第5話 グリコ森永事件
「列車の窓の外を眺める格好をしながら、ドアのガラスに映った男をしばらく観察していたこともあった。沿線には当時、住宅もあんまりなかつたからね、列車の外は漆黒の闇。だからドアのガラスが鏡のような役目をしてくれて男の顔はよく見えたよ」
この男を、ガラス越しに観察しながら岡田は、こんなことを考えていた。
「こいつを、もし制圧せなならんとなると、ちょっと難儀するやろな。単にからだが大きいだけの木禺の坊じゃない。足腰もしっかりしてる。かなりの強者や」
かい人21面相はところでなぜ、自らが指定した高槻駅からではなく、途中の神足駅から列車に乗ったのか。この疑問に答えて、6人の捜査員のひとりが解説する。
「おそらく犯人は、午後8時19分発の列車に乗ったはず。ところが車内に現金持参人がいなかったので、神足駅で降りて、次の列車が来るのを待った。現金持参人には、白のブレザーを着て、進行方向の左側に座るよう指示していたから、ホームに列車が入ってきたとき、先頭から2両目に乗っていることに気付いたと思う。それでそのすぐ隣の3両目に乗った」
京都駅に列車が着くと、キツネ目の男は、さらなる異常行動をとった。
現金持参人がホームにしばらくたたずんでいたため、この男も、列車から降りたもののホーム上を動こうとはしなかったのだ。動くことができず、岡田は恋人役であった徳田みどりと話し込んでいる。
と、岡田のほうに歩み寄り、男は突然、「ガンを飛ばして(睨んで)」きた。
「ヤツにしてみれば、わしらの存在が鬱陶しかったんやろね。かなり近いところまでやって来て、文句あるんかというような威圧的態度をとった。それでこれ以上、この男の周辺にいたら怪しまれると、引くことにした。すぐに無線でわしらは二番手、三番手に回るからと言って他の捜査員にバトンタッチした。そして相手に気付かれないように、遠くから広角で追うポジションを取ったわけや」
そうこうするうちにマルケイ(現金持参人)が、京都駅の烏丸中央口に向かって歩き出すと、男もまた 後を追って歩きだした。その様子は、まるで時代劇の忍者が尾行しているようだったと岡田は言った。
「現金持参人に気づかれないよう、壁にからだをピタッとすりつけたかと思うと、突然、後ろを振り返り、あたりを警戒するといった具合で、とにかく目立っていた」
6人の捜査員は、この男がかい人21面相の一味に違いないと確信し、徹底的にマークしている。一方の男は、捜査員が適当に入れ替わりながら尾行していることには、まったく気づいていないようだった。
現金持参人は、改札口から外に出てた。だが、切符を買い直して再び、京都駅構内に戻ってきた。その間、男は、構内のキヨスクの前から現金持参人の動きを目で追いつつ、赤い公衆電話でどこかへ電話をかけている。そして現金持参人が、京都発、高槻行きの列車に乗り込むと、この男 もまた同じ列車に乗り込んだのである。
京都駅で男を追尾した6人の捜査員も同じ列車に乗って高槻駅に向かっている。
だが、途中、岡田の上司にあたる特殊班の係長が、この男の身柄を押さえようと岡田に持ちかけた。これだけ 不審な行動をとっているんだから、単なる職質ではなく警察署に引っ張っていって、そこで事情聴取すべきという。
ふたたび岡田の証言。
「あの男はキセル乗車やから、それで引っ張れるし、なんやったら肩でもぶつけて喧嘩ふっかけて、相引きでこっちもお縄になってもええから、こいつを引っ張ろうと。確かに、こいつを押さえておけば、周辺の人間関係がわかるわけやから、大きなとっかかりになる。しかしそのとき、わしはこう進言した。この事件は本庁がモニターしているうえ、現場が勝手に動くことは禁止されてることやから上に聞くべきやと」
この指揮伺いに対する捜査指揮官の回答は、現金に手をかけるまでキャッチするな。「現行犯逮捕方針」「徹底追尾」「一網打尽」を守れというものだった。
大阪府警の特殊班班長として現場指揮にあたっていた鈴木建治はこう言った。
「あの職質は、焼き肉チェ—ン店『大同門」(大阪摂津)で元自衛隊員を『誤認逮捕』したあとなので、慎重に対応すべきという思いがあった。それに捜査員の話を聞いてみると、男はあまりにも目立ちすぎや。犯人ならそんな不細工な尾行はせえへんやろ。そら違うで、この次のために今日はやめとこうと止めた。捜査員の無線からでは府警本部にまで 届かないので、『キツネ目の男との攻防戦』で指揮を執っていた私が止めたんです。ただ、しっかり見といてくれ。どこで降りて、どこに行くか、相手に悟られないよう、無理のない範囲で追尾してくれという指示は出した」
大阪府警をそれまでさんざん出し抜いてきたかい人21面相とは、似ても似つかぬ間の抜けた行動が、現場指揮官を躊躇させたのである。
かりに犯人の一味であっても、ただ電車に乗ってただけの男かも知れへん。ただのレポ役(連絡係)やも知れへん。いや、本当に犯人グループかい人21面相の一味か?
この男は、自分から怪しい人物を演じている。
これ自体が、犯人グループから巧妙にしかかられた罠や、謀略ではなかったのか。
この、キツネ目の男は、まさか、〝囮(おとり)〟では、ないのか。
大阪方面 え
うちのまえ に 会社の 運てん手ののった 白のカローラ またせとけ
6月28日 もくよう日 ごご8じに
TEしとったら 山田です ゆえ
手紙あるとこ おしえ たる
きいたら すぐ うごけ
手紙みたら すぐ ゆうとおりに しろ
太田は 白のブレザ—きてこい
太田には なんも せえへん
ひとりで きめられへんかったら 小森や 百済や 高野と そおだんせ
ゆうこと きかへん かったら グリコと おなじめ に あうで
(略)
ハムでも ソ—セ—ジでも 注しやき つこたら せいさんいれられる
つかまえ とったときの 勝久 の こえ きかしたる
金だす あいずに 6月26日と27日の
每日 と サンケイ の きんき地域版の こおこくだせ
パ—卜ぼしゅう せんでんはんばい員
35さい まで の けんこうな 女せい じきゅう500円
こおつうひ 全がくしきゅう 丸大食品人じぶまで
列車内・京都駅構内での警察VS.かい人21面相との息を呑むような攻防戦……
キツネ目の男は、マルケイ(現金持参人)を必要に、ストーキングし、粘着してくる。
誰だって、この男が怪しい。犯人グループかい人21面相の一味の一人ではないか?
