第1話 『 DRAGONS FAIRY TALE 』

「今日の授業はここまで」


 四限目の終了を知らせるチャイムが鳴ると、我らが二年一組の数学担当である佐々木部先生は、抑揚の無い声でそう告げた。それを合図に週番が号令を掛け、先生が退室すると、どこか張り詰めていた教室の空気が弛緩し、穏やかな昼の空気が流れ始める。


 購買部や学食に向かう生徒に倣い、僕もタブレットデバイスをロッカーに仕舞い教室を出ようとすると、僕が取手に触れる前に外側からその扉は開かれた。


 そこに現れたのは、蛍光水色を基調としたジャージ姿の少女――僕の友人、白崎三葉だった。

 彼女は僕を見て一瞬目を丸くすると、くすりと笑みを浮かべて「今から?」と訊いてきた。


「うん。ちょうど終わったところ」


「そっか、じゃあ一緒に行こう」


 そう言って先に歩き出した三葉を追い、肩を並べる。


 新学期が始まり約一ヶ月。環境の変化は多少あれど、高校生活も二年目ともなれば慣れたもの。新しくなったクラスでも、もともと仲の良かった友人や、一年生の頃移動教室で席が近かった生徒、体育で一緒にチームを組んだことのある知り合いなどとコミュニケーションを取り、概ね良好な人間関係を構築することができた。


 三葉とまた同じクラスになれなかったのは少し残念だったけれど、一緒に昼食を取るという習慣が変わらなかったこともあって、クラスが別々になったという実感は余り無かった。

 エレベーターに乗り三階から一階に降りて暫く歩くと、すぐに様々な料理の匂いに満ちた学生食堂に辿り着く。


 僕は日替わり定食。三葉は醤油ラーメンを買って、空いていた四人がけの席に向かい合って座った。


「いただきます」


 胸の前で手を合わせ、三葉はさっそくラーメンに手をつける。


「毎日ラーメンで飽きないの?」


「うん。だって、ラーメンだし」


 ……何の説明にもなっていないのだが。

 しかし、笑顔で醤油ラーメンを啜っている三葉を見ていると、そう指摘することがとても不粋なことのように思えて、僕は何も言わなかった。


「いただきます」


 三葉に続いて、僕も食事を始める。

 本日の日替わりはメンチカツ定食だった。メンチカツが二つに、千切りキャベツとポテトサラダ。それに白米と油揚げと葱の味噌汁がついて四百円。学生にとって、安くて美味いは正義である。

 早速メンチにソースをかけようとすると、


「ちょっと待った」


 三葉にソースを持っている腕を掴まれた。


「どうかした?」


 僕が首を傾げると、三葉は大袈裟にもう片方の腕をこちらに伸ばし、おどけた調子で三葉は言った。


「等価交換だ。ボクの叉焼チャーシューを一枚あげるから、君のメンチを半分くれ」


「……」


 さて、某錬金術師の名言風に具の交換を要求してくる友人に、僕はどのように返答すればいいのだろう? ここは三葉のノリに合わせて、この後に続くセリフを再現するべきか? けれど、その場合『半分どころか全部あげる』というメインをすべて持っていかれる形になってしまう。かといって、上手い言い換えも思いつかない。……というか、そもそも男女逆じゃない?


 結局、何も良い案が思いつかなかった僕は、普通に皿に乗っていたメンチの片方を箸で割り、三葉に半分持っていくようにと手で示した。


「どうぞ」


「ありがとう」


 笑顔でメンチを受け取る三葉を見て、『君のメンチを半分くれ』というのが、二つある内の一つを丸ごと寄越せ、という理不尽な意味では無かったことに安堵しつつ、今度こそ残されたメンチにソースをかける。

 そしてそれを口に運ぼうとした時、三葉が持っていったメンチをどんぶりに沈めるのを見て、絶句した。ソースをかけるのを止められたから予想はしていたけれど、やっぱりスープに浸すのか。


「じゃあ、約束通りあげるね」


 言って、三葉は自分の丼から厚切りの叉焼を一枚箸で掴み、僕の皿の上に乗せた。……これは、どのタイミングで食べるのが正解なんだろう。


 その後、僕達は暫く無言で食事を取った。


 そして、互いに半分ほど食べ進めてから、どちらともなくたわいのない話をした。三葉は最近見たアニメが面白かったこと、買いたかった漫画が人気すぎて一ヶ月待ちになっていたこと、クラスが変わってできた新しい友人のことなどを楽しそうに話す。対して僕は、読んでいたシリーズ小説の映画化が決定したことや、最寄りのコンビニの新作商品がとても美味しかったこと、知らないアーティストのCDを事前情報無しで買ったら、良い曲ばかりで何となく得をした気分になったことなどを話した。


