違和感は手がかりの糸口
背中を押す野村先生の腕から逃れ、アケチは梱包用の段ボールが入っている台車に足を向けた。
アケチは梱包用の段ボールの中から『梱包された絵』を取り出した。
なるほど、木は森の中に隠せってやつね。確かに分かりにくい。
アケチが手に持っていた『梱包された絵』には、宅配用の紙が貼られ、送り主の名前に『広瀬圭吾』と書かれてあった。
アケチが持っている段ボールに、野村先生と広瀬先輩の目が釘付けになる。二人の目が飛び出そうなくらい見開かれ、心底驚いているのが分かった。どちらかはわからなかったけれど、ごくりと唾を飲む音も聞こえた。
アケチは丁寧に梱包を解く。
すると、天使が人間を優しく羽で包み込んでいる絵が現れた。淡い色使いで、その絵からは優しさが伝わってくる。天使が人間を心のそこから慈しみ、惜しみない愛で包み込んでいる、そんな絵だった。
「これは広瀬先輩の絵で間違いはないですよね?」
アケチが確認すると、広瀬先輩はしっかりと頷いた。
「素敵……」
思わず声がこぼれた。すると、広瀬先輩がガシッと私の手を握った。
「莉子ちゃんにそう言ってもらえると、なんか嬉しいな」
案山子しか描けない私からしたら、広瀬先輩の絵は魔法がかけられているかのようにキラキラと光って見える。
でも、この手はやめていただきたい。
「あ、あの……離してもらえますか?」
って、広瀬先輩全く聞く耳を持たないのか、一向に手を離してくれない。
離すどころか、キラキラ光る瞳で尋ねてきた。
「で、これはいったいどういう仕掛け?」
「どどどど、どうなっているんだ? 絵は切り刻まれたんじゃないのか?」
さすがに野村先生も驚いたみたいで、声が裏返っている。
そりゃあ、びっくりするよね。切り刻まれたはずの絵がジャジャーンて、無傷で出てくれば誰だって驚くよ。私も話を聞いた時には信じられなかったもん。
アケチが野村先生と広瀬先輩に、私に説明してくれたのと同じことを説明した。
まったく信じられないといった疑いの眼差しを向ける野村先生。でも、目の前にはちゃんと絵があるから、信じないわけにはいかない。
幻でも見ているような顔をしている野村先生に対して、広瀬先輩は相変わらず飄々としている。というか、いつになったら私の手を離してくれるのでしょうか。
「広瀬先輩も他の絵が無事か、確認するのを手伝っていただけますか?」
広瀬先輩との間に、ニョキッとアケチの顔が割って入ってきた。それで、ようやく広瀬先輩は私の手を離してくれた。いくら驚いたからって、そんなに強く握らなくてもいいのに。
まだ、広瀬先輩の圧を感じる手をジッと見つめていると、アケチが頭を軽くどついてきた。
「莉子もボーっとしていないで手伝え」
「はーい」
快く返事はしたものの、なぜかいきなり不機嫌になったアケチに疑問符がちらついたけど、目の前に広がる素敵な絵の数々に、アケチの機嫌なんてどうでもよくなってしまった。
みんなそれぞれに素敵な絵で、見ているだけで幸せになれるそんな絵だった。
でも、部長さんの絵を確認した時、わずかだけど広瀬先輩が驚きの表情を見せたのが少しだけ気になった。
パタパタと廊下を走る音が聞こえてきた。
「野村先生……こちらにいらっしゃったんですね。宅配業者の方がお見えになりましたけど、こちらに来ていただきますか?」
野村先生を探して走り回っていたのか、用務員のおじさんの息が少し乱れていた。
用務員のおじさんの言葉を聞いて、野村先生は時計を確認した。それにつられて、私も壁にかかっている時計を見た。
時計の針は十時を少し過ぎていた。
野村先生はしまった、という表情をした。
「そうか、宅配業者にキャンセルの連絡を入れるのを忘れていた」
用務員のおじさんは、目の前に広げられているいくつもの『絵』に目を見開いた。
