スケッチブックのひみつ
数歩歩いたところで、アケチが突然振り向いた。
「水町は、部長さんはどんな絵を描いたと思う?」
突然すぎて、アケチと聖来の距離がグッと近づいた。
聖来がギョッとなったが、あまりの近距離に慌てたのは蓮くんだった。
「ちょっ、お前何やってんだよッ!」
そう言うと蓮くんは、慌ててアケチの襟を引っ張ってすぐさま聖来から引き離した。アケチであろうと聖来の近くにいる男は許せないって感じだ。
むふふふふ……、こんなに一途で分かりやすいのに、どーして聖来は気付かないんだろう。見ているこちらの方がじれったくなる。もしかしたら、聖来も蓮くん以上に鈍感なのかもしれない。聖来とは中学から一緒だけれど、なんだかんだと気が合って、今では何でも言いある仲にはなったけれど、そういえばお互い恋愛の話は今までしたことがなかったな。
私が恋愛に縁遠いのはある意味仕方のない事だけれど、聖来はかわいいしスタイルもいいし、性格は……ちょっと男勝りだけれど、ハキハキしていてとってもいい子。
そんな聖来がこれまで彼氏ができなかったことの方が不思議。今更そんなことに気付いた私だけれど、今は聖来の恋愛事情を気にしている場合ではなかったことを思い出す。私も聖来の答えを待った。でも、肝心の聖来はゾンビと化したアケチの襲来に質問を忘れてしまったみたい。
「えっと、なんだっけ」
「部長さんはどんな絵を描いたと思う?」
前のめり気味に聞くアケチに、蓮くんは落ち着かない様子。
聖来はアケチの勢いに圧倒され一歩下がるも、質問にはちゃんと答えた。
「う~ん……青い絵の具をよく使っていたようだから、やっぱり風景画かな」
「ところで、水町が部長さんの絵を最後に見たのはいつだ?」
「昼休みにスケッチブックを取りに来た時かな、あそこに置いてあったのがそうだと思うけど……」
そう言って、聖来は窓際に置いてあるイーゼルを指さした。
「……ということは、最後に部長さんの絵を見たのは水町ってことか」
「ちょっと待って、なんで聖来が最後だってわかるの?」
質問した私に、アケチが胸を張った。
「すでに聞き込み済みだ」
恐るべしゾンビの行動力。いつの間にみんなに聞いて回ったのやら……、それはともかく、絵を最後に見たのが聖来って、なんか嫌な感じがする。と思った時だった。
アケチが聖来の顔を鋭いまなざしで見つめた。
「水町、お前昼休みにスケッチブックを取りに行ったって言っていたけど、帰る間際もスケッチブックを取りに行ったのは何故だ?」
あッ! ハッとしたのは私だけではなかった。アケチを羽交い絞めしていた蓮くんの手も緩み、当の聖来は何やら気まずそうな顔をした。もやもやとした暗く重い感情が渦を巻く。
「アケチ、もしかして聖来を疑ってんの? 聖来がそんな事するわけないじゃん」
「そうだ。こいつはブスだけど、そんな汚い事をするような奴じゃない」
私の言葉に続いて、蓮くんが褒めてんだかけなしてんだか分からない言葉を吐いた。聖来は喜んでいいのか怒っていいのか分からないといった表情を浮かべている。
大人びた顔をしている蓮くんだけれど、恋愛表現は小学生並みで、好きな子ほどイジメたがる性分らしい。
「水町はブスじゃない!」
アケチが断言した。初めてアケチがまともに見えた瞬間だった。
でも、注目すべきはそこじゃなーい!
