幸せになる権利

「ようこそいらっしゃいました。小公爵様」


 店に入るなり、恭しく一礼しながら出迎えてくれたのは、このブティックのオーナーである“エイヴリル=アップルトン”男爵夫人。

 そのデザイナーとしての腕だけで、一代貴族の称号を手に入れたすごい女性だ。


 なお、小説では第二王子と一緒にフェリシアがこの店を訪れるエピソードがあって、ここのドレスでその第二王子と一緒に舞踏会に参加することになっている。


「エイヴリル夫人、是非とも彼女のために、最高のドレスを仕立ててください」

「うふふ、お任せください。“王国の麒麟児”と呼ばれる小公爵様にご贔屓ひいきにしていただけるなんで、デザイナー冥利につきます」


 エイヴリル夫人は、胸に手を当ててニコリ、と微笑んだ。


「さあ、フェリシア」

「あ……は、はい……」


 僕に背中を押され、フェリシアは一歩前に出た。


「うふふ……小公爵様の婚約者様であらせられる、フェリシア様ですね?」

「はい……その、今日はどうぞよろしくお願いします」

「固くならないで? 大丈夫、私に任せてくだされば、最高のドレスをご用意いたします」

「では、よろしくお願いします」


 あとは夫人が、フェリシアのために素晴らしいドレスを用意してくれるだろう。

 それに、フェリシアにもドレス選びを楽しんでもらいたい。


 彼女には、これからたくさん楽しいことを経験してほしい。

 それが、僕の望みだ。


 それから、僕はお茶を飲みながら彼女を待つこと三時間。

 この時間が彼女にとって至福の時間だったらいいなあ……。


 そう考えていると。


「お待たせしました」


 エイヴリル夫人が別室から戻ってくると、その後ろには……っ。


 その姿に、僕は思わず息が止まった。


 だって。


「そ、その……ギルバート様、似合っておりますでしょうか……?」


 彼女の瞳の色と同じ青いドレスを着て現れたフェリシアは、まるで月の女神ディアナのように美しかったから。


「あ……あの……」

「うふふ。小公爵様、見惚れるのは分かりますが、早くフェリシア様にお声をかけていただかないと、不安になってしまわれますわ」


 おっと、そうだった。


「フェリシア殿……あなたのあまりの美しさに、僕の時が止まってしまいました」

「……あ、ありがとうございます……」


 僕の言葉に、フェリシアはその白い肌を赤く染めながら、恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 そんな彼女を今すぐ抱きしめたい衝動に駆られるが、ここは我慢だ。

 それに、そんなことをしてフェリシアに嫌われるなんて、絶対に嫌だからね。


「そ、それでエイヴリル夫人、他のドレスも問題ないですか? それに、普段着の服についても」

「うふふ、もちろんです。今はこの青のドレスのみですが、他のドレスもご覧になったら、小公爵様もフェリシア様の魅力にますます取り憑かれてしまうのは間違いありません」


 そうかー……どうしよう、彼女を喜ばせることが目的なのに、僕が楽しんでしまっている……。


 すると。


「ギ、ギルバート様……本当に、私がこんな素敵なドレスをいただいてもよろしいのでしょうか……?」


 サファイアの瞳に不安の色をたたえ、フェリシアがおずおずと尋ねる。


「もちろんです。そもそもあなた以外にそのドレスを着こなせる女性もいませんよ。だから、フェリシア殿がそのドレスを着ることは、むしろ義務と言っても過言ではありません」

「あう……」


 あはは、照れすぎてフェリシアの頭から湯気が出そうになってる。


「では次に、本日着てお帰りいただくための、普段着のドレスを着ていただきます。あなた達、フェリシア様をご案内して」

「「は、はい」」


 エイヴリル夫人の部下二人に連れられ、フェリシアはまた別室へと向かった。


「……小公爵様、少々よろしいでしょうか?」


 にこやかな表情から一変し、エイヴリル夫人が真剣な顔で僕へと向き直った。


「……どうしましたか?」

「はい……ドレスに着替える際、フェリシア様の背中には、その……大きな傷跡・・・・・が……」


 そう告げると、エイヴリル夫人が眉根を寄せた。


 作者である僕は、背中の傷ができた理由も、フェリシアの心に深い傷をつけていることも、全て知っている。

 あれは、妹のソフィアが三年前、聖女に認定されたことをいいことに、回復魔法の披露と称して使用人達によって無理やり負わされたもの。


 小説の中では、彼女はその背中の傷について、王太子を始めヒーローの誰一人にも明かすことはなかった。

 生まれて初めて手に入れた温もりを手放したくないからと、フェリシアはひた隠しにしていたのだ。


 彼女が本物の“聖女”として目覚めた時、その背中の傷も癒える展開にはなっている、けど……。


 ……本当に、いくらざまぁをさせるためとはいえ、ギルバートといいソフィアといい、僕は最低のキャラを作ってしまった。


「……エイヴリル夫人、このことはどうか内密に。そして、僕は背中の傷を知らないことにしておいてください」

「かしこまりました……」


 僕の意を汲んでくれたエイブリル夫人が、姿勢を正して頭を下げた。


「お、お待たせしました」

「おお……!」


 普段着のドレスに着替えたフェリシアを見て、僕は感嘆の声を漏らす。

 あはは……結局、彼女にかかればどんな服だって最高に綺麗だ。


 もちろん、最高の服を着ればどうしようもないくらい綺麗になるんだけど。


「あう……ギ、ギルバート様、そんなに見ないでください……」

「いいえ、しっかりとこの目に焼き付けます。僕はあなたみたいな女性ひとを婚約者として迎えることができて、王国一……いえ、世界一の幸せ者です」

「も、もう……」


 恥ずかしさがピークに達したのか、フェリシアは両手で顔を覆ってしまった。

 本当に、その美貌から仕草から性格から、どこまで僕の心をときめかせれば気が済むのだろうか。


「コ、コホン……ではエイヴリル夫人、残りのドレスは屋敷のほうへ届けてください。それと、フェリシアは僕と同じ十三歳。すぐに成長すると思いますので、近々またお伺いします」

「はい。是非お待ちしております」


 僕達はエイヴリル夫人と従業員達に見送られ、ブティックを後にする……んだけど。


「フェリシア殿?」

「ギルバート様……私、こんなに幸せでいいんでしょうか……?」


 気づけば、そのサファイアの瞳から大粒の涙をこぼし、彼女は僕を見つめながらそう尋ねた。


「当然です……あなたは、世界中の誰よりも幸せになる権利がある……いえ、僕はあなたを、世界中の誰よりも幸せにしたい。だから、僕のこの願いを叶えるためにも、あなたにはもっとたくさんの幸せを享受していただきたいのです」

「あ……ああ……っ」

「あはは、ですからこのドレスなんて序の口です。なので……覚悟してくださいね?」

「はい……はい……っ!」


 顔をくしゃくしゃにしながら何度も頷くフェリシアの涙を、僕はハンカチで優しく拭った。

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