第3話 Twin Bells

「預かっててくれよ、これ」


 俺はひもにつるされた小さい鈴を差し出した。


「そんでさ、もし――もしだぞ、あの子が死ぬときになって、そのときまだその鈴のことを覚えていたらさ、渡してほしいんだよ」


 俺は真っすぐに目の前の男を見た。


「な、あんたならできるだろ、死神さん」


 白い翼を生やしたその男は俺の手から鈴を受け取った。

 チリンという音が最後に耳に残った。


 ――――――――――


「ははっ、まさか本当にいるとはな。死神『天使』」


 月が照らす屋上。二人の男の影が並んでいる。

 俺は横に座る男をまじまじと見た。

 噂通りの白い翼。間違いない。


「死神界隈、といってもまぁ俺そんなに知り合いいねぇけどさ、結構有名だぜお前」


 隣の天使は微動だにしない。


「白い翼、まるで天使。いつしか本当に死神『天使』だなんて呼ばれ始めた伝説の死神。けど誰もその姿を見たことはない。噂ばかりの謎の存在。でもほら、煙の無いところに火は立たないって言うだろ。やっぱりそうだった」


 俺は天使の顔をちらりと見た。天使はずっと先を見つめるばかりでこちらの話を聞いている様子はない。

 ったくつれねぇな。本当にこいつ死神か?


「お前さ、仕事場で一度も誰とも出会ったことないっていうことだよな。それってさすがにおかしくねぇか。お前仕事してんの?」


 それでも天使は無反応を貫いている。

 これじゃあただの独り言じゃねぇか。

 俺はだんだんイライラしてきた。


「少しはうんとかすんとか喋ったらどうなんだ?」


 すると天使は唐突にこちらを振り返った。突然の行動に体がびくっと震える。そして天使はどこかからスケッチブックを取り出した。すらすらと何かを書き、こちらに向けた。


『仕事はしてる』


 わざわざスケッチブック取り出して言うことか?そんなの喋ったほうが早い――いやもしかしてこいつ――。


「お前、喋れねぇのか」


 俺の言葉に天使はうんと頷いた。

 なるほど、だから筆談で。もしかしてさっきからずっと無視してたのも聞いてなかったんじゃなくて、いちいち返答するのが面倒だっただけか?


「いやお前、それならそうと言ってくれよ。さっきから独り言喋ってるみたいだっただろ。――ああ喋れねぇんじゃ言うのは無理か」


 天使はごめんというように頭を下げた。

 なんだこいつ、意外ととっつきやすいのか。

 俺はもう少し天使に話しかけてみることにした。


「天使さんよ、喋れねぇってことはそれ生きてるときもそうだったのか?」


 天使はこちらをじっと見るばかりで反応しない。


「ああいや悪い。生きてたときのことなんか覚えちゃいねぇよな。死神で生前の記憶があるやつなんて俺、出会ったことないし」


 俺が話す間、天使は全く動かなかった。でも聞いていないわけではないと分かった以上、俺はなんだかこの天使の無表情を解いてみたくなった。

 こいつを反応させるためにはどんな話がいいか。話っていってもできるのは仕事の話ぐらい――あ。


「お前が話せないっていうんだったら、俺が話してもいいか?なに、大した話じゃない。今俺が抱えている仕事の話なんだけどな」


 俺は天使に向かって語り始めた。


「死神ってさ、素直に霊界に行けずに現世で彷徨ってる魂をちゃんと送り届けるのが仕事だろ。だから今から話すのもその魂の一つなんだけどさ。その魂っていうか女の幽霊なんだけど、普通に子供も孫もいて天寿を全うしたばあさんなんだ。ずっとこの世にいたら悪霊になっちゃいますよ、なんて話したんだけど、一向にあの世に行く気配がないんだよ。それで未練は何ですかって言ったらさ、なんて言ったかわかる?」


 案の定天使は動かず、続きを話せと言わんばかりに俺をじっと見つめた。

 ま、返答しないよね。

 諦めて続きを話す。


「そしたらね、昔好きだった男の話を始めたわけよ。まさかの、旦那さんとか子供とかの話じゃなくてね。その男はさ、幼馴染だったらしいんだけど、物心ついたころからずっと一緒だったんだって。でも男は県外の高校に行くとかで、地元を離れなきゃいけなくなった。そんでばあさんは昔からその男が好きだったわけ。けど想いも伝えられてなくてさ、せめて自分とお揃いのものをあげたいって思ったらしい」


