第248話 航路開拓
※この話には、地名・国名が頻発して登場します。近況ノート『《ポップ戦記》おまけ ―世界地図―』のほうに世界地図を掲載しておりますので、ぜひ合わせてご覧ください。
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「はるか彼方、姿の見えない大魔連邦の思惑を探ることは非常に困難です。しかし、それを理解できなければこの苦境を乗り越えることは不可能。ゆえに、ここに記されている要求は貴重な直接証拠です。大魔連邦からのメッセージともいえるでしょう」
そう言うと、クリスは書斎机のかばんから、ぺらりと一枚の紙を取り出した。
勉強会の本題その2。
ついに最後通牒の内容に触れるとき。
「写しですが、内容は間違いないのでどうかご安心を」
「――この写しもどうせ良くない方法で取って来たんだろうな」
「そもそも最後通牒の中身って最重要機密だしね」
そんなトップシークレットの文書とは一体どのようなものなのか。
アンジェリーナとギルは好奇心と不安を胸に、その文書に目を向けた。
『魔歴1718年6月1日、
大魔連邦の名のもとにポップ王国に対し以下の要求を通告する。
1. 魔歴1630年、本国と貴国との間に勃発した戦争(以下ポップ大戦と略)についてその否を認め、速やかに降伏の意思を示すこと。
2. 本国と同盟関係にあるシガリア王国への一方的な侵攻(以下シガリア侵攻と略)の否を認め、速やかに領地から撤退すること。
3. シガリア侵攻およびポップ大戦により被害を被った全ての人民に対し、国王の名のもとに謝罪を行うこと。
4. シガリア侵攻およびポップ大戦に対する本国への賠償金を支払うこと。
5. 公海たるラウンド洋に無断で結界を築いたことにより発生した、本国の損失に対する補償金を支払うこと。
6. 4.5.を含めた諸事に関して、直接的な交渉の場を貴国に設けること。その子細な場所および日時を提示すること。
7. 6.に際して、本国より派遣する特使を丁重に迎えること。および特使船の領海内における航行を許可すること。
8. 以上の全ての項目に同意する旨を速やかに公表すること。
本文書は魔歴1718年6月8日を期限とし、その期間のみ効力を持つものとする。
期日までに全ての要求が満たされなかった場合、本文書を貴国に対する最後通牒とし、以後いかなる交渉にも応じないものとする。』
「これが、最後通牒の内容――」
「なんだか難しすぎて俺、訳わからねぇんだけど。これから本当に向こうの思惑までわかるのか?」
「えぇ。結構見え見えですよ?」
見え見え?本当に?
さも簡単であるかのようにあっさりとそう言うクリスに、アンジェリーナは眉間にしわを寄せた。
訳わからないとまでとは行かずとも、この内容はかなり複雑に思える。
負けを認めろと要求されるのは当たり前だけど、それ以外にもシガリアのこと、賠償金のこと、さらには終戦後の交渉のことまで、項目は8つと簡潔にまとめられてはいるけれど、その奥にある思惑まで探ろうとすれば一筋縄にはいかないのでは?
