猫とヒヨコの恋心
山広 悠
猫とヒヨコの恋心
部活帰りの電車の中。
如月(きさらぎ)祐樹(ゆうき)は見るともなく外の景色を眺めていた。
空をオレンジ色に綺麗に染め上げていた夕焼けが終わり、夕闇が迫ってくる。
そんな時間帯だった。
電車がトンネルに入り、一瞬窓が真っ暗になる。
電車の中と外が入れ替わるような感覚。
その時、祐樹は窓に映る一人の女子生徒に気がついた。
そして。
その娘と目が合った。
どこの学校だろう。
この辺では見かけない制服だ。
ベージュのブレザー。
ちょっとレトロでおしゃれな制服。
それにしても。
可愛い……。
今大人気のあのアイドルグループのセンターの娘のように、ちょっとツンとした表情がたまらない。
薄汚れた窓を介しても、透き通るような肌の白さと、滑らかで綺麗な黒髪が分かる。
あれ?
でも、そんな娘、この電車に乗っていたっけ。
目が合うということは、祐樹の後方に立って、同じ方向を向いている、ということになる。
不思議に思いつつ、じっとその娘を見つめていると、少し怪訝そうな顔をされた。
いけない。ヤバい奴だと思われる。
祐樹は慌てて目をそらすと、鞄からスマホを取り出した。
長いトンネルを抜けたところで、大して見てもいないスマホから目を上げる。
線路沿いの建物の明るい光のせいか、窓には先ほどの少女は映っていなかった。
海が見えてきた。
日没直後の海は昼とはまた違った表情を見せる。
全てをのみ込むような、全てを許してくれるような。
やっぱり海はいい。
後ろの娘も海を見ているのかな。
見ているならどんな表情をしているのかな。
できれば俺と同じく、海が好きだといいな。
気になった祐樹は、チラッと横目で少女を確認してみた。
あれ? いない。
俺がスマホを見ている間に違う車両に移動したのか。
変な奴だと思われて、嫌われていなきゃいいけど。
でも。
まあ、いいか。関係ないや。
祐樹は絶え間なくやんわりと打ち付ける濃いブルーの波を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
その二週間後。
サッカー部の新しいフォーメーション練習でまた少し帰りが遅くなった祐樹は、この前少女と出会った、同じ時間帯の同じ電車に偶然乗っていた。
少女にはあれ以来、一度も出会っていない。
元々通勤ラッシュとは無縁の土地柄であることに加え、一般の流れとは反対に都市部へ向かうこの時間帯の車内はガラガラだった。
空席もかなりあるが、二か月後に迫った県予選に向けて筋トレ中の祐樹は、あえてつり革も持たずに、立って窓の外を眺めていた。
例の長いトンネルに差し掛かる。
ゴーッという大きな音をたて、電車がトンネルに入ると、いつものように窓が一瞬真っ暗になる。
いた。
あの少女が窓に映っている。
以前と同じく、こちらをじっと見つめている。
前回ツンと澄ましているように見えた顔は、よく見ると、涙をこらえているような、寂しさを我慢しているような表情だった。
祐樹はサッと後ろを振り返った。
誰もいない。
でも、顔を戻すと、窓には間違いなく少女が映っている。
どういうことだ。
まさか。幽霊。
いくらタイプの娘とはいえ、さすがに少し怖い。
逃げようか。
一瞬そんなことも頭をよぎったが、それにもまして、少女の寂しげな表情が気になった。
よし。決めた。
祐樹は今回は目をそらさずに、少女に小声で話しかけた。
「君は、誰?」
「……」
何か答えているのだろうか。
少女の口が動いているのは分かるが、声は聞こえてこない。まるで無声映画のようだ。
少女はなんだかもどかしそうだ。
「君の声はこちらには届かないの?」
少女は頷く。
「そうか……」
どうすれば。
考えているうちに電車はトンネルを抜けた。
と、同時に少女も消えてしまった。
それからは毎日その電車に乗った。
少女はやはりこの時間の、このトンネルの中にいる時だけ現れる。
筆談、手話、果ては怪しいサイトに書いてあったテレパシーや憑依方法まで、ありとあらゆるコミュニケーション方法を試してみたが、どれも上手くはいかなかった。
激しい徒労感。
誰にも相談できないのがつらい。
唯一の救いは、祐樹の必死さが伝わった少女の表情が、次第に明るくなってきたことくらいだ。
一ヵ月近く色々やってみたが、打開策は見つからなかった。
もう、仕方ないかな。
これ以上続けるのはさすがに無理だ。
大会が近づくにつれ、部活との調整が困難になってきたことに加えて、いつも窓に向かって一人ぶつぶつ呟いている祐樹は、同じ車両に乗り合わせている人たちから奇異な目で見られるようになっていたのである。
よし。話しかけるのは今日で最後にしよう。
そう心に決めると、祐樹は少女に最後の質問を投げかけた。
「ねえ、スマホを通して会話ができると助かるんだけど。そんなの無理だよね」
ダメで元々の賭けだった。
すると。
祐樹のスマホが勝手に起動して、知らないアプリがいきなりインストールされ始めた。
「な、なんだよ。これ!」
いくらボタンを押してもインストールは止まらない。
しばらくすると。
画面に小さなトサカの生えた太ったヒヨコのキャラクターが現れた。
「やっとお話しができますね!」
キャラクターの吹き出しにメッセージが現れる。
「こ、これって、君のアバター?」
祐樹は少しどもりながら少女に問いかけた。
「そう! やっと解放してもらえた! あなたは恩人です。ありがとうございます‼」
窓に映る少女は満面の笑みを浮かべている。
でも、なんで?
