零れ落ちたウソ
夕方の美術室。
まぶしいくらいに西日が差し込む美術室に、探偵部のメンバー、もちろんじんくんもちゃんと同席しています。それと、美術部の部長さんと広瀬先輩、それから谷口先輩と聖来が集められた。
「ちょっと水町さん、なんなのこれ」
谷口先輩が嫁をいびるような口調で、聖来に文句を言った。
すかさず蓮くんがガードに入る。
「聖来がみんなを招集したわけじゃない……ですよ」
かろうじて敬語を忘れなかった蓮くん。
谷口先輩は言い返す言葉を失くしたのか、そっぽを向いてしまった。
部長さんは何かを察したらしく、少し落ち着きがない。
「これは何のつもりだ?」
部長さんが不機嫌な口調で言った。
「みなさんに集まっていただいたのは他でもない、今回の一連の事件を終わりにしたいと思います」
みんなアケチを一斉に見た。
そこに集まった人をぐるっと見渡すと、アケチはコホンとひとつ咳ばらいをした。
「部長さんの絵を隠したことに始まり、コンクールに出展する絵を切り刻んだ、まあ絵は一応無事でしたけれど……そして、莉子を階段から突き落とした犯人は――」
いったん言葉を切ると、アケチは息を整えるようにひと呼吸してから口を開いた。
「部長さん、あなたですよね」
アケチはそう言うと、部長さんを見つめた。
「エエエエッ――――!」
美術室に響いたのは私の声。
え? 驚いているのは私だけ? って思ったけど、それなりにみんな驚いているみたいで少しホッとした。
「ちょっとあなた、部長が犯人なんてありえないでしょ。部長は被害者なのよ」
ズバリ言い放ったアケチに、異を唱えたのは谷口先輩だった。
名指しされた部長さんは、ただ黙って下を向いている。
「そこが、今回の事件を複雑にしているところです。まさか被害者が犯人だなんて誰も思いませんよね」
「井原が犯人だという証拠は?」
そう聞いてきたのは広瀬先輩。
なんだかアケチを挑発しているようにも感じる。保健室で話をしていた時は意気投合していたようだったのに。
「僕は警察ではないので、科学的な証拠を問われると反論の余地はありませんが、トリックの穴から犯人のウソが零れ落ちています」
「トリックの穴?」
首をかしげる広瀬先輩に、アケチはフフッと分けありな笑みを浮かべた。
「部長さん、あなたのトリックには穴があります。穴から零れ落ちたウソを拾い集めて、この事件に終止符をうちましょう。とりあえず、こちらを見てください」
そう言ってアケチがみんなの前に連れ出したのは、じんくんだった。
「それには特殊な細工はないと……」
部長さんがボソリと言葉をこぼした。
「ええ、じんくんには特殊な細工は何ひとつありません。でも、一か所だけおかしな点があります」
え? それは私も初耳なんだけど、じんくんのおかしなところとは?
「見てください。じんくんの胃を」
もしかして……。なにもこんな大勢の人がいるところで、私の不器用さをアピールしなくてもいいんじゃない?
「可哀そうに、彼の胃は――イデッ……」
足を抱えてうずくまるアケチ。
へぇ~、脛ってそんなに痛いのね。さすが弁慶の泣き所って言うだけあって痛いんだ。
「胃がなんだ?」
広瀬先輩は興味津々といった感じで身を乗り出す。
「何でもないですよぉ~」
ニコニコニッコリ笑顔で返す私。
「ほら、アケチ、続き続き」
ジロリと私を睨みつける視線を無視して、先を促す。
「え~と、どこまで話したかな……」
「その人体模型は何なのよ」
谷口先輩が相変わらず不機嫌な声で言った。
「ああ、じんくんね。彼には特殊な細工は何もありませんが、彼の胃を見てください」
え、また胃? って、今度はアケチも臨戦態勢。黙ってやられるつもりはないってわけね。
「っちょっと、二人とも何やってるのよ」
さすがに聖来が止めに入る。これじゃあ、話が進まないもんね。
「おい、これ!」
って、何故か蓮くんもじんくんの胃を見てびっくりしている。分かったわよ。どうせじんくんの胃がフランケンシュタインって言いたいんでしょ? って、あれ?
蓮くんが指さすじんくんの胃を見て、びっくり。私がフランケンシュタイン化したじんくんの胃が……ない。っていうか、ピンク色のきれいな胃が入ってるじゃないですかッ! どういうこと? 見るに見かねて新しい胃を移植したってことですか?
