Op.01 蒼の狭間で②

「そう言えば、キリナさんも異世界から転移してきたんですよね?」


 昼食の時、ミサが思い出したように尋ねてきた。


 彼女の前のトレーには、空揚げ定食と単品の温泉卵に加えて、カリカリに焼いた厚揚げも乗っていた。今日のランチは「援護された方が奢る」という賭けに勝ち、かなり賑やかな内容だ。


 対するキリナは既に二枚のツナサンドを食べ終え、食後のコーヒーを飲んでいた。質素なメニューなのはお金が足りなかったからではなく、午後のブリーフィングで眠くなるのが嫌だったからだ。


「そうだよ。三年くらい前にね」


 キリナは素っ気なく答え、コーヒーカップに口を付ける。まだ少し熱い。


 本来なら守秘義務が課せられているが、この基地においては公然の秘密だった。キリナが所属する民間軍事会社「バッカニア社」では、自分と同じような過去を持つ人間は案外多い。ミサもその一人だ。


「急にそんなこと訊いてきて、どうしたの?」

「いや、昨日『ホーム』にいた頃に仲が良かった子と、久しぶりにチャットで話したんですよ。それで、転移して最初の頃どうだったのかって話になって……」


 キリナやミサのように、異世界から転移してきた子どもたちは「ホーム」もしくは「グループホーム」と呼ばれる施設に入れられる。そこでこの世界に関する知識を学び、社会に順応するための訓練を受けるのだ。


 同年代の子どもたちが集まるため、「ホーム」での交友関係が卒業後も続くことが多い。卒業生同士が繋がるSNSのコミュニティが形成されているとも聞く。もっとも、元の世界にいた頃から人付き合いが苦手なキリナには無縁の話だった。


 味噌汁を一口飲んでから、ミサは同窓生とのやり取りについて語る。


「その子が言うには、最初はここが異世界だと解らなかったと話してました。ここは元の世界とそっくりで、本当に異世界にいるのか疑っていたそうです。キリナさんはどうだったんですか?」

「私も最初は信じられなかったよ。元の世界と少し違う地図を見せられても納得できなくて、戦闘機のコクピットから地上を見下ろして、ようやく受け入れることができた……」

「キリナさんはここが異世界だと確かめたかったからパイロットになったんですか?」

「そうだね。地上を見るだけなら旅客機のパイロットでも良かったけど、少年兵として戦闘機に乗る方がハードルは低かったからこっちを選んだ」


 この世界では戦闘機のパイロットとして少年兵を採用することが合法とされている。大人より体重の軽い少年兵はGへの耐性が高く、優秀なパイロットとして優秀と見なされているのだ。


「やっぱり、みんなそうなんですね。私の友だちはこの世界がこんなにも元の世界に似ていると、余計に恋しくなっちゃうそうです。剣と魔法のファンタジー世界なら割り切ることも簡単だったのかもしれない……そう言ってました」

「似ているからこそ恋しい……そう感じる子もいるんだね」


 ミサの友だちに共感しそうになるのを必死に堪え、キリナは平静を装ってカップに口を付ける。少し冷めたコーヒーはわずかに苦味を強く感じた。


「それでも……それでも、私たちが元の世界に戻る方法は無い。受け入れて生きていくしかないんだよ」


 内心ではキリナもまだ異世界転移の事実を受け入れられていなかった。心の奥に閉じ込めたはずの感情をねじ伏せ、キリナは声を絞り出す。


「人間はいつまでも過去にすがって生きていくことはできない。どれだけ元の世界の思い出が鮮やかでも、忘れなければ前には進めない……」


 にはもう二度と会えない。未熟なキリナの心を包み込み、癒し、守ってくれた女性はこの世界にいない。強くならなければ大人にはなれないのだ。


 キリナはコーヒーカップを空にして立ち上がる。昼食は終わりだ。


 テーブルから離れていくキリナの耳に、周りの物音にかき消されそうなミサの声が届く。


「そんなの、寂しいですよ……」


 彼女の言葉が針となってキリナの胸に刺さる。もう一人のキリナは「そうだね、寂しいね」とミサに同意していた。

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