そう疑うのは、捜査員として、いや、人間としての道理である。
「捜査員はしきりに、職質(職務質問)をして、キツネ目の男を捕縛して、任意で署に引っ張るべき、と主張する。だけやとシラを切られれば、それ以上追及しようがない。この男からは本丸にたどり着くことはできない! 無理をしない追尾ということで、高槻駅に着いたあと、再び京都駅に向かった男を追ったのは6人の捜査員のうち2人だった。あとの4人と現金持参人役の捜査員は、府警本部に戻っている。そして京都駅構内の雑踏のなかで、追尾の捜査員はこの男を見失うことになるのである。
「裏取引の日時は正確で、現金持参人への犯人の指示もおおむね合っている。ただ、犯人が裏取引を持ちかけたのはグリコじゃなく丸大食品だった。肝心の企業名が間違っていたので、ぜんぜん引きがなくて、他社の後追いもなかった。ひとこと、丸大食品と書いていれば、大きな 反響を呼んだ特ダネでしたよ。だけどわがほうとしては、あれだけ保秘を徹底していたのに、 なんで、こいつらわかったんだろうと、ギクッとしながらも訝しんだものです」 「江崎勝久」の名前でキツネ目の男が、丸大食品の羽賀孝社長に送り付けた脅迫状にはこう 書かれていた。
羽賀 え
わしら の ことは しっとるやろな
おまえ の とこ グリコの さいなんで えろう もおけおったな
もうけた分 すこし わしら え まわせ
わしらの おかげで もおけたんや
わしらに 金ださんと きぶん わるいやろ
つかい ふるしの 1万円さつで 5000万 1000万づつ
まとめて 白の バツグにいれて 日よしだいの 太田のうちでまて
自ら裏取引の現場に出掛けて、危ない橋は決して他人まかせにせず、警察が捜査しているかどうかを判断してきたキツネ目の男やリーダー格の恐ろしく頭の切れる男は、このときも西浦南公園を見渡せるどこかから、現金持参人が白いタオルに到達する様子を観察していたはずである。
この年の年末、「全国のすいりファンの みなさん え ごあいさつ」と題した挑戦状を 毎日新聞と読売新聞に送り付け、大阪府警のこの日の捜査を揶渝嘲笑した。
けいさつ1じかんもおくれてきおった バスてい ちかくの 道ろの まん中で ちづ ひらいて 相だんしとる特しゅ班のあほもおった わしら ないたで(1984年12月26日午後、名古屋市中区内から投函)
グリコ協同乳業を含めたグループ3社の損害額は「10日で約25億円」とある。
こんな状態がいつまでも続けば、本当に会社はつぶれてしまう。
頭を抱えるグリコの苦境を 見透かしたように、,さらに1週間後の5月18日、キツネ目の男らは毎日新聞とサンケイ新聞にあらたに挑戦状を送り付けた。挑戦状のタイトルは「ダイエーの 社長え」となっていて、他のスーパーなどへ、グリコ製品を売らないよう連絡させるという内容だった。市場からグリコを締め出すため、食品流通業界をも脅迫している事実をマスコミに知らせ、送付先の新聞社をしかも2社に絞ることで、他社の後追い記事で騒ぎをより大きくしょうと狙ったものだった。
ダイエーの 社長 え
グリコの せい品 うらんで よかったのう
あとでわかるで
もうすぐ 8こ おかなならん
わしら こまっとるんや どこいっても グリコあらへん
はよ 店 え おいてほしい
はじめに おいた ス—パーか デバ—卜には
(略)
コマーシャルで あるやろ
わるでも ええ かい人21面相の ように なって くれたら
あの会社や
けいさつ え しらせおつて
まだ 金 だし おらへん
1億の かしや
かい人21面相
(1984年11月13日18時〜24時、東京下谷郵便局管内から投函)
この約1カ月後、12月15日にマスコミに宛てた挑戦状で、キツネ目の男らは、「12月9 日よるわしら兵ご県のあるところである会社から1億とったで」と書いている。このことから、ひとつの疑念を抱いた警察庁の元幹部は少なくない。
「丸大食品には、裏取引を二度持ちかけただけで、グリコのときのようにしつこく脅迫することなく、あっさり引いている。それまでの犯行パターンから言って、おかしな動きなんですね。だから、丸大は、犯人からの脅迫状を警察に届けることなく、裏取引をしていたのではないか。そんな疑念を持ったものです」
疑念が生まれた背景には、当の警察が、誰よりも手に負えない犯人像をイメージし、その影に怯えていた事を示すものだ。
警察庁の当時の幹部を「ドキン」とさせた朝日新聞であった。
朝日は朝刊で、丸大食品の社名こそ出していないが、「ハム会社も脅す」との記事を掲載。丸大食品が、かい人21面相の新たな標的となったことをスクープした。
「関西に本拠地をもつ大手ハム会社を脅し、数千万円を要求していたことが八日、明らかになった。このハム会社に脅迫状が届いたのは、六月下旬。犯人側が『もうあきた ゆるしたる』と書いた休戦状を報道機関に送りつけたのと前後する時期だった。この休戦状は捜査の目をくらます大嘘だったことがはっきりした。大阪府警は受け渡し指定日の六月二十八日、七月六日の両日、極秘に捜査網を敷いたが、犯人側は姿を現さず、九月に入って第三の標的として 森永製菓を選んでいた」
朝日の記事が出てからの四日後、キツネ目の男らは、『週刊読売』が2週間前の誌面で投げかけていた質問に答える格好で、自ら丸大食品を標的とした事実を認めている。
週かん よみうり へんしゅうぶ が わしらに
おしえてくれ ゆっとるけど
わしら けいさつ より くち かたいんや
せっかく やから 2つだけ おしえたる
7月に タカツキの 会社ととりひき した
犯人との白い布(タオル)の鑑識については、こんな証言がある。
「現場検証をきちんとしたうえで、風雨にさらされる前に回収し、鑑定に出さなければ、そもそもの証拠能力が失われることになる。捜査というのは、現場対応と裏付け捜査の二本立てでやるもの。それができていないということは、捜査のボタンをかけ違えたのではなく、ふたつかけないといけないボタンを、最初からひとつしかかけていなかったということだ。これでは、かりに犯人を逮捕しても起訴できたかどうか疑わしい」
現場の捜査員の意識から、ボタンの掛け違えは、捜査の基本である「証拠収集の重要さ」を 失念させることになった。キツネ目の男らかい人21面相を京都駅で追尾した際、途中で行方を見失っただけではなく、致命的なミスを犯していたのだ。
キツネ目の男は、このとき、丸大食品の太田常務に扮した捜査員が、京都駅の改札を出て再び駅構内に入ってくるのを目で追いながら、改札口近くのキヨスクの赤電話からどこかへ電話をかけていた。しかしその赤電話の発信記録を押さえていなかったのだ。キツネ目の男を追尾した、捜査一課特殊班の元捜査員のひとりは言う。
「赤電話には指紋が残されているので鑑識を入れようとしたけどやめたのは、上からの指示やった。それはええにしても、公衆電話での発信履歴が残ってるなんて、そのときは知らんかった。半年ほどしてそれを知ったもんやから、あわてて電電公社(現・NTT)に取りにいったら、ちょうど消されたあとで地団太踏んだものや。あの発信記録があれば、犯人の一味に確実にたどりつけたはずやから」
グリコ森永事件の捜査における些細とは言えないミスや欠点のすべてを、この失態は、暗示的な形で示していた。
次がある、無理はするなという捜査方針は、犯人逮捕の絶好の機会を逃しただけでなく、犯人が現場に残した足跡からその身辺に迫るという捜査の基本をないがしろにさせてきた。そのミスの重なりが、犯人を勢いづかせていたのである。
「われわれがそれまで相手にしとった粗暴犯には及びもつかん、計画性と知恵のある連中やった。だから、現金を取りに来た者だけを捕まえるという大方針ができた。周辺をウロウロしている者を引っ張っても、結局、警察が捜査しているのがバレるだけで、うまいこといかん。肝心の主犯を捕まえられんかったら、被害企業への報復がものすごいことになるのは、目に見えている。それに」と、ー呼吸おいてから語を継いだ。
