閉ざされた心
授業中なのにこんなところに居た私たちが悪いんだけど、なぜか先生が謝ってきた。
「大丈夫です。ちょうどいいクッションがあったので、私は無事です」
「そうか、それならよかった」
少しホッとしたような顔をした。次に野村先生はクッションの方にチラッと視線を向けたが、特にケガもなさそうなので声もかけなかった。
クッションには後で何かお礼をしよう。
「おい、お前たち、今が授業中だって事知っているよな?」
野村先生は教師の顔に戻り、私たちを睨みつけた。
「もちろん、僕たちは歴としたここの学生なので、今が授業中ってことは知っています」
胸を張って答えるアケチに、野村先生はあきれ顔。
「何をやっている、と聞かずともわかるが、今は授業中だ。教室に戻りなさい」
「真犯人に証拠隠滅される前に、現場を見ておきたいんです」
「真犯人って……、神津が犯人だと信じたくないのも分かるが、目撃者がいるんだ」
「いや、それはすべて状況証拠でしかありません。目撃者はカッターを持っていた連を見ただけ、そしてポケットの中にカギが入っていただけ。実際にカッターで切り刻んでいるところを見たわけでもないし、美術室の中にいる連を見たわけじゃない。これは僕たち探偵部に対しての挑戦状です。受けて立つしかありません。それでやっぱり犯人が連だったとしたら、その時は彼を断罪します。僕はただ真実を知りたいんです。無理を承知でお願いします。中を見させてください」
アケチが深々と頭を下げた。
挑戦状とは大きく出たな。けど、確かに探偵部が立ち会っていながら事件は起き、ましてや探偵部のメンバーが犯人扱いされれば、静観などできるわけがない。挑戦状と受け取れなくもない。
私と聖来もアケチの後に次いで、頭を深々と下げた。
その時、のんびりとした間の抜けた声が聞こえてきた。
「ボクも中を見てみたいなぁ~」
声のヌシは、広瀬先輩。
「広瀬、お前まで授業をサボっているのか?」
「いやだなぁ~、先生。サボっているなんて、人聞きが悪いじゃないですか。ボクらが必死に描いた絵が切り刻まれたんですよ。授業なんて受けていられませんよ」
部員の心情は、顧問である野村先生なら痛いほどわかるに違いない。
野村先生は広瀬先輩に返す言葉がないようだ。
「中を確認できれば、大人しく授業を受けられるのか?」
野村先生に聞かれて、アケチは首が取れそうな勢いで大きく頷く。広瀬先輩はニッコリ笑顔で答えた。私たちも負けじと頷いた。
「仕方ないな……、約束だぞ。じゃあ、カギを持ってくるから待っていなさい」
「はーい」
みんなそろっていい返事。幼稚園生なら花丸をもらえるくらいいい返事だ。
野村先生はその返事を信じ、カギを取りに職員室へと戻っていった。
「で、何か発見できた?」
まるで、宝物でも探しているかのように、楽し気に聞いてくる広瀬先輩。野村先生には絵が切り刻まれてしまい授業なんかしていられないと言っていたけれど、言葉ほどショックを受けているようには見えない。
「特に何も」
アケチも警戒しているのか、先ほど発見した通気窓のカギのことは口にしない。でも、散らかったゴミと逆さまに置いてあるゴミ箱を見て、何も思わないはずもなかった。
「ところで、それは何?」
「カギを使わずに侵入できるかを検証していただけですよ。もちろん小学生でもない限りあの窓を通り抜けることはできませんけど」
言いながら、アケチはゴミ箱をひっくり返し、散らかったゴミをその中に放り込む。私も慌ててそれを手伝う。
「そういえば、広瀬先輩も蓮がカッターを持って立っていたのを目撃したんですよね?」
最後の一つをゴミ箱に入れると、アケチが広瀬先輩に聞いた。
「ああ、彼も驚いた顔をしていたけれど、僕もびっくりしたよ。まさか彼が絵を切り刻むなんて思いもしなかったからね」
「蓮の犯行だと決まったわけではありません」
きっぱりと言い放ったアケチに、広瀬先輩は厳しい視線を向けた。
「彼の犯行ではない、と決まったわけでもないけどね」
すると、ぐすんと鼻をすする音がした。聖来だ。広瀬先輩は聖来の泣き顔を見るとつらそうに顔を歪めた。
「水町さんはこれ以上首を突っ込まない方がいい」
「どうしてですか?」
涙が流れそうになるのを必死でこらえ、聖来が聞いた。
「水町さんは彼に、友情以上の感情を抱いているよね。そんな水町さんが彼の無実を証明することに力を注ぐと、あらぬ疑いをかけられるかもしれない」
