初めてのダンス

「グス……も、もう大丈夫です……」


 それからしばらくして、ようやく泣き止んだフェリシアは、涙を拭いながらそう告げた。

 フェリシア……こんなにまぶたを腫らしてしまって……。


「すぐにアンを呼んで、まぶたを冷やしましょう」

「い、いえ……も、もう少しこのままで……」

「そうですか……」


 彼女が止めたので、また僕は彼女の手を握った。

 本当に、彼女の手は細くて、壊れそうで……。


 すると。


 ――コン、コン。


「……ギルバート様、少々よろしいでしょうか?」


 やって来たのは、フェリシアの侍女、アンだった。

 普通だったら追い返すところだけど、アンの瞳は何かを訴えているようだった。


「……ほんの少しだけ、お待ちください」

「……(コクリ)」


 彼女が了承してくれたので、僕はそっと手を離してアンの元へと向かう。


「……どうした?」

「実は……」


 アンは、苦しそうな表情で話してくれた。

 フェリシアがドレスに着替える時、その身体中にあざや鞭で打たれたような跡があったと。

 しかも、その背中にはどうやったらこんなことになるのかと、目を疑うような大きな傷まで。


「……まだ十三歳で、しかもあんなに綺麗な肌に、本当に酷い仕打ちを……っ!」

「そうか……分かった、ありがとう」


 アンを下がらせ、扉を閉める。


 そして僕は、怒りのあまり扉を思いきり殴りつけようとして、かろうじて思いとどまった。

 そんなことをしたら、フェリシアが驚いてしまうだろうから。


「すいません……お待たせしました」


 僕はまた彼女の前で膝をつき、その細く壊れそうな手を握りしめる。


「……ギルバート様」

「……何でしょうか」

「どうして……どうしてあなたは、泣いているのでしょうか……?」

「あ……」


 どうやら僕は、フェリシアの境遇に……彼女が受けた傷に、怒りと悲しみで涙を流してしまったようだ。


「す、すいません」


 慌てて謝り、僕は袖で涙を拭った。

 はは……彼女を癒さなければいけないのに、余計な気を遣わせてどうするんだよ……。


 だけど。


「……ふふっ」


 そんな僕を見て、彼女がクスリ、と笑う。


「あ、あはは……カッコ悪いですね、僕」

「いいえ……ギルバート様はカッコ悪くなんかありません」


 僕は苦笑すると、フェリシアはかぶりを振って否定した。

 その表情は、どこか明るさを取り戻したような、そんな印象を受けた。


「ギルバート様、せっかく私のためにあのような歓迎会をご用意してくださったのに、台無しにしてしまって本当に申し訳ありません」

「い、いえ、お気になさらず。ですが、歓迎会については日を改めることにいたしましょう」

「そんな……! それはいけません。今からでよろしければ、続きをお願いしてもよろしいでしょうか……?」


 フェリシアはサファイアの瞳で僕を見つめながら、そう懇願する。

 もちろん僕も、彼女がそう望むのであれば否やはない。


「……分かりました。では……」

「はい……」


 僕は彼女の手を取り、再び歓迎会の会場へと向かう。

 部屋の前で心配そうに待っていたアンも、僕達の後に続いた。


「みなさん、大変お待たせしました。今からフェリシア殿の歓迎会を再開しましょう!」


 ざわついていた会場の雰囲気を払拭するため、僕は努めて明るく元気な声でそう宣言した。

 でも、フェリシアが申し訳なさそうな表情で、深々と頭を下げようとしたのでそれを止めた。


「フェリシア殿、今日の主役はあなたなんです。ですから、もし申し訳ないと思われるのであれば、この歓迎会を笑顔で目一杯楽しんでください。それが、僕達には何より嬉しいのですから」

「あ……は、はい!」


 僕の言葉に、フェリシアはようやく笑顔を見せてくれた。


 そして、今度こそフェリシアの歓迎会が幕を開けた。


 ◇


「フェリシア殿、これも食べてください」

「は、はい! ふわあああ……美味しいです!」


 歓迎会が始まってから、僕はフェリシアにしきりに食事を勧める。

 いや、彼女の実家での食生活が酷いものだということは知っていたから、僕がこうやって食べさせるのは当然なんだけど……うん、美味しそうに食べる彼女の表情、本当に尊い。


 その時。


「あ、演奏が始まりましたね」

「そ、そうですね……」


 なるほど……ならば、やるべきことは一つだ。

 僕は彼女の前で膝をつき、ス、と手を差し出す。


「フェリシア殿……僕と一曲、踊ってはいただけませんでしょうか?」

「え!? あ、そ、その、実は……私、ダンスを踊ったことがなくて、分からないんです……」


 すると彼女は、恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうにしながらそう告げた。

 もちろんフェリシアが躍ったことがないことくらい、織り込み済みだ。


「大丈夫です。僕がリードしますので」

「ほ、本当に大丈夫でしょうか……?」

「もちろん。さあ」

「あ……は、はい……」


 僕は少し強引になってしまったが、彼女の手を取り、フロアの中央へと向かう。


 そして。


「あ……ふふ!」

「あはは! フェリシア殿、その調子です!」


 僕達は目一杯ダンスを楽しむ。

 もちろん、慣れない彼女が時々僕の足を踏んでしまうこともご愛敬だ。


 ホールの明かりに照らされながらはしゃぐ彼女の笑顔は、僕の心をこの上なく高鳴らせる。

 ああ……この時間が、永遠に続けばいいのに。


 そう願うも、曲は終わってしまった。

 同時に、僕達のダンスも。


「終わって……しまいましたね……」

「そうですね……」


 僕とフェリシアは、互いに名残惜しそうに離れた。


 でも。


「「あ……」」


 まるで僕達を催促するかのように、次の演奏が始まる。


「フェリシア殿」

「はい……」


 僕達はまた手を取り合い、ダンスに興じる。

 そして僕達は、心行くまでダンスを堪能した。

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