ゾンビVSゴブリン

 美術室の中から、男の人が喚き散らす声が聞こえてきた。


「ようやく完成したのに……ああ、どうしようこれから新しい絵を描こうにも、あと一週間しかない……ああ、なんてことだ! こんな事ってあるか?」


 少し芝居がかったような物言いが気になったけれど、それよりも美術室の様子に目を奪われた。まるで泥棒がかき乱したかのように散らかっていた。


 部屋の隅の方で、他の女生徒たちと一緒に身を寄せている聖来の姿を見つけた。聖来も私たちに気付いて、散らかっている物たちを踏みつけないよう歩み寄ってきてくれた。


「ごめんね。スケッチブックを取りに来たらすごい騒ぎになっていて、一緒に帰ろうって言っといて悪いけど、先に帰ってくれる?」


「何があったんだ?」


 蓮くんが聞いた。


 この惨状を目の当たりにして、探求心が芽生えない人の方が珍しい。アケチじゃなくても気になるところだ。


「部長の絵が無くなったらしいの。それも、一週間後に締め切りが迫っていたコンクール用の絵で、ようやく昨日完成したって言っていたんだけれど、その絵が見つからないって、パニックになっているの」


「さて、名探偵の出番かな」


 いや、アケチの出番はないよ。誰も呼んでないし。


「ちょ、ちょっとアケチ、出しゃばらない方がいいよ」


 と引き留める私の声は、悲しいかなアケチには届かない。


 迷探偵くん、騒ぎだけは大きくしてくれるなよ。


 闊歩するアケチの背中に、焦げ付くほどに熱視線を送ったけれど気付くわけもなく、アケチは人だかりをかき分けて美術室へと入っていった。 許可もなくズカズカと美術室に入って、何やら物色しだすアケチ。あんな風になってしまうと、ちょっとやそっとじゃアケチを止められない。


「ごめん。ちょっと……だいぶ迷惑かけると思う。思いっきり知らない人の振りをしてやり過ごすしかないかも」


 私が言うまでもなく、聖来はアケチの様子から察したようで、


「ゾンビ以上にしつこいからね。けど、うちの部長もゴブリンなみにねちっこいところあるからね。ある意味ゾンビとゴブリンの戦いは見ものかも」


 と、小声でささやいた。


 ゴ、ゴブリンか……。こりゃあ、見ものだな。と思ったそばから怒声が響いた。


「なんだと! お前は俺をバカにしているのかッ!」


 さっそくゾンビ対ゴブリンの戦いが始まったみたい。

 私たちは慌ててゾンビとゴブリン……アケチと部長さんの元へ駆けつけた。


「バカになんてしていませんよ。単なる確認です。やだなぁ~そんなにヒステリックにならないでくださいよぉ~」


 とぼけた口調のゾンビ……もといアケチに、ゴブリンこと美術部の部長さんは、怒りのあまりに言葉が紡げないのか、あわあわと口を開けたまま何も言い返せないでいた。


 まあまあと、聖来が部長さんを宥めてくれているので、その隙に私はアケチの腕を引いて部長さんに張り付いたアケチを引きはがす。


「ちょっと、アケチ、何を言ったのよ」


「何って、本当に絵はここにあったのかって聞いただけだよ。勘違いってこともあるだろ? 単なる確認だよ。よく刑事ドラマでも聞くだろ? アリバイとかさ。『これは皆さんに確認していることなんですよ』って感じでさ」


 確かにそうだけど。そんでもって、『僕の事疑っているんですか?』なんて、怒って見せたりするよね。推理ものにはあるあるなんだけど、当事者にしてみたら腹立たしいことこの上ない。例に漏れず、部長さんめっちゃ怒ってるし。 


「なんなんだ、お前は! 部外者は出て行ってくれ」


「僕ですか? 僕はこういうものです」


 そう言うと、アケチは胸ポケットから一枚のカードを取り出した。


「なんだこれは」


「え? 僕の名刺ですよ」


「はぁ~? 名刺? そんなもんいつの間に作ったのよ」


 初耳ですけど?

 同じ部に所属している私に無断で、何勝手に作っちゃってんのよッ!