「さて、アンジェリーナ様、ギルさん。大魔連邦が要求してきたこの8項目、その中で向こうが最も重要視している項目はどれだと思いますか?言い換えるならば、大魔連邦が是が非でも通したい要求です」
「えー?」
「この中で、一番重要な要求――」
「え、普通に1番じゃねぇの?降伏の意思を示せってやつ。だって戦争の目的なんてそこしかないだろ」
「いや、そこはあくまで入り口なんじゃないのかな?実際に要求したいことはそれじゃなくて、たぶんもっと深いところにあるような――」
「じゃあどこだよ?」
「例えば、2とか?」
いや、言っておいて何だけど、なんかそれも違う気がする。
ただし理由がわからない。それに、だとすれば一体どれが重要なのか――。
アンジェリーナは改めて最後通牒の文面を読み返してみた。
項目2, 3, 4はどれもシガリアのこと。
そもそもポップ戦争はポップ王国の不当なシガリア侵攻から始まった戦争だし、これを要求するのは当然なのだろう。
ただし、仮にポップ王国が撤退したとして、おそらく元いたシガリアの地元民に土地が返されるわけではなく、大魔連邦が支配することになるのだろうけれど。
項目5も、こちらが勝手に築いた国境壁に関することだし、かなり重要そうに思えるし。
「逆に、項目6と7は今はそこまで重要そうには思えないけれど」
「あー確かに、これって要は終わったあとの交渉についてだろ?こんなの戦争が終わってから考えればいいんじゃ――」
「では、正解を発表しましょうか」
ギルの言葉を遮るその発言に、アンジェリーナの脳裏を嫌な予感がよぎる。
クリスは二人の顔を交互に確認し、そして文書のある部分を指さした。
「正解は――項目7『本国より派遣する特使を丁重に迎えること。および特使船の領海内における航行を許可すること』です」
「「え」」
「なんで!?」
「どうして、これが?」
予想を大きく外れるその答えに、アンジェリーナとギルは声を張り上げた。
納得できないと書かれた二人の顔を見て、クリスはあくまで静かに言葉を続けた。
「先ほど世界情勢について私が、“大魔連邦は何としてでもポップ王国との問題に手を付けなければならなかった”と言ったのは覚えていますね?」
「うん」
「そうだよ!それとこの最後通牒が関係してるんだろ?」
「大魔連邦は冷戦疲れの中、どうにかして国民の支持を回復させる方法を編みださなければなりませんでした。そこで彼らは約90年、手つかずとなっていた大問題に着手することにしたのです」
「大問題?」
「国境壁です」
国境壁──というともちろん、ラウンド洋を縦に割る巨大結界のことだろう。
でも、それと“特使船”に何の関係が?
「国境壁っていうとさぁ、じゃあ項目5が重要なんじゃねぇの?」
「いいえ。大事なのは賠償金ではありませんので。そもそも、ポップ王国から巻き上げられる金額など、彼らにとってははした金にもならないでしょうから。こちらに要求通りの賠償責任を果たせる能力など、あるわけがありませんし」
それは、仮にも国の中核を担う大臣が言っていいことなのだろうか。
自国の悲しき現実に、アンジェリーナは複雑な気持ちになった。
とはいえ、クリスの言っていることは一理ある。
「でも、賠償金じゃなかったら一体?」
「大魔連邦の中で一番の障害となっていたもの、それは国境壁の存在そのものですよ」
存在そのもの?
「お二人とも、少し複雑に考えすぎているのではないかと」
頭を悩ますアンジェリーナとギルを見て、クリスはそう発した。
「かつて時の宝剣によって築かれた、何人たりとも通さない巨大な結界。そのせいでラウンド洋を横断することは不可能になってしまいました。それは大魔連邦にとっても同じことです――では、このような状況において、大魔連邦がユーゴン大陸の国、例えば極東に近いポーラ共和国と貿易をしようと考えたとき、どのようなルートが可能であるかわかりますか?」
「どのような?――あ」
刹那、アンジェリーナの全身に電撃が走った。
大魔連邦が抱えている大問題ってまさか!
アンジェリーナは最後通牒の写しを端に避け、その下の世界地図を露わにした。
「ラウンド洋上、その中央に国境壁があるってことはつまり、大魔連邦が貿易でラウンド洋を使うことは不可能。西回りのルートが使えない以上、大魔連邦は東回りでぐるっと遠回りしなきゃいけないんだ」
「東回りでぐるっと──?」
「その通りです。では、そこに現在の世界情勢を組み合わせるとどうなるでしょうか?」
世界情勢を組み合わせる──。
新たな難題に、アンジェリーナはうーんと首を捻った。
「東っていうと、気になるのはやっぱり欧州かな」
「えぇ。遠く離れた他国と貿易を行う場合、輸送費をはじめ、最も費用を抑えることができるのは航路を使う場合です。船は大量のものを一度に運ぶことができる代物ですから。しかし、残念ながらラウンド洋は使えません。となれば、その東、ナウロ洋を使うしかない。理想的なのは、ナウロ洋から欧州の南、中海を抜けてポーラへ向かう方法でしょう。ですが――」
「欧州とは今冷戦中──もしかして、そのすぐそばの中海が使えないってこと?」
「その通りです」
アンジェリーナの返答に頷き、クリスは解説を続けた。
「中海には一応、公海となっている場所も存在しますが、それでも欧州の領海となっている領域も多く存在します。何より日々欧州の船舶が多く行き交う場所を、わざわざ敵国に通らせるはずがありませんから」
「じゃあ大魔連邦は中海も使えないってこと?」
「え、そしたら後はどこ通れるんだ?」
ラウンド洋も駄目、中海経由も駄目、となれば後は?
