第245話 最終決定
激動の一日から一夜明けた6月5日。
バスタコブレッド社長のミシェルが早朝、店で焼いた絶品パンを食し、昨日とは打って変わってどこかまったりとした朝の時間が流れていた。
「何話してるんだろうね?」
「さぁ?さすがにここからじゃわかんねぇだろ。あいつ、本当に表情一つ変えねぇし」
ひそひそと声をひそめながら、アンジェリーナとギルは部屋からひょこりと顔を出した。
その視線の先には、廊下に設置された電話に立つクリス。
朝食を終えた直後、使用人に呼び出されて行ったのだが――。
「結構話し込んでるね」
「だな――あ、終わった」
受話器を下ろすと、クリスはまっすぐこっちに向かって来た。
「盗み聞きですか?」
「そんなことは――」
「誰からだったんだ?」
「ギル」
アンジェリーナのごまかしも虚しく、ギルは興味津々に尋ねた。
「協力者の方からです」
「きょうりょく――は?協力者!?」
何とは無しに放たれたその発言に、ギルは素っ頓狂な声を上げた。
「まぁ私ものうのうとここで過ごしているわけにはいきませんので。王都の情報を得るための準備はそれなりに」
それなりに、ね?
クリスを先頭に、三人は廊下から階段へと歩を進めた。
「ちなみにその協力者っていうのは――?」
「秘密ですね。向こうともあくまで利害の一致程度の関係ですので」
「――ねぇクリス?その口ぶり、まるで前々からバスタコへ移ることを予見していたかのようだけど、実際のところどうしてクリスはこっちへ来たの?」
「あ、そうだよお前、