歓迎会とフェリシアの涙

「今日からここが、あなたの暮らす部屋となります。そして彼女は“アン”、フェリシア殿の侍女を務めます」

「アンと申します。フェリシア様、どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ……アン、よろしくお願いしますね」


 フェリシアとアン、二人が挨拶を交わす。

 ……あとは、夜の歓迎会までゆっくりしていてもらおう。


「では、僕はこれで。夜にあなたの歓迎会をいたしますので、それまでゆっくりおくつろぎください」

「あ……その……」

「? 何か?」


 手を伸ばして引き留めようとするフェリシアに、僕は一瞬胸を詰まらせる。

 でも、すぐに平静を装い、振り返ってニコリ、と微笑んでみせた。


「い、いえ……何でもありません……」

「そうですか……では……」


 すぐに手を引っ込め、顔を伏せる彼女を見て、僕はもう一度会釈をしてから部屋を出た。


 はは……僕は一体、何を期待してるんだよ。

 彼女が僕に想いがあるなんて、あり得ないんだ。


 僕は既に、彼女を裏切り捨てたのだから。

 そんな物語を、この僕が書いたのだから。


 そんな無駄な期待感を振り払うようにかぶりを振り、僕は自分の部屋へと戻った。


 ◇


 ――コン、コン。


「どうぞ」

「坊ちゃま、歓迎会の準備が整いました」

「分かった。それでモーリス、フェリシアは用意して・・・・おいた・・・ドレスは着たか?」

「はい。アンが着付けを行っております」

「そうか……」


 今日の歓迎会のために、僕は彼女のためのドレスをあらかじめ用意しておいた。

 彼女は、実家ではドレスどころか普段着ですら満足に用意してもらえず、今日やって来た時の服装だって初めて面会した時と同じものだったからな。


 とはいえ、彼女の採寸をしていないから、合わせられるようにアンをはじめお針子を用意しておいた。

 これなら、今日一日くらいは問題ないだろう。


「ですが、まさか坊ちゃまがここまで婚約者のフェリシア様に心配りをされるとは思いもよりませんでした」

「当然だろう。彼女は婚約者なのだし、それに……」


 ……それに彼女は、僕が理不尽な目に遭わせた、大切な女性ひとなのだから。

 はは……なんだか矛盾しているな……。


「……そうですか。ですが、少なくとも今のような表情は、フェリシア様にはお見せにならないほうがよろしいかと」

「……ああ、分かっている」


 いつもの揶揄からかうような口調ではなく、僕を心配している言葉だった。

 本当に、こういう時に限ってこの執事は……。


「よし!」


 僕は両頬を叩き、気を取り直す。


「さあ、僕の婚約者を迎えに行こう」

「はい」


 僕とモーリスは部屋を出て、フェリシアの待つ部屋へと向かう。


 ――コン、コン。


「フェリシア殿、準備は……っ」


 彼女を見た瞬間、僕は思わず声を失う。

 だが、それも仕方ない。

 だって……僕が用意したドレスを身にまとうフェリシアは、女神すらも裸足で逃げ出してしまうほど美しいのだから。


「あ……ギルバート様……」

「え……? あ、う、うん……その、綺麗ですよ……フェリシア殿……」

「っ!? ……あ、ありがとうございます……」


 声をかけられてようやく我に戻った僕は、かろうじてその一言だけ絞り出すことができた。

 そんな僕の言葉に、フェリシアはその白い顔を真っ赤にしながらうつむいてしまった。


 ……ヤバイ、可愛い、可愛すぎる。

 こればかりは、よくぞここまで可愛く書いたものだ、前世の僕……って、それどころじゃない。


「コホン……ではフェリシア殿、会場へ行きましょう」


 僕は咳払いをすると、彼女の前でひざまずき、右手を差し出した。


「……ありがとう、ございます」


 フェリシアは、その細く白い手を僕の右手に添える。

 そして僕は彼女をエスコートし、歓迎会の会場へと向かう……んだけど。


「あ、あの……ギルバート様……」

「何でしょうか?」