それならそうと早く言ってよ。そしたら私だって話の邪魔なんてしないのに。
「何よ。普通の人体模型が何だって言うのよ」
谷口先輩が口を尖らせるのも無理はない。単なる人体模型を見せられてもまったく話は見えてこない。
「では、これを見てください」
改めて言い直すと、アケチは一枚の写真を取り出した。
「これは事件発生直後に、美術室で撮影したじんくんです」
取り出した写真は、ヴィーナスとブルータスそしてじんくんとアケチの四人で撮った写真。肩を組んでピースしているアケチの笑顔が無性に歯が立つのは私だけじゃなかった。
「何この写真」
谷口先輩が露骨に顔を歪めた。
「おっと失礼。見ていただきたいのはこちらです」
そういって差し替えられた写真は、じんくんの内臓部分。
「この写真と目の前の人体模型の何が違うって言うのよ」
一見しただけではわかりにくいが、よくよく見てみれば違いは歴然。
まるで間違い探しのようだけれど、難易度はそんなに高くはない。
「確かに……写真の内臓と、ここに居る人体模型の内臓の中身っていうのかな、配列とでもいうべきか……、内臓の位置が微妙に違うね」
広瀬先輩が写真とじんくんとを交互に見ながら言うと、アケチが嬉しそうに指をパチンと鳴らした。
「そうなんです。広瀬先輩、よく気付いてくれました」
「もしかして、あの時『彼』が教えてくれたことって、これの事?」
広瀬先輩に尋ねられ、アケチはニッコリ笑顔で頷く。
「犯人は絵を切り刻んだ時に、じんくんを倒してしまったようです。それを証拠に彼のひじのところに擦り傷があります」
そう言うと、アケチはじんくんのひじをみんなに見せる。
「そんなの、ここで擦りむいたとは限らないじゃない」
その可能性も確かにある。谷口先輩の鋭い突っ込みに広瀬先輩も頷いた。
でも、それを冷静にアケチが否定する。
「ここを見てください」
アケチは美術室の後ろのロッカーの角を指さした。
木製の茶色いロッカーの角の部分に、肌色の塗料らしきモノが付着していた。
「じんくんは倒れる時、ここでひじを擦りむいたようです」
そんなの、じんくんの肌とは限らないじゃない、という反論はなかった。
その事にホッとする。だって、そんなの警察の鑑識でも呼ばなきゃ、きちんとした証明はできないと思う。でも、例えそう言われたとしても、別の切り札がこちらにはある。
「犯人はじんくんを倒してしまい、その時にじんくんの内臓が飛び出してしまったのでしょう。犯人は相当焦ったと思います。人体模型の内臓なんて、誰もが正確に入れられるわけじゃありませんから」
「ちなみに、探偵部はみんな、じんくんの内臓を正確に入れられますよ」
アケチが得意げに胸を張った。
「だから、彼が犯人じゃないって言いたいわけ?」
谷口先輩がキッと蓮くんを睨んだ。
すると、今度は聖来がスッと蓮くんの前に出た。けど、すかさず蓮くんは聖来の腕を引き、黙って首を振った。
うぉおおおおおお。
この連係プレーはなんか、ドキドキしますね。プリンセスを守るナイトみたい。
それを見た谷口先輩は、いびるのもバカらしくなってきたのか、鼻をフンと鳴らした。
そんなやり取りはそっちのけで、アケチが淡々と種明かしをしていく。
「いいえ、それだけでは蓮が犯人ではないという証拠にはなりません。僕が言いたいのは、この時、犯人はあるモノが見つからずとても焦ったと思います」
アケチが毅然と言い放った。
はて? あるモノとは? みんな首を捻っている。部長さん以外は……。
「もったいぶってないでさっさと言いなさいよ!」
よほど短気なのか、じれったそうに谷口先輩は先を促す。
「犯人は、この時、胃が見つからずとても焦ったと思います」
「あ!」
思わず叫んでしまったのは、やっぱり私だけ。
お恥ずかしい。
でも、この時はまだ、谷口先輩も広瀬先輩もアケチが何を言おうとしているのかを理解できていないようだった。
「だから何んなのよッ!」
谷口先輩は先を急ぐ。
「犯人も内臓の位置は正確には把握していなかったのでしょう。とはいえ、自分の中にある臓器であり、これまで生物や保健体育などで勉強したこともあるので、ある程度は臓器の形や場所は覚えているものです。肺、心臓、小腸、大腸、肝臓そして胃。このくらいは皆さんも知っていますよね」
アケチはじんくんの内臓から胃を取り出した。
