現場検証

「あれ? 水町は?」


 聖来の姿が見えないことに、野村先生が首をかしげた。


「精魂を注いで描いた絵が、無残に切り刻まれた情景を彼女に見せるのは酷かと……」


 広瀬先輩がそれらしいことを言った。


 この人ただ物じゃないかも。私だったら思わず口ごもるところだけれど、すんなりとそんな事が言えちゃうんだもん。曲者だよね。うん。


 ほら、野村先生だって疑問に思うことなく納得しているもん。


「そうだな。部員達に見せるのは酷かもしれん……って、広瀬は平気なのか?」

 

 思わぬ返しがきたけれど、さすが曲者。それもすんなりと交わしてしまう。


「ボクはチラッとだけど一応見ているので耐性ができているし、大丈夫です」


「そうか……」


野村先生しんみりしちゃった。でも、ご安心ください。絵は無事ですよ。きっと……ね。


 カギを開け、ドアが開かれると、野村先生が先陣を切って美術室に入った。


 続いて美術室に入った広瀬先輩が息を飲んだ。現場はそのままの状態で放置されていた。


 梱包された絵が、無残にも段ボールごとメッタメッタに切り刻まれ、あちこちに散乱していた。その切り口から憎悪さえ感じてくる。一切躊躇した様子はみられない。


 ここまで思いっきりやれば、やった本人はさぞスッキリしたことだろう。


「よくもまあ、これだけ盛大に切り刻んでくれたな」


 感心したような、けれど少しがっかりしたような表情で広瀬先輩が呟いた。


 自分が一生懸命描いた絵が、見るも無残に切り刻まれていればそりゃあ、むなしくもなるだろう。


 すかさずアケチが声をかけた。


「先生、まず写真を撮りたいので何も触らないでください。広瀬先輩も。それから、これをつけてください」


 そう言うと、野村先生と広瀬先輩に白い手袋を渡した。


 私はポケットから『マイ手袋』を取り出し、手早く装着。


「オッケー。意外と本格的なんだね」


 広瀬先輩はアケチから手袋を受け取ると、少し嬉しそうに手袋をはめた。


「手袋は捜査の基本ですよ。本当ならシューズカバーもつけたいところですが、今は手持ちがないので、手袋だけです」


 アケチが得意げに言った。


 何事も形は大切。手袋をはめただけでも気分が盛り上がる。


「そんな事までするのか? まさか指紋まで採ったりしないだろうな」


 野村先生は厄介ごとはごめんだというように、顔をしかめた。


「僕が目指しているのは安楽椅子探偵であって、科学捜査ではありませんからそこまではしませんよ。あくまで雰囲気を味わうだけです」


「……」


 野村先生はアケチの言葉を理解することを放棄したのか、それ以上は何も聞いてくることはなく、黙って手袋を装着した。


 それは仕方のない事。いきなり安楽椅子探偵と言われても、興味のない人からしたら意味不明な単語でしかない。


「あんらくいすたんていって何?」


 広瀬先輩がこっそり私に聞いてきた。


「大まかに言うと、書斎の椅子に深々と腰を下ろし、現場などに出向くことなくデータだけを頼りに事件の謎を解く探偵の事です」


「へぇ~、なんだかカッコいいね」


 そうこうしているうちに、アケチがスマホを取り出し美術室の写真をパシャパシャ撮りだした。私も自分のスマホを取り出し、あちこち写真に収める。二人でとった方が取り残しが減らせるし、角度が違うだけで見え方が変わり、真相に近づけることもある。


 美術室の構造は私たちが活動している理科室とほぼ同じ。教室の前には黒板があり、後ろにはロッカーがある。そのロッカーには美術に関する本やデッサンに必要なものが入れられている。そのロッカーの上に、ヴィーナスやブルータスがいる。


 木製の長方形の大きな机が六台あり、その机を囲むように同じ木製の椅子がある。


 教室の周りに何脚かイーゼルが立てかけてあったり、隅の方に描きかけのキャンパスや小さな台の上に出しっぱなしになっている絵の具や筆がおいてあった。


 バラバラに切り刻まれた絵やそれが入っていたであろう段ボールの破片が床や机の上に散らかっていた。ヴィーナスやブルータスの上にも紙吹雪のように絵の破片がのっかっていた。不思議なことにじんくにんには一枚も破片がついていなかった。


 それらすべてを写真に収めていく。


「ねえねえ、莉子ちゃん。あれも必要なの?」


 広瀬先輩が不思議そうに聞いてきた。


 見れば、アケチが調子に乗ってヴィーナスとのツーショットを撮っていたり、お泊り記念にヴィーナスとブルータスそれにじんくんのスリーショットを撮っていた。


「いいえ、あれは記念写真です。お気になさらず」


私も撮りたかったけど遠慮したのに、アケチばっかりズルい。あとで、送ってもらおう。


 もちろんアケチとヴィーナスのツーショットじゃなくて、じんくんとヴィーナスとブルータスのスリーショットの方。


 最初は嬉々として撮っていたアケチだけど、でもなんだか写真を撮っているアケチの表情が、少しずつ曇っていく。蓮くんに不利な物でも見つけたのだろうか。こっちまで不安になる。


