第249話 違和感の正体

「どうして、大魔連邦はポップ王国に戦争なんか仕掛けたんだと思う?」

「あ?」


 それはクリスとの勉強会(?)を終えた夜、アンジェリーナの部屋のソファにもたれかかり、すっかりくつろいでいたときだった。


 どう、して?


 唐突に投げかけられたその問いに、ギルは首を傾げた。


「そりゃあ――あれだろ。ほら、クリスがさっき言ってたやつ。交渉をするためって」

「それはそうなんだけど」


 気になることでもあるのか、なんだか表情が曇っている。


「まぁ、交渉するだけなら戦争する必要ねぇだろ!とは思ったけど」

「極論ね?そもそも戦争とか言う前に、国境壁で分断されてたんだから、交渉しようがなかったんだけど」

「だからこそ、戦争を仕掛けたんだろ?向こうは」

「――うん、そう、なんだけどさ」


 なんだ?

 妙に歯切れが悪い。

 そんな顔されたら気になって眠れねぇだろうが。


「はっきり言えよ。そんなに思いつめた顔するなら。俺察し悪いし、下手に気遣うよりさっさと言ってくれたほうがいいって!――知ってるだろうけど」

「うーん」


 そこまで言ってもなお、もだもだと躊躇うアンジェリーナにいい加減苛立ちが募ってきた頃。

 しかし、ようやく心が決まったのだろう。

 アンジェリーナはゆっくりとギルの対面に腰を下ろした。


「ずっと気になっていたことでもあるんだけど」

「うん」

「大魔連邦はどうして、法皇を殺害したんだろう?」

「――え?」


 ここまでアンジェリーナが悩むことだ。

 きっと相当深刻なことに違いないとは予想していたが、これは――。


 想像の遥か上を行く質問に、一瞬思考が停止する。


「どうしてって」


 法皇様が殺害された理由?

 そんなの、大魔連邦向こうからしたら、敵国の王族なんて邪魔でしかないだろうし。

 これから戦争仕掛けようっていうならなおさら。

 でも、わざわざ戦勝記念日の、それも人が大勢いるパーティーで殺した目的といったら――。


 見せしめ?


 そんな言葉がぽろっと出かけて、ギルははっと口を閉ざした。

 馬鹿か俺は!

 そんなこと、実の孫であるアンジェリーナに言えるわけがない。


「クリスの話を聞いて、私の中にあった漠然としたモヤモヤがいくらか晴れた気がしたの。でも同時に、わずかにあった違和感が確かな疑念に変わった」

「疑念?」

「そう」


 俯きがちだったアンジェリーナの視線がこちらを捉える。

 刹那、ギルはヒュッと息を吸い込んだ。

 体の芯が冷えるような、透明な眼差し。

 アンジェリーナの瞳はもう、揺れてはいなかった。


「なんで大魔連邦はではなくを殺したんだろう」



「は?」


 反射的に声が漏れた。

 馬鹿は馬鹿でも、ギルとて言葉の分からない馬鹿ではない。

 コンマ数秒、アンジェリーナの言葉を繰り返し再生するうちに、脳が色を取り戻していく。


「お前、自分が何言ってるのかわかってんのか?」

「別に、感情論の話をしているわけじゃない。客観的な話をしているの」


 客観的って、いや何言ってんだこいつ。


 こういうとき、アンジェリーナの冷静さは酷だ。

 混乱した頭に、制御できないほどの感情の波がぐちゃぐちゃになって押し寄せる。


「お前、それじゃあ国王様に死んでほしかったみたいじゃねぇか!!」


 ダンッと勢いよくその場に立ち上がり、声を荒げたギルにアンジェリーナが眉をしかめる。


「そうは言ってない」

「言ってるようなもん――!」

「聞いて!!」


 ぴしゃりと一言。

 空気を断ち切るかのような一太刀に、ギルは口元を震わせぐっと高ぶる熱を堪えた。


「ギル、そこに座って」

「でも」

「いいから座りなさい」


 その強い命令口調に、逆らう術など持ち合わせているはずがない。

 ギルは主君の言う通り、おずおずと再びソファに腰を落ち着けた。


「さて――語弊があったのは認める。でも、私がお父様に死んでほしいだなんて、本気で思っているとでも?」

「――いいや」


 わかっている。アンジェリーナがそんなこと思うはずがないと。

 でも、たとえ仮定の話だとしても、お前の口からそんなこと言ってほしくなかったんだ。


 まだ拗ねた様子のギルを見て、アンジェリーナははぁとため息をついた。


「――話を進めよう。大魔連邦はあの日、王城に侵入し衆目の面前でおじい様を殺害した。そしてその後、正式に宣戦布告のための最後通牒が送られてきた。状況から見るに、おじい様を殺害したのは牽制のためと考えていい。そうやって脅しておけば、ポップ王国は極めて厳しい選択を迫られることになる」

