第2話 『今はまだ――』

 ――DRAGONS FAIRY TALE


 そのタイトルを、僕は知っていた。

 去年の夏頃に大手ゲーム会社から情報が解禁され、それからずっと三葉が発売を楽しみにしていたゲームだ。子供のように目を輝かせながらゲームの内容を話す三葉を、今でもよく覚えている。

 確かジャンルとしてはVRMMORPGに分類され、大まかなあらすじは『龍を神として崇めている剣と魔法の世界で、姿を消してしまった始祖の龍を探すために《貴方プレイヤー》は旅に出る』といった物だった筈だ。


 タイトルもストーリーも知っている。

 だから、僕が訊きたかったのはそんなことではなくて。


「今のは、何でこれを僕に? って意味だったんだけど」


「それこそさっき言ったでしょ? 一緒にゲームをしようってさ」


「……うん。まあ、そうなんだけどさ」


 そうなんだけど、そうじゃない。

 僕が言いたいのは、そもそも前提として問題があるということだ。


「僕、フルダイブゴーグル持ってないんだけど?」


 フルダイブゴーグルどころか、普通のVRゴーグルすら持っていない。

 三葉に誘われない限りゲームをしない上に、最近まで金銭的な余裕がなかった僕には無縁のものだったのだ。


「知ってるよ」


「それなら分かるでしょ? 残念だけど僕は――」


 一緒に遊べない。

 そう続けようとしたら、三葉はとんでもない一言でそれを遮った。


「だから、一台あげる」


「――はい?」


「そのカセットと一緒に、フルダイブゴーグルも一台あげる」


 三葉は先程と同様に、期待した顔でこちらを見ている。その表情はあからさまに「どう? これでできるでしょ?」と言っていた。どうやら、冗談で言っている訳ではないらしい。


 確かに、僕は一緒にゲームをすることを了承した。

 したけれど、これは……


「受け取れないよ? 流石に」


 興味がない訳ではない。

 素直にやってみたいとも思う。

 しかし、受け取ることはできない。


「それ、総額いくら?」


 ゲームに関する知識が浅い僕でも、フルダイブゴーグルの値段が並の高校生の懐事情では買うことができないぐらいに高額だということは知っている。


 確か、DRAGONS FAIRY TALEをプレイするのに必要なモデルは最新型で、少なくとも三十万円はする筈だ。それに加えてゲームカセット。こちらも恐らく一万円〜二万円はするだろう。


 推定総額約三十二万円。


 それだけの物をまるで飴を渡すみたいにあげると言われて、はいそうですかと受け取れる訳がない。


「絶対そこを気にすると思ってた。だけど、そこは心配しなくて良いよ」


 言って、三葉はポケットからスマートホンを取り出し、画面を僕の方に向ける。そこには、とあるSNSアプリで行われたプレゼント企画の画面が映し出されていた。


「DRAGONS FAIRY TALEの発売を記念して、抽選で十名様にフルダイブゴーグルとカセットが当たる、ていう企画だったんだけど……当たってたことに気づかないで買っちゃって」


 三葉は自嘲気味に笑う。


「だから、気兼ねなく受け取ってほしいかな。ほら、ボクも蓮と一緒に遊べる方が嬉しいし」


 自嘲気味な笑いが、少し照れたような甘い微笑みに変わる。思わず勢いで頷いてしまいそうになるけれど……やっぱり、そう簡単に受け取っていい物ではないだろう。


「三葉、気持ちは嬉しいんだけど……」


 申し出を断ろうとすると、三葉はトレイを持って椅子から立ち上がった。


「ごめん。今日はこれから美化委員の活動があるから、先に行くね」


「え? いや、ちょっと!?」


 僕の呼びかけも虚しく、三葉はそそくさと自分の食器を返却口に戻して、食堂から出て行った。

 あまりにも急な出来事に、少しの間呆気に取られる。食堂に設置されている時計を確認すると、昼休みはまだ半分を過ぎた所だった。


「……これ、どうするんだよ」


 僕の手に取り残されたDRAGONS FAIRY TALEのパッケージを見つめる。


 まあ、幸い。ゴーグル本体を受け取った訳ではない。放課後になったら改めて断って、その時一緒にカセットを返せば良いだろう。今はこれを持っている所を教員に見られる方が面倒だ。そう思ってブレザーのポケットにカセットを仕舞うと、ズボンのポケットに入れていた携帯が震えた。


 確認すると、三葉からのメールだった。


『ブツ(ゴーグル)は下駄箱の中へ』


「……」


 はあ、そうか。下駄箱の中に入っているのか。

 ほう、そうなんだ。つまり定価約三十万円前後する精密機械が、僕の靴と一緒に鍵の付いていない小さな空間にぽつんと置かれている訳だ。……かなりシュールな組み合わせだなぁ。