アケチが断言するまでもなく聖来はブスではない。超絶イケメンの蓮くんが言うと『ブス』という言葉自体鋭利な刃物のように感じるけれど、断じて聖来はブスではない。どちらかと言えば、いや、どちらかではなく完璧に聖来は美人の部類に入る。しかもとびっきりの。
だから聖来がブスだというなら、私は家畜になってしまうブヒ。
聖来がブスではないことは誰が見ても分かることなので、それは置いておくことにして、断言してほしいのはそこではない。『スケッチブックを取りに行った』という言葉は、確かに引っかかる。魚の骨が喉に刺さった時のように、チクチクと引っかかる。取れそうで取れないじれったさを感じる。いっその事、ご飯粒ごと飲み込んでしまいたくなるが、『喉がキズつくからダメ』ってな感じで、聖来のスケッチブックの件も、無理やり聞き出そうとすれば何かを傷つけてしまいそうな気がした。
とはいえ、スルーすることもできない。モヤモヤした思いを胸に、私は聖来を見た。
すると、聖来は言いにくそうに顔を歪めた。
「……実は、私の……スケッチブックが見つからないの」
「なんだってっ!」
真っ先に反応したのは蓮くんだった。
あまりの声の大きさに、近くにいた女の子がいぶかしげな目でこっちを見たけれど、蓮くんは気付かないのか気にしないのか、そのまま言葉を投げつける。
「なんでそれを早く言わないんだ。バカかお前は!」
「バカって……ブスは許せるけど、バカは許せないな」
え? ブスは許せるの? そこは許しちゃダメだブヒ。聖来の怒りスイッチは謎だ。
「この状況で私のスケッチブックがないって言ったら、面倒くさいでしょ」
「面倒くさいってなんだよ。お前にとってスケッチブックは大切じゃないのかよ」
「大切に決まっているでしょ。でも、今は私のスケッチブックより部長の絵の方が大切って事よ、このとうへんぼく! 無駄に背が高すぎて、脳にまで血液がめぐっていないんじゃないの?」
「なっ! お前こそちゃんと飯食ってんのか? そんな細っこい体じゃ脳みそにまで栄養がいっていないだろ」
蓮くんと聖来の言い合いは方向性を見失いかけている。
「あんたが居ても何の役にも立たないわよ。さっさと帰りなさいよ」
聖来はシッシッと蓮くんを追い払う。蓮くんを虫扱いできるのは聖来ぐらいなのでは、とある意味感心していたら、蓮くんが怒った。
「お前のスケッチブックがないなんて聞いたら、帰れるわけないだろ!」
言ってしまってすぐに気づいたのか、蓮くんの顔がみるみる赤くなっていく。言われた聖来は目を見開いて、蓮くんの顔を見つめたまま固まった。
「あああああ、あくまで友だちとしてだ。勘違いするな」
苦しい言い訳。
けれど、聖来はそれをすんなり受け入れる。赤い顔をして。
「わわわわわ、分かってるわよ」
聖来の顔もみるみる赤くなっていく。もしかして聖来もまんざらでもないのかも。
そしたら私はお邪魔虫? ならばあとは若い者同士で……。
私は、再び不思議な動きをするアケチを回収しに行く。早いとこ撤収しようと思った矢先に、アケチがゴミ箱の中から何かを拾い上げていた。
「ちょっと何やってんのよ。もう帰ろ。部外者なんだからイロイロいじったらダメだよ」
「これ、水町のスケッチブックじゃないか?」
アケチはゴミ箱に捨てられていたスケッチブックをパラパラとめくりながらつぶやいた。
覗き込んで見てみると、そこには頬杖をついている姿や、グランドを走る姿、うたた寝している姿と、すべて同じ人物の絵が描いてあった。
自慢じゃないけど、私が描いた絵は何を描いても同じ絵に見えるらしい。誰を描こうが全て案山子に見えると中学校の美術の先生に言われた事がある。ちなみにかわいい猫の絵を描いた時には、この世のものではない化け物って言われたっけ。ホント自慢にもならない。
けれど、ここに描かれている人物は誰が見ても蓮くんで、今にも動き出しそうな躍動感がある。
絵の練習? デッサン? 確かに蓮くんはモデルにするには良い逸材かもしれない。けれど、ここに描かれている絵はそんなんじゃない。この絵からひしひしと『好き』という想いが伝わってくるではないですか! まさしく『恋』だよ。これを描いた人物は、蓮くんのことが大好きなんだ。でもこのスケッチブックには名前が書いていない。イニシャルさえも書かれていない。なのに、なんでアケチはこれが聖来の物だと思ったんだろう。
蓮くんが聖来を好きなのは明らかだけど、聖来は蓮くんの事を意識しているようには見えない。あ、でも、さっきの聖来はいつもと様子が違ったような気がする。いやいやいやいや、聖来がスケッチブックを探しているからそう思ったに違いない。
「なんでこれが聖来のものなのよ。どこにも名前なんて書いていないじゃない」
「あ、ホントだ。でも水町って蓮の事が好きだろ? だから水町のかと……」
「え――――っ!」
花より団子、恋より推理のアケチが何故に乙女の気持ちが分かるんだい?
親友の私ですら気付かなかったんだよ。ありえないでしょ!
