天使のようなあなたがくれた、甘くて蕩けるお菓子

「あ、あの……お茶をお持ちしました……」

「シア!」


 おずおずと執務室に入って来たのは、お茶とお菓子を乗せたワゴンを押すシアだった。

 そんな彼女の尊い姿を一目見るだけで、先程までの二人の王子に対する怒りは霧散し、僕の気分は最高になる。


「ど、どうしたのですか? しかも、シアがそのようなことを……」


 僕は慌ててシアの元へと駆け寄り、尋ねる。

 そのようなこと、アンや他の使用人達に任せればいいのに……。


「いえ、私もちょうど家庭教師の授業がひと段落いたしましたので、その……もしよろしければ、ギルと一緒にお茶をしたいと思い、それで……」

「ウフフ……坊ちゃま、フェリシア様はお茶やお菓子をお持ちするのも、是非とも自分でしたいとのことなんです。『ギルのお世話は、簡単なことであれば自分がしてあげたい』、そうおっしゃいまして」

「ア、アン!? それはギルには内緒にしてくださいと、お願いしたではありませんか!」


 アンの不意を突いた説明に、シアは手をわたわたさせながら慌てて止めようとする。

 あはは、本当に僕のシアは可愛いなあ……。


「シア」

「あ……ギ、ギル……」

「ありがとうございます。僕は、あなたのその気遣いや、僕のために何かしたいと思ってくださる気持ちが、心から嬉しくて仕方ありません」


 そんなシアをそっと抱きしめ、僕は彼女にそうささやく。

 本当に、僕はシアと出逢ってからずっと、いつも幸せでたまらない。


「ギル、それは私もです……私は、あなたのあの・・優しさに触れてから、二度目の人生で婚約者として再会してからもずっと、心が満たされているのですから……」


 すると、今度はシアが少し背伸びをしながら、僕の耳元でアンに聞こえないようにささやいた……って。


「そういえば以前から気になっていたのですが、ひょっとして僕とシアは、婚約をする以前からどこかでお会いしていたりするのでしょうか?」


 そう……シアは、時々僕のことを前から知っていたかのように話すことがある。

 前世での小説を書いていた頃の、その内容や裏設定などに関する記憶、今世でのギルバートとしての幼い頃からの記憶、全てを思い返してみても、僕とシアの接点はないような気がするんだけど……。


「ふふ……覚えていらっしゃらないのも無理はありあせん。だって、あれは……」


 シアは嬉しそうにはにかみながら、僕とシアとの最初の出逢いについて、訥々とつとつと話し始めた。


 ◇


 私とギルが初めて出逢ったのは、まだ私が六歳の頃。


 あの時は、珍しいことにプレイステッド侯爵がソフィアだけでなく、私も一緒に馬車に乗って出掛けたのです。

 とはいえ、最初はどこに向かっていたのかも知らず、車内でもプレイステッド侯爵はソフィアと楽しそうに会話するばかりで、私には一瞥いちべつすらしてくださいませんでした。


 そして馬車は、王都にある建物の中でも一番立派なところ……そう、王宮へとやって来たのです。


 その大きさや綺麗な庭園、煌びやかな服装を着た方々、大勢の騎士や使用人達……外の世界を一切見たことも聞いたことも、知ることさえもなかった私にとって、全てが別の世界のように輝いて見えました。


 そんな別世界に来た私は、プレイステッド侯爵に妹のソフィアと一緒に王宮の中へと連れて行かれ、知らない大人の貴族の方に紹介されました。


 いつも尊大な姿しか見たことがないプレイステッド侯爵が、珍しくへりくだる姿勢を見せていましたので、おそらくはとても偉い御方なのだと幼いながらも感じ取りました。


 プレイステッド侯爵とその偉い御方が二言、三言会話すると、二人がソフィアではなく、私を見ました。

 ですが……その時の偉い御方の眼差しは、実の父であるはずのプレイステッド侯爵よりも、とても温かいものだったことが、印象に残っています。


 その後、偉い御方はにこやかに手を振ってその場を離れると、プレイステッド侯爵は私を何も言わずにその場に置き去りにして、ソフィアの手を引いてどこかへと行ってしまいました。


 どうしていいか分からない私は、王宮の中をうろうろと彷徨さまよいました。

 こうなると、この別世界である王宮が、私にはとても怖いものに思えてしまい、王宮のすぐ外にある茂みの陰で、頭を抱えながら泣いていました。


 その時です。


 私が、ギルとお逢いしたのは。


『こんなところで泣いて、どうしたの?』


 いきなり私の後ろから現れて、その灰色の瞳で見つめながら興味深そうに尋ねるのです。

 私はプレイステッド侯爵に置き去りにされたこと、どうしていいか分からず、ここでうずくまっていたことを伝えました。


 すると。


『そっか……僕が一緒に探してあげるから、もう大丈夫! それと……はいこれ!』


 そう言って私の手を引いてくださったギルは、笑顔と共にくださったのです。

 生まれて初めて食べる、甘くて蕩ける、夢のようなお菓子を。


「……それからギルが王宮内の通路を歩いているプレイステッド侯爵とソフィアを見つけてくださって、私は無事に合流することができたんです」

「そんなことが……」


 僕は六歳のころの記憶を掘り起こそうと努力するけど、どうしても思い出すことができない。

 多分、七歳の時の一年間のつらい記憶が、両親が生きていたころの幸せだった記憶に蓋をしてしまったんだと思う。


「ふふ……あの時のギルの天使のような笑顔と、この世のものとは思えないほどの飴の味を、私は忘れることはありません……だって……生まれて初めて、誰かに優しくしていただいた瞬間なのですから……」


 そう言ってニコリ、と微笑むシアを見て、僕はこれほど悔しいと思ったことはない。

 どうして僕は、そんなシアとの大切な思い出を忘れてしまったのだろうか……。


 当時の僕にとっては、些細なことだったのかもしれない。

 でも……それでも……僕は覚えていたかった。


「あ……そんな顔をなさらないでください……幼かった時のことですし、何よりギルはその後、つらい思いをされていたのです。忘れてしまっていても仕方のないことですから」

「で、ですが……」

「ふふ……それに、そうやって忘れてしまったということは、あなたにとってその優しさは当たり前・・・・の行為だったということなのですから。あなたは、本当に優しい御方なのだということの証明なのですから」


 僕の手を取り、シアが嬉しそうにそう告げる。

 彼女の言うとおり、その時の僕は、そうすることが当たり前だったのかもしれない。


 でも……僕としてはシアに対してだけは常に特別でありたかったんだけどな……。


「だから私は、そんなあなたと二度目・・・の人生で再会できて、こうして婚約者になることができて、想いが通じ合って……私は、心の底から幸せです……」

「シア……僕もです……僕は、あなたという女性ひとにめぐり合えたこと、その奇跡に心から感謝します……」


 女神のような微笑みを浮かべるシアを見つめながら、僕は彼女のその細い手をいつまでも握りしめた。

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