第11話 『黄昏時の空』

 午後六時になり、最終下校時刻の十分前を知らせる放送が流れた。


「それじゃ二人とも、また明日」


 部長はパソコンの電源を切り、部室から出て行った。

 アキトと彩も帰り支度をすませ、部室の鍵を職員室へ返し、学校を出た。


「そういえば透の姿を見てないけど、どうしたの?」


「今日は登校してないよ。三年生は今日が球技大会だから」


「そっか。でも、彩が作文の朗読をする日は絶対に来るだろうね」


「あのさ、アキ。私にとって作文のことはあんまりいいことじゃないの。そもそもアンドロイドへの不満を書いただけだし」


「ほんと、彩のアンドロイド嫌いは昔から変わらないね」


「そういう性分なんだよ。でも安心して。今はもう、人のアンドロイドにお茶をぶっかけたりはしないから」


 この時、アキトは彩の雰囲気が何かおかしいことに気づいた。

 アキトがそのことにふれようとした時、バスが二人のそばへやって来た。

 車内はそれなりに空いていたが、二人は入り口近くにある二人用の席に一緒に座った。


 バスが走り出す。

 二人は何も言葉を交わさなかった。


 空調の冷たい風に吹かれ、彩が使っている制汗剤の香りがアキトに伝わってくる。

 柑橘系のさわやかな香りだ。

 その香りは、小柄ながらも激しい闘争心を宿し、常に全力で競技に挑む彩のイメージに美しく調和していた。


 何か話さなくちゃいけない。

 でも、何を話せばいいんだろう。


 彩の香りを感じながら、アキトの思考はぐるぐると回っていた。

 やがて、バスの車内アナウンスがアキトの降りるバス停の名前を告げる。

 アキトが降車ボタンを押そうとした時、彩が先にボタンを押した。


「ありがとう」


「私もここで降りる」


「え? どうして?」


 彩は何も答えず、通学鞄をひざに乗せ、顔をうずめた。

 どうやらかなり機嫌が悪いらしい。なのでアキトは沈黙を守ることにした。


 二人がバスから降りた時、西の空には異様な迫力の夕陽が浮かんでいて、空と街をほのかに深みのある夕焼け色に染めていた。


「本当にここで降りてよかったの? もうすぐ暗くなるのに」


「大丈夫。走ればすぐだから」


「彩と互角に走れる人は、そうそういないもんね」


 彩は小さく笑う。

 それは本当に小さな笑みで、彼女はすぐに真剣な表情を見せた。


「アキ」


 彩の声は、固く強張っていた。


「私は、アキのことが、好きだよ」


 街燈の白い明りが灯り、二人の間にうすく漂っていた暗闇を払いのける。

 アキトは普段通りの表情を見せていた。


「ありがとう。僕もだよ。僕も彩のことが好きだ」


 彩は両手を後ろ手にし、強く、強く握りしめる。


 ちがう。

 私があなたに言ってほしいのは、その「好き」じゃない。


 心のなかで彩は叫ぶ。

 もちろん、アキトには届かない。


「彩ってたまにこういうことするよね。お互いわかりきってることなのにさ」


「うん……。でも、自分の気持ちはちゃんと伝えたいし、アキの気持ちも伝えてほしいから」


「だいじょうぶ。僕の気持ちは、これからもずっとずっと変わらないから」


 アキトの言葉に、彩は笑顔で返す。

 アキトは彩の笑顔を、純粋に笑顔として受け取る。


「じゃあね、アキ。また明日」


「うん。また明日。気をつけてね」


 彩はうなずき、夕日に背を向けて走り去った。

 彩の姿が見えなくなったところで、アキトは家に向かって歩き出した。



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