「現場捜査で失敗すると、警察庁から大阪府警に来ている本部長や刑事部長にキズをつけてしまう。自分たちの責任だけですまんから、この事件、勝負をかけられへん苦しさがあった。選択肢は現行犯逮捕だけやった」
官僚機構の弊害が生み出した捜査方針は、信じられないことだ。が、捜査の基本である証拠の収集と現場検証を犠牲にするという事態も生み出していたのである。西浦南公園の現場検証は丸大食品の事件でいえば、おこなわれていない。犯人の残した白いタオルも、すぐには証拠品として回収しなかった。タオルがなくなれば、警察が動いていることがバレるという理由からだつた。
当時の複数の捜査員の証言を総合すると、この白いタオルを回収したのは、約10日後である。
森永に届いた脅迫状がある。
かい人21面相からの脅迫状が森永製菓に届いたのは、「江崎社長拉致事件」から半年後の1 98 4年9月12日だった。森永製菓の関西販売本部(大阪市北区西天満)の郵便箱に直接投げ込まれていた大判の封筒には稲生平八会長宛ての脅迫状と、青酸ソーダを混入させた「森永ミルクキャラメル」「森永パツクンチョ」などのほか、青酸ソーダの固形錠剤と一本のカセットテープが入っていた。模倣犯でない真犯人の証明として、江崎社長の肉声が録音されたカセットテープである。
わし の なまえ は しっとる やろうな
この夏は あっかったな けいさつの あほどもが うるそおて
ヨオロツパ え いけへんかった あきには いくつもりや
グリコは あほなことして 300億 そんしおったけど
6億で 話ついた おまえのとこは グリコのそんでもおけて
わるい おもっとるやろ
もおけた なかから1億円 だせ
わしらの ゆうこと きかへんかったら
青さんソーダ いり の かし 10しゅるい50こ をばらまいたる
どくいりの かし なんぼでも つくれる
いっしよに いれた キャラメル の うち
2つぷに 〇・2グラム
ハテナツツに 1グラムふりかけてある
パックンチョ には 水に とかして 〇・6グラム いれてある
ペットに やってみ すぐしぬで
青さんソ—ダの かたまりも プレゼントしたる
まだ ぎようさんあるで 勝久のテ—プいれておく
おまえらも こおなりとうないやろ
けいさつ え れんらくしたら すぐわかるで
けいさつに なかま おるんや
けいさつ え しらせたら おまえの 会社 つぶしたる
会長 社長は さろてきて
生きたまま えんさん の ふろに つけて殺したる
わしら てつぼうも マイトも どくも ある
(略)
9月18日火よう日に金もらう
六億円で話がついた、というのは嘘である。大企業が裏取引に応じたと見せたかったのだ。
息せき切って報告する浅井を前に、高木は「やっばり来たか。わかった」と答えている。当時89歳の高木は、自宅のリビングでこの日の出来事を感慨深げに振り返った。
「僕は浅井君に、すぐ社長と相談して追って連絡するからと席を立ちましてね。眼衡とした気分で社長室に行って『来ちやったよ』と、社長だった松崎(昭雄)さんに伝えた。そしてふたりきりで30分ほど協議し、三つのことを決めたんです」
このとき決めた方針は実にシンブルだった。森永の企業理念の本質に関わるものだった。 ひとつは警察に届けるということ。犯人逮捕以外にこの事件の解決はないというのが、ふた
りの結論だった。次に、食べものだけに事故が起きたら大変だ、安全第一にしようというのが二つ目。だけど、状況が長引けば会社は潰れちゃうぞ、ということで会社は自分たちで守る。 極端に言えば、賃金が払えない事態になっても人員整理はしないでがんばろうと、その3点を 確認したあと、高木は専務の浅井を呼び、脅迫状はすぐ警察に届けるようにと指示している。
つかい ふるし の 1万円さつ
500万 づったばにして 白い ビニ—ルバッグ
2こに 5000万づつ いれて 会社の車の トランクに いれてまて
(略)
おまえら の せいで とりひき でけへん ときは
2億にする わしらのつごうで でけへんときは またれんらくする
けいさつ え れんらくすれば とりひきやめや
会社つぶしたる
TELの 声は 変やけど ききとるんやで
(以下略) かい人21面相
高木と松崎は、稲生を四代目社長に担ぐにあたり、森永太平社長と松崎保副社長のふたりに引いてもらうとともに、副社長派の役員10人前後を対外的には目立たないよう子会社に出すなど、段階を踏みながら退社させていった。
同時に、約5000人いた従業員を約3500人に削減し、工場閉鎖や生産体制の集約化な どリストラを断行。改革に着手した初年度こそ、経常利益で約50億円の赤字を出したが、翌年以降、徐々に業績を回復させ、4年後の1984年3月期決算では過去最高益の1220億円 の売上高を記録した。経常利益も約45億円の黒字としていた。
これから大きく業績を伸ばしていける。そう意気込んでいた矢先、かい人对面相からの脅迫状が届いたのだ。
高木の回想が続く。
「厳しい事態が予測される方針を弗分で決められたところに、実はウチの問題があったわけです。これは会社の恥でもあるんですが、この5年前に経営の不手際で会社が沈没しそうになったんですよ。当時、僕は取締役人事部長で、松崎さんは取締役経理部長でした。その僕らが、このままいったら会社はつぶれてしまうぞ、と経営改善計画を作成し、中心になって推し進めた。社員に対しても組合に対しても、今後は正しい経営をおこなうことを大前提として協力を求め、経営の立て直しをやったんです。えらい苦労しましたけどね。あの経験があったから、この事件にも耐えられたし、犯人逮捕以外に事件の解決はないという方針を決められた」
粉飾決済が、経営の不手際のことであった。
創業者の森永太一郎を父に持つ三代目社長の森永太平は、何事にも鷹揚な態度で経営にはほとんどノータッチだった。実権を握っていたのは技術系副社長の松崎保で、この人は、製品開発や市場選定に必要なマーケティング手法を理解せず、自分勝手な意見を押し通しては販売政策に失敗し、在庫の山を生み出していた。挙げ句、数字合わせの粉飾でその負債をごまかしていたのである。
いまの社長と副社長では、高木と殴崎は会社はダメになると感じた。このふたりがトツブにいる限りまっとうな経営はできない。かといって、自分たちが音頭を取つても人はついて来ない。考えた末、皆が納得するナンバー2をトップに据えるべく、森永にとっての大功労者で、うっかり口など利けない大先輩に直談判にいったのである。
高木は証言する。
「一瞬にして、天国から地獄ですよ。犯人が「森永ゆるしたろ」と、犯行の終結宣言を出すまでの165日間は、夜もろくろく眠れなかった。1億円を払えばそれで終わりだと、随分言われましたが、正しい経営をするか間違えるかは、トップ次第です。あとに続く役員はトップに付き従うだけですから。だから松崎さんと決めた三原則は初志貫徹で、いっさい曲げなかった。犯人の要求に屈することなく、市場から締め出されても安全第一で、社員総出で商品を売り歩く。そしてどんなに苦しくても人員整理はしないというメッセージを社内に流し、組合からも賛成してもらっていた」
一気にこう語ると、高木は、自身が事件の担当責任者となっためぐり合わせの妙について述べた。
「犯人は知らないと思うんですけどね。昭和33年から、毎週、日曜日の午後7時半から日本テレビで放送されていた『怪人二十面相』は、ウチが番組スポンサーだったんですよ。あの当時は、まだ録画がなくてすべて生放送でしたから、広告担当だった僕は、日曜日になると日テレの浜町スタジオに詰めていた。ナマだから、タレントを連れていって番組の合間にナマの映像を流して放送が終わると、いやー終わったと言って、怪人二十面相役の原田甲子郎君やスタッフたちと銀座で一杯やって帰るという毎週だった。その僕が、四半世紀を経てかい人21 面相の担当になったのは、不思議な偶然だと思いましたね」
