第4話 愛は絶望の果てに


「起きて……起きてくださいヨシュアさん……」



 意識を失っていた俺は、どこかで聞いた声で目を覚ました。朧げで重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた瞬間、目ん玉が飛び出すような衝撃を受ける。


 だっ! だだっだっだ大聖女様?!


 俺の頭を膝に乗せた彼女は間違いない、俺に嫌味な能力を授けた大聖女、メルフィラ様だ。美しく輝く銀髪と大きくぱっちりとした瞳。そして緩やかな曲線を描く、お手ごろサイズのおっぱい。


 そんな、けしからんおっぱい大聖女が。


 俺の頭をよしよしと愛でるかのように撫でていたのだ。


 直感的に、「あ、これは夢だ。でなければ天国かも」と思った。そう、俺は夢の中にいるのだ。でなければ大聖女様が俺の前に突然現れるはずなんてないのだ。


 夢と分かれば恐れることなんてない。


 目の前におっぱいがあるなら触るしかない。


 そう……俺は女性にみだりに触れることなかれ、といった聖騎士道大原則を守る必要は既に無いのだ。


 だってクビにされたのだから。神々しき聖なるおっぱいに触れられるなんて光栄です、ありがとうございます。


 俺、聖騎士はクビになりましたけど今からあなたの性騎士に転職したいと思います。


 ゲスい? 知ったことか。


「だ、大聖女様ぁああああっ」

「きゃっ、いやっ! んもぅヨシュアさんたらっ!! そそそ、そーゆーのはキュンキュンするほど、清らかなお付き合いしてからじゃないと、ぜったいにイヤあああああッッ」


 バチコォオオン!!!!


 と、大聖女様をガバショと押し倒そうとすると、彼女から強烈なビンタを喰らい──俺は、はっと目が覚める。


「はっ!!」


 ……………………。


「……いてて。はぁ、夢、だったか……」


 傷ついた身体を起こしてため息をひとつ吐くと、俺はあたりを見回した。ミリエラの斬撃を受けた衝撃から、無造作に転がっている俺の剣。


 そしてぼろぼろになった俺の聖騎士のホワイトコート。ぽたぽたと額から滴り落ちる鮮血。


 拭った血を見て、俺は呟いた。


「クビになったのは……夢じゃなかったのかよ……」


 肩をガクリと落とし、現実が容赦なく突き刺さるのを感じながら。



   ◇



 俺は怪我をしている身体を引きずりながら、ふらふらと家に帰った。


 ぼろぼろになったホワイトコートを引きちぎり、頭にグルグル巻いて応急処置をした、なんとも情け無い姿を世間に晒しながら。


 俺は聖騎士のくせに回復魔法は使えないし、回復薬すらも持ち合わせていなかったのだ。


 あぁ、ほんとどうしたらいいんだ。こんな姿を見たら彼女はなんて言うだろうか?


 おまけに無職になってしまったことをどう告げればいいのやら。


 街の大通りからひとつ離れた路地を抜け、小さな我が家の前で立ち止まると、木製のドアの取手を握る。


 このドアを開ければ俺のスイートハニーのアリシアがいる。付き合って半年ほど経っただろうか、今日は彼女が我が家に遊びに来る日だった。


 未だに手すら握らせてはくれない純情可憐な女性だけど、時折見せてくれる笑顔が俺の心の支えだった。


 ……笑顔になる日はなぜか、月末の俺の給料日だったけど。


 勇気を振り絞ってドアを開けて中に入ると、ソファーでくつろぐ彼女が目に入る。


 長く艶つややかな亜麻色の髪、切れ長の眼と高く通った鼻でその整った顔立ちは、気品のある凛々しさを感じさせる。


 そう、彼女は貴族の娘なのだ。


 俺は彼女の前に立つと、謝罪の言葉を口にした。


「アリシア……本当にすまない!! 俺、聖騎士クビになってしまった……っ! 無職になったけど、どうか許してほしいッ」


 涙を浮かべ、ほとんど土下座する勢いで頭を下げる。


 しかし、彼女の返答は思いもよらぬもので。


「はぁ?! ちょっとふざけないでよ!! あんたが『俺は聖騎士で高収入』とか言ってたから、この私があんたみたいな下民と付き合ってやったってのに!!」


 彼女の冷徹に罵る声が耳へと届く。睨みを効かせたその凄みに俺は小さく汗をかいた。


「ア、アリシアな、何を言いだすんだ! お、俺のことをあんなに好きだと言ってくれたじゃないか! はっ! まさか君は魔族にいつの間にか呪いをかけられて……!?」


「バッカじゃないの? 何を寝ぼけたこと言ってるのよ。呪いなんてかけられてないし、私が好きだったのはあんたの稼ぎ、つまりお金よッッッ」


「そ、そんな!」


「だいたいねえ、付き合ってキスも男女の営みも無い、手を繋ぐことすら拒否されていたことをおかしいとは思わないの?! おめでたいにも程があるわよ! それに、あんたみたいな童貞がこの貴族の私をどうにかしようだなんて、思い上がりも甚だしいのよこのボンクラがッッ」


