいくつかの事項があって、それは続編や、本来あったはずのストーリーだったのでは、みたいな噂もあるけど……真相はわからずじまいだ。

 なんせ前世では、それを開発していたブランドがコンシューマー移植から二年後には活動休止に追い込まれていた。


 帝国認可経済都市がひとつ、『ルナフラスコ』。

 吸血鬼が人を支配する街――まぁ、七つのフラスコ状地下都市とそれに連なる広大な地底帝国は、吸血鬼サマが上、人間は被捕食者階級という、わかりやすく貧弱な人間には、理不尽なまでのカースト制が導入されており、身寄りもない孤児の俺のようなのは、人としてのカーストからもある意味弾かれる、最下層のいわば賤民、になる。

 この時点で、一番上を吸血鬼の爵位持ちが支配する世界で、出世や下剋上なんて可能性から、ないに等しい。諦めよう。


 マキビからしたら憎いことこの上ない侯爵であるが、彼は本編においてメインヴィランとして暗躍するわり、最後まで失脚したり死んだりしない。

 普通に生、というか吸血鬼としての本性や悪徳まで謳歌する。

 マキビは侯爵の道化として、ぼろ雑巾のように使い捨てられてしまう。

 吸血鬼然とした強者として一貫して君臨し続け、作中における『吸血鬼とはなんなのか』を体現するキャラクターであり、キャラクター人気そのものはかなり高い。

 人間性――というのもヘンな話の、普通に理不尽なばかりの人外なはずだが、一見は紳士然と見えるところが、女性人気高いらしい。

 すると無能窮まるマキビの評価が相対的に下落するという、さらなる理不尽。

 本編のメインヴィランでもある侯爵と渡り合うには、彼に見込まれ、対等な交渉相手に至ることだ。

 そうすることで、彼はようやく手の内や隙を主人公らに見せるようになる。

 だが――俺はそもそもが人間モブなので、個人ではけして、吸血鬼、上位種であるあれと渡り合う土俵へ至れる資格がないのだ。

 あと、これを言ってしまうと、マキビの立つ背はまるでなくなってしまうのだけど――、マキビが処女厨――というか、クレオに固執しなければ、実はクレオに降りかかる災難の大半は防げると考えられる。

 ……そりゃ、変態吸血鬼侯爵が胸糞悪い存在であることは違いないのだが、クレオは作中のいずれも最後まで、彼との逢瀬に納得しているし、すくなくとも「彼女にとって」悪い男ではないのだ。

 マキビという少年は、結論から言えば、社会の闇に対する理解と妥協がどこまでも足らなかった。同情の余地はある、学や後ろ盾のない一介の少年が、身近な幼馴染をそのように失えば、迷走だってするだろう。

 だがな、もう「クレオのこと」は、諦めた方が懸命なんだ。


「そりゃ、納得できるわけないかもだけどさ。

 それってお前はほんとうに、『クレオのためを考えている』のか?

 侯爵の後ろ盾もなしに、ただの人間が、あれ以上の水準で生活できるわけ」


 なによりあの子は、いずれは侯爵の血を受け、吸血鬼となれる資質がある。クレオが進んで手篭めになったのは、すると多少の吸血衝動という代償はあれど、女としても愛され、いずれは若く美しい身体を保てるからでもあった。

 クレオが生き残るルートでは彼女はマキビの顛末など知らず、侯爵としっぽり仲良く過ごしていくことが匂わされている。

 クレオ自身の人気は大してないんだけど、彼女ばかりやたらとハッピーエンドなんであり。

 ――そのシナリオ分、ほんの数行でよかったんで孤児院のパートを補完してくれませんでしたかね?


「よく見ろよ……いまお前が、背負ってるのは、この子たちだろう。

 クレオじゃない」


 孤児院の前で、野良猫の腹をどっから持ってきたやら、猫じゃらしでうねうねくすぐっては、あどけない子供らは爆笑している。

 マキビはもう――あの頃の子供には戻れないと悟って、俯くばかりだ。

 俺の中の『マキビ』はしぶしぶだったが、俺の説得にうなだれる。

 ……なんとか、彼の溜飲を下げることはかなったらしい。

 俺がなすべきは、孤児院を守ることで、私情で幼馴染を困らせることじゃない。

 すると今度は、急ぎ取り掛からなきゃならない作業があった。



 前世の死因はおそらく、――というかあれでほぼ確定だと思う。

 親友が海辺の崖近くで車を走らせていたら、バードストライクでガードレールの隙間突き破って海中へ真っ逆さま、直後暗転。

 ……恨みはないが、あれ以降、フロントガラスやら眼前近くに迫る鳥ないし飛翔体というやつを見ると、気が気でなくてしょうがなくなる。

 蒸気機関の極度に発達したこの世界で、フラスコの街中には、独特な路面電車や一輪車が交通網を形成していた。

 路面電車はホバー機構を採用したり、偶数のタイヤは『美しくない』とする慣習が独自にあって、車体を覆うような一輪や三輪タイプの車両があからさまに多い、奇数偶数については、車のメーカーが自身らの規格を浸透させようと試みた迷信がそのまま富裕層から民間にすっかり根付いてしまったという業の深い成り立ちのあるが、電動一輪車はタイヤ整備の煩雑なわり、金持ちに随分人気だ。