推理を披露しているというより、生物の授業をしているみたい。
「犯人は、じんくんを倒して内臓が飛び出した時、慌てて内臓を詰めました。ある程度場所を把握していれば大抵上手く収まるものです。でも、ひとつだけどうしても見つからず、犯人はとても焦ったと思います。胃は誰もが知っている形で、どこにあるのかも大抵の人はわかります。その胃が見つからないんですから、焦りますよね」
アケチはいったん言葉を切ると、チラッと部長さんを見た。
部長さんは、さっきからひと言も言葉を発しない。それでもアケチは淡々と話を続ける。
「でも、胃は見つからなくて当然なんです。だって、僕がじんくんの胃をもってきてしまったんだから」
「はぁ?」
怒りも露わに声を発したのは谷口先輩。
「なんだって!」
心底驚いた声を発したのは、広瀬先輩。部長さんは口を押えて項垂れてしまった。
それぞれの反応をひと通り確認して、アケチが続ける。
「でも、犯人は相当焦っていたんでしょう。そりゃあ、誰もが知っている胃がなくて、中央がぽっかり空いていればすぐに異変を悟られてしまいます。だから、あえて犯人は胃の空洞がばれないようにめちゃくちゃに入れたんです。そうすればすぐに気づかれずに済みますからね」
「だからってそれが何の証拠になるのよ」
相変わらず谷口先輩は不機嫌な口調でそう言った。
それでもアケチは動じることなく話を続ける。
「じんくんの胃を見てください。きれいな胃が入っています」
「それの何が問題なの? あんたが持ち出した胃を元に戻しただけでしょ」
谷口先輩の言葉を受け、アケチは首を振った。
「これはじんくんの胃ではありません」
「バカバカしい」
谷口先輩は呆れちゃった。広瀬先輩は興味を引いたのか、アケチの手から胃を奪う。
「なんで彼のじゃないって言えるんだ? 確かに新品ぽいけど、先生が新しい胃を入れただけじゃないのか?」
「生物の池田先生に確認しましたが、じんくんの胃は新しくしていないという事です」
そう言うと、アケチはポケットから何かを取り出してみんなの前に出した。
も……もしやそれは……。
「何そのゴミは」
まるで汚いものでも見るかのような視線を投げる谷口先輩。
「すでに原型をとどめていないね」
嘆かわしいとでもいうように、哀れな視線で見つめる広瀬先輩。
「莉子……頑張りは認めるけれど……」
聖来の言葉に、蓮くんも黙って頷いた。
部長さんは……相変わらず言葉を口にしないけれど、口を押えておどいた顔をしていた。
そんなに驚かなくても……。一生懸命直したのに……。
すると、アケチが私の頭にポンと手を置いた。
「お前のおかげで犯人が分かったんだ。そんなに落ち込むな」
励ましてくれているの? って、なんで私のおかげなの?
意味が分からずアケチを見上げると、アケチがニッコリほほ笑んだ。
何気に心臓がドキドキしているのはなんでだろう。
最近、コロッケパンは食べてないから、胸やけはしなくなったけれど、胸やけの代わりに心臓の動きがヤバいんだよね。やっぱり私……病気でしょうか。
「そんな不安な顔をするな。僕を信じろ」
そう言ったアケチの顔は、これまでにないくらい逞しくてカッコよく見えた。
私はアアケチの顔を見ることができず、うん、と頷くのが精一杯だった。
すると、またクシャっと頭をなでた。
でも、今は言い返すこともできないくらい、私の心臓は口から出そうな勢いでドキドキと暴れていた。
「さて、これなんですが」
そう言うと、アケチは私が直したじんくんの胃を持ち上げる。
「これが正真正銘、じんくんの胃です」
「これが?」
谷口先輩は驚いたように声を張り上げた。
広瀬先輩も部長さんも口には出さなかったけれど、信じられないとでもいうような顔をしている。
「はい、これがじんくんの胃です。せっかく直してくれた莉子には申し訳ないけれど……」
チラッと私の顔を見たアケチ。
フランケンシュタインでもなく、単なるゴミにしか見えないようなものなのに、アケチは私の許可を得ようとしていた。
心置きなくやっちゃって、って意味を込めてニッコリ笑顔で頷いた。
アケチは私の許可を得ると、じんくんのフランケンシュタイン化した胃を元の正常な状態に戻す。穴を修復するために縫い付けたフエルトを剥いでいく。
すると、今までフランケンシュタイン化したゴミのようなモノが、本来の姿である胃が姿を現した。