「準備がまだできていないじゃないですか。一度帰っていただきますか?」
おじさんは『絵』があることに驚いたわけではなく、準備が整っていないことに驚いたようだった。
用務員のおじさんには『絵』が刻まれたことは伝わっていなかったみたい。
「いいや、すぐに梱包するから宅配業者には少し待ってもらおう」
「え? このまま送っちゃうんですか?」
質問したのは広瀬先輩だった。
『絵』が無事だったのだから、送るのは当然と思っている野村先生。
私もその意見には賛成。だって、このままここに置いておいても、また切り刻まれてしまうかもしれない。だったら、犯人の手の届かないところに送ってしまった方が安全だもん。
でも、それに異を唱えたのは、意外にも広瀬先輩だった。
「犯人は『絵』を送りたくなくて、こんな凶行を犯したかもしれないのに、送ってしまっていいんですか?」
「広瀬の気持ちも分かるけれど、ここに置いておくより安全だ。そうは思わないか?」
野村先生が心配する広瀬先輩を宥める。
「あのぉ~……」
遠慮がちに用務員のおじさんが声を差し込んできた。
「宅配業者の方がお待ちなんですけど、どうしましょう」
そうだった。
「さすがに送り先まで乗り込んで、絵を切り刻むことはしないだろう」
いったん言葉を切ると、野村先生は用務員のおじさんに指示を出す。
「すみません。宅配業者には少し待ってもらってください。私は教頭先生に話をして、それから業者の方と話をしますので」
「わかりました」
少しホッとしたように返事をすると、用務員のおじさんは来た時と同じように、忙しなく美術室を出て行った。その姿を見送ると、今度は私たちに指示を出す。
「悪いがお前たち、梱包をやり直しておいてくれ」
そのまま美術室を出ていこうとした野村先生は、腕時計に目をやるとボソリと言葉をもらした。
「二時限目に食い込むな……」
少しだけ期待を込めた眼差しで野村先生を見つめると、不本意そうに顔を歪めた。
「教師の私がサボりの手伝いをするみたいで心苦しいが仕方ない、非常事態だ。担任の先生には私から話をしておく。私が戻るまで『絵』を見張っていてくれ。絶対に目を離すなよ。いいな」
「「はーい」」
念を押す野村先生に、アケチと私は語尾にハートマークがつくほどのいい返事をした。
でも広瀬先輩は、送ることにまだ納得できないのか、返事はしなかった。
そんな広瀬先輩にチラッと視線を向けたけど、野村先生は何も言わずに足早に美術室を出て行ってしまった。
二時限目は先生の了解のもと堂々と授業をサボれることに、内心バンザイをした。アケチはじんくんと喜びを分かち合っている。これでもう少しゆっくりと現場を検証できる。
それはともかく、早いとこ『絵』を梱包しなおさないとね。
急いで作業をしているという事もあったけど、特に話をすることもなく黙々と作業をしていた。
そして、広瀬先輩が部長さんの絵を梱包しなおそうとした時、アケチが口を開いた。
「ところで、広瀬先輩。今更ではありますが、蓮の仲間である僕たちが現場に立ちいっても良かったんですか? 蓮に不利になることを隠すかもしれませんよ?」
アケチの言葉を聞いて、広瀬先輩はニヤリと笑った。
「それを言うなら、ボクが中に入ることを許可している君にも同じ質問をしよう。ボクが犯人なら証拠を隠すかもしれないぞ? ボクが犯人じゃないとしても、ボクと懇意にしている人間が犯人だった場合、犯人につながる何かを見つけて、ボクはそれを隠すかもしれない。それでも君はボクを中に入れることに何の躊躇もしなかった。それは何故だ?」
広瀬先輩、意外にも鋭い事を聞いてきた。
蓮くんや聖来が不利になる状況を回避してくれた広瀬先輩が卑怯な事をする人とは思えないけれど、この事件の犯人像が未だ見えていない時点で、広瀬先輩を中に入れたのは今更ながらまずかったのかな?
