第3話

 彼女の遺体が発見された現場にはまだ何人か警察関係者が残っていたものの非常線は解除されていた。残っている警察関係者もやがて署に帰って報告書の波にのまれることになるだろう。

「やっぱりおかしいな。いつもより警察が撤退するのが早すぎる」

「そうなんですか? あとなんで携帯耳に当ててるんですか?」

「一人で会話してる不審者に見られたくないから」


 彼は残っている警察関係者の中に見知った顔を見つけた。

「おおー俊ちゃん」

「お、また厄介な奴が来たよ」

 彼が声をかけた赤島俊作は彼と同じ大学を卒業した学友である。警察と探偵という異なった道に進んだもののいまだに交流があり、たまに未解決になりそうな事件の解決を依頼してくる人物の一人だ。

 ちなみに彼は大学のミステリー研究会では伝説的存在となっている。

「なんか女性が死体で見つかったんだって?」

「ああ。まあでもお前が出る幕はないよ。もう自殺として処理されたからな。足跡も被害者のしかなかったし」

「……そうか」

 彼は現場に残されたという足跡を見てみる。確かにスニーカーの足跡は彼女が首を吊ったであろうブナの木に続いていた。舗装された道からそのブナの生えている緑地までについている足跡は最短距離で歩かれており、意志を持ってそこまで歩いていたことがわかった。

「ちょっとブナの木見ていいか?」

「ああ。いいよ。だが足跡は消すなよ」

 彼はとりあえずブナをよく調べてみた。ロープがかけられたであろう枝は地表から2メートル以上にある。警察はロープが濡れていたことから朝露により枝から滑り落ちたのではないかと推測しているようだ。確かにこれくらいの高さなら後頭部を殴打しても落ちた時の傷に見えるだろう。彼は後ろに立っているマキのほうを振り返り、木のほうを指さす。ブナの木のそばに立てという意味だ。

 彼女の身長は162センチ。ロープがかかっていたであろう枝の高さまで60センチ以上足りない。にもかかわらずどんなに探しても踏み台の跡がなかった。

「ふむ。彼女の身長にしては枝が高すぎるような気がするな。足跡はあっても踏み台の跡はないし、おまけにブナの木だから登りづらいはずなのに……」

「やっぱりお前もそう思うよなあ」

「……やっぱり?」

「ああ。いや俺らもそう思ったんだけどよお。なんか上が自殺で処理しろって行ってきてさ。まあ現実的にそれしかないし、前々から週刊誌で枕だ薬物使用疑惑だって叩かれまくってて動機も十分にあるんだけど、なんだかなあ」

 赤島もおかしいとは思っているようだ。しかし、上から自殺として処理しろと言われた以上、それで処理するしかない。それが被害者や遺族を裏切る行為だと分かっていたとしてもだ。彼は警察のこういった側面が苦手で探偵という道を選んだのである。



 彼は現場からの帰り、友人にお願いして過去の週刊誌を何冊かもらってきた。事務所に帰ってぺらぺらと捲ってみると、確かに枕営業疑惑や薬物使用疑惑などが彼女のプライバシーと共に赤裸々に語られている。

「出身地に出身学校、それに利き手までさらされているな。お前両利きなのか?」

「うん。コンサートとかサイン会の時は右手、プライベートの時は左手を使ってたかな。……あと、あまり見たくないな、その記事」

「わかった。じゃあトイレで読むわ」

 彼はトイレに移動して雑誌を広げた。トイレという空間に移動したからなのか少しリラックスした状態で読み進めることができた。一番古いものは去年の10月から、一番最近のは7月のものだ。かなり長い間粘着されてたと思われ、内容は枕営業疑惑や薬物使用疑惑、他のアイドルグループとの不仲説や有名俳優との交際疑惑など彼の嫌いな低俗で他人のプライバシーを度外視した自分の予想が正しいと子供のように主張する、押しつけがましい記事だった。TVで彼女が紹介した行きつけの店などが載っていたりと妙に生々しいが、彼女本人が載っていないのを見るになかなかガードは固かったのだろう。それを考えたらこの記者の執念はすさまじかったといえる。その執念はほかのどこかに活かせばよかったのにと思う。

 だが、記事の内容はくだらないものだったが巻頭の写真集はなかなかに面白いものだった。

 その写真は彼女の所属していたアイドルグループが財界のお偉い方たちのパーティーに参加したときに撮られた写真のようだ。一枚目にはプロデューサーとそのアイドルグループの人気ランキング2位の女性が写っていた。二人の距離は少し離れており、偶然写ったかのように思わされる。しかしその後の財界のトップ同士が並んで写っている写真では後ろに、見切れるギリギリの小ささではあるが、仲睦まじく話している二人が写っていた。

「ははあ~。これはこれは。一枚目がよそよそしいくらい離れてたのにこれとは。無意識に距離変えてるなこれ。これは、やってますな」 

 ミステリー研究会に所属していた時、教授の不倫をも暴いた男である彼にとって、この二人の距離感から関係性を推理するのは造作もないことだ。しかし、彼の今の反応がゴシップ記者のそれとと同じであることに気が付き、ばつが悪くなってトイレから出た。どんな人間にも野次馬根性があることを彼は知っていたが、どうにもそれを持つ自分というものは好きになれない。


「よし、次はお前の事務所まで話を聞きに行くぞ……って何してるんだお前」

「いやちょっと掃除を」

 彼女は今日の朝、ハムエッグを作ったときに油跳ねで汚れたガスコンロを掃除していた。それも洗剤と布巾を持って手慣れた様子で隅から隅までしっかりとだ。

「でだ、明日事務所まで行くんだけど」

「あ、じゃあ帰りに植物園行ってみたい。今の時期、紫苑が綺麗なんだ」

「分かった。あ、そうだ。それでこの人のことなんだけど」

 彼は例の人気ランキング2位のアイドルの写真を出す。彼女が子供っぽく見えるならこのアイドルは大人っぽく見えた。

「あ! 綾香だ」

「この人、綾香っていうの?」

「うん。私の唯一の親友。私がいろいろ相談したり遊びに誘ったりできる数少ない人」

 その写真を見る彼女は懐かしそうに目を細める。写真とはいえ親友の姿を見た彼女の表情には喜びとそれを超える安心感が広がっていた。その時の彼女は厳しい世界を生き抜いてきたとは思えないほど無邪気で、親友からの手紙を読む一人の女の子のようだった。


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