 自分にとって、特別ではない日常。


 その一部を伝え合うこの時間が、僕は好きだった。

 やはり、隣の花は赤く映る物なのか? 三葉が楽しそうに語る事柄の一つ一つが、僕にはとても眩く、素敵なことのように思えた。きっと、彼女には人生を楽しむ才能があるのだろう。


 話に一段落つくと、三葉は短く切られた雪色の髪を耳にかけ直しながら、再びラーメンを口に運ぶ。


 その髪の短さから、稀に男子に間違われることもあるらしいが、少しでも観察すればそれが誤りであることに気づくだろう。色白の肌も、華奢な体つきも、ほっそりとした指も、控えめな胸の膨らみも、柔らかな微笑みも、その全てが女性のそれだ。


 ふと、彼女の唇に目が留まった。潤いのあるそれは、ラーメンを食べていた影響か僅かに油分を帯びて薄く光っている。


「どうかしたの?」


 どうやら結構な時間、無意識のうちに見詰めてしまっていたらしい。気づけば深い海を想起させる紺碧色の瞳が、不思議そうにこちらを覗いていた。


「あ、いや……」


 咄嗟のことで、上手い言い訳が思いつかない。

 けれど、馬鹿正直に唇を見ていたなんて言える筈もなく……ばつが悪くて、目を逸らした。


「うちのジャージって、かなり目立つ配色だなーと……」


 ……下手すぎるだろ。馬鹿なのか、僕は。

 なんだその言い訳は。母親に悪戯がバレた三歳児でも、もう少しそれっぽい嘘を吐くだろう。

 これは不味い、と再び三葉の方に目を向けると。


「あ〜、確かに。ネオンカラーって少し目が疲れるよね」


 まったく、嘘がバレている様子は無かった。

 寧ろ僕が突然提示した中身のない話題に共感し、頷いてしまっている。

 運良く誤魔化せたことに僕が胸を撫で下ろしていると、ふと思い出したように三葉が言った。


「そういえば、蓮。一つお願いがあるんだけど」


「何?」


「一緒にゲームをしよう」


 三葉に誘われてゲームに興じるのは、珍しいことではなかった。

 RPG、FPS、パズル、シミュレーションゲームなどのスマートホンの無料アプリを始めとして、オセロ、チェス、将棋、マンカラ、モノポリーなどのボードゲーム。そしてトランプ、UNO、人狼などのカードゲームまで、幅広いジャンルのゲームを今まで共にプレイしてきた。


 彼女がゲームに注ぐ情熱は生半可な物じゃない。


 一年の頃、三葉が食堂にチェス盤を持ち込んだのが学年主任の岡島先生にバレて没収されたことがあった。もう持ってこないようにと注意を受けたにも関わらず、次の日も懲りずに三葉は別のボードゲームを持ち込み、また没収。そんなやりとりを数回繰り返し、結局最後に折れたのは岡島先生の方だった。


 決め手となったのは、岡島先生の「携帯でやればいいだろう。なんでわざわざ盤を持ってくるんだ」という問いに対して、三葉が間髪入れずに「そっちの方がロマンがあるからです」と答えたことだ。あの時の岡島先生の唖然とした表情は、かなり見ものだったと思う。


 それ以来、三葉がボードゲームを持ってきても注意れることは無くなった。

 正直な話、食堂で堂々とボードゲームをやっていると周りから不思議そうな目で見られるので、岡島先生にはもう少し頑張って欲しかった。誘われた時点で断って仕舞えばいいと思うかもしれないけれど、なんの悪気もない純粋な目で「ゲームをしよう」と三葉に言われて、僕が断れる筈が無いのである。――だから、今回も答えは決まっていた。


「良いよ」


 僕は頷く。いつものように。

 変わらない時間を噛み締めながら。


「よしっ! じゃあ――」


 小さくガッツポーズをして、三葉はポケットに手を入れる。

 それを確認した時、僕はてっきり何かしらのカードゲームが出てくるものだと思っていた。けれど、その予想は外れた。三葉が手にしていたのは、僕が今まで一度もプレイしたことがないコンテンツだった。


「――これを君に進呈しよう」


 渡されたのは、ゲームカセットだった。しかし、ただのゲームカセットではない。それはパッケージに書かれているFDVRというアルファベットを見れば誰でも分かるだろう。

 そう、これは……


「……完全フルダイブ型ゲームの、カセット?」


「大正解」


 少なからず動揺している僕を見て、三葉は笑う。

 いやいやいや、ちょっと待って。


「何これ?」


「今自分で言ったでしょ? 完全フルダイブ型ゲームのカセットだよ。タイトルは――」


 ――DRAGONS FAIRY TALE



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