 私はそっとアケチに聞いてみた。


「どうしたの? なんか見つけた?」


「う~ん……。さっきからモヤモヤとした違和感があるんだけれど、それがなんだかわからない」


違和感?  ビリビリに切り刻まれた絵が散乱している美術室そのものが違和感でしかないから、アケチの言う違和感が何なのかなんて、私には見当もつかない。


 あえて言うなら、廊下側の壁のところに不自然に机がひとつ置いてあることかな。そう、ちょうどさっきゴミ箱の上にのぼって開いた通気窓のところだ。どうしてあそこに机がひとつだけ置いてあるのか。何か意味があるに違いないと思っても、その意味までは今は分からない。


アケチも違和感を見つけられないまま写真を撮り終えた。


「よし、もういいですよ」


 アケチの合図で、野村先生も広瀬先輩も美術室の中を眺めまわす。


 アケチはというと、まっ先にじんくんの所へ行った。何やらじんくんに話しかけているようだけど、何を話しているかまでは聞こえなかった。


 すると、トントンと肩を叩かれた。


 見ると、広瀬先輩が奇妙な顔をしてアケチを見ていた。


「えっと……『彼』って言っていいのかな。アケチくんが話しているのは誰? 美術部の新入りにしてはちょっと見かけない顔なんだけど……」


「ああ、『彼』はじんくんって言って、探偵部のメンバーです。いつもは理科室に居るんですけど、イロイロあってひと晩お泊りさせてもらったんです。それが原因で蓮くんが犯人扱いされてしまったんですけど、じんくんは探偵部には欠かせない人物です。憧れのヴィーナスと一緒に居られて楽しかったと思います。ありがとうございました」


 お辞儀をする私に、広瀬先輩も頭を下げた。


「いえいえ、何のお構いもしませんで」


 アケチはじんくんとの会話を終え、こっちに歩いてきた。


「何か『彼』から話を聞けた? 『彼』は一部始終見ていたんだから、犯人を教えてくれたんじゃないか?」


 広瀬先輩はからかいを含んだ声で、アケチに聞いた。


 じんくんは確かに探偵部にとって大切な存在だ。マスコットキャラクターであり、相談役でもある。どんな秘密だって打ち明けられる。彼は絶対に秘密をバラさないから。


 そう、じんくんはとても口が堅い。どんなに誘惑ても、それに屈することはない。例え犯人を見ていて、それが蓮くんを助ける唯一の方法だとしても、彼は口を開くことはない。


当然そんなこと広瀬先輩もわかっていることだから、あえてアケチを揶揄おうとしたのか、広瀬先輩は意地悪な質問をした。


 困った顔を見たかったのかもしれない。


『茶化さないでくださいよぉ~』って言葉を期待したのかもしれない。


 けれど、アケチは晴れやかに、ニッコリと微笑んだ。


「ええ、じんくんはしっかり犯行を見ていましたよ」


 予想していた答えは返ってこなかった。


「え?」


 広瀬先輩は目を見開いて驚いた。


「は?」


私もびっくりしすぎて、声が裏返った。


「すべての人間にじんくんの声が聞こえないのが残念です」


 なんだ、やっぱり何も聞こえてないんじゃんって思った私とは裏腹に、広瀬先輩は妙に真剣な顔でアケチの顔を見ている。


「まるで、君は『彼』の声が聞こえるみたいだね」


「聞こえますよ。僕とじんくんは親友、いや盟友ですから」


 ちょっとちょっと、何適当なこと言ってんのよ。じんくんの声が聞こえる? 

そんなこと初めて聞きましたよ。ウソもほどほどにしないと、アケチの言葉に信憑性がなくなっちゃうよ。


 でも、広瀬先輩は何を思ったのか、真剣にアケチの話を聞いている。


まさか信じたわけじゃないと思うけど、広瀬先輩の表情が緊張のせいか固くなっているのがわかる。


私が感じたように、アケチも広瀬先輩の様子がおかしい事に気付いたみたい。


「何か見られたらまずい事でも?」


 アケチの質問に、広瀬先輩は首を振った。


「いいや、ないよ。でも、もしあっても彼が証言することはできない、だろ?」


 じんくんにそんな特殊な機能はない。探偵部の大切なメンバーだけど、平たく言うと単なる人体模型にすぎない。


 いくら、アケチがじんくんに感情移入していたとしてもじんくんは絶対に声を発することはない。


 声を聴いたとアケチが断言するするのであれば、それは幻聴に過ぎない。じんくんの目に監視カメラや耳に盗聴器でも仕掛けていない限りは無理だ。そんなスパイ映画のような展開は絶対にない。それは断言できる。哀しいけれど、これが現実。


「じんくんは、ちゃんと僕に大切なことを教えてくれましたよ」


 それでもなお、胸を張って答えたアケチ。


 美術室に広瀬先輩の笑い声が響いた。


「……はは、アケチくん。君ってホントに面白い人だね」


 やっぱりと言うべきか、広瀬先輩はアケチの言葉を信じなかった。

 アケチはといえば、それ以上食い下がりはしなかったけれど、写真を撮っていた時の陰りは消え晴れ晴れとした表情をしている。


 何か掴んだのだろうか? それとも私が知らなかっただけで、じんくんは単なる人体模型ではなく、スーパーサイヤ人並みにスーパー人体模型なのかもしれない。


「アケチ、じんくんから何を聞いたのよ」


 こっそりアケチに聞いた。

 アケチが答えようとした時、野村先生が割って入ってきた。


「さ、これで気が済んだだろ。もう授業に戻りなさい」


「いいえ、まだやることがあります」

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