 あまりの出来事に、部長さんより私の方が先に反応しちゃったじゃない。

部長さんは、ジッと名刺を見ている。


「あ、そうだ。お前らのもあるぞ」


 なんか嫌な予感がする。


 胸ポケットから何枚かカードを取り出すと、アケチは私と蓮くんにそれぞれカードを渡した。


 予感的中。カードには『探偵部 助手 小林莉子』と書かれていた。

 見た瞬間、こめかみがピクピクしたけれど、とりあえず、蓮くんのカードに視線を走らせると『見習い』と書かれていた。


「智明くん。あとでゆっくりお話ししましょうか」


「え? ……ぼ、僕には何もお話しすることは……」


 言い終わらないうちに何かを察したのか、アケチはプルプル震える私の手から、そ~っとカードを抜き取った。


「これは、破棄します……ね」


「当然! なんで私があんたの助手なのよ! 蓮くんも何か言ってやんなさいよ。見習いなんてひどすぎるッ!」


「別に、俺は見習いでも――」


「よくなーい!」


 と、声を張り上げたところで、それ以上の怒声が響く。


「うるさいっ! そんなことはどうでもいいっ! 俺はお前らのおままごとに付き合うほど暇じゃない! とっととこの部屋から出ていけっ!」


 部長さんはアケチが渡したカードをビリビリに破いた。


「ちょっと、莉子まで何やってんのよ」


 聖来が私の脇腹をつついた。


「申し訳ない……」


 だって、だって、『助手』ってイヤなんだもん。私も『探偵』がいいんだもん。じゃなきゃ、誰が好き好んで探偵部になんて入るのよ。貴重な初期メンバーだよ、私。


 はじめは暴走するアケチのお目付け役的な感じだったけれど、私だって推理小説好きだし、探偵に憧れたりもする。小さい頃なんて、『私、シャーロックホームズと結婚する』なんて、恥ずかしい事も平気で言っていたくらい探偵が好きなのに、なんで私が『助手』なのよ! しかもアケチの助手なんて、絶対にイヤ! 冗談じゃない!


 聖来に怒られてヘコんでいたけれど、怒りパワーでちょっと復活した。


一方アケチもすごく怒鳴られたのに『めげる』ってことを知らないのか、しぶとく部長さんに食らいつく。


「絵を探すお手伝いをしたいだけですよ。質問に答えてくれたら、すぐ退散しますんで、お願いしますよ」


「探す手伝いなんか不要だ。とっとと出ていけ」


「そう言わずに、お邪魔はしませんから。これも一応探偵部の活動なのでお願いします。いくつか質問に答えていただくだけでいいですから」


「本当に質問に答えたら、出ていくんだな?」


 執拗につきまとうアケチに観念したのか、部長さんが聞いた。


 すると、アケチはニコニコ笑顔で頷いた。


 ゾンビ対ゴブリン、今回の対決はゾンビに軍配が上がったようだ。

 さっそくアケチが質問する。


「部長さんが、最後に絵を見たのはいつですか?」


「朝登校してきたときに、絵の具の乾き具合を見に来たのが最後だ」


「そうですか、どんな絵なんですか?」


 部長さんは何故か口を閉ざした。すると、アケチは別の質問をした。


「この部屋は施錠されていたんですか?」


「いいや、普段からカギはかかっていない」


「で、どんな絵なんですか?」


「……」


「部長さんの絵がここに置いてあったのは、皆さんご存じなんですか?」


「ああ、知っている」


「ところで、どんな絵を描かれたんですか?」


「……」


「部長さんがこの部屋に来た時、誰かいましたか?」


「いいや、誰もいなかった」


「誰かに恨まれているとか?」


「さあな、自分に心当たりがなくても恨まれることもあるからな」


「確かに。で、どんな絵なんですか?」


「……」


 いくつもの質問にすんなり答える部長さん。けれど、絵の内容になると、なぜか口をつぐんでしまう。どうしてそれだけ答えてくれないのか気になるけれど、先ほどから痛いくらいの視線を感じる。


 これは蓮くんの隣を歩いていた時に感じた視線とは、少し様子が違う。見れば、鋭い視線でこちらを睨みつけている女生徒がいた。


 女生徒は部長さんやアケチではなく、私や蓮くんでもなくなぜか聖来の事を睨んでいるようだった。こっそり聖来に聞いてみる。


「ねえねえ、聖来。あの人さっきからずっと聖来の事睨んでいるけど、あんたなんかしたの?」


 聖来も視線には気づいていたようで、少し困った顔をした。


「谷口先輩……でしょ。私には心当たりがないんだけど、何日か前から私に対して当たりが強いのよ。気付かないうちに何かやらかしちゃったのかな」


 不安そうな聖来。


 聖来はとても美人でスタイルもいい。頭も良くて運動もできる。普通ここまで完璧だといわれのない妬みや恨みを買いやすいけれど、男っぽいサバサバした性格ゆえか、同性からあまり嫌われることがない。中学の時には女の子からもラブレターをもらうくらいだ。