「……今の・・あなたはどうして、こんな私・・・・に優しくしてくださるのですか……?」


 ああ……そうか……。

 前の人生で裏切られて、この二度目・・・の僕を不思議に思うのは当然だな。

 そして、こんなにも自分を卑下してしまうほど、彼女は苦しんでしまっているのだな……。


「決まっています。今はまだ・・・・、あなたは大切な僕の婚約者・・・なのですから」

「……そうですか」


 すると彼女は、悲しそうな表情を浮かべ、うつむいてしまった。

 そうだよな……彼女からすれば、僕なんかと婚約者になってしまうなんて、ただ、つらく苦しいだけだから。


 でも、せめて物語が本格的に動き出す王立学院に入学するまでは、この公爵邸で穏やかに過ごしてもらえるようにしよう。

 もちろん、僕は彼女と会わないようにして。


「どうぞ、こちらです」

「っ!? これは……っ」


 歓迎会の会場に着くなり、フェリシアはサファイアの瞳を見開く。

 あはは……彼女に驚いてもらおうと、頑張って準備した甲斐があった。


 何せ今日のために、ありとあらゆる豪華な料理、楽団による素敵な音楽、彼女を祝福する者だけが集められた公爵家ゆかりの人々。


 もちろん、この場には彼女を虐げてきたプレイステッド家の者は一人たりともいない。

 そんなことになったら、せっかくの歓迎会が台無しになってしまうからね。


 ということで。


「さあ……今宵は、あなただけ・・・・・が主役です。思う存分、楽しんでください」


 そう言うと、僕はフロアの中央へといざなう。


 物語の主人公、フェリシア=プレイステッドをたたえるために。


「どうして……」

「?」

「どうして、あなたはここまでしてくださるのですか……?」


 気づけば、サファイアの瞳に涙をたたえ、フェリシアが僕を見つめながら尋ねた。

 紅く可愛らしい唇を、涙をこらえるために強く噛みながら。


「……決まっています。あなたが、誰よりも素晴らしい女性ひとだから」


 そう……僕の心を込めて書いた大切な小説のヒロインで、あなたのことを世界中の誰よりも知っているから。

 誰よりも……世界中の誰よりも、優しい心を持った素敵な女性ひとだということを。


 そして、僕はそんなあなたが、誰よりも愛おしいから……って!?


「う……うう……」

「フェ、フェリシア殿!?」

「うあああああああ……っ」


 とうとうこらえきれなくなったのか、フェリシアはぽろぽろと大粒の涙をこぼし、僕に抱きついて泣き出してしまった。

 そんな彼女に、僕は思わず狼狽うろたえてしまう。


 お、おかしいぞ!?

 彼女は今、二度目・・・の人生を送っていて、僕はただ憎しみの対象でしかないはず。

 なのに、フェリシアはどうしてこんな……。


「……坊ちゃま、とりあえずフェリシア様を落ち着かせて差し上げませんと」

「そ、そうだな……すまない、皆はこのまま楽しんでいてくれ」


 心配そうに僕達を見ている招待客や使用人達にそう告げると、そっとフェリシアの手を取る。


「フェリシア殿……どうぞこちらへ……」

「う、うう……っ」


 泣くじゃくる彼女を連れ、僕はまた来た通路を戻って彼女の部屋へと連れ帰った。


「大丈夫、ですか……?」


 ベッドに腰かけさせ、膝をついて彼女の顔をのぞき込みながらそう尋ねた。

 本当に、どうしてしまったんだろうか……。


 僕はあの会場で、彼女から皮肉の一つや二つ言われることを覚悟していたというのに。

 ……いや、最悪引っ叩かれることだって。


「私……私は……っ」

「無理に話そうとしなくても構いません……ただ、つらいのであれば……悲しいのであれば、僕でよければ全て吐き出してください……」


 そうだ。つらいのなら、全部吐き出してしまえばいいんだ。

 僕への怒りも、憎しみも、何もかも全て。


 なのに……彼女はただ、かぶりを振って僕の手を握った。


「フェリシア殿……」


 それから、僕は彼女が泣き止むまで、ただ彼女の手を握っていた。

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