第246話 再開・勉強会

「では始めましょうか」

「『始めましょう』っておい!」


 突然の勉強会開催宣言。

 あっけにとられるアンジェリーナとギルを尻目に、当の本人は一切おくびれる様子もない。

 クリスは吠えるギルを完全に無視しつつ、書斎机の横の棚から何やら筒を取り出し、その中から大きな紙を机に広げてみせた。


「――て、世界地図?え、もしかしてそんなに規模のデカい話すんの?」

「世界情勢の把握なしに、今後のことは語れませんから」


 世界情勢。

 一応、これまでの勉強会でおおよその話は教えてもらったつもりだけど確かに、ここ最近は国内のことばかりに目を向けて、外のことを考える余裕もなかった。

 気になる。気になる、けど――。


「クリス?私たち二人はまぁいいとして、クリスはこんなことしててもいいの?話を聞く限り一刻も早く王宮に――は戻れないんだったね。それでも、他にもっとやらなければいけないことがあるんじゃ?」


 さて、と話を切り出しかけたクリスに待ったをかけるように、アンジェリーナは問いかけた。


 今日は6月5日。

 大魔連邦との戦争が避けられなくなった今、国を守るためには危急の対応が必要なはず。


 しかしアンジェリーナの危惧に反して、クリスはけろっとして答えた。


「それがそうでもないんですよ。というのも、私もここ数日で状況が一転二転し過ぎているものですから、情報の把握というのが追い付いていない状態でして。ひとまず今は下手に動くわけにもいかないのですよ。まずは情報収集、そして基礎固めをしなければ、向こうに簡単に足を取られてしまいます」


 向こう、というのはリブスのことか、あるいは大魔連邦のことか、またはその両方か。

 何にせよ、情報の把握が喫緊きっきんの課題だというのには一理ある。


「それに、これはお伝えしていなかったとは思いますが、大魔連邦から送られてきた最後通牒には、“魔歴1718年6月8日を期限とする”と書かれていたので、まだ少し猶予はあります」


「――いや、ならなおさら時間ねぇだろ!あと3日だろ!?」


 その発言に、真剣な表情で指折りをしたのち、ギルはくわっとその顔を上げた。

 いや、その期限よりも何より――!


「というかそういえば私、最後通牒の内容知らないじゃん!お父様は秘密だって教えてくれなかったし」

「まぁそれは追々お話しますので。ご心配ならさず」


“追々”って、すごく気になるんだけど。


 あくまで世界情勢の説明を先にしたいのか、こちらを軽くかわすクリスの様子に、アンジェリーナは新情報を知りたくてうずうずする気持ちをぐっと堪えた。

 今度こそというように、さて、と改めてクリスが声を上げる。


「ご覧の通り、世界地図です。ギルさん、ポップ王国の場所がどこかはわかりますか?」

「あ?馬鹿にするんじゃねぇぞ?ココだろ!」

「えぇ。ユーゴン大陸の東端、北半球の中緯度地域にあたります」


 クリスは淡々と解説を始めた。


「この世界は主にユーゴン大陸とアデニ大陸、それとその二大陸を隔てるラウンド洋とナウロ洋により構成されています。お二人がご存じの通り、ポップ王国と大魔連邦との間に築かれていた国境壁はラウンド洋のちょうど中央のあたりに存在していました。ポップ王国の国土面積は世界4位と非常に大きいながら、その人口は7000万人ほど。しかも実際の居住地域はデュガラまでですから、それより東、国土の4分の1程度は人の住めない荒野地帯となっているわけです」

「――さすがに俺だってこのくらいは知ってるぞ?」

「ではギルさん、大魔連邦の場所はわかりますか?」

「それもさすがにわかるぞ?ココだろ?」


 そう言ってギルは再び勢いよく地図を指さした。


「大魔連邦はアデニ大陸のうち北半分、北半球に位置するいわゆる北アデニと呼ばれる地域のほぼ全土を占めています。面積は世界2位。人口に至っては世界1位の言わずと知れた大国です――それではギルさん、大魔連邦の兵士の数はポップ王国の兵士の数の何倍だと思いますか?」

「え」


 唐突な難問に、ギルの勢いが一気に削がれる。


「えーっと、2倍とか?」

「確かに、臨時徴兵なんかをして人をかき集めれば、それくらいにはなるでしょう。ですが現状、いわゆる職業軍人の数だけを数えるならば、大魔連邦はポップ王国の40の兵力を有しています」


 その発言に、ギル、そしてアンジェリーナは息を飲んだ。


「そんなに――!?」

「えぇ。“そんなに”です」


 足元がふらつくような、そんな心地がする。

 大魔連邦とポップ王国の間に明確な差があることは重々わかっているつもりだった。

 今までも、勉強会なんかで大魔連邦の発展具合、そしてポップ王国の劣りについて取り上げられてはいたから。

 でもまさか、軍事力でここまでの違いがあるだなんて。


 刹那、アンジェリーナの心に別方向から怒りが湧き上がってきた。


「だとしたら、戦争をするなんて馬鹿じゃん!お父様は何を考えているの!?これじゃあ国を殺すことと同義でしょう?」

「はい。ですが国王様もこの情報をどこまで把握されているのか、怪しいところではあります。大臣の中でも、ここまで具体的な数値を知っている者はいないと思いますよ?私が特異なだけで」

「――じゃあお前はどこからその情報仕入れてんだよ」


 しかし、ギルのぼやきに答えることはせず、クリスは先を続けた。


「さて、以上大魔連邦の軍事力の凄さはわかっていただけたと思いますが、アンジェリーナ様。大魔連邦の圧倒的な兵力、一体どこに割かれていると思いますか?」

「え?」


 怒りに燃えていた心に水をかけられたかのように、クリスの冷めた口調にアンジェリーナは平静を取り戻した。


 大魔連邦の兵力が一体どこに割かれているか?

 兵力を割くっていうことは、どこかに軍隊を派遣しているってこと?

 え?


「それってつまり、大魔連邦が今、どこか別の国と戦争しているってこと?」

「さすがです。ただし、兵力を削り合うような、いわゆる“戦争”とは少し異なりますが」


 そのクリスの発言にアンジェリーナは首を傾げた。


「ん?それじゃあ戦争はしていないってこと?」

「戦争、に匹敵することはしていますが。“直接やり合ってはいない”という話です」


 直接やり合ってはいない?

 駄目だ。意味が理解できない。


 混乱するアンジェリーナに代わり、ギルが会話に割って入る。


「直接やり合わないのに戦争なんてできるわけねぇだろ」

「それが、できてしまっているのですよ。ここ50年近くの間」


 え?


 その言葉に、アンジェリーナとギルは完全に固まった。


「「50年!?」」


 部屋中に、驚嘆を露わにした声が二つ重なり響く。

 その二人の反応に、クリスはこくりと頷いた。


「ここからが本題その1です。今の世界を知るのに欠かせない問題。そして、大魔連邦が直面している最大の問題。それこそが、戦火を交えない戦争――『冷戦』です」

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