「でも……」
言い募ろうとする聖来の言葉を、広瀬先輩は片手を上げて制する。
「あらぬ疑いをかけられれば、ただでさえ不利な状況なのに、さらに無実を証明することが難しくなるんじゃない?」
広瀬先輩の言葉は的を得ていた。
広瀬先輩は、聖来が蓮くんに恋心を抱いていることに気づいている。ということは他にもそう思っている人はいるはずよね。もし、犯行現場に聖来が入ったと知れれば、蓮くんの不利になる証拠を隠したと疑われても仕方のない事だ。
すぐに谷口先輩の顔が浮かんだ。
谷口先輩なら、聖来の指図で蓮くんが犯行に及んだといいかねない。そうなると、蓮くんの無実を証明すのが難しくなるし、そのうえ聖来の共犯説まで出る恐れがある。
それは絶対に避けたい。
広瀬先輩は聖来の事を、いや蓮くんの事を思っての発言だと、今更ながらに気付いた。
「もしかして、広瀬先輩は蓮を犯人だと思っていないのでは?」
私と同じ見解に至ったのか、アケチが広瀬先輩に聞いた。
「さて、それはどうかな」
はぐらかされてしまった。でも、広瀬先輩が言うように、聖来は私たちと一緒に行動を共にしない方がいい。それははっきりしている。
「ごめん、聖来。あとは私たちに任せてもらえるかな」
何かを言いかけた聖来だったけれど、私の言う事に無言で頷いてくれた。
「状況は逐一報告するからね」
「うん」
聖来はそれだけ言うと、その場から去っていった。
聖来の姿が見えなくなったところで、アケチが口を開いた。
「ところで、広瀬先輩。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが……」
「何? 彼女ならいないよ。ただいま絶賛募集中!」
そんなこと誰も聞いていないのに、広瀬先輩ってば何故か私にニッコリ笑顔を向けてきた。蓮くんがイケメンすぎるから霞んでいたけれど、よくよく見てみれば広瀬先輩はなかなかのイケメンだってことを忘れていた。笑顔がさわやかだし、背も高くて頭もよさそう。
これはあくまで偏見だけれど、美術部の男子ってオタク系かと思っていた。でも広瀬先輩からはオタク要素を感じない。どちらかといえばインテリなニオイがする。広瀬先輩なら彼女候補にエントリーしてくる人はたくさんいそう。でも、私にまで笑顔を振りまくところをみると、もしかしてチャラ男なのでは?
そんな事を思って広瀬先輩の事を見ていたからか、私の視線は不審者を見る目になっていたかもしれない。広瀬先輩が小首をかしげた。
「あれ? ボク変なことを言ったかな? もしかして、君たち付き合っていたりするの?」
「「は?」」
思わず二人で叫んでいた。
いきなり何を言いだすかと思えば……。アケチは単なる幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない。あ、いや、アケチは私の事を助手だと思っている。
「私とアケチは幼馴染ってだけですよ。アケチは事あるごとに私を助手扱いするけどね」
ジロリとアケチを睨むと、何故かアケチは不機嫌に鼻をフンってならした。
大人しく助手に居座るつもりはないけれど、今のところ推理力はアケチの方が上だ。悔しいけれどそこは認めるしかない。いつか、アケチを見返し、助手の『じょ』の字も言えないようにするのが、目下の目標ってところかな。
「へぇ~、そうなんだ」
広瀬先輩はアケチの顔を見ながら、意味深にそうつぶやいた。
「けど、アケチくんは莉子ちゃんの事を優秀だと認めているってことだよね?」
「え?」
思わずアケチの顔を見たけれど、アケチは私からは見えない方へ顔を背けているので表情がわからない。
戸惑う私を無視して、広瀬先輩が続けた。
「名探偵って言われているシャーロック・ホームズや明智小五郎が名探偵と言われるのには、優秀な助手のサポートがあってこそだとボクは思う」
優秀な助手がいてこその名探偵か……。そう言われると、助手も悪くないかも。
「ね、アケチくん、君もそう思うだろ?」
広瀬先輩の問いに、アケチはなんて答えるのだろう。気になったけれど、あえて興味ないふりをしてみた。でも、アケチはわざとらしく咳ばらいをしただけで、その答えを口にはしなかった。
「ゴホン……。僕が広瀬先輩に聞きたいのはそんな事ではありません」
アケチの声が少しこわばっているように聞こえた。それに対して、広瀬先輩の態度は相変わらず軽い。