もはや通れる航路は限られている。
可能性があるとすれば──。
え。
そのとき、空中で線を描いていたアンジェリーナの指がぴたりと止まった。
まさか。いや、でもおそらくこれしかありえない。
だとすれば、大魔連邦がここまでラウンド洋の西回り航路に執念を燃やしていることにも説明がつく。
「わかったよ、クリス。正解のルート」
そう言うと、アンジェリーナは大魔連邦東岸からナウロ洋を縦断するように、するっと南へ指を滑らせた。
「大魔連邦が取れる手段は一つだけ。南半球、アフリカ諸島の南をぐるりと迂回して、ポーラ近くの国まで船で運ぶ方法、でしょう?」
「はぁ!?アフリカ諸島!?」
ギルが素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。
なぜならその航路はとてつもなく遠回りなのだから。
アフリカ諸島は欧州の南から赤道を跨いで南半球にまで存在する、巨大島の集まりだ。
その昔、地殻変動により大陸が何千にも割れてできたと言い伝えられており、それゆえか、島々の間隔は非常に狭く、多くが橋で繋げられて徒歩で渡れるほどらしい。
「嘘だろ?」
「えぇ。本来ならラウンド洋を横断するか、もしくはナウロ洋-中海ルートをとるのが最適なのですが、そのどちらも使えない以上、現在、大魔連邦にはこの道しか残されていないわけです。それに、アフリカ諸島の島間は狭いことで有名ですからね。大型船舶が通り抜けることは困難を極めます。加えて、アフリカ諸島に属する国の中には欧州の属国も多く含まれているため、その国々を避けて通り抜けようとすると、余計に費用がかさむというわけです」
「北は通れねぇの?ほら、ナウロ洋を北上して、ユーゴン大陸の北を回るって道は――」
「それは無理だと思う。だって、ユーゴン大陸の北に広がる北極海は基本、夏でも氷に閉ざされているから」
「まぁそもそも、そのルートを辿ると必然的にフォルニア王国の領海に接近しますからね。別の問題が発生すること間違いなしです」
こう考えてみると、ポップ王国とは比べ物にならないくらいの大国である大魔連邦も、なかなか困窮した事態に陥っている様子。
もしかすると、相当焦っている?
「ん?じゃあ待てよ。ということは、大魔連邦がポップ王国に宣戦布告してきた理由って、『費用削減』のため?」
「正解です。今日初じゃないですか?」
「うるせぇよ」
「もっと踏み込んでしまうと、大魔連邦はすでにこの戦争、“最大の目的”を達成してしまっているわけです」
「え?」
最大の目的――。
痛い指摘に吠えるギルを露ほども気にしないクリスのその言葉に、アンジェリーナは一瞬固まった。
あ、そうか。
大魔連邦の目的はラウンド洋の航路開拓。
だとすれば、国境壁を壊してラウンド洋を渡り、ポップ王国に侵入できている時点で、西回りの航路はもう使えるようになっているんだ。
「大魔連邦が宣戦布告した最大の目的は『国境壁を壊す』こと。では、それを見事成し遂げた今、彼らが次に目指すこととは一体何なのか――その第二の目的こそが、最後通牒の項目7なのです」
「だから、特使船と国境壁を壊すことの繋がりが見えねぇんだけど」
「『特使船の領海内における航行を許可すること』という文言。気になりませんか?」
ん?気になるって?
意味深なクリスの質問の意図を理解することができず、アンジェリーナとギルは互いに顔を見合わせた。
「では、特使船の定義とはなんでしょうか?」
「特使船の定義?」
「そんなの“特使が乗ってる船”ってことだろ」
「では特使の定義とは?」
「特使、は――」
「国から直々に命令されてポップ王国に派遣された人のこと、とか?」
「概ねそうです」
重箱の隅を突くような問答の繰り返しに音を上げ始めたギルに代わり、アンジェリーナは首を傾げながら答えた。
「では仮に、講和締結のための交渉目的ではない人物を、大魔連邦が“特使”として認め、こちらへ遣わした場合はどうなるでしょうか?」
「え」
交渉目的ではない人物を?