森永製菓への脅迫状を毎日新聞がスクープした4日後、キツネ目の男らは朝日、毎日、読売、 サンケイの各新聞社に挑戦状を送り付け、森永を脅迫していることを認めた。
犯人しか知り得ない「秘密の暴露」をおこなったうえで、警察を愚弄し、要求に応じない森永への逆恨みに近い怒りをあらわにしている。
ひっこい おまわりさん たち え
この なつは えろう あつかったな
おまえらの せいで わしら ヨオロツパ え いけへんかった
いつか かならず いったるで
なんども 顔 あわせとるのに
なんで わしらを つかまえてくれへんねん
(略)
あほは なんぼ がんばっても あほや
このまえの 森永の TEL あれなんや
サラリ—マンは TELで りよおかい なんていわへんで
レストランから 守口まで 2きろも あらへんのに
なんで 1じかん も かかるんや
(略)
森永 の どあほが わしらに さからい おつたから
1億 やったら たらんのや
あんな どじ ばかり しとったら
小がくせいでも あいて して くれへんように なるで
こくみんの ぜい金 むだづかい せえへんよおに
もっと べんきょう せえ や
かい人1面相(1984年9月23日12時〜18時・京都東山郵便局管内から投函)
森永製菓の場合は様相が違っていた。
これまでのような脅し文句ではなく、いきなり森永製品に青酸ソーダを混入させ、スーパーやコンビニに置いて回ったのである。しかも現金の要求は初回だけで、その後いっさいおこなっていない。高木の記者会見から、森永をいくらゆすってもカネは取れないと判断したのだろう。カネは取れないにしろ、森永を血祭りにあげることで、逆らえばどうなるか他の菓子メ—カーや食品メーカーへの見せしめにしようとしたのだ。
かい人21面相のリ—ダ—格の男や、キツネ目の男にとっては、犯行をおこなう面白さが、企業からカネを取るのと同様に重要であった。要求を撥ねつけた森永をそのままにしていたのでは、示しがつかない。単に、ひとつのゲームを落とすだけでなく、すべてにおいて敗北しかねないと考えたのだ。何としても、森永を屈服させ、菓子業界全体を震え上がらせなければ。そして、冷酷、無慈悲、良心の欠如、罪悪感の希薄さといった人格そのまま、青酸ソーダ入り森永製品をばら撒いていったのである。ただ、無差別殺人を引き起こすほど無分 別ではなく、「どくいりきけん 食べたら 死ぬ で」と書いた警告シールを貼り、間違っても消費者が手に取ることのないよう手は打っていた。
当時の複数の捜査員の証言を総合すると、キツネ目の男ともうひとりのメンバ—は車を使い、次の順路で動いていたことがわかる。
ファミリーマート甲子園口店に置いたあと、兵庫県道13号線(主要地方道尼崎・池田線)沿 いに面したローソン久代店に青酸ソーダ入りの「森永ハイチュウソフトキャンディ」を置き、その先の阪急宝塚線川西能勢ロ駅に近接する関西西友・川西店に青酸ソーダ入りの「森永ミルクキャラメル」を置いた。
さらに兵庫県内を北上し、関西西友・多田店に青酸ソーダ入りの「森永もなかチョコバイオマン」を置くと、大阪方面に向かい箕面市のダイエー箕面店に青酸ソーダ入り「森永ミルクキャラメル」を、豊中市の大丸ピーコック千里中央店に「森永モナカチョコ」を置いた。 そして茨木インターチェンジに近い関西スーパー三島丘店と、その先の高槻駅前の関西スーパー高槻店に、それぞれ青酸ソーダ入りの「森永チョコボール」と「森永ハイチュウソフトキ ヤンディ」を置くと、京都に足を延ばし京都市を東西に横断する国道9号線の西の端、桂警察 署(現・西京警察署)隣の関西西友・桂店に、青酸ソーダ入り「森永チョコボール」を置いて この日の犯行を終えた。
青酸ソーダ入り森永製品を置いて回らせてもいた。彼らが置いて回った青酸ソーダ入りの森永製品は、「どくいりきけん」の警告シールが貼ってあり、その日のうちにほとんどが回収されている。これら菓子類を警察で鑑定したところ、一部から致死量を超える青酸ソーダが検出されたため、翌8日の朝刊各紙はこのショッキングなニュースで埋め尽くされた。
世の中が騒然となるなか、この日の午前中には、人々の不安をもっと煽るため、もっと大き な問題を起こすと予告する新たな挑戦状を報道機関に送り付けた。
全国の おかあちゃん え
しよくよく の 秋 や
かし が うまいで
かし やったら なんとゆうても 森永やで
わしらが とくべつに あじ つけたった
青さんソ—ダ の あじついて すこし からくちや
むしばに ならへんよって お子たちえ こおたりや
たからさがし や で
そのつぎは 100こ よおい する つもりや
北海道にも おくかもしれん
わしらが ええ ゆうまで スーパー や デパ—卜 は
森永せいかの製品 おいたら あかん
おきおつたら その店の ほかのくいもん え も
どく いれたる
かい人21面相(1984年10月7日12時〜18時・西宮東郵便局管内から投函)
この脅迫状もまた、青酸ソーダ入り森永製品を置いて回っていた10月7日の午後、兵庫県西宮市内の郵便ポストから投函されたものだった。
この脅迫状は27社に送り付けられていて、ダイエーや西友などの食品流通業界以外にも、ハウス食品、明治製菓、山崎製パンなど食品メーカ—が含まれていた。このあとハウス食品は、かい人21面相の標的にされていることから、狙いを定めていた企業に、一種の布石として送り付けたものだったのだろう。
社長 え
まえに れんらくして おいた 会社もあるやろが
わしらなにか 用あるときは 勝久の テープおくる
テ—プ と 9ポイントタイプが わしらのしょうこや
森永の どあほどもは
テープと 青さんソーダの かたまり と 青さんいりのかし おくったのに
信じへんで けいさつ え とどけおった
わしら に さからい おったから 森永つぶしたる
青さんいりの かし50こ よおい してある
このうちはんぶんは グリコの ときわしらに さかろうた
西友に おいたる 20こにはどくいりの紙はってある
30こにははっとらん
一方、「グリコの ときわしらに さかろうた」と名指しされた西友は、販売をやめれば 「犯人の脅しに屈することになる」として、いったんは関西地区以外での販売継続を公表した ものの、10日後の10月16日には販売中止に追い込まれている。
キツネ目の男らは、10月14日の日曜日に上京すると、西友本部のあるサンシャインビル前の豊 島郵便局管内のポストから、大阪府下の南海西友・狭山ニュータウン店と関西西友・高石店に宛て、青酸ソーダ入り「森永ハイチュウソフトキャンディ」と「森永もなかチョコバイオマン」を郵送した。同封の脅迫状には「おまえらの店の名前で客のうちえおくること も できるんやで」とあった。
その後の、挑戦状の宛名には、警察庁の新長官に就任したばかりの鈴木貞敏の名前が書 かれていて、ふざけた調子で新長官をからかった。
警さつちょう の すずき え
わしら あんたに わるい おもうてる
わしら の せいで かみの毛 えろう うすうなったな
まわり の もんも まぶしゅうてかなわんやろ
毛のはえる くすり の かわりに
またヒントおしえたる
森永のかし ぎふ県でこうた おまえらでも さがせば わかるやろ
(略)
西友の こうよう台 と 川西 と かつらは わしらがおいた
わしら うらみは わすれへん
青さんソ—ダ なんぼでも あるで
NHKに プレゼントしたった よお見ときや
クイズ
NHK におくった 青さんソ—ダで なん人殺せるでしょうか
かいとうをおくって きたもん の なかから
ちゅうせんで 10人に
青さんいり 森永せい品を おくります
(以下略)
(1984年10月13日12時〜18時・大阪南郵便局管内から投函)
わしらに さかろおたら 会社 つぶれる
社長は 殺されるんや
会社 つぶすか わしらに 金だすか
11月5日と 6日の まいにち新聞で
へんじするんや
たづね人つかえ
わしら 二郎
森永 母
けいさつ悪友