スマホにまた目を落とす。
「このアプリはスマホの持ち主が心底希望しないとインストールされないんです」
画面のヒヨコが頭を下げながらそう言う。
「私は基本的にはトンネルの中にしかいられないから……。でも、これからはこのアプリを立ち上げてくれれば、トンネルの外でもお話しができますよ」
ヒヨコがふんぞり返りながらそう喋る。
「そうか。さっき俺の方からスマホを介したコミュニケーションを希望したから、このアプリがインストールされたんだね!」
念願のコミュニケーション手段が入手でき、テンションが上がって思わず声が大きくなっていたことに気付いた祐樹は、恐る恐る周囲を見回した。
やはり数人の乗客が顔をしかめながらこっちを睨んでいる。
でも、目が合うと、皆一斉に顔を背ける。
これはヤバいぞ。完全にイタい奴じゃん。
下手すると通報されちゃうかも。
祐樹は慌てて口を噤んだ。
「そうか。こちらの言いたいことも画面に入力すればいいんだ。よっしゃ。これからは変な目で見られることも無くなるぞ」
祐樹はそう呟くと、早速自分のアバター作成ボタンを押した。
数秒後、祐樹のアバターが自動的に完成した。
ガリガリひょろひょろの猫……。
それを見た太ったヒヨコが盛大に吹き出す。
まあ、いいや。
気を取り直して、自己紹介を始める。
「俺は如月祐樹。神条(しんじょう)中学の3年です」
「私は桜木(さくらぎ)百花(ももか)。よろしくね」
アバター同士もガッチリ握手をする。
祐樹と百花の不思議な関係が始まった。
多少人見知りの気がある祐樹も、アバターでなら気軽に話すことができた。
そのおかげで、百花とは時を待たずになんでも話せる仲になった。
実際にアイドルをやっていた百花は、売り出し中の高校一年生の時に、あのトンネルの中で亡くなってしまったのだという。
ちょうどメディア露出も増え、ビルの屋上なんかにも大きな看板が出ていた頃だったらしい。
亡くなった時は、
「小さいけど新聞にも記事が載ったんだ」と、寂しそうに笑いながら教えてくれた。
さすがに死因までは聞けなかったが、不慮の事故で地縛霊化してしまったのかもしれない。
「でもね。このアプリの上段にある幸せゲージが満タンになると、人間に戻れるらしいの。だから」
祐樹に協力してほしい、とのことだった。
幽霊でも、アバターでも、こんな可愛い娘とたとえ真似事でもお付き合いができるなんて、彼女いない歴十五年の祐樹には願ってもない話だった。
「仕方ない。協力してやるか」
にやけそうになるのを必死にこらえて、祐樹はヒゲをピンと伸ばしたひょろひょろ猫にそう言わせた。
太ったヒヨコが踊りながら「サンキュー!」と答えた。
「でも、どうすれば幸せゲージは上がっていくの?」
今にも死にそうなガリガリひょろひょろ猫がそう尋ねると、
「私が『あ~幸せだな~』って思えることをしてくれればいいの。で、その画像か写真をアップしてくれれば、このヒヨコちゃんがその世界を追体験して、幸せ度合が評価されるの」
と、デブヒヨコが小馬鹿にしたような顔で、上から目線で答える。
「ふ~ん。そうなんだ……。ところで、このヒヨコ、なんか超エラそうなんだけど……」
「ごめんね。このアプリのアバターは作成者の性格が反映していて、その性格をベースに自分で勝手に動くから、セリフと動きが一致しないことがたまにあるのよ。例えば、ごめんなさいと言いながら爆笑したりとかね」
「え、てことは、俺の本当の性格はこんなにしょぼいのか……。それに、君は本当はこんなに高飛車なの?」
「失礼ね。高飛車のつもりはないけど、生前はアイドルだったからね……。ちやほやされることは多かったかな」
「そうか。お互い早く普通の姿と動きになれるといいね」
死にそうな猫が震えながらそう言った。
「そうね。頑張ろうね」
ヒヨコは猫をバックドロップしながらそう答えた。
二人と二匹は幸せゲージを貯めるべく、行動を開始した。
まずは、女子の幸せの代名詞「スイーツ」。
祐樹は地元の有名店に行って行列に並んで、一番人気のケーキを購入した。
しかし、これは大失敗だった。
スイーツは見た目は可愛いが、結局食べるのは祐樹なので、お預けを喰らった百花のストレスが一挙に溜まってしまい、ゲージが大幅に下がってしまったのだ。
ショッピングも、アロマテラピーも、遊園地も実際に百花が体感できるわけではない為、ゲージは下がる一方だった。