 とはいえ、面白く思わない人もいるだろう。モテるがゆえに恨まれるのは、ある意味仕方のないことかもしれない。


 そんな事を考えている間にも、アケチと部長さんの会話は続いていた。


「朝、絵は乾いていましたか?」


「いや、まだ乾いていなかったからここに置いておいたんだ」


「そうですか。それは心配ですね」


「ああ、そうだな。誰かのいたずらなら早く返してほしいもんだ」


「心配はそれだけですか?」


「絵がなくなったんだ、それ以外に何を心配しろって言うんだ」


 怒り気味の部長の言葉に、アケチは納得したようにうなずいた。


「本当に、早く見つかるといいですね。で、どんな絵なんですか?」


「……」


 またもや無言の部長さん。


「どんな食べ物が好きなんですか?」


「ハンバーグ」


 これには部長さんはすんなり答えてくれた。


「おお、僕と一緒です。で、どんな絵なんですか?」


「……」


 かたくなに口を閉ざす部長に対し、しつこく聞くアケチ。でも全く関係ない質問になっていることに、はたして気付いているのか……。


「どんな小説が好きですか?」


「あまり本は読まない」


「え? そうなんですか? 僕は推理小説が好きなんです。アーサー・コナン・ドイルの緋色の研究はおすすめですよ。で、どんな絵なんですか?」


「……」


「どんなパンツ履いているんですか?」


「白の――って、そんな事聞いてどうするんだっ! もういいだろ。さっさと出て行ってくれ」


 パンツの色まで答えようとしたくせに、自分が描いた絵の事だけは頑として言おうとしない部長さん。これにはアケチも観念したようだ。


 ゴブリンの勝利である。


 これでアケチもおとなしく帰るだろう、そう思って部屋を出ていこうとした私の腕を、聖来が引っ張った。


「ゾンビが他の獲物を見つけたみたい」


 聖来が化け物でも見るかのような表情をしていた。聖来の視線をたどると、強靭な精神力の持ち主のゾンビ……アケチが、美術部員たちに話を聞いていた。


「はぁ~」


 思わずため息が出た。これ以上騒ぎを大きくしないほうが身のためだと思うけど……。


 でも、アケチはこちらの心配をよそに、他人のテリトリーにズカズカと入っていく。


 誰かアイツを麻酔銃で撃ってくれ!

 そしたら、ちっちゃい名探偵がちょいちょいっと解決してくれるから。


 でも、そんなうまい話は現実には存在しない。だから、仕方なく私はゾンビを回収しに行く。


 アケチは、教室の隅のほうでかたまっている三人の女生徒たちに話を聞いていた。


「ほんの些細なことでもいいんです。何か気付いたこととか、いつもと違う事ってなかったですか?」


 腰を低めに尋ねるアケチを、三人はあからさまに不審者を見るような目で見つめている。


 けれど、そこへ私と聖来、蓮くんが行くと、三人の態度がコロッと変わった。


 視線は蓮くんにくぎ付けだ。


「え~、気付いたことって言われてもぉ~、何も思いつかないですぅ」


 先ほどまであからさまに嫌そうな顔をしていた女の子の態度がコロッと変わった。

 質問したアケチになど見向きもしていなっかった女の子が、甘ったるい声で答えを返えしてきた。


 けれど、アケチも手慣れたもので、まったく気にしていない様子。逆に質問しやすくなって助かっているようにさえ見える。アケチはこれ幸いとばかりに、質問を重ねる。


「部長さんの絵はどんな絵なんですか?」


 すると、三人が三人とも顔を見合わせ首を捻った。


「部長はみんなに絵が見えないように描いていたし、聞いても教えてくれなかったから、どんな絵を描いていたかはわからない」


 おさげの女の子がそう言うと、他の二人も同意したようにうなずいた。


「そもそも、創作中はあまり人の絵を見ないかな。構図が似てしまったり、影響されたりしちゃうから」


 ショートカットの女の子が付け足すようにそう答えた。


 すると、それには聖来も同じみたいで、うんうんと頷いた。


「じゃあ、これ以上は探せないよね」


 ゾンビを回収すべく、『捜索できない』ことを言葉に乗せたのに、私の意図を無視して、大人しそうな女の子が口を開いた。


「でも、その人の特徴って絵に出るから、見ればわかるかも」


 その言葉にアケチが食いつかないわけがない。


「部長さんが描いた絵はどんな感じなんですか?」


 思いっきり前のめりに聞くアケチに恐怖を覚えながらも、ショートカットの女の子が思い出したように、棚の上に飾られていた絵を指さした。


「あの絵は部長が描いた絵よ。去年優秀賞をとったの」


 何枚か飾られている絵の中に、優秀賞と書かれた札が貼ってある絵があった。

 芸術的なことはよく分からないけれど、ひと言でいうなら、幻想的な絵。


 海に沈んでいく夕日が空を赤く染めているが、夕日を追うように夜空が迫ってくるそんな絵だ。とてもゴブリンが描いた絵とは思えない繊細さを感じさせる。


 でも優秀賞をとった絵にしては、ぞんざいに扱われているような……。傾いているし、札も取れかかっている。そう思っているのは私だけなのか、部員たちはあまり気にしている様子はない。


