#2

 昨日を思い出すと、これからが憂鬱になる。

 朝。学校へ向かう準備をする俺は、何度目とも知れぬため息を吐いた。

 その理由は言わずもがな。変な時期にやってきた転校生、神楽咲のせいだ。

 彼女は出会い頭に俺へ求婚した。けれど俺は彼女とは初対面だし、客観的に見ても俺に一目惚れされるような魅力はないはずだった。

 それでも神楽咲は俺を必死に追いかけてきて。

 果たしてなぜなのか。

 昨日は逃げるのに必死で理由までは聞けなかったから、今日こそは聞かねばならない。

 とは言え億劫だ。

 学校では、神楽咲が所構わず結婚してくれと叫ぶものだから大量の視線を集めた。少なくともクラス中には変な噂が流れているに違いない。

 俺は注目されるのが苦手なのだ。出来るなら平穏に過ごしたい。

 けれどもうその望みは叶わないだろう。

 登校へと向かう足が、酷く重かった。


「いってらっしゃーい」

「んー……」


 ウダウダと廊下で立ち止まっていると、母に送りだす言葉を投げられて俺は観念した。

 中々直らない寝癖をいじりつつ、玄関扉を開ける。


「おはようございます」


 すると、扉を開けた先に、美少女がいた。

 しかもただの美少女ではない。金髪を揺らし、背後にリムジンを停めている美少女だ。


 神楽咲咲。


 現在進行形で疼く頭痛の種。突如として根を張り芽吹いた原因が、眼前にいる。

 顔見知りでなければ間違いなく年上と勘違いしてしまいそうな彼女は、驚愕する俺へとニッコリ微笑みかけてきた。


「三付比良人さん、わたくしと結婚してください」

「なんでお前、ここに……」


 相変わらずの要求を無視して目先の疑問に慄いていると、神楽咲ははてと首を傾げる。


「結婚相手の家庭を下調べするのは当然ではありませんこと?」


 どうやら彼女にはそれが常識らしい。

 だから住所も割れているのだと。


「それで、結婚は考えていただきましたでしょうか?」


 あくまでも丁寧に。

 グイっと詰め寄ってくる彼女に俺は思わず後ずさった。

 すると後退した視界の端に「あららー?」と興味深そうな母の姿が見え、思わず玄関扉を急いで閉める。

 その時中に入れば良かったものの、俺の体は外にあった。

 そのせいで、神楽咲との物理的距離は余計縮まる。


「答えをお聞かせください、三付比良人さん」

「け、結婚なんて考えられるかっ。そもそもまだ中学生だぞ!?」

「……まあ、そうですわね。でしたら、婚約をしていただくだけでも構いませんわ。一生お側で暮らすのを約束していただければ問題ありませんの」


『一生』という単語を聞いて、背筋が寒くなった。

 まだ中学生の身で人生の全てを決定するほど無鉄砲ではいられない。

 そもそも、と理由は何なのかを聞こうとして、しかし俺の思考は、ずっと視界に映る存在に優先順位を奪われてしまった。


 リムジン。


 真っ黒なカラーリングは日を照り返し、普通車二台分の長さが我が家の門を塞いでいる。

 ここらの狭い道をどうやって曲がったのか分からない車体の中には一体、どれほどの贅が詰め込まれているのだろうか。

 関わることはないと思っていた乗り物が目の前にあり、少年心がくすぐられる。

 年相応の好奇心で俺は現状を忘れ、思わずつばを飲み込んでいた。

 そんな願望が視線から駄々洩れしていたのか神楽咲はニンマリ笑う。


「リムジンに、ご興味がおありですか?」

「……っ」


 とっさに応えようとして慌てて口を閉じる。

 彼女の表情を見れば、これが罠だというのは見るに明らかだ。


「わたくしと結婚していただければ乗りたい放題です! さあいかがです!?」

「乗っ、いやいやっ!」


 喉元まで出かかった安易な判断を、首を振って強引に追い払う。

 マズイ。こいつは多分、金持ちだ!

 金があれば何でも出来る。このままでは、更なる興味をそそる物につられてしまう!

 そんな風に、操られる自分は嫌だ。

 俺は思春期特有の反抗心で、その場を駆け出した。


「結婚はしなぁああいッ!」


 さらばリムジン……!

 後ろ髪を引かれる思いで去ると、慌てた声が背後から上がる。


「明日にはヘリコプターも用意しますからぁ! お待ちくださぁああい!」


 へ、ヘリコプターァ!?

 追加条件にまたもぐらつきそうになって、けれども俺はどうにか足を前に進めた。


 自分を、見失ったりはしないぞ……!


 しかし神楽咲を乗せたリムジンは当然に並走して、隣で何度も俺の心を揺さぶってくるのだった。

 金持ちいいなぁ……っ!

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