 そこまで話して俺は天使をちらっと見た。顔は動かないが少し体が前のめりになっている気がする。

 オッケーちゃんと聞いているな。


「何をあげたかってそれが問題だ。何でも、近くの神社に鈴付きのお守りがあったらしい。それで彼女は男にそのお守りを買って渡したんだと。ただし鈴はお守りに二個ついててさ。ここがミソなんだけど、彼女はその鈴二つをつなぐひもをちぎって、自分が鈴を一つ持つようにしたらしい。もともとつながってた鈴を二人が一つずつ持てば、遠く離れても二人がつながっていられるなんて思ったんだって。ロマンチックだとは思わねぇか」


 天使は石のように動かない。


「あのさ、ちょっとは反応してくれたりしない?」


 天使は動かない。

 まぁいいや。ここからが本題だし。

 俺はめげずに話を続ける。


「ところがこれで終わりじゃねぇんだよ。なんとその男は彼女にお守りを突き返したらしい。これだけ聞けばひどい話だろ。でもそうじゃない。男はお守りを彼女に渡して、自分は代わりにひもだけついた鈴のほうをもらったんだ。男は彼女に『自分がいない間、それにお前を守っていてほしい』なんて言ったんだって。ははっ、かっこつけて」


 そこまで話して俺を声のトーンを一つ下げた。


「だけどさ、その男は県外の高校に行く前に事故で死んじゃったんだと。彼女、ばあさんは、それが自分がお守りを渡さなかったせいじゃないかなんて後悔してるんだって。それでずっとお守りを捨てられずに、幽霊になった今でも握ってる。な、天使さんよ。お前だったらどうやってばあさんの未練を断ち切れる?」


 話が終わっても天使は無表情を貫いたままだった。

 やっぱりだめか。ったくこんなやつに仕事の相談とかするんじゃなかったかな。結局、独り言になっちまった。


 すると天使は急にごそごそし始めた。

 お、もしかして何か書いてくれんのか。

 俺は期待を胸に天使の言葉を待った。


『これはあなたのもの』


 天使の言葉は的外れなものだった。俺の質問とはまるで食い違っている。だが俺は天使のほうを見て固まった。スケッチブックを見ていたのではない。スケッチブックとともに天使が差し出した手を見ていた。手の上のひも付きの鈴を。


 どうしてお前がこれを。

 そう思ったとき、一気に頭の中で何かが弾けたような気がした。

 どうして俺が見知らぬやつに仕事の相談なんてしたのか。

 そもそもどうして普通のばあさんのことが気になったのか。


「はは、なんだ。全部俺のことだったのか」


 ばあさんがずっと忘れられなかった男は俺だった。今思い出した。そうだ。昔から好きだったのに気持ちを伝えられずにいた馬鹿な男も、彼女に先を越されてどうにかかっこつけようとした男も、全部全部俺だったんだ。


「そうか。俺はあのとき事故で死んで、死んだことも理解できずに彷徨って、それでそれから――」


 俺ははっとして天使を見つめた。


「俺は、お前に会った」


 突然現れた天使のような男。

 死神だと知らされて自分が死んだことを悟った。

 そのとき何を考えていたのかよくは覚えていないけど、ただ一つ、確かなのは――。


「鈴、そういえばお前に託したんだったな」


 鈴はなぜか死んだはずの俺の手元に残っていた。だからもし彼女が死ぬときになって、まだ俺のことを覚えていてくれたら渡してほしいって――。

 今考えるとだいぶ身勝手だな。本当に彼女が好きだったのなら、鈴のことなど捨て置いて、早く自分を忘れて幸せになってほしいと言うべきだった。


「あー、本当どうしようもないな俺は。自分だけ都合よく彼女のこと忘れて、今まで生きてきたなんて。いや死神だから生きてはいないんだけど」


 俺は死神に向き直った。


「それ、お前から彼女に渡しておいてくれよ。そんで馬鹿な男のことなんて忘れろってさ」


 しかし死神は首を横に振った。そしてスケッチブックを俺に見せる。


『渡さない』

「は?」

『約束したから』

「約束って。だからお前が――」

『あなたが渡して』


 俺は言葉に詰まった。確かに俺から渡せば、俺が、自分がその男だと告白すれば彼女は成仏できるかもしれない。けど――。


「できねぇよ。俺は彼女を結局ずっと縛っていた。死んでもなお、俺は彼女を苦しめている。そんな俺に彼女に会う資格なんか――」


 死神は俺の言葉を遮るように、スケッチブックを見せつけた。


『できるでしょ、死神さん』


 かつての自分に語り掛けられているようだった。

 ああそうか、もしかしたら俺は、この鈴を渡すためだけに死神になったのかもしれない。

 俺は天使の手から鈴を受け取った。結局俺は二度もこの天使に救われた。


「ありがとな、死神さん」


 死神天使は最後まで表情を変えることなく、その死神を見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る