「それは――」
「特使でも何でもねぇだろ」
「ですが、向こうはあくまで特使として派遣しているのですよ?ポップ王国側がその人を特使ではないと証明できれば話は別でしょうが――果たして、そんなことは可能でしょうか?」
可能か?そんなのただでさえ立場の弱いポップ王国からしてみれば、証明することなんて無理に決まっている。
『特使船の領海内における航行を許可すること』
そのとき、アンジェリーナの脳裏にその文言が浮かび上がった。
交渉目的ではない偽りの特使。
それを止めることはポップ王国には不可能。
なら、もしも大魔連邦が自国の利益のために、特使という偽りの皮を利用したとするならば?
その考えに思い至り、アンジェリーナは目を見開いた。
「待って。もしかして項目7って――!」
「つまり、それが特使を運ぶ目的ではないものだとしても、大魔連邦の言い分次第でその船舶を特使船と同じ扱いにすることができるという話です」
クリスの返答に正解を確信し、アンジェリーナは大きく息を飲んだ。
まさか、何気ないその一文に、そんな落とし穴があっただなんて。
「なぁ、どういうこと?」
一人、完全に置いて行かれた男から発せられた場違いなとぼけ声に、アンジェリーナは思わず冷めた目線を向けた。
「ギル、意味わかってる?」
「全くわからない」
そんなに自信を持って言われても。
「もし項目7をこっちが認めちゃったら、大魔連邦の船が自由にポップ王国領海を行き来できるようになっちゃうってこと!」
「――え?」
自身の冷めかけた熱を再燃させるかのように、アンジェリーナはギルに向かって訴えた。
「えぇ!!??」
数秒遅れて、きょとんとした顔から驚愕の表情に切り替わったギルを見て、アンジェリーナははぁとため息をついた。
「そ、そんなのずるいだろ!?」
「穴を突いたいい作戦だと私は思いますがね」
「感心している場合じゃねぇよ!」
ギルのツッコミを全く気にする素振りもなく、クリスは先を続けた。
「早急なコスト削減、成果の樹立、国民の支持回復、欧州との差別化──そのためには、ラウンド洋経由の西回り航路を開拓することが必須。ラウンド洋の横断に関しては、壁を壊した時点ですでに達成されていますが、実際に船舶を航行させるとなると、領海侵入等の問題が生じます。それに、燃料補給のための経由地を作らなければなりませんし。そのために、ポップ王国はうってつけというわけです」
「特使船を騙り、ポップ王国を自由に出入りできるようにすれば、大魔連邦は西回り航路の都合の良い補給地点を手に入れることができる。あわよくば、海に接しているシガリアを完全に手中に入れて、思いのままにしようって魂胆なのかも」
「おそらくは」
ラウンド洋は魔界において最も広い海。
それを横断、しかも重い荷物を運ぶとなれば、それ相応の燃料が必要になる。
ラウンド洋上にはほとんど島は存在しないし、ゆえにユーゴン大陸東端に位置するポップ王国は、貿易を加速させたい大魔連邦にとっては願ってもない場所なのだろう。
「ここまででお判りいただけたとは思いますが、つまり、大魔連邦にとって最重要なのは、いち早く西回り航路を確立すること。そのためにはポップ王国との交渉が不可欠。裏を返せば、大魔連邦はその交渉に漕ぎつけさえすれば、戦争をする必要などないのです。より大きな問題が立ち塞がる中、わざわざ時間とお金を注ぎ込んで新たに戦争を始めるなど愚行ですから。要は、向こうにとっては過去の雪辱を果たすなどという体面はさほど重要ではないのです。壁を壊した今、彼らはすでにこの戦争における目的の半分を達成したわけですしね」
「さほど重要じゃないって――そんなの、“どうでもいい”って言っているようなもんじゃねぇか!」
「極論、そうなりますね。実際、大魔連邦はポップ王国に勝利することに、そこまで興味ないと思いますよ」
「なっ!」
どうでもいい、興味ない、か。
――でも、だとすればどうして?
自国と彼方の大国との圧倒的な差に、どうしようもなく打ちひしがれつつ、アンジェリーナはクリスの発言の中に、ある違和感を見つけていた。
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