「極めて厳しい?」

「そう。何せ、相手はいつでも城に侵入し、誰でも好きに殺害できるのだから」


 その聞き捨てならない発言に、ギルは茹った頭が一気に冷めるのを感じた。


「い、いつでも?だれ、でも?」

「ビスカーダ城の周りには確か、結界が張ってあったでしょう?中からも外からも許可なく侵入できないようにする強力な結界が」

「あ、あぁ。確かにあるな」

「でも、それを易々と彼らは通り抜けてきた」


 ビスカーダ城の周りには巨大な城壁があり、そこにはポップ魔法によって作られた、目に見えない結界が張られている。

 ゆえに、普段出入りすることのない者が無断で城に出入りすることは不可能であり、また中で働いている者も、許可なく出入りはできないように厳重に定められているはずだ。

 もちろんそれは、大魔連邦相手でも。


「そんなことって可能なのか?――いや、現にそうなってるんだからできるのか。でも、内部に協力者がいたって可能性は?ほら、リブスとかもそうなんだし」

「その可能性は否定できない。でも、もはやそういうことは問題ではない気がする」

「え?」


 問題ではないってどういう?


「デュガラの街から首都ミオラまで、一晩中馬を走らせたとしても数日はかかる。でも、ライ=アザリアは襲撃の前日までデュガラにいた。その意味がわかる?」


 その問いに、ギルは動きを止めた。


 デュガラはポップ王国で最も東にある街。

 そこからたった一日で移動するのはどう考えても不可能だ。


 ――ん?不可能?


 数日前の己の行動を振り返り、ギルははっとした。


 そうだよ!俺らだって、一瞬でデュガラから城に移動したじゃねぇか!!


「――ってことはあいつ、“テレポート”を使って!」

「おそらくは」


 そもそも《テレポート》はポップ王国以外の外で用いられている基礎的な魔法の一つ。

 もちろん、大魔連邦の兵士が使えないはずがない。


「たとえ裏切り者が城内にいて、彼らを手引きしたのだとしても、それはもはや問題じゃない。重要なのは、ライを含めた大魔連邦軍はいつでも首都を襲撃できるということ。もう一つ加えて言えば、ライが持っていたのは時の宝玉の片割れ・“時の星杖”。時空間を操ることができるという特性を考えるに、ポップ魔法によって生み出された結界を壊すことは実際容易なんだと思う。何せ、彼はもっともっと巨大な結界をすでに壊しているのだから」

「――っ!!」


 その言葉に、ギルは思わず絶句した。


 そう。ポップ王国と大魔連邦の間に置かれていた国境壁もまた、かつて時の宝剣によって築かれた巨大な結界なのだ。

 それがすでに壊されていることは、アンジェリーナが魔法で探知済み。


 ということは、大魔連邦は本当に、いつでも城内に攻撃を仕掛けられる状態ってことか?


 その事実に、ギルは改めて背筋が凍るのを感じた。


「それで、私の感じた違和感についてだけど」


 アンジェリーナの発言に、はっとギルは我に返った。


「そういう、大魔連邦に絶対的に有利な環境の中で、彼らの行動は不気味なほどに静か」

「静か?」


 ギルは首を傾げた。


「そ、それは、まだポップ王国が返事をしていないからだろ?降伏するかどうかの」

「もちろんそれはそう。でも、その行為自体が回りくどいとは思わない?」

「え?」


 行為自体?


「例えば、大魔連邦が法皇ではなく国王を殺害した場合、元首を失ったポップ王国はもはや国として成り立たなくなる。そうすれば大魔連邦が国を乗っ取り、自国船の自由航行という目的を果たすことは容易のはず。でも、彼らはそうはしない。なぜ?」


 容赦ない仮定論を展開するアンジェリーナに再び感情が沸き立つが、今はそれどころではない。

 何か、とても大きな何かが飛び出してくる気がする。


「クリスの話を聞いてあらかた予想がついた。大魔連邦が追い込まれている状況は、どうやら私たちが想像しえないほどに深刻なもの。そんな中でぼろぼろになった国を全部、自分たちの手で制御しなければならないなんて、そんな面倒なことに首を突っ込んでられないでしょう?」