 そんな有り得ないシュチュエーションが実際に成立していることに、頭を抱えた。


 全くもって、笑えない。

 誰も僕の下駄箱にフルダイブゴーグルが入っているなんて思わないだろうけれど、万が一盗難に遭ったらどうするつもりなんだろう。


「前の席、いいかな?」


 そんなことを考えていると、正面からよく知っている低い声が聞こえてきた。

 反射的に携帯の電源を落として顔を上げると、そこには背の高い美男子――瀧川貴久が立っていた。


「どうぞ」


 了承すると、貴久は宣言通り、さっきまで三葉が座っていた椅子に腰を下ろした。


 貴久とは幼稚園からの付き合いで、所謂幼馴染という間柄である。小学校では同じバスケット倶楽部に入っていたこともあって、体育の授業も、昼休みも、放課後も、ずっと一緒に過ごしていた。中学に上がってからは、僕が帰宅部になったことで関わる機会は減ったものの、休日に遊びに行ったり、放課後にご飯を食べに行ったりするぐらいには今でも仲が良い。


 ちなみに、小学校から真面目にバスケに打ち込んできた貴久は、現在では副部長という役職をこなしながら主力メンバーとして活躍していて、先輩や同学年の部員だけでなく、顧問の先生や後輩からの人望も厚いのだとか。

 それに、整った顔立ちと穏やかな性格も相まって、女子生徒からの人気が途轍もなく高い。


 今もこうして貴久が座っているだけで、何人かの女子生徒がこちらの様子をチラチラと窺っている。


「ありがとう。何処も空いていなかったから助かったよ」


 しかし、注目されている当人はそれに気付いているのかいないのか。どちらとも判断のつかない、柔和な笑みを浮かべている。気付いていないのなら鈍感の一言で片付くけれど、気付いている上で普段と同じように生活できているのだとしたら、貴久の精神はきっと鋼よりも頑丈だ。


「あと一人来るんだけど、大丈夫?」


「別に構わないけど、誰が来るの?」


 僕の問いに、貴久は指を差すことで答えた。

 それに従って視線を移すと、そこには特徴的な切れ長の目を持つ男子生徒が立っている。受け取り口付近で誰かを探している様子の彼は、貴久と僕の姿を順に認めると、この席までやって来た。


「久しぶりですね、佐柄先輩。お邪魔しても良いですか?」


 彼の名前は斯波恭弥。

 僕や貴久と同じ中学校出身の、今年入学してきた新入生だ。知り合ったのは丁度三年前。中学二年の春頃に、貴久を通して親しくなった。当時、斯波もバスケ部に所属していた為、まず貴久と仲良くなり、貴久が斯波を僕に紹介した、という形だ。


 顔を合わせるのは、斯波の入学祝いにご飯を食べに行った時以来だから、実に一週間振りになる。


「久しぶり、斯波。遠慮せずに座ってよ」


 そう声をかけると、斯波は貴久の隣の席に腰を下ろした。


「それにしても、二人とも遅い昼食だね。何かあった?」


「まあ、うん。先生に頼みがあるって言われて、ちょっと職員室にね。斯波も入部届を出しに丁度職員室に来ててさ」


「はい。それで瀧川先輩に誘われて一緒に来たんです」


「なるほど。斯波はやっぱりバスケ部?」


「はい。他のスポーツ系の部活動に仮入部したりもしたんですけど、結局バスケを続けることにしました」


「そっか、頑張ってね」


 僕の言葉に斯波は「頑張ります」と頷いて、食事を始めた。

 溶岩のように真っ赤な麻婆豆腐を食べている。


「ところで、貴久は今日弁当なんだね」


 僕は貴久に視線を移し、ずっと気になっていたことを訊いた。

 僕の知る限り、貴久が弁当を持参して来たことは一度もない。そもそも、両親が共働きで忙しい上に、自分も料理が得意ではないから学食を利用していると前に言っていた。


「彼女でもできた?」


 冗談めかして訊くと、貴久から乾いた笑いが漏れる。


「俺じゃなくて、姉さんに彼氏ができたんだよ。それで手作り弁当を渡したいから、上達するまでその練習代になれって言われちゃってさ。今日で五日目なんだけど……正直、凄く辛つらい」