でも、広瀬先輩からしたら私たちの方が不審人物だよね。現時点で蓮くんが犯人にされているんだから、その友人である私たちを美術室に入れるなんて証拠隠滅どころか偽装工作されて他の人を犯人に仕立て上げることもできちゃうのに、広瀬先輩は私たちが美術室に入ることを全く止めなかった。
逆に、私たちも広瀬先輩が美術室に入る事に、まったく警戒していなかったのも確か。
なんで? クエスチョンマークで頭の中が埋め尽くされた私とは違って、アケチには明確な答えがあったようだ。
「もし広瀬先輩が犯人なら、きっと何か仕掛けてくると思いましたし、証拠を隠滅したとしても僕は絶対にそれを見逃さない。広瀬先輩が犯人を知っていて、偽装工作をしたとしても僕はそれを見抜ける」
うっわ。すっごい自信。どっからその自信は湧いてくるの? 寄生虫のように湧いてくるその自信、駆除できるものなら駆除したい。
胸を張って答えるアケチに、広瀬先輩も少し呆れ気味。当然だけどね。
「君が変人だって言われているのが少しわかった気がするよ」
広瀬先輩の言葉に、アケチが首を捻った。
「莉子。僕は変人か?」
迷いもなく頷けるけど、ここは敢えて濁しておくよ。っていうか、今更そんな事気にするアケチでもないでしょ。
「ノーコメント」
私の答えに、アケチはフンと鼻を鳴らした。
「で、まだ僕の質問に答えてもらっていませんけど」
アケチは少しむくれた言い方で、広瀬先輩に言った。
「何だっけ?」
「蓮の仲間である僕たちが現場に立ち入るのは気にしないのかってことですよ」
「ああ、そうだった」
不機嫌なアケチを気にする風でもなく、広瀬先輩はニッコリと笑った。
「君たちは大丈夫。友人だからといって彼をヘンに庇うことはしない。それよりも友人だからこそ、君は徹底して義を貫く。もし仮に彼が犯人だとしても、君は真実を求め、彼に過ちを悔い改めさせる。だろ?」
おっしゃる通りです。会ったのは昨日が初めてなのに、アケチの事がよくわかっている。
広瀬先輩、やっぱりただ物じゃない。
面と向かってそんな事言われたから、さすがのアケチも少し気恥しいみたい。
ちょっぴり顔が赤い。
それでもふてくされた顔は崩さずに、アケチは止まっていた手をせかせかと動かした。
ようやくすべての『絵』を梱包しなおしたところに、ちょうど野村先生と一緒に宅配業者の人が入ってきた。
宅配業者の人は慣れた手つきで、持っていた機械で操作をすると、自分が持ってきた台車に乗せ換え『絵』を運び出す。
「お前たち、三時限目からはしっかり授業に出るんだぞ」
そう言い捨てると、野村先生は宅配業者と一緒に美術室を出て行った。
何とか『絵』を送り出すことが出来てホッと息をつく。安心したとたん、怒りが湧いてきた。あんなに素敵な絵を誰が切り刻もうとしたのか。無事だったから良かったものの、本当に切り刻まれていたら、『悲しい』のひと言ではすまされない。
犯人をとっ捕まえて、その腐った性根を叩きなおしてくれる。
「莉子ちゃん、なんでそんなに怖い顔をしているの? かわいい顔が台無しだよ」
かわいい顔かは置いといて……。
「あんなに素敵な絵を切り刻もうだなんて、ホントに許せないと思って……」
目をウルウルさせた広瀬先輩が、ガシッてまた手を握ってきた。
「莉子ちゃんて顔も可愛いけれど、心も可愛いんだね」
ああ~、広瀬先輩、こんなにチャラい事言わなければいい人なんだけどな。可愛いなんて言われたことがないからさ、胡散臭い事この上ない。
なんとか広瀬先輩の手から抜け出し、切り刻まれた絵の破片を拾い上げてみる。
誰が何の目的で、こんなにひどい事をしたんだろう。
いくら偽物の絵だったとしても、切り刻まれてしまった絵が可哀そうに思えてくる。
『本物の絵』が無事だったのだから良かったんだけど、ちょっとだけアケチを恨めしく思ってしまった。
「莉子。なんで、僕を睨んでんだよ」
ついつい睨んでしまっていた。ごめんよ。でも、いくら偽物でも、この世に誕生した絵も助けてほしかった。そう思うのは私のわがままなんだけどね。
「ごめん。なんだか、いくら偽物でもこうやって切り刻まれた絵を見ていたら哀そうかなって思っちゃって……」
