第6話 『不器用ないれもの』
アキトは再びプールのほうへ目を向ける。
彩は補習グループから少し離れたレーンで黙々と、そして力強く泳いでいた。
一方で透は、ぎこちなく体を動かし、ほとんどもがくように泳いでいる。
透も彩と同じく運動は得意なのだが、水泳だけはだめだった。
理由ははっきりしている。
女性用の水着を着なければいけないからだ。
男性が公の場で女性用の水着を着せられることがどれほど耐え難いことなのか、アキトにもある程度は想像できる。
なので今の透の苦痛も想像することができた。
唯一の救いは、その場にいる人々が透に対して好奇の視線を向けていないことだった。
男性が女性用の水着を着ていれば大騒ぎになるが、女性が女性の水着を着ていることは何一つおかしなことではないからだ。
でも、とアキトは思う。
だから透は苦しんでいるんだろう。
「がんばれ、透」
アキトの口から、自然と言葉がこぼれる。
心の性と肉体の性が一致していないということが、どれほどの苦しみをもたらすのか。
どんなに想像力を働かせても、アキトにはわからなかった。
アキトは補習を受けている他の生徒たちに目をやる。
水泳帽をかぶりゴーグルを装着しているため、彼らの顔はほとんどわからなかった。
わかったところで、アキトには誰が誰なのかはわからない。
それでも、ひとつだけわかっていることがある。
彼らと同じ姿のアンドロイドが、学校に通っているということだ。
この街は、不登校対策の一環として、生徒が学校外にいながら自分そっくりのアンドロイドを遠隔操作して学校に通えるという制度を導入している。
アキトが通う学校にも、生徒そっくりの姿をしたアンドロイドが通学しているのだ。
本人にそっくりであるから、誰にも気づかれないうちに人間からアンドロイドへかわり、アンドロイドから人間へかわることができるので、スムーズに復学することが期待できる。
アンドロイドが本人の代理で通学しているので、彼らは『代生』と呼ばれていた。
もっとも、透の場合はちがう。
透は自分が『代生』であることを隠したくなかった。
だから一目でそうとわかるよう、いかにもという外見のロボットを選んだのだ。
水泳の補習は一時間程度で終わった。
透は逃げるようにプールから去り、アキトはロビーに下りて透が出てくるのを待った。
しばらくして、透が女子更衣室から出てきた。
一刻も早くそこから離れたかったのか、髪は濡れたままだった。
「あー、ちくしょう! 気持ち悪い! なんでこんなことしなきゃならねえんだ、くそ!」
「お疲れ様。ちゃんと髪乾かさないと風邪ひくよ」
「お、そうか。その手があった。風邪ひいたら補習は受けなくてすむよな」
「そんなわけないって。それで、あと何回補習を受けるの?」
三回、と透は小さな声で言う。
がんばれ、とアキトは透の肩をたたく。
「何か飲もうか。今日は僕がおごるよ」
「マジか。ありがとな、アキト」
透は普段通りの笑顔を見せる。
それを見て、アキトもつられて笑った。
彩がロビーに姿を見せたのは、夕方の六時を少し過ぎたころのことだった。
すっかり体力を使い切ったらしく、彼女の体はふらつき、目には力がなかった。
「おいおい。大丈夫か?」
「平気。少し、疲れただけ」
「本当にだいじょうぶ? 鞄、持とうか」
「大丈夫だから。それより早く出よう。もうすぐバスの時間でしょ」
彩はバス停へ歩き出す。アキトと透は彩を心配しつつ、彼女のあとに続いた。
三人がバス停に到着して間もなくバスがやって来た。
彼らは一番奥の席へ向かい、彩をまん中にして並んで座った。
「なあ、彩。よかったら兄ちゃんのひざ、枕にしていいぞ」
ばか、と彩は小さな声で言う。
「僕のもつかっていいよ。ひざでも肩でも、好きにつかって」
いい、と彩はつぶやくように言うと、手で口元を隠しながら短くあくびをした。
それからすぐ、彩は目を閉じた。
バスが走り出したのは、その後のことだった。
バスが大きくカーブを曲がった時、彩の体は透のほうへ傾き、彼女の頭は透の肩にもたれかかった。それでも彩は目を覚まさず、深い眠りの底にいた。
透は肩にもたれかかった彩の頭を優しくなでる。
そんな二人を見て、アキトは言った。
「なんだかんだ言って、結局は透を頼っちゃうんだよね」
「そりゃな。なんたって、俺は彩のお兄ちゃんだからな」
だね、とアキトはうなずく。
バスが交差点前の信号で止まった時、透は思い出したように言った。
「そうそう。今度の土曜だけどさ、前に話してた通り行けることになったぞ」
「わかった。楽しみにしてるよ」
「そう言ってくれると助かる。彩も楽しみにしてるから」
「都会へ遊びに行くなんて久しぶりだからね。期末考査の打ち上げもしたかったし」
「まあ、今回は観光みたいな感じになるだろうけどな」
「ドラマのロケ地めぐりだっけ。えっと、つい最近までやってた……、なんだっけ」
「俺もよくは知らねえんだ。彩はだいぶはまってたけどな。たしか、アンドロイドが出てくる話だったとは思うんだけど」
「え? 彩がそういうの観てたの?」
「ああ。俺も意外だなって思ったんだ。だからそこは覚えてる。どういう話かはわからないけど。恋愛モノか、ミステリーか。とにかく彩がはまってたってことは確かだ」
そうなんだ、とアキトは言う。
同時に、ある考えが彼の頭に浮かんだ。
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