初めての口づけ

「ふふ! 美味しいです!」


 夜になり、シアを祝う宴が始まると、早速要望のあった鴨のテリーヌをシアに食べさせた瞬間、彼女は顔を綻ばせた。

 はあ……美味しそうに食事するシア、本当に可愛いなあ……。


 それに、明日から僕はレディウスの街に行ってしまうから、シアのこの笑顔も、透き通るような声も、絹のような肌触りも、綺麗な花のような匂いも、しばらくはお別れなんだよなあ……。


 今日は、目一杯堪能しておかなければ。


「もぐ……ふあ!? ど、どうしたのですか?」

「いえ……つい、シアをもっと補給しておこうかと思いまして」


 咀嚼そしゃくしていたシアに思いきり抱きつき、慌てる彼女の髪に鼻をうずめてその香りを楽しむ。

 あー、駄目だ……離れたくないなあ…。


「……坊ちゃま、フェリシア様から離れてくださいませ」

「む、いいじゃないかアン。婚約者を独占しようとして何が悪い」

「駄目です。フェリシア様がゆっくりと食事を楽しめないじゃないですか。そうやって邪魔をするのであれば、今度から別々に食事していただきますよ?」

「ゴメンナサイ」


 ジト目のアンに強めにたしなめられ、僕はすかさず謝って離れた。

 くそう……アンもそうだが、モーリスやゲイブも、絶対に僕よりもシアのほうを上に扱っているよね? それで正しいんだけど。


「あ……そ、その、アン……私もギルと離ればなれで食事をするのは嫌です……」

「かしこまりました。食事の際は必ず坊ちゃまをお付けします」

「ふふ、ありがとう」


 アンが恭しく一礼すると、シアは顔を綻ばせる。

 もちろんシアがそう言ってくれて、喜んでくれて最高に嬉しいけど……その前にアンよ、もう少し僕の待遇改善を要求するぞ。


 そんなやり取りをしながら、シアのお祝いのための夕食会を楽しく過ごした。


 ◇


「さて……一応、明日に備えて頭の整理をしておくか」


 夜の庭園へとやって来た僕は、ベンチに腰かけ、月を眺めながらポツリ、と呟く。


 僕が前世で書いた小説では、ヘカテイア教団が本編に登場してくるのはシアが王立学園に入学してから一年が経過してから。

 それも、既に王国内に侵入してきている教団からの刺客が、新任の教師としてやって来る。


 おそらく、その教師である男が、今回の一団の中にいる可能性が高い。


 とはいえ。


「ウーン……一応、ソイツもシアと三人の王子に寝返って、一緒に戦う展開になるんだよなあ……」


 しかもシアに横恋慕する、黒髪黒目の細マッチョな褐色イケメンという設定にしている。

 一応、物語上でもシアはソイツに惹かれることなく、片想いのままシアを庇って死んでしまうことになっている。

 まあ、よくある不遇イケメンポジだな。


 僕としては、今後のことを考えてもソイツは不要だと考えているから、シアに惚れる前にご退場願おうと考えているけどね。


「まあとにかく、レディウスの街でソイツを捕まえたら、今後の教団の計画を洗いざらい吐かせた上で、とっととお帰りいただこう」


 うん、それが今後を考える上で最善かな……って。


「ふふ……ギル、こんなところにいらっしゃったのですね」

「あ……シア……」


 庭園に咲き誇る薔薇の間から、シアが微笑みながら現れた。

 本当に、シアの美しさの前では夜露に濡れた薔薇も霞んでしまうね。


「どうしました? ひょっとして、寝つけませんでしたか?」

「はい……それで、もしまだギルが起きていらっしゃればと思いお部屋にお伺いしたら、いらっしゃらなかったもので」

「それはすいません。ちょっと夜風に当たりたくなりまして」


 僕は立ち上がって駆け寄り、シアの手を取ってベンチへと誘導する。


「それにしても、この庭の薔薇よりも、シアが魔法の実技で見せてくださった氷の薔薇のほうが、何倍も綺麗ですね」


 もちろん、氷の薔薇よりもシアのほうが何千倍も綺麗だけど。


「ありがとうございます! やはりどんな大勢の方から賞賛の言葉をいただくよりも、あなたの真心のこもった言葉のほうが比べものにならないほど嬉しいです……!」


 シアはサファイアの瞳を潤ませ、僕の手を取って握りしめながら身を乗り出す。

 う、うわあ……シアの顔が、その息遣いが分かるほどに、こんなに近い……。


「そ、その、僕はあなたの素晴らしさを誰よりも知っておりますので……し、自然と言葉に出てしまったようです……」


 そんなシアに見つめられて恥ずかしくなってしまった僕は、思わずしどろもどろになってしまった。

 だ、だってシアだぞ!? シアなんだぞ!? この世界中で、誰よりも綺麗なシアなんだからな!?


 こ、こんなの、僕じゃなくても絶対にこうなってしまうって!


「あう……そ、そうですか……」


 するとシアも、顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 どうやら僕の反応を見て、こんなに至近距離で顔を近づけていたということに気づいたようだ。


 でも、僕もシアも互いに離れたくないから、その手を離そうとしたり、距離を開けようとしたりはしない。

 同じ至近距離を保ったまま、こうやって顔を近づけたままでいる。


 僕はそんな彼女の顔を、おずおずとのぞき見ると……あ……。


 月明かりに照らされたシアの顔が、混ざり気の無い氷のように、透き通って見えた。

 それは、とてもこの世のものとは思えないほどの美しさで……。


 気づけば……僕は……。


「あ……」


 シアの頬に、手でそっと触れる。

 彼女はピクン、と動いたと思うと、そのまま受け入れてくれた。


「シア……頬がこんなに熱いですよ……」

「それは……あなたが触れているから……」


 そう言って、シアはサファイアの瞳を潤ませ、僕を見つめる。


 シア……。


「あ……ん……ちゅ……」


 僕は、シアのその柔らかい桜色の唇に、触れたかどうか分からないような、そんな口づけをした。


 すると。


「ギル……ギル……ッ!」


 シアの瞳から涙があふれ、僕に飛び込んできた。


「シア……シア……」


 僕もそんな彼女を抱きしめ、優しく髪を撫でる。

 大好きな、そのプラチナブロンドの綺麗な髪を。


「グス……ふふ……私、あなたと背中以外の場所でも繋がりました……」

「はい……僕も、唇からあなたを感じることができました……」


 僕達は見つめ合い、おでこを合わせる。

 愛しい、あなたと。


「シア……」

「ギル……ん……」


 そして僕達は、もう一度互いを感じるために、唇を重ねた。

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