そう言った私の手からアケチがスッと紙切れを奪った。
すると、床に散らばっている絵を一枚一枚拾っては、見つめ直している。
今更後悔しても遅いんだからね。って心の中であっかんべってしたけど、アケチの様子が少しおかしい。おかしいのはいつもだけど、いつもよりさらに挙動不審っていうか不審人物に近い。っていうか思いっきり不審人物。
アケチは這いつくばるように切り刻まれた絵の破片を集め出した。
「広瀬先輩、これ預かってもいいですか?」
「犯人がわざわざ置いていったんだから、いいんじゃない」
広瀬先輩は能天気にそう答えた。
「では、遠慮なく。莉子、お前も手伝ってくれ」
私は言われるがまま、あちこちに散乱している絵の切れ端を拾い集めた。
散らばっているときにはあまり感じなかったけど、拾い集めてみるとかなり量があり、両手では収まりきらない。
何を思ったのかアケチは着ていたブレザーを脱いだ。袖をそれぞれ結ぶと床に広げ、拾い集めた絵の破片をその上に入れた。
適当な袋が見つからなかったから、自分のブレザーを風呂敷代わりにしたみたい。
「アケチ、これどうするの?」
「これは犯人の手がかりだ。ひとつ残らず拾い集めるぞ」
アケチはそう言うと、腕まくりをして残った絵の破片を拾い集めようとしゃがみこんだ。
この絵の破片が犯人の手がかり?
そのまま一心不乱に絵の破片を集め出すかと思っていたけれど、いきなりアケチの手がピタリと止まった。
アケチは立ち上がると、呆然と立ち尽くしている広瀬先輩に向き直った。
「広瀬先輩、そういえば先ほど気になることを言っていましたね」
広瀬先輩の顔が一瞬だけこわばった。
「ボク何か言ったかな」
「ええ、はっきりと。『犯人は絵を送りたくなくて、こんな凶行を犯した』と言いました。まるで、犯人を知っているみたいですね」
「ボクが……犯人を知っているわけないじゃないか」
広瀬先輩の声が少しだけ上ずった。
「犯人はまだ、外部の者か内部の者かもわかっていない。単なるイタズラかもしれない。それなのに何故、犯人が『絵』を送りたくないと断言できたんですか?」
アケチは言及の手を緩めない。
「それは……」
広瀬先輩は視線を宙にさまよわせた。まるで答えがどこかに書いていないかと探しているようだ。
「それは?」
言葉を詰まらせる広瀬先輩に、アケチは執拗に聞き返した。
さまよっていた視線が、ブレザーの上に山積みされた絵の破片のところで止まると、ようやく広瀬先輩の口から言葉があふれだした。
「犯人はすべての絵を切り刻んだんだ。本当なら送りたくない絵だけを切ればよかったのに、みんなの絵を切り刻んだ。ということは、美術部に恨みを持つ者の仕業か、コンクールに出展してほしくない者の仕業じゃないかって思っただけさ。君だって、さっき『部長が誰かに恨まれているか、嫉妬心を抱いている人がいないか』って聞いただろ。ボクもそうかもしれないって思っただけさ。じゃなきゃ、こんなひどい事するわけないじゃないか。スケッチブックを隠すのとはわけが違う」
広瀬先輩の答えに、アケチは無言のままただジッと広瀬先輩を見ていた。
その静寂が不安だったのか、広瀬先輩は少しだけ落ち着きをなくしていた。
「……な、何?」
「いいえ」
アケチは短く答えると、広げていたブレザーを包みだした。
「え? 全部拾うんじゃなかったの?」
腕まくりまでして絵を拾い集めようとしていたのに、アケチは急にそれを止めてしまった。私にまで指示しておきながら、その気の変わりようは何なんだって言い返そうとしたけど、これまでにないアケチの真剣な顔に、私は何も言うことが出来なかった。
「チャイムが鳴りました。教室に戻りましょう」
アケチはそれだけ言うと、ブレザーに包んだ絵を抱えて美術室を出て行った。
私は慌ててアケチの後を追ったけど、広瀬先輩が怒りに任せて机を蹴飛ばした姿が視界の片隅に飛び込んできた。
それが頭にこびりついて、いつまでも離れなかった。
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