思った以上に難しい。
綺麗な夜景や映画を見に行った時は多少上がったものの、満タンになるにはほど遠い。
最後の希望。大好きな海。
穏やかで綺麗な波を見に行くつもりが、その日は台風が近づいてきていて、大荒れ。
またしても撃沈した。
祐樹も百花も焦ってきた。
それに呼応するかのように、ヒヨコの傍若無人ぶりはますます激しくなり、猫はますますやせ細って、今では線のような体になってしまっていた。
いかん。
このままじゃ、猫がもたない。
幸せゲージに連動して、アバターのHP(ヒットポイント)も増減するように設定されているため、HPが0になったら強制終了されてしまうらしいのだ。
「早くなんとかしないと」
焦れば焦るほど、空回りしてしまう。
その後も一向に成果が出せず、失敗を繰り返すうちに、気付けば線ネコのHPはほぼ0になっていた。今では虫の息になっている。
「こんな形で終わるなんて……」
「仕方ないよ。祐樹君はよくやってくれたよ」
「ごめん百花さん。本当は超幸せにしてあげて、人間に戻してあげて、俺の好きな本なんかも教えてあげたかったんだけど」
「ありがとう。祐樹君のことは忘れないよ」
「でも、またあの電車に乗れば会えるよね」
「残念だけど、一度失敗すると二度目はないの……」
「そんな……」
いよいよ最後の時が近づいてきた。
線ネコのカウントダウンが始まる。
9、8、7、6・・。
デブヒヨコも心配そうに線ネコを覗き込んでいる。
その時。
最後の力を振り絞った線ネコが、いきなり立ち上がって叫んだ。
「百花さん! 俺は、俺は、これからも、ずっとずっとあなたのファンです! たとえ皆が忘れても、あなたがどんなに高飛車でも、俺だけはずっとずっとファンでい続けます!」
そう叫ぶと、線ネコはそのまま倒れて、事切れた。
デブヒヨコが大声で泣き出す。
そして。
泣きながら線ネコと一緒に消えていった。
ゲームオーバー。
無情な文字がスマホに現れる。
数秒後、アプリが自動消去された。
祐樹はガックリとうなだれた。
これで百花とは二度と会えなくなってしまった。
覚えず一筋の涙が頬を伝う。
今さらながら、百花に恋心を抱いていた自分に気付く。
さようなら。百花さん。
祐樹はその場にうずくまった。
一時間以上はそうしていただろうか。
放心状態となっていた祐樹は、スマホのバイブで我に返った。
バッテリーが切れそうなのかな……。
焦点の定まらない目で画面を覗く。
「!」
そこには。
なんと、あのアプリが復活しているではないか。
慌ててアプリを立ち上げる。
立ち上げた画面には、鳳凰(ほうおう)となったデブヒヨコと、白虎(びゃっこ)となった線ネコが仲良く並んで正座していた。
どちらも昔の面影を残した、カッコいいけど可愛いらしい、そんなキャラクターになっていた。
「えっ。なんで」
祐樹は白虎を通して百花に問いかけた。
「線ネコ君の最後の言葉を噛みしめているうちに、じわじわと嬉しくなってきてね。それで、幸せゲージが徐々に溜まっていって、最後には満タンになったの。やっぱりアイドルだからね。真剣にファンですって言ってもらえると弱いのかな」
鳳凰が笑いながらそう答える。
「でも、ゲームオーバーって」
「うん。一旦前のゲームは終了。これからは人間に戻った際のシュミレーションゲームなの。このゲームでは、アバターが十個ほどお題を出してくるけど、基本的にはアバターの動きに合わせて私たちも同じことをしていけばいいだけだから簡単よ」
「でもどうやって? 君はアプリから出られないんじゃないの?」
「それがね。最終段階のシュミレーションなので、アバターが何か行動をした後のちょっとの間だけ、なんと人間の姿に戻れるらしいのよ」
「えっ、すごい!」
「すごいでしょ! でね、私が人間の姿に戻っている間に、彼らがやった動きを実際に二人で真似するの。そして全てのお題をクリアすると、晴れて完全な生身の人間になれるってわけ」
「て、ことは……」
「これからもよろしくね。私の永遠のファンさん」
百花の言葉が終わるや否や、鳳凰と白虎が立ち上がった。
そして、お互いをぎゅ~っと、力いっぱい抱きしめた。
【了】
猫とヒヨコの恋心 山広 悠 @hashiruhito96
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