 ビジュアルは――かのSFコメディ映画の三作目あたりに出てきたのがそれに限りなく近しいと思うが、転生したいまとなっては、自分に確かめる手段がない。

 大体あの構造の一輪車というの、あくまでフィクションだからいいのであって、まっすぐな走行の時なんて、タイヤを正面が塞いでいる。

 それがスリリングだと、愛好家はときに語るが、俺はその点合理を求めるので、せめて三輪で充分……院の子供たちは、やたら「だせえ」というのだが、こればかりは譲るわけにいかない。俺にセンスがないのか、そもそもの美的感覚が違うのかは、できれば後者だと願いたいところだ。

 マキビは自身で三輪バイクのチューニングを行うが、後輪のほうには独自にギミックを組み込んでいるらしい。変形させるつもりだ。

 なんのために、かを、俺自身があまりわかっていない。

 不可解だったが、背部の座席をスライドさせて展開したとき、ようやく自分がなにをしたかったかに得心がいく。


「ま――博打みたいな一輪車もいいけど、乗るのはごめん被るかな。

 子供たちを乗せてあげるなら」


 過去、この席にクレオを乗せようとして、実際買い物に何度か利用したこともあったら、彼女から悪く言われたことはない。

 子供たちが面白がりそうな道具を作るんだね、と褒められて、以後発明やカスタマイズがすっかり趣味というか、板について……それも、昨日までの話だ。


「なんであんな人外のオヤジなんかがよくて――いやストップ」


 無限怨嗟ターン突入前に、ぶつくさ文句を言うのをやめよう。


「で、どうしよか」


 繁華街を軽く走らせるが、時々店のガラスに映る自分の恰好と、時々道を歩くおそらく中産階級程度の人々――見比べて、自分がみすぼらしいぼろ服を来ていることを思い知って、惨めになる。


「これじゃあ子供たちは迎えに行けても、クレオには落胆される。

 当然だ」


 いい召し物を身に着けて――それがたとえ男に抱かれて得る報酬だとしても――侯爵という男は、マキビよりよほど彼女の目には頼もしく映っている。

 そういう現実から、知らないままのマキビは、目をそらし続けていた。


「……なんで自尊心を抉れるような見物なんてしてんだ、俺は」


 華やかなネオン、店に映る服や、今のマキビでは到底払えない値の書かれた札。

 貨幣の単位はドルドという単語だが、相場感覚は日本円とそんなに変わって感じない。

 少なくとも西暦2010年代前半くらいの水準と、体感している。


「孤児院を存続させるには、子供たちに楽させてやるには、金が必要だ。

 でも俺に、できるのか?

 まっとうなやり方で稼げないから、クレオは侯爵に抱かれてるっつうのに。

 このままじゃ、ただのクソガキとなにが違うって――。

 いいや、まずは正しく『る』ことだ。

 俺になにができて、俺がなにをしなければいけないのか」


 みすぼらしい自分から、自分が妬んできた社会からも、目を背けないことから始めよう。

 きっとこの街で働く中に、なにか――子供たちのためになるなにか、まっとうなやり方があるはずだ。それがどんな些細なことでもまずは構わない。


「クレオと同じことをする必要はなければ、できないんだ。

 ……俺だって、あの子たちのためになにかしたいってのは本気だろ。

 できない、じゃない、俺にできることを増やしていけよ。

 きっとここからだって――」



 今日は銀行によったら、クレオからの仕送りが孤児院の口座に振り込まれていた。

 それを男に抱かれた汚い金だと、これまでのマキビなら突っぱねていただろう。

 たしかに、クレオのやり方には問題があった。

 しかし――クレオをそこまで追い込んだ環境には、マキビの無能、無責任にも一因はある。じゃあそれは「クレオ」が「マキビ」が、まったく「悪いことをした」わけかというと、そういうわけともそれぞれ違うのだ。

 「そういう時代、自分たちはそういう身分の処世術しか望めない」無力を端的に示している。……そう、僕らは生きていけるだけの金も権利も、このままでは望めない。


「ごめん、クレオ――俺だって、今更だけど、あの子たちを背負う覚悟を決める」


 通帳を強く握っているうち、厚紙が歪んでしまった。

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