「あれ? お前気付いていなかったの?」
何その上から目線的な発言は! アケチのくせに、アケチのくせに……。
いや、待てよ。もしかしたらアケチの勘違いってこともある。
焦る私をよそに、アケチは更に追い打ちをかけてくる。
「水町、いっつも蓮のことを見ているぜ」
マジですか……。って、なんでアケチは聖来が蓮くんの事、いつも見ているって知っているんだろう。恋い焦がれて蓮くんを見つめる聖来のことを、アケチはいつも見ていたってことなんだろうか。
チクン――と、なぜか胸が痛んだ。
ん? なぜ私の胸が痛む? もしかして変な病気? 心臓のなんかよくわかんない病名の病気かも……。なんて思っていたら、いきなりアケチが叫んだ。
「おーい、水町。これお前のスケッチブックか?」
蓮くんと気まずい雰囲気になっていた聖来が、渡りに船とばかりにすぐさまこちらに駆け寄ってきた。
パラパラとめくるアケチの手から、聖来はスケッチブックをひったくるようにして取り上げた。そしてこっそりと中をのぞく。このスケッチブックが本当に聖来の物なら、そうやって見たくなる気持ちは分かる。でも、聖来、ごめんよ。そこに描かれている絵はバッチリ見させてもらったよ。
「それ、水町のだろ?」
聖来の気持ちを汲み取る酌を持ち合わせていないアケチが無遠慮に尋ねると、聖来はジロリと睨みつけてきた。その眼差しからレイザービームが出ていたら、アケチと私は確実にこの世を去っていたであろう、凄まじい睨みだ。その睨みがすべてを語っていた。
蓮くんがびっしり描かれているそのスケッチブックは、アケチの読み通り聖来の物だということを。
な~んだ。聖来も蓮くんの事が好きなら、二人は両想い。ベストカップル誕生だね。なんて呑気に考えていたら、聖来がもの凄い勢いで迫ってきた。気づいた時には、アケチは胸ぐらを掴まれ私もギロっと睨まれた。
「この事あいつに言ったら、市中引き回しのうえ、打ち首、獄門だからね」
これって、よく時代劇でお奉行様が言い渡すヤツだよね。令和の時代に何故そんなご沙汰が下されたのか理解に苦しむが、聖来の形相から口ごたえできる状況ではない。
「……分かった。だ、誰にも言わな……い」
胸ぐらを掴まれて苦しいのか、アケチは掠れる声で途切れ途切れに答えた。すると、アケチの首を絞める手はゆるめずに、私に返事を求めてきた。
視線だけで殺されそう。
「絶対誰にも言わない。お墓まで持っていきます」
私の答えに満足したのか、聖来は胸ぐらを掴んでいた手を放し、鬼気迫る表情を緩めた。
私の分まで首を絞められていたアケチがようやく解放された。
「し、死ぬかと思った……」
ぜぇ~はぁ~と肩で息をするアケチをよそに、にこにこにっこり、聖来が満面の笑みを浮かべた
「さ、帰ろっか」
あれ……? さっきまでそこにいた無慈悲なお奉行様はいずこ?
あっけに取られる私とは打って変わり、先ほどまで首を絞められていたアケチは何事もなかったかのように歩き出した。
「よし、じゃあ帰るぞ」
アケチが元気に言った。
え?
「帰るの?」
私はてっきり部長の絵を探すのかと思っていたから、想定外すぎて戸惑った。
首をかしげる私に、アケチは当然だとでも言うようにきっぱり言い切った。
「水町のスケッチブックが見つかったんだ。帰るぞ」
ホントに、ほんとに、本当? まだ部長の絵は見つかっていないのに? 目の前に謎がぶら下がっているのに? 三度の飯より推理が大好きなアケチなのに、何もしないで帰る? 聞き込みをしただけで気が済んだの? 信じられない。
「アケチ、あんた具合でも悪いの?」
「いいや。すこぶる元気だ」
ウソでしょ。天変地異でも起きるのか? それとも槍でも降るのか?
私の心配をよそに、アケチは笑顔で美術室を出ていく。
「ところで、水町はコンクールに絵を出すのか?」
少し後ろを歩いていた聖来に、アケチが尋ねた。
「うん。部長の絵にはかなわないけれど、ダメもとで出してみようと思ってる」
聖来の答えを聞くと、突然アケチが聖来に耳打ちした。
蓮くんは当然話の内容が気になってそわそわしている。ホント可愛いヤツ。と思ったけれど、なんかさっきから胸がモヤモヤして仕方がない。
どうしてだろう。今日何か変な物でも食べたかな……。
そんな事を考えていたら歩くのが遅くなった。
「おーい、莉子! 何トロトロ歩いてんだ? 置いてくぞ」
アケチに呼ばれて、私は慌ててみんなの元へかけて行った。
聖来と蓮くんは相変わらず意味が分からない痴話ゲンカをしていたけれど、私はいつもと様子の違うアケチが気になって仕方がなかった。
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