第2話 『卵焼きの心』

 球技大会は昼頃に終了した。

 彩のチームは見事優勝を果たし、ホームルームでは英雄的活躍を果たした彩に称賛の言葉と拍手が送られ、初戦敗退の男子チームには笑い声とからかいの言葉が送られた。

 担任の黒川先生は球技大会の総評をすませた後、彩の人権作文が優秀賞を受賞したことを発表した。球技大会の優勝にわき上がっていたクラスメイトたちは再び歓声を上げたが、当の本人である彩はどこか複雑そうな笑顔を浮かべていた。


 ホームルームが終わると彩は逃げるように教室を出て、陸上部の練習へ向かった。

 見学中の騒ぎについて弁明するチャンスを失ったアキトは、仕方なく部室棟へ向かった。

 部室棟とは旧校舎の通称で、木造二階建ての古風な趣のある建物だ。現在、一階は倉庫代わりに利用され、二階は文化部の部室として利用されている。

 アキトが所属している『総合文芸部』の部室は、二階の一番奥の部屋にある。


 アキトは部室のドアを軽くノックし、どうぞ、と声が聞こえてからドアを開けた。

 なかば物置と化している部屋の真ん中には長机が二つ並んでいて、奥の方にはパソコンを操作している一人の男子生徒が座っていた。


 男子生徒、という点を強調しておきたい。

 彼の容姿は性別を偽っているのではと思えるほど女性的で、実際のところ男子用のカッターシャツを着ている女子生徒にしか見えなかった。

 首筋にかかる程度の淡い栗色の髪や、豊かな果実のように柔らかで瑞々しい顔立ち。奇跡的な造形の目元とまぶたの奥におさめられているのは、繊細な光を感じさせる瞳。鼻筋は性別や年齢を超越した美しいラインを描き、愛らしい唇は見る者の理性を破壊するほどに魅力的で、人知を超えた魔性を感じさせた。


 女子生徒用のセーラー服を着せれば、彼が女性であることを疑う者は一人もいないだろう。


「こんにちは。部長」


「こんにちは。アキト君。二年は今日、球技大会だったよね。どうだった?」


 部長は顔を上げ、笑顔を浮かべながらアキトに言う。声変わりをむかえる前の子どものような、耳を心地よくくすぐる甘くて柔らかな声だった。


「初戦敗退でした。あ、でも彩のチームは優勝しましたよ」


「そうなんだ。じゃあ今度彩君が部活に来たらおめでとうって言わないとね」


「そうしてください。きっと喜びますから」


 アキトは部長と向かい合うように座り、鞄から弁当箱を取り出し、昼食をとった。


「いつ見ても素敵なお弁当だね。高校生の手作りとは思えないよ」


「よかったら何か食べます? 今日の卵焼きは会心の出来ですよ」


 ありがとう、と部長はアキトのそばへ行き、顔を近づけ、あーんと口を開く。

 アキトは卵焼きを箸でつまみ、当たり前のように部長の口へ入れた。

 部長は幸せそうに感嘆の声をもらし、丁寧に丁寧に咀嚼する。


「そんなに美味しそうに食べてもらえるなら、卵焼きも本望でしょうね」


「ほんと、この味はアンドロイドにはまねできないよ。だからアキト君はいつも自分でお弁当をつくってるのかな」


「まあ、そんなとこです」


 弁当を食べ終えると、アキトは鞄から夏休みの課題を取り出し、黙々とそれに取り組んだ。


「もしかして、課題をやるためにここへ来た?」


「そうですねえ。課題やって、疲れたら昼寝して、また課題やって、の繰り返しですね」


 すると部長は不満そうにため息をついた。


「まったく、君はここをどこだと思ってるんだい。ここはね、誉れ高き我らが母校、緑山北高校にその部ありと謳われた総合文芸部の部室なんだよ。そして君はその名誉ある部員じゃないか。にもかかわらず君は夏休みの課題をするだけで、無為に時間を消費している。いい? これはね、偉大なる先人たちへの侮辱に他ならないんだよ」


「よくもまあデタラメを堂々と。この部をつくったのは部長で、部員は僕と彩しかいないじゃないですか」


「まあまあ、ちょっとくらいつきあってよ。二年になってから彩君も来てくれなくなって、さびしいんだから」


「仕方ありませんよ。彩は陸上部のエースですし、芸術の授業も一年の時だけでしたし。ところで部長。小説の進捗はどうです。夏休みまでには仕上げるって言ってましたけど」


「うーん。ちょっと、難しいかな。結末は決まったんだけど、物語をそこへつなげる仕掛けが思い浮かばなくて。でもまあ、どんなに遅くてもこの夏が終わるまでには完成させるよ」


「そうですか。でも、受験の方は大丈夫なんですか? 結構レベル高い大学受けるんでしょ」


「ふふん。アキト君。僕の成績がいかほどのものか、君もよく知ってるんじゃないかい?」


「もちろん知ってます。ちょっと聞いてみただけですよ。あーあ、いいですねー。頭が良くて勉強ができる人は。ほんと、うらやましい」


「僕はアキト君のほうがうらやましいと思うけどね」


「それはまた、どうしてです?」


「だって君はまだ二年生で、高校生活は僕よりあと一年も多くあるじゃない。これからいくらでも成長できるし、どんな進路だって目指せるんだ。実現できるかは、まあ、ともかく」


「ともかくってなんですか。そこは前向きな言葉で締めてくださいよ」


「いいかい、アキト君。人生にはね、結果よりも経過のほうが大事ってこともあるんだよ」


「なんかいいこと言ってるようですけど、やんわりと僕の人生悲観してません?」


 部長は楽しそうに笑い、アキトはため息をついた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る