「あれ? そうだった? ゴメン、君の質問は何だったかな?」
「部長さんは誰かに恨まれているってことはありますか? もしくは嫉妬心を抱いているような人はいませんか?」
「何故?」
これまでにない真剣な顔で、広瀬先輩がアケチの質問に疑問をぶつけた。
「先日、部長さんの絵が紛失したことは知っていますよね? いくつか理由を考えてみたんですが、どれもしっくりこなくて……。可能性が高いのは、誰かに恨まれているか、嫉妬心を抱いている人の仕業かと思ったんですけど……」
怨恨か嫉妬の線で考えているようだけど、アケチはいまいち納得できていないみたい。でも、そんなこと広瀬先輩に聞いていいのかなって思っていたら、広瀬先輩が探るような目でアケチを見た。
「それ、ボクに聞く? ボクが井原に嫉妬心を燃やしているかもしれないし、恨みを抱えているかもしれないよ。そういう可能性は考えなかった?」
広瀬先輩も同じことを思っていたみたい。アケチは考えがあって、あえて広瀬先輩に質問しているのだろうか。ゆさぶりをかけているとか? アケチにそんな高等な手法が使えるとは思えない。でもアケチは普段抜けているところが少々、いや、わりと、うーん、かなりあるけれど、推理力はそこそこあると思う。じゃなきゃ探偵部の部長なんてやってらんない。
広瀬先輩は、質問してから少し様子がおかしい。何かを探るような目でアケチを見ているし、気さくな感じだったのに、今では見えないバリアみたいなものを感じる。突然目の前でシャッターを下ろされたようだ。閉店ガラガラって。そういえば、聖来がそんな事言っていたっけ。まさか身を以って体験するとは思ってもいなかったけどね。
でも、アケチは閉まっているシャッターを見て諦めるタイプじゃない。ドンドンと叩いてシャッターを開けさせるタイプだ。
「答えにくいようなので、質問を変えましょう。広瀬先輩は、絵を描くことを苦痛に感じたことはありますか?」
でもそんなアケチの言葉にも、広瀬先輩のシャッターは頑固に閉まったままだ。
「……そうだね。あると言えばあるし、ないと言えばないかな」
広瀬先輩は自嘲するようにフフッと鼻で笑った。
「絵ってさ、楽器や歌と同じように才能の差を感じやすいんだ。新入生が入ってくる時期は本当に地獄だよ。表向きには新入生歓迎って言っているけれど、心の中ではその人がどんな絵を描く人なのか戦々恐々としているよ。自分がどうやっても描けない絵を、さらさらっと描いてしまう人がいたら簡単に心は折れる。単に絵を描くことが好きで、他人がどんな絵を描こうと関係ないって人は別だけど、自分より才能がある人が近くで絵を描いていたら、とてもじゃないけど描いていられないよ。美術部にユウレイ部員が多いのはそれが原因って言っても過言じゃない。楽器や歌は多少下手でも部員みんなで合奏したり合唱したり出来るから仲間意識もわくけど、美術部はひとつの絵をみんなで創作するってことはしないからね、黙々と絵を描くだけだから、案外孤独なんだよ」
そう言って笑った広瀬先輩の笑顔は、少しだけ淋しそうに見えた。
次の瞬間、広瀬先輩に手をギュッと握られた。
「な、なんですかっ?」
「この孤独を埋めてくれる人がいてくれると、ボクの学生生活はもっと潤うんだけどな」
って、ニッコリほほ笑まれても……。ことあるごとにチャラ男発言してくるんだよね、広瀬先輩。これがなければいい人なんだけどな……もったいない。
閉ざされたシャッターはそのままだけど、いつもの広瀬先輩に戻っていた。
「あの、広瀬先輩。そういうの簡単に言っちゃダメですよ。みんな本気にしちゃいますよ」
諫める私の言葉に、広瀬先輩はプクッと頬を膨らませた。
「本気にしてくれていいのにぃ~」
イケメンが拗ねると、どうしてなのか分からないけれど、よしよしって頭を撫でたくなる。これが母性ってやつなのか。でもこういう人に限って本気になった瞬間、冷たくあしらわれるのが常なのよね。ホント、広瀬先輩って人たらし。アケチの質問も上手くかわしたし。
アケチの眉間にシワが寄っている。こんなアケチを見るのはめったにない。大体がアケチに振り回され、いつの間にかアケチのペースになるのがオチだ。
悔しさがにじみ出ているけれど、アケチが口を開く前に野村先生が美術室のカギを持って戻ってきた。
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