「あぁ、なるほど?」

「できれば実際の統治は別の誰かに任せて、自分たちは甘い汁を啜るだけでいたいはず」

「できるだけ楽したいってことか」

「そう。ゆえに、大魔連邦がわざわざ最後通牒なんてものを送り付けたことにも頷ける」


 未だ目をぱちくりとさせるギルに、アンジェリーナは丁寧に説明を続ける。


「もし、ポップ王国が法皇殺害程度の労力で降伏を認めてくれるのならば、それは願ったり叶ったりの状況のはず。しかもこの場合、敗戦国ポップ王国を統治してくれる“別の誰か”を探す必要もない」


 別の誰か、それって――。


「国王様」


 その答えにギルはごくりと喉を鳴らした。

 つまり、大魔連邦は国の実権を手に入れるだけでなく、国王様を利用しようとしている?


「え、でも、じゃあリブスは?あいつは国王を王座から引きずり下ろすためにいろいろ企てているんだろ?それじゃあ話が合わなくねぇか?」

「――わからない。もしかしたらだけど、大魔連邦とリブスは別に一枚岩というわけでないのかも。あくまで大魔連邦向こうは、リブスを一つの駒としてしか見ていないとか」


 おい待て。

 こっちはリブスという裏切り者を探し出すために5年以上を費やしているんだぞ?

 それが大魔連邦にとっては捨て駒に過ぎないっていうのか?


「あれ?じゃあ結局、お前の言ってた違和感っていうのは何なんだ?」

「想像してみて、ギル。もしポップ王国が最後通牒の中身を蹴ったら?」

「あ――“戦争は国を疲弊させる”」


 それは先程、クリスから教えてもらったことの一つ。

 大魔連邦は現在、世界を巻き込んだ冷戦下にある。

 そんな状況だからこそ、奴らはポップ王国に攻め込んできたはずなのだけれど。


「大魔連邦は本当に戦争を始めるつもりなのかな?だって、奇襲で城に侵入したのはたったの11人。そんな少人数にもかかわらず、彼らは法皇殺害というとんでもないことをやり遂げている。そして彼らはおそらくまだこの国に潜伏している。それならきっと、いつでも任意の相手を殺すことができるはず――最後通牒を棄却された大魔連邦が、方針転換をしないだなんて言い切れる?戦争に大量の戦力を投入するのと、国王を殺害してぐちゃぐちゃな国の統治をするの、どっちのほうが大変なのかな?」


 心なしかか細いアンジェリーナの声に、応える言葉はない。

 どちらのほうが大変かだなんて、そんなこと想像しようがない。


「残念だけど、もうこの国は運命の舵を切ってしまった。ここからその選択を、私がどうにかすることはおそらく不可能。ポップ王国は戦争をする。でもそのとき大魔連邦は?」


 アンジェリーナはとうとうと言葉を続ける。


「違和感って言っていたのはこれ。ライ=アザリアが提示した要求は『ポップ王国が負けを認めること』。でも、その基準は何一つ定められていない。『負けを認める』――それは一体いつ、何をしたらそう認められるの?降伏をしたとき?戦争に負けたとき?それともすべてを大魔連邦の統治下に置かれたとき?きっと大魔連邦は目的遂行のためにありとあらゆる手段を取ってくる。私たちの想像もしないような方法で」


 アンジェリーナはそう言うと、その瞳をまっすぐにこちらへ向けた。


「ここに来てから王国の行く末を考える。この国を、国民を守るために、私には何ができるのだろうかと。でも、一向に未来が見えない――私はそのことが恐ろしくてたまらない」


 言葉の端々に溢れる恐怖。

 揺れる瞳。

 奇襲を受けてから数日、クリスの話を聞いてから数時間、この短期間のうちに彼女は一体どれほどのことを考えてきたのだろうか。


 俺は何もわかっていなかった。

 アンジェリーナは人を見る。

 分け隔てなく、俺にさえその柔らかな眼差しを向けてくれる。

 でも、彼女は同時により広いものを見ている。

 国民を、国を、彼女は見続けている。


 アンジェリーナが案じているのはこの国の未来だ。

 そうだ。彼女は王族なのだ。


 わかっていたはずなのに。

 俺は、自分が誰に仕えているのかさえ、理解していなかったのだ。


 その当たり前の事実に、ギルは唇を噛んだ。

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ポップ戦記 こうちょうかずみ @kocho_kazumi

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