金 食事
このことば つこおてへんじせい
金は まえ ゆうたとおり 2億や
かい人21面相 (1984年10月31日8時〜12時・京都府向日町から投函)
森永製菓は、広告掲載を拒否すれば何をされるかわからないと、11月6日の毎日新聞の「尋ね人欄」に次の広告を出した。
「二郎へ 悪友いなくなったすぐ帰れ
暖かい食事が待っている母千代子」
森永の あほども え
2億だす やくそくしたな かならず とるで
12月3日から 8日まで に
全国の サンケイと毎日に
こおこくだせ
グリコが まえだしたもんと おなじよおなもんで ええ
わしらに もんく つけたらあかんで
こおこくの なかに 社員の7さいの 女のこの 手紙
こども の じ で のせるんや
かい人21面相さん え
とおちやんこまってる
かあちゃん ないている
とおちゃんの 会社 つぶれたら こまる
ほかの 会社も つぷれそおでこまつとる いびるのやめてほしい
これを こどもらしい さくぶんにして だすんや
さくぶん もっと なごおてもええ
こおこく でたら金の うけわたし おしえたる
かい人21面相 (1984年11月29日12時〜18時・枚方郵便局管内から投函)
森永側は指示どおり、12月7日の毎日とサンケイに全5段の広告を出した。その広告文を作成したときの記憶がよみがえってきたのか、高木は苦虫を嚙み潰したような表情になった。
「かい人21面相さんって書けってきたんでね。もう、頭にきちやって。しかし書かないと、何やられるかわからないので作りましたよ。ハガキをいくつか載せたなかのひとつに 『かい人21面相さんへ』と入れた」
ハガキの文面は、「かい人21面そうさんへ、パパはまいにちかえりがおそいです。ママはおかしをうりにいきます。おとうさんのかいしやがつぶれたらわたしはおこずかいがもらえません。もういじめないでください」というものだった。
高木はつるし上げにあっていた。
「そうそうたるメンバーが20人くらい集まりましてね、正直言うと、ずいぶん叩かれたんです。言うならば、あんたがいい格好してるから、みんな迷惑してるよって。こういう言い方なんですね。ウチからみれば、みんなお得意さまですよ。問屋さん、小売屋さん、普段は仲がいいんですよ。でも私、ひとりで頑張ったんです。いや、みなさん、何と仰っても裏取引はいけません。犯人逮捕以外にこの事件を解決する道はありません。そう言い続けたんですね」
かい人21面相の脅しに屈することなく耐え続ける森永は、キツネ目の男らにとって忌々しい存在でしかない。カネは取れないまでも、逆らった代償を払わせない限り、面子に関わるということだろう。ゲーム感覚ではじめた犯罪は、いまや世の中を揺るがす重大事件と化していて、その檜舞台で踊り、観る者の期待の悪を演じようとしたのだ。
道路を横切り、茶色の大封筒に入れた<千円パック>を読売本社前に置くや、急いで取って返すと車は急発進した。その一部始終 を複数の通行人が目撃している。同封の挑戦状には、森永をからかう次の文面があった。
がんばる 森永の みなさん え
やくそく どおり
おとしだま やる で
せいさんいりの 千円パック や
よおうれるで
(略)
男は やりかけたこと さいごまで やるもんや
森永のみなさんも
ゆうしゅうな けいさつ たよりにがんばりや
悪アズナンバ—ワン
かい人21面相
全国の けいさつ ファン の みなさん え
ええ正月やったな
わしら ナカマ みんなで おんせん つかつて ゆっくりした で
イロイロ ええ おもい させてもろて
ごくらく やった
ことしも がんばるで けいさつも よおやった
(略)
4日 の ナイスディ みたか
わしらに 正月の あいさつ しよった しつもんもしよった
ちよつと おしえたろ
あつめる金の もくひょうは 13億や
男は なんでも さいごまで やりとげなあかん
13億 あつめたら くいもん の 会社 いびる の やめたる
(略)
森永には 正月の おとしだまやろう おもてる
社員には きのどくやけど あほな社長 もった いんがや
(以下略)
かい人21面相(1985年1月14日18時〜24時・岡山中央郵便局管内から投函)
<ナイスディ>は、フジテレビ系列で放送されていた朝の情報番組「おはよう! ナイスディ」
このあと、新年度を迎えた5月の会議で資金繰りが行き詰まったときのことを、急に思い出したように高木は言った。
「このままだと資金ショートする。これからどうするんだと役員会で話し合ってるときですよ。誰かが、警察に預けてあるおカネがあったじゃないですかと言ったんですね。アツそうだ、あれがあったと、急いで3億円を取りに行った。そういうバカな話があるんですよ。それくらい事件のことで頭がいっぱいで、預けてあるのを忘れちゃってた」
キツネ目の男らは、『週刊読売』に宛てた「手記」で、森永製菓を標的にした理由を明かしている。
森永 どおして えらんだか
かし の 会社で 1ばん よおうれとるのは 明治や
グリコ の つぎは 明治 ねらう
だれでも そおおもうやろ
そやから 明治は やめた
森永 まえに ひそで どくの こわさ よおしっとるやないか
社長 よほど あほやなかったら
わしら の ゆうこと きくはずや わしらも
人を見るめなかった
森永の 社長
ほんまの あほやった(1984年12月5日18時〜24時・名古屋中央郵 便局で投函)
「森永ヒ素ミルク事件」は、1955年に森永乳業の徳島工場で製造したドライミルクに大量
のヒ素が含まれていて、約1万3000人の乳幼児がヒ素中毒になり、うち130名以上が死
亡した事件である。日本において食の安全性が問われた最初の事件でもあった。
松崎 え
テレビ みたで 高木 ええ男やないか
とおちゃん の はかもりしおって なかせるで
わしら 人情に よわいんや おまえも よおがんばった
わしら ほねのある男 すきやで
パ—卜の おばはんやとった よおやし
稲生も やめおった これでわしらも めんつたったやろ
森永 ゆるしたろ
スーパー も デパ—卜 も 森永せい品 うったれや
(以下略)
かい人21面相(1985年2月27日19時半ごろ、茨木署下穂積派出所の入り口ドア下で 発見)
宮中や鑿の席で、昭和天皇はグリコ森永事件について、異例の質問をしていた。
この日の午餐に出席した検察首脳のひとりによれば、天皇は大阪高検検事長に向かってこう声をかけた。
「最近、何か問題はないの」
大阪高検検事長は、「おかげ様で何もございません。つつがなくやっております」と答えたところ、すかさず問われている。
「グリコ森永事件はどうですか」
グリコ森永事件へのご下問などまったく想定していなかっただけに、大阪高検検事長はあわてたという。
浦上 え
まえに テープおくっとったから
わしら ほんもの ゆうこと わかるやろ
この手紙 けいさつ え とどけても ええで
グリコ森永と おなじめにあわせたる
あと 半とししたら 森永 つぶれるで
グリコは 6000万 ださんで 6億で はなし ついた
森永は わしら に さかろおたさかい 2億ではなししてる
またさかろおたら 4億や
おまえとこ1億や やすいもんやろ
うらとりひきはけいさつ や マスコミには いわへん
わしら けいさつ よりくち かたい
おまえも 大阪しよう人なら そんとく よおわかるやろ
(略)
けいさつに ばれたら 森永と おなじに なるで
どくいれてもいれんでも
手紙は ちっこい ふうとうにいれて
りょうめんテ—ブ で はってある
(略)
金うけわたし しつばいしたら また れんらくする
けいさつ え は ゆったらあかんで
(略)
わしらに さかろおたら 会社つぶれる
社長・副社長 わだは 殺したる
ハウスのカレーは からいで
せいさん1グラムいれてある
うそおもったら やっきよく いってしようさんぎん こおて
カレーについとる せいさん みず に とかしていれてみ
白うなるで
かい人21面相