 ボンクラって今日二回も言われた。今日一日でいろいろなことが起きすぎるていて、頭が混乱してしまう。っつーか実は俺はまだ目を覚ましていなくて、目の前にいるアリシアも夢なんじゃないだろうか?


 なぜならアリシアの美しい顔は歪み、悪鬼のごとき眼差しだ。両手を腰に当ててくの字になって俺を見る彼女のなんと恐ろしいことか。


 一変したアリシアの様子。


 それはまさに、ミリエラからクビを宣告された上に攻撃され、嵐のように雪が吹雪く俺のハートにさらなる凍てつく波動をお見舞いされた気分だった。


 ただ。


 アリシアと付き合って、俺はなんとなく心に引っかかっていたんだ。


 たしかに彼女らしい振る舞いを表ではしていたけれど、手を繋ぐことも身体を重ねたこともない。


 なんなら料理も洗濯もしてくれたことがない。


 でも……いつかは、いつの日かきっと、そう思っていたんだ。


 しかし、現実は非情だ。アリシアは不快そうに、蔑むばかり。


「ま、ここらが潮時ってことでしょうね。聖騎士でもなけりゃ、高収入でもないアンタみたいな男と一緒にいる理由なんてないし? それに童貞でなんの取り柄もないアンタと同じ空気を吸うだなんて吐き気がするし? さよならね、ヨシュア」


「ま、待ってくれ、アリシア!」


 無職になったことを告げた途端に、拒否感を現した彼女はくるりと背を向けた。


 金品やアクセサリ、貴重品の入った小洒落た棚に手を伸ばした彼女に向けて、俺は悲痛な声を上げる。


「ウソだろう?! 頼む、ウソだと言ってくれ!」

「うるさいわね! 黙んなさいよ、この童貞で無職の下民がッ!」


 だが、そんな俺の願いをアリシアは不快そうな一喝で跳ね除け、憎悪混じりの怒声を上げた。


「この私と少しでも一緒にいられたことを神に感謝するのね! なぜなら、あんたが逆立ちしたって付き合うことのできない、高貴な私といられたことは奇跡なんだから。ま、アンタみたいな甲斐性無しの童貞と過ごしたのは私の汚点だけどねッ!」


「そ、そんな! アリシア待っ──」


 呼び止めに応じるわけもなく、バタン! と過剰に大きな音を立てて木製のドアを閉めてアリシアは出て行った。


 が、そのまま立ち去ったのかと思った瞬間、ドアを少し開けてアリシアが顔を少しだけ覗かせて言う。


「あ、そうそう。ところでアンタの貯金はぜんぶ私の口座に移し替えてあるの。これは手切れ金としてありがた〜〜く戴いておくわね? そうそう、万が一アンタが聖騎士以上の職について、お金持ちになったらまた付き合ってあげるのも考えてよくってよ? あはははは!」


 まあ無理だろうけどね! と、最後の捨て台詞を放ち、今度こそアリシアは出ていったのだった。


 俺はガクリと膝から崩れ落ちてしまう。


 なんて最悪な一日なんだ。


 悔しさと惨めさが俺を包み込む。


 それに童貞童貞って言いすぎじゃないか。


 俺は男としてのプライドをズタズタに切り裂かれ、人としての尊厳も踏みにじられて猛烈に吐きそうだった。


 神よ、一体俺が何か悪いことをしたんでしょうか?


 聖騎士だというのに、たまにエッチな本を読んでたからこのような仕打ちをお与えになられたのですか?


 ぽろり、ぽろりと涙が頬を伝う。


 そうさ、ミリエラやアリシアみたいに冷血で非情な女性としか出会いがなくて、それでいてイミフな〝聖なる◯◯◯〟という能力しか持たない俺に、明るい未来なんてないんだ。


 と、絶望に打ちひしがれる俺だったが──


 神が俺を見捨てるだなんてことはなかったことに気がつくのはもう少し先のことだった。

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