「そういえば、部長の人物画って見たことないかも」


 おさげの女の子がポツリとこぼすと、大人しめの女の子も頷いた。


「確かにそうかも。部長は風景画を描いているイメージが強いかな。今回も風景画じゃないかな」


 アケチは三人から聞いたことを小さなメモ帳に記すと、小さくお辞儀をした。


「ありがとうございました」


 それに合わせて蓮くんもお辞儀をすると、小さな黄色い悲鳴が上がった。


 アケチはそれを無視して、今度はジッと部長さんの事を見つめている女の子のところへと足を向けた。先ほどから聖来の事を睨みつけていた谷口先輩だ。


「あの~、ちょっとお話聞かせてもらってもいいですか?」


 谷口先輩はアケチの事をチラッと見ると、その後ろにいた私と聖来、蓮くんの事を順番に見て、再び視線を戻すと聖来のところで止まった。


「あんたたちに話すことなんか何もないわよ」


 思いっきりトゲトゲしい言葉を投げてきた。でも、そんな薔薇のトゲほどもない小さなトゲではビクともしないのがゾンビのハートだ。


「お時間とらせませんから」


 食い下がるアケチに、谷口先輩はあからさまに舌打ちをした。残念ながら谷口先輩には蓮くんのイケメンマジックは効かないようだ。それどころか、谷口先輩は新たなトゲを投げつけてきた。


「水町さん、部外者なんか連れてこないでよ。さっさと追い出して」


「すみません」


 聖来がすぐに謝った。けれど、谷口先輩の放ったトゲは思いもよらないところに刺さったようだ。


「水町は何も悪い事はしていないだろ、こいつに当たるのは筋違いだろ」


 蓮くんが谷口先輩にかみついた。仮にも先輩にたしてため口で言い返した蓮くん。いつもなら礼儀正しい蓮くんも好きな女の子のこととなるとそんなことすらどうでもよくなってしまうようだ。


 蓮くんが噛みついてくることを予想もしていなかったのか、谷口先輩は目を丸くた。


「落ち着け、蓮」


 アケチが珍しくなだめる側の役をしたけど、役不足だったみたいで蓮くんの怒りは収まらない。


「俺は至って冷静だ」


 いやいやいやいや……かなり熱くなっていますよ。やかんをのせたらすぐにお湯が沸きそうだ。聖来もかなり驚いたようで、穴が開きそうなくらい蓮くんを凝視している。アケチはなだめることをすぐに放棄したのかすぐさま口撃を開始した。


「すぐに退散しますんで、ひとつだけ質問いいですか?」


「何?」


 谷口先輩の不機嫌さは変わらなかったけれど、質問には答えてくれるようだ。


「消えた部長さんの絵ってどんな絵だったんですか?」


 すると、谷口先輩は再び聖来にきつい視線を投げてきた。身の置き所に困った聖来が下を向くと、蓮くんが聖来と谷口先輩の間に立ち、視線を遮る。睨みつける相手を失った谷口先輩は、フンと鼻をならしそっぽを向きながら吐き捨てるように言った。


「さあね、何だったかしら」


  やはり知らないようだった。アケチは前述したようにすぐに退散する。が、やっぱりゾンビ、一筋縄ではいかない。去り際に、言葉をひとつ投げかけた。


「部長さんのゴリラの絵はさぞかし本物そっくりなんでしょうね。僕も見てみたかったです」


 私の頭の中にはクエスチョンマークが浮かんだけれど、谷口先輩は怒りを更に膨れ上がらせた。


「はぁ? なんでゴリラなのよ。あれはどう見たって女神でしょ」


「へぇ~、部長さんは女神の絵を描いていたんですね」


「し……知らないわよ。と、とにかくゴリラなんか描かないって事よ」


 谷口先輩は明らかに慌てていたけれど、気が済んだのかアケチはそれ以上突っ込んで聞こうとはしなかった。


「あなたが部長の絵を見たのはいつが最後ですか?」


「……昨日」


 見たことがないと言っておきながら、『女神だった』とか、最後に見たのは『昨日』とかメチャクチャ怪しいワードが谷口先輩の口から出てくる。


 そのことに谷口先輩自身も気づいたのか、ハッとしたように口を押さえた。


「もういいでしょ。早く出ていって」


 そう言って谷口先輩は私たちを追い出す。


 突然のシャットアウトにどうすることもできず、仕方なく美術室をでた。

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