「まえにテープ おくっとった」とあるのは、4カ月ほど前に届いた警告状に同封されてい た、江崎勝久の肉声テープである。この警告状は、ハウスほか明治製菓、雪印乳業など食品メーカー 7社に送られたものだ。
勝久の 声のテーブ いっしょ
スーパー わしらの ゆうこと ぜったいに きく
おまえの 会社つぶす の かんたんや
(略)
金は 500万ずつ たばにして
1万円 の ふるいさつ で よおいするんや
白いビニ—ルバッグ2こに 5000万ずついれて
白のワゴンにのってまて 京都市ふしみ区下鳥羽 の
こくどう一号せんの レストランさと ふしみ店 TEL 075 622 5* * で
11月14日水ようごご7じ30分にまて ワゴンに1人のって
レストランに1人おれ
そおむの社員2人 よおい するんや
かんさいの 道路ちづと 京都 長おか
京タカツキ イバラキ せっつ 豊中 宝づか 守口 ひらおか 尼崎の
ちづ 2人に もたせとけ
8じに 江坂のしゅつちょう所
TEL06 384 7 * * * え TELする
わだが TELとれ 手紙あるとこ おしえたる
これ みたら すぐうごけ
草津の パーキングまで 85キロで 走行車せんを はしるんや
バ—キング の しるし みおとさんよう
1人が しっかりみはるんや
草津 の パーキング の ベンチ の こしかけのうらに 手紙はってある
〇印のところや かいてあるとおりに しろ
草津パ—キングのベンチの背もたれの裏に貼ってあった茶封筒の中には、次の指示書が入っていた。
これ みたら すぐ うごけ
なごや の方 え じそく60キロで はしれ
左がわの さくに 30センチX90センチの
白い ぬの みえたら とまれ
白いぬの の 下に あきかんがある
なかの 手紙の とおりに するんや
3か所 5ふん はじめ 10分 かかっても 55分 かからへん
1じかん30分も かからへんで
いま 森永あいて に いそがしい
またれんらくする
けいさつ え ゆうたら どおなるかわかっとるな
かい人21面相(1984年11月17日12時〜18時・生駒郵便局管内から投函)
浦上 え
おまえ ええ社員 もったな
かし 会社の えらいさん え
わしら と おまえら と どっちがわるや おもう
わしら わる や わしらが ゆうとるんやまちがいない
おまえら おまえらの ことわる おもおとらんやろ
ええもんの よおな顔して 世の中 だましとるや ないか
かし さえ うれおつたら 世の中の もん むしばに なっても
いいとおもおように
こどもが むしば なっても かまへんのやろ
あこぎな商売やで バレンタインなんのこっちや
(略)
わかい女が 5人も
10人も チョコレ—卜 おくりおつて
みんな パンパンと おなじや ない かい
わしらこおでん
くいもんの会社
(略)
やることに した
いびるの もおやめや
くいもんの会社いびるの
まだなんぼでもやること
やめても ある
悪党人生 おもろいで
かい人21面相(1985年8月11日8時〜12時・摂津郵便局管内より投函)
この前後、キツネ目の男は、マスコミに6通の挑戦状を出しているが、これまでのように脅 迫している企業名を明かし、騒ぎを大きくしようとしたものではない。いずれも面白おかしく警察を小バカにし、揶揄嘲笑する内容だった。そして3月17日、大阪城の天守閣に置いた次の挑戦状を最後に、水面下に深く潜ってしまい、二度と警察の前には姿を現さなくなった。
かい人21面相 ファンクラブ の みなさん え
もお 一年や
世の中 ふしめ ちゅうもんがたいせつや (略)
マスコミ わしら1しゅう年に
なんかする ゆうとる
やるゆうたら わしらやる せやけどさきのはなしや
それにしても、『グリコ・森永事件』の犯人グループかい人21面相たちは今、どうしているのだろうか?少なくとも、わたしは日本にいるのか? という疑問をもっている。
正確には、事件後、事実上の終結宣言後、その後になっても、犯人グループかい人21面相たちは日本にとどまっていたのだろうか? と。
最近、塩田武士氏の小説『罪の声』(講談社)が大ヒットになった。またそれを受けて、実写映画化までされた。この小説は『グリコ・森永事件』(とはいっても、小説や映画版では『ギン萬(ギンガ・満堂)事件』としてだが)を主題にあつかった物語であった。
だが、小説版は『グリコ・森永事件』を詳しく描写をしているものの、映画版は、小栗旬さんと星野源さんのW主役とはいえ、『グリコ・森永事件』のストーリーを軽く〝なぞる〟だけ。こんなの、『グリコ・森永事件』の全真相では決してない。
ド素人が、少し、調べるだけで、犯人グループかい人21面相(小説・映画では『くら魔天狗』)に肉薄したり、主犯のリーダー格の男と接触したり。犯人が、学生運動の過去があったり。当時のテープの声の男児が、記者会見を開き、事件が明らかになる……
これが、本当なら、とっくに犯人グループかい人21面相は時効前に、逮捕されているだろう。警察の捜査員を馬鹿にしすぎだ。警察は、確かに、過去に、犯人たちに敗れた。
だが、警察機関は「アホ」ではないのだ。警察の捜査力を舐めすぎである。
あの事件を教訓に、鑑識や、捜査の手法が完全に改められて、鑑識は指紋からDNA鑑定から、心理研究やプロファイル、音声研究、等、ほとんどの事件に対応できるようになった。そして、無線も絶対に盗聴できない無線になった。事件を教訓に進化したのだ。
更に、最近はパソコンや携帯・スマホの発展により、事件は『サイバー空間』での捜査まで可能になっている。小説の結末の、比ではない。
当時は、未解決事件になったが、現在、同じようなことをしても、100%完全に警察に捕まるだろう。昔、とは違うのだ。
また、高速道路の下道での、不審者に残された遺留品も、最近は、いきてきている。
まず、乗り捨てられた盗難車の中に、青酸ソーダもあったが、帽子に、〝F(キツネ目の男)〟の髪の毛が一本残っていたという。最新のDNA鑑定では、血液型はおろか、体型や、年齢、出身地、などあらゆることがわかる。
また、元・滋賀県警の鑑識課の間塚孝さんが、遺留品のハンドクリーナーの内部から、EL(エレクトリック・ルミネッセンス)の微量な断片を発見している。いわゆるスマホやパソコンなどにつかわれる〝最新化の産業の糧〟、有機EL、である。このELの捜査もだいぶん進んでいた。3000人を調べ、最後は捜査員二人だけになっていた。だが、工場の可能性まで迫りながら、滋賀での『信楽高原鉄道脱線死傷事故』(死傷者46人)の捜査で、四年遅れたという。
では、犯人グループかい人21面相とはどういう連中であったのだろうか。
まあ、あの小説ではないから、正直、捕まったり、情報の続報でもない限り、わかろう筈もない。だがしかし、私は、犯人グループかい人21面相は、事件後、ほんとうに日本国内にとどまっていたのだろうか? と、思うのである。
これからは、一種の推理となるが聞いて欲しい。
犯人グループかい人21面相は、巷では、一円もせしめなかった、ということになっている。だが、何度も書くが、裏取引で、数千万円単位にしろ、全部で、一億~二億円くらい。株価操作の利益分(当時は、仮名で匿名で、いくらでも銀行口座をつくれた)を合わせれば三億円くらいはせしめた筈である。
それをもって、〝手土産〟として、北朝鮮に船で渡ったのではないか?
犯人の説に、北朝鮮工作員説、宮崎学氏(作家・評論家)犯人説、ヤクザ暴力団関係者説、学生運動指導者リーダー説、株価操作説など、いろいろある。
だが、宮崎学さんが犯人グループなわけはない。そんな当時からの有名人が、犯行に関わっていたらとっくに犯人グループかい人21面相は逮捕されているだろう。
ヤクザの線は捨てきれない。
北朝鮮の工作員ではないだろう。だが、なにかヘイトスピーチのようになるが、犯人グループかい人21面相らは〝在日朝鮮人〟〝被差別部落組織〟の人間だったのではないか?