 言って、貴久は弁当の蓋を開ける。

 中を覗くと、そこには唐揚げ、卵焼き、アスパラガスのベーコン巻き、ポテトサラダなどの至って普通のおかず類が詰め込まれていた。


「えーと……これの何処に問題が?」


「特に変わった所は無いですよね?」


 斯波も僕と同じ意見らしい。

 そんな僕等を見て、貴久は首を横に振った。


「俺はこの五日間まったく同じ内容の弁当を食べさせられてるんだ」


「あー、なるほど。そういう事ね」


 確かにそれはストレスが溜まりそうだ。

 二日や三日ならいざ知らず、五日間も続けば流石に飽きがくるだろう。


「貴久のお姉さんは、普段あまり料理とかしないの?」


「全然しないよ。うちは基本外食か買い置きだからね」


「それならメニューが変わらないのは仕方ないんじゃない? いきなり手広く作ろうとしても難しいだろうし」


「いや、そもそも自分の恋路に俺を巻き込むなって話だよ」


「なら直接そう言えばいいじゃん」


「無理、怖い」


 とても簡潔な応えだった。

 その言葉だけで、瀧川家の力関係の釣り合いが貴久おとうとよりも姉に傾いている事が分かる。


「あ〜、学食が恋しい。アジフライ定食か肉野菜炒め定食が食べたいよ。ご飯大盛りで」


「まあ、五日でそのクオリティならそのうちおかずのバリエーションも増えるでしょ」


「何を食べるか選択する自由が欲しいんだよ、俺は」


「でも断れないんでしょ?」


「……うん」


 頷いて、貴久は黙り込んだ。

 そんな食の自由を奪われた哀愁漂う友の姿に、僕は何と声を掛けたらいいか分からなくて、斯波に目を向けた。

 麻婆豆腐を食べながら事態を静観していた斯波は、僕と目が合うと一度視線を落として、考え込む。そして、暫くすると「あっ」と何かに気づいた様子で口を開いた。


「そういえば、佐柄先輩」


 どうやら話題を変える作戦らしい。

 この微妙な空気を緩和できるのなら、喜んで協力しよう。そう思って、話を合わせる準備をしていたのだけれど。


「遅れましたが、おめでとうございます」


 突然身に覚えのない祝福をされたことで、僕は戸惑った。


「え? 何のこと?」


「いえ、瀧川先輩の話で思い出したんですけど、佐柄先輩も白崎先輩と付き合い始めたんですよね?」


「……いや、付き合ってないよ」


「えっ、付き合ってないんですか!?」


 僕の答えを聞いて、斯波は珍しく目を見開いて驚いていた。


「高校に入ってから佐柄先輩を見かけると、必ず近くに白崎先輩がいるので、てっきり付き合っているものだと思っていました……」


「ああ、確かにはたから見たら付き合っているように見えるよね」


 貴久が、斯波に同調する。

 話題を変える作戦が成功したのはよかったのだけれど、僕にとってこの話はあまり長引かせたくないことだった。

 もう一度話題を変えなければ、そう思って行動しようとした矢先に斯波が言った。


 ――どうして、告白しないんですか?


「……相手が同じ気持ちとは、限らないからね」


「蓮はもう少し、自分に自信を持っても良いと思うんだけどな〜」


 確かに、そうなのかもしれない。

 僕は三葉と一緒に楽しく笑い合えている現状に、もっと自信を持っても良いのかもしれない。


 だけれど、それでも――人は他人ひとの思いのすべてを把握できる訳ではない。


 だからこそ迷い、悩む。今だってそうだ。

 今日の三葉は様子がおかしかった。


 正確に言うなら、強引だった。彼女は、最近まで僕がお金に余裕が無かったことを知っている。だから一緒にゲームをする時は、必ず無料で楽しめる物だけを選んで誘ってくれていた。今回もお金が掛かっていないと言えるのかもしれないけれど、訳が大きく異なる。


 間違いなく三葉は、僕がフルダイブゴーグルを受け取らないことを予想していた。事前にゴーグル本体を下駄箱に入れていたことが、その証拠だ。しかし、そこまでしてこのDRAGONS FAIRY TALEというゲームを僕にやらせたい理由が分からない。


 誰にでも秘密はある。それ自体は問題ではない。

 けれど、漠然と思うのである。彼女のことで、僕はまだ知らなければならないことがあると。


 だから、今はまだ――


「一方通行の片思いで充分だよ」


「まあ、タイミングは人それぞれだよね」


 貴久は少し呆れたように笑った。


「ところで蓮」


「何?」


「ずっと気になってたんだけど、それどうしたの?」


 貴久が指差した僕の皿には、三葉から貰った叉焼が残っていた。


「ああ、これは……」


 一瞬、言葉に詰まる。

 三葉の名前をもう一度出す気にはなれなかった。

 けれど、嘘を吐くというのも忍びなくて――


「……等価交換の結果だよ」



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