穴が開いて少し汚れているけれど、正真正銘これがじんくんの胃だ。
美術部の人たちが驚きの声を漏らす。
まるでシルクハットの中からハトを出した手品師のように、アケチは得意顔をしている。
単に私がフエルトでくるんだものを、剥いだだけなんだけどね。
「そんな……」
力なくつぶやいたのは、部長さんだった。
「犯人は僕たちが胃の事に気付き、代わりに代用品を詰めたと勘違いしたようです。そして、焦った犯人は胃を用意して詰め替えた」
「でも、どうしてそれが部長の仕業だと言えるのよ」
確かに。部長さんが詰め替えた証拠はどこにもない。
「じんくんの胃を新しくしたかと尋ねた際に、池田先生が気になることをおっしゃいました」
いったん言葉を切り、ちらりと部長さんを見るアケチ。
でも、部長さんはジッと下を見つめているだけだった。
「池田先生は何て言ったのよ」
焦れたように谷口先輩が話を急かす。
「胃に穴をあけてしまった生徒ではない人物が、じんくんの製造元を聞いてきたそうです」
その言葉が何を示しているのか、その場にいた人全員が理解した。
そして、それが誰を示しているのかも……。人体模型なんて、あまり購入する人はいない。
それに一部の部品だけを購入するというのは、思いのほか大変な事。だって、人体模型といえども適合しなければ話にならない。なんでもいいってわけじゃない。
だから、池田先生に確認した。それは犯人を特定する行為。
谷口先輩も、それが誰なのか察しがついたのか、これ以上追及することはしなかった。
それでも、気がおさまらないのかアケチを睨みつけている。
「谷口先輩は最初から、部長さんが犯人だと気付いていたんじゃないんですか?」
アケチの言葉にみんなが一斉に谷口先輩を見た。
「な、何を言ってるの? 私は……」
突然乱れだした谷口先輩。強気の姿勢で相手を責めていたのは、きっと自分の弱さを隠すため。谷口先輩の目が次第に涙目になっていく。
「穴を……あけてしまった人の代わりに聞いたかもしれないじゃない……それに……それに……」
必死に言い募ろうとする谷口先輩の肩を、広瀬先輩がポンポンと叩いた。
驚いたように広瀬先輩の顔を見た谷口先輩に、広瀬先輩は優しい言葉を投げる。
「もう、庇う必要はない」
すると、今度は部長さんに厳しい視線を向けた。
「……でも……」
「ボクは女の子を傷つける奴が一番嫌いだ。それも自分の身を守るためにやった事なら余計にね」
谷口先輩の目からぽろぽろと大きな涙の粒が流れ落ちた。
「……俺は……俺は庇ってくれなんて頼んでない」
この期に及んで、部長の口から飛び出た言葉に腹を立てたのは、私だけじゃなかった。
「ふざけるなっ! お前の独りよがりな自己保身のせいで、何人もの人間が傷ついてんだぞっ!」
広瀬先輩が激しく怒りを露わにした。
こんな広瀬先輩を見るのははじめてだ。同じ部の聖来もびっくりしているところを見ると、怒っている広瀬先輩というのは相当レアなのかもしれない。
「自分に才能がないからって、その憂さ晴らしに他人を巻き込むなっ!」
広瀬先輩の辛辣な言葉に、そこに居た全員が言葉を失った。
「……な、なん……だと?」
部長さんは目を大きく見開いて広瀬先輩を見た。
これ以上広瀬先輩が口を開けば、部長さんもきっと黙っていない。そして、これ以上辛い言葉を広瀬先輩に言わせたくない。
そう思って止めに入ろうとしたけれど、私よりもアケチのほうが先に動いた。
「まあまあ、広瀬先輩落ち着いて。そんな心にもない事言っちゃダメですよ」
そう言って止めに入ったアケチを、広瀬先輩も部長さんも驚いた顔をして見つめている。
「ここからは僕の推測です。本当は犯人を追い詰めるつもりはなかったんですが、それではけじめがつかないので、ここですべてを明らかにしてこの事件を終わりにしましょう」
広瀬先輩と部長さんの間に張りつめていた緊張の糸が少しだけ和らいだ。
ホント、アケチって不思議な雰囲気を持っている。トゲトゲの空気を一瞬にして滑らかにしちゃうんだから。これって一種の才能よね。それだけは認めてあげる。
一触即発だった広瀬先輩と部長さんの空気は少しだけ緩み、いつの間にか谷口先輩の涙も止まっていた。
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