犯人グループかい人21面相のうち、キツネ目の男を毛利(仮名)としよう。
リーダー格の頭の恐ろしく切れる男は、京都大学中退のインテリヤクザで、青麦(仮名)。
ビデオの巨人軍の野球帽の男は、実行犯三人のうちの一人。
実行犯の中の元・警察関係者の女房の女性(福本ひな子(仮名))。
その子供の女学生(14歳)が、福本奈々美(仮名)。
同じく子供の男児(6歳)が、福本良夫(仮名)。
同じく子供の男児(4歳)が、福本(松田)悪次郎(仮名)で、これが言語障害などの障害児。
これらの、犯人グループかい人21面相のグループは、犯行後、犯行終結宣言後、三億円を〝手土産〟に、独裁国家・北朝鮮に船で渡ったのではないか。
だからこそ、日本の警察・捜査員が必死に探しても、何も見つからなかったのである。
だが、在日朝鮮人一世か二世か知らんが。所詮は在日、である。
北の地で、流暢な朝鮮語を話しているわけもない。片言の朝鮮語であろう。
あの『よど号ハイジャック犯』みたいなものである。
が、北朝鮮に渡航したなら、日本の時効の網の外、ということになる。
法律で、時効中に、国外に出たら、時効のカウントは国内に戻るまでストップするのだ。なら、まだ時効は、『グリコ・森永事件』の時効はおわってはいない。
だが、それで発見されないとしても、例の顔が完全にバレている〝F(キツネ目の男)〟は、粛清されなかったのか? つまり、犯行がばれないように殺されはしなかったのか?
さらに、いうなら、言語障害の男児は、一緒に、北に渡っただろうか?
なによりも、〝足手纏い〟を嫌う北国家に渡航すれば、社会の足手纏い、として、殺されるだろう。だから、言語障害の男児だけは、知り合いの関西地区の松田(仮名)の家に、養子にだされたのではないか? そこで、松田悪次郎となり、現在、狂ったようにある日本のネット掲示板・プラットフォームを〝ネット荒らし〟を繰り返しているのではないのか?
養子に出された。松田(福本)悪次郎(仮名)は、関西地区の松田(仮名)の家族に貰われた。が、養子の手続き後に、軽度の知的障害と、学習障害、発達障害、アスペルガー症候群、精神異常の統合失調症の〝障害のデパート男児〟と、発覚する。
彼は小学生の時から、その容姿の悪さと性格の悪さで、いじめ抜かれ、小学生から不登校になり、中学生でも不登校で、現在も、ずっと引きこもり状態である。高校も大学にも進学しておらず、学歴は中卒で、ニートで童貞であり、軽度の知的障害といえば「小学生低学年の学力」であるから、犯行当時のことなどなにも憶えてもいないんだろう。
ずっと引き籠もりながら、ネット掲示板・プラットフォームを数分おきに、くだらない投稿の連続で荒らしまくっている。これは、彼の魂の叫びではないのか?
……俺はクズだ。はやく、逮捕してくれ、と。
挙げ句の果てに、無辜の他人への誹謗中傷の記事のブログ、まで。
とにかく、犯人グループかい人21面相のうちの、ほとんどが北朝鮮に渡ったのであろうと思われる。
北朝鮮にいるから捕まらないわけである。
だが、逆に、いいのが『よど号ハイジャック犯』のように、時効が成立していない、ということ。だが、独裁政権下の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では、相手が悪い。
彼らの身柄確保は、独裁政権が崩壊しなければ、無理であろう。
だからこそ、難しい。捜査は困難を強いられる。
しかし、希望もある。時効が無効状態になっていることで、犯人グループかい人21面相の逮捕・拘束という、一種のショーを見られるのだ。
戦後最大の未解決事件になった『グリコ・森永事件』……
その事件の解決は、我々の、すぐそこまで迫っているので、ある。
おわり
参考文献
(小説パート)
『キツネ目 グリコ・森永事件全真相』岩瀬達哉著作・(講談社)
『未解決事件グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』NHKスペシャル取材班
(新潮文庫)
『未解決事件File01グリコ・森永事件』(映像)(NHK取材班)DVD
+同タイトル 漫画(コミックス版)漫画・中祥人 構成・星井博文(集英社)
『罪の声』塩田武士著作(講談社)
『警察汚職』読売新聞大阪社会部編(角川書店)
『捜査指揮官―37年間の記録』川畑久廣(朝日ソノラマ)
『取材と報道―新聞編集の基準』日本新聞協会(財団法人日本新聞協会)
『グリコ・森永事件』朝日新聞大阪社会部(朝日文庫)
『グリコ・森永事件「最終報告」真犯人』森下香枝(朝日新聞社)
『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞大阪社会部 朝日新聞社、1985年。
『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』一橋文哉 新潮社〈新潮文庫〉、2000年。
『グリコ森永事件 最重要参考人M』宮崎学、大谷昭宏 幻冬舎〈幻冬舎アウトロー文庫〉、2000年。
『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『産経新聞』(当時の記事1984~1985年全『グリコ・森永事件』記事)
事件について - 事件の年表
江崎グリコ社長誘拐 グリコへの脅迫状 丸大への脅迫状 森永への脅迫状
犯人グループへ最も近づいた一日 不二家への脅迫状
事件の年表捜査資料
1984年
3月18日 江崎グリコ社長誘拐 江崎グリコ社長宅に犯人グループが押し入り、社長を誘拐。
グリコ・森永事件事件の始まり。
3月19日 【1回目のグリコ取引】 取締役宅に電話。
男の声で
「真上北自治会の釜風呂温泉の看板の前の電話BOXを見ろ」
電話BOXの電話帳の間に茶封筒が挟まれていた。
内容は
「人質はあずかった 現金10億と金100㎏よおいしろ」
取締役宅に江崎社長のテープの声で
「茨木のレストラン寿 一人で連絡を待て」
・・・しかし、犯人からの接触はなかった
3月21日 事件から3日目。
監禁されていた水防倉庫から社長が自力脱出。
事件は解決に向かうかと思われたが……。
4月2日 【2回目のグリコ取引】 江崎社長宅に脅迫状。6000万円要求。
4月8日 犯人からメディアへ1回目の挑戦状が届く。
4月10日 グリコ本社などへの連続放火事件発生。
4月12日 警察庁が一連の事件を広域重要114号事件に指定。
4月22日 【3回目のグリコ取引】 グリコ監査役宅に脅迫状。
1億2千万円を要求
「24夜、レストラン ダンヒルに金もって待っとれ カローラでこい」
4月23日 犯人からメディアへの2回目の挑戦状届く。
4月24日 グリコ監査役宅に犯人から電話。
女の声を吹き込んだテープで
「名神高速道路を85キロで吹田SAへ走れ」。
この指示書で吹田SA、国鉄高槻駅へ動かされるが、犯人現れず捜査網を解く
5月10日 犯人からの3回目の挑戦状。
グリコ製品に青酸を入れたとほのめかす内容を新聞に掲載したことで、店頭からグリコの商品が次々と撤去される。
工場はストップ。
数十億円という損害が生じた。
5月20日 【4回目のグリコ取引】 長岡香料にグリコ宛脅迫状。
「3億出せ。応じるなら車3台並べろ」
同日夕方、長岡香料に連絡。
「3億出せば脅迫やめる。
5月26日夜ロッテリア茨木穂積店へ持参せよ」
5月25日 グリコ、長岡香料宛脅迫状
「26日夜TELする。赤い車用意しとけ」
5月26日 グリコ、裏取引に応じロッテリア茨木穂積店に3億円持参したが、犯人からの接触なし。
5月30日 【5回目のグリコ取引】 長岡香料にまた脅迫状。
