第6話 『雨が上がる時まで』

 午後三時を過ぎても、彩は部室に姿を見せなかった。

 アキトは席を立ち、キーボードをたたいている部長に言う。


「彩の様子を見てきます」


「待って。たしか彩君は、陸上部の練習は午後三時までって言ったんだよね」


「そうです」


「じゃあ、午後三時以降にここへ来るとは言ってないんだ」


「でも、ここへ来ないとも言ってませんよ」


 部長は楽しそうに笑う。


「アキト君は彩君にここへ来てほしいんだね」


「そうですね」


「じゃあ、ここで待つべきなんじゃないかな。アキト君は彩君にここへ来てほしいと思っているし、ここへ来ると信じている。なら、最後まで信じてあげなくちゃ」


「なんか、えらくことが大げさになってません?」


「アキト君が選んだことだから」


 そういうものなんだろうかと疑問を感じつつもアキトは部長の言葉に従い、彩がここへ来るのを待つことにした。

 そして時は流れ、彩が姿を見せないまま最終下校時刻を告げるチャイムが鳴った。


「部長。信じて待ち続けたんですけど、これはどういうことですか」


「晴れる日があれば、雨が降る日もある。僕たちはただ受け入れることしかできないんだよ」


「それっぽいこと言ってごまかさないでください。あー、もう、明日のことちゃんと話そうと思ったのに」


「まあまあ。二人の心が通じていればちゃんとわかりあえるよ。それじゃ僕はこのへんで」


 帰り支度を始める部長に、アキトは非難の目を向ける。


「部長。今日は一緒に帰りませんか。こうなった責任の一端は部長にもあるんですから、僕の愚痴につきあう義務がありますよ」


「どうだろうね。アキト君はその気になれば僕の意見なんか無視して彩君のところへ行くこともできたんだよ。すべては君の選択の結果なんだ。だからその責任は、君が背負わなくちゃいけないんじゃないかな」


「ひきょうものー」


 部長は楽しそうに笑う。


「でもまあ、部長の言ってることも正論なんですけどね。とりあえず、家に帰ったら彩に電話してみます」


「そうだね。でも、その必要はないと思うけど」


「どういうことです?」


「教えないよ。なにしろ僕は卑怯者だから」


 部長は意味ありげな笑みを浮かべ、アキトは不思議そうに首を傾げた。


 学校を出たアキトは、校門前のバス停のベンチに座っている彩の姿を見つけた。

 彼が声をかけると、彩はどこか気まずそうに言った。


「怒ってないの?」


「なんで?」


「なんでって、だって、その、今日、部室に行かなかったから……」


「気にしないで。そもそも部室に行くなんて言ってなかったわけだし」


 皮肉でも嫌味でもなく、アキトは言葉通りにそう言った。

 彼には裏表のある言葉は通用しないし、本人がそれを口にすることもない。

 彩はそのことをよく理解していた。


「ほんと、あいかわらずだね。アキは」


「それより明日のことなんだけど」


「いいよ。アンドロイドが一緒でも」


「え? いいの?」


「私だって、大切な人とは一緒にいたいから」


「そっか。よかった。ありがとう。ハクアも喜ぶよ」


「でも、そのかわり約束してほしいことがあるの。明日は私と一緒に行動して。私とアンドロイドを関わらせないようにして。私もアンドロイドには関わらないから」


 お願い、と彩は真剣な眼差しをアキトに向ける。


「わかった。約束する。ハクアにもちゃんと伝えておくから」


 それが彩の望んでいることなら。

 彼の目はそう語っていた。少なくとも、彩はそう感じた。

 こちらが真剣に訴えれば、彼は受け入れてくれる。

 だからこそ、彼は透を彩の兄として受け入れてくれたのだ。


 しかし、そのことを考えるたびに、彩はアキトに対して複雑な思いを抱く。

 結局のところ、アキトには『自分』というものが欠けているのだ。


「どうしたの? 彩」


「なんでもないよ。少し、疲れただけ」


 彩は暗闇の広がっていく夕空を見上げ、つぶやいた。


「バス、遅いね」


「そうだね」



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