「6月2日午後8時から8時半の間に摂津大同門に3億積んだ白カローラ置け」
6月2日 犯人グループから指示された現金受け渡し場所に、捜査班が急襲。 犯人を確保するが、その男性は、犯行グループに交際相手の女性を人質にとられた替え玉だった。
毎日新聞「犯人逮捕」の誤報を打つ。
6月22日 【1回目の丸大取引】 丸大本社に脅迫状。
「グリコと同じ目にあいたくなかったら5千万円を用意しろ」
6月24日 グリコは、新聞朝刊に
「ともこちゃん、ありがとう。グリコは、がんばります」
の広告を掲載。
6月26日 「グリコゆるしたる」
と犯人からの犯行集結宣言がメディアに届く。
6月28日 丸大、犯人からの指示通り5千万円を用意し高槻駅へ向かう。
現金受け渡し現場を張り込む捜査班は電車内で「キツネ目の男」と遭遇。
京都駅の雑踏の中でその姿を見失う。
6月29日 捜査員、丸大取引の際の「キツネ目の男」を似顔絵にする。
捜査の極秘資料に。
7月3日 【2回目の丸大取引】 丸大にまた脅迫状。
「7月6日午後8時茨木市内のレストランで待て。4日5日に広告出せ」
7月6日 指示された現金引渡し場所に捜査員張り込むが犯人現れず、警戒体制を解除。
7月11日 丸大本社に脅迫状。
「おまえら なに かんがえてんねん 今度は1億円にする」
7月12日 このころハウスなど7社に脅迫状。
「用あれば勝久のテープ送る…にせもんに金はろたらあかんで」
7月23日 ジャスコなど4社に脅迫状。
9月12日 【1回目の森永取引】 森永製菓に犯人からの脅迫状が届く。
青酸固形、テープ、毒入り製品入り
「1億出せ、応じなければ毒入り店頭に」
9月18日 現金引渡し現場で森永社員に扮した捜査員、1億円持ち待機するが、犯人現れず警戒解く。
9月20日 毎日新聞「森永製菓へ脅迫状」をスクープ。
9月24日 犯人からの挑戦状。森永製菓脅迫を暴露。
10月8日 犯人からの7通目の挑戦状。
青酸入りの菓子をばらまくという内容。
コンビニエンスストアなど4府県16ヵ所で青酸入り森永ドロップ発見。
これ以降、流通業界は森永製菓の商品の撤去を開始。
株価も大暴落。
損害額は70億円にものぼった。 高島屋、阪急、大丸など27社に脅迫状。
10月9日 NHK大阪に挑戦状とともに毒入り森永届く。
郵送の菓子は10月22日迄に計5個。
10月11日 脅迫に利用されたテープの声を公開。
女の声は4月24日夜、グリコ監査役宅にかかったきたもの。
子供の声は9月18日夜、森永製菓関西本部にかかってきたもの。
10月15日 警察は青酸入りの菓子が見つかったコンビニの防犯カメラに写っていた男の映像を公開。
商品棚の前で怪しい動きをする野球帽の男。
10月25日 大阪府警で、警察と在阪社会部長会との懇談会。
報道協定の打診。
11月1日 【2回目の森永取引その1】 森永製菓に脅迫状。2億円要求。
毎日の広告で返事をと指示。
11月6日 毎日朝刊(東京、大阪本社発行版)尋ね人広告
「二郎へ 悪友いなくなった」で森永、犯人に返事。
11月7日 【1回目のハウス取引】 ハウス食品工業総務部長宅に脅迫状投げ込まれる。
14日に1億円要求。
11月13日 報道協定、本協定締結。
挑戦状、東京の報道機関に。
7月丸大脅迫暴露。
9月18日森永も言及。
11月14日 【犯人グループに最も近づいた一日】
18:10現金輸送車、ハウス本社を出発。
19:25現金輸送車を「さと」駐車場にとめる。
20:21ハウス北大阪出張所に電話。
子供のテープの声で
「バス停城南宮のベンチの腰掛けの裏」
20:31現金輸送車「さと」を出発。
20:36城南宮バス停に到着。
「大津サービスエリア」への指示書発見。
20:40現金輸送車、城南宮バス停を出発。
20:57大津サービスエリア着。
高速道路周辺案内図板の裏に指示書。
「草津PAベンチ裏」
「キツネ目の男」、大津サービスエリアに姿現す。
※大津サービスエリアで再び「キツネ目の男」と再び遭遇した捜査班。
しかし「職務質問はするな」との上層部からの指示で、またもや取り逃がしてしまう。
21:03現金輸送車、大津サービスエリアを出発。
21:18滋賀県警のパトカー、
栗東町川辺の県道で不審なライトバンを発見。
21:20草津パーキングエリア着。ベンチ裏で指示書発見。
「名古屋の方え60キロで走れ。白布の下に空缶」
21:23現金輸送車、草津パーキングエリアを出発。
21:24滋賀県警のパトカー、ライトバンを見失う。
21:25乗り捨てられたライトバン発見。
21:45現金輸送車、白布の地点に到着。
22:05滋賀県警、不審ライトバン逃走事件を知るが、白布の位置を誤認していたため無関係と判断。
22:20空缶未発見のまま、捜査打ち切りの指示。
「不審ライトバン逃走」の情報、滋賀県警から大阪府警総合対策室に。
「無関係と思われるが参考までに」
22:30現金輸送車、白布の地点離れる。
翌0:00
過ぎ滋賀県警、記者クラブで「ライトバンから無線機。
114と関係ありそう」
※結局、犯人は現金受け渡し場所に現れなかったが、警察はすぐ近くに停車していた不審な車両を取り逃がす大失態を犯していた。
車内には警察無線を傍受する機器などが残されていた。
犯人逮捕にいちばん近づきながら、事件を解決できなかった“世紀の大失態”の模様は、「報道協定」で記者クラブに集められた各社メディアに「ライブ」で伝えられる皮肉な結果となった。
11月19日 【2回目の森永取引その2】 森永へ脅迫状。求人広告要求。「2億やで」
ハウスに脅迫状。システム管理課長宅に郵送。
「ええ社員持ってる 森永相手に忙しい」
11月30日 【2回目の森永取引その3】 森永製菓に脅迫状。4度目の広告掲載を要求。
12月1日 大阪府警、記者会見で森永製菓への脅迫状を公表。
12月7日 【1回目の不二家取引】 不二家に脅迫状が届く。テープ、青酸同封。
「同じ目にあいたくなければ1億出せ」
12月10日 在阪社会・報道部長会、午後までに協議の上、夕方5時をもって報道協定解除と決める。
12月17日 【2回目の不二家取引】 不二家宛第2の脅迫状。
「12月23日、梅田の阪神百貨店屋上から2千万円ばらまけ」
12月28日 【3回目の不二家取引】 不二家へ第3の脅迫状。
「1月5日の日曜日に池袋のビルから2千万ばらまけ」
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1985年
1月10日 「キツネ目の男」の似顔絵を公開。
1月12日 各社、「不二家脅迫」を報道。
1月26日 ハウス再脅迫
「今度は2億円、1月28日名古屋支店にTELする」
2月2日 ハウスにまた脅迫状
「へたな さいくするな しばらくやすむ」
2月6日 グリコ再脅迫。「約束の6億出せ」
2月12日 東京と名古屋でチョコばらまかれる。
2月13日までに12ヵ所13個。うち8個から青酸ソーダ検出。
2月27日 犯人からの挑戦状。
「森永 ゆるしたろ…おもろい こと かんがえとるんや」
3月6日 駿河屋に5千万円要求の脅迫状が届く。
8月7日 滋賀県警の山本本部長が焼身自殺。
8月12日 犯人からの脅迫状。
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」
と犯人側から集結宣言が届く。
2000年
2月12日 グリコ・森永事件の完全時効が成立。
キツネ目の男 グリコ森永事件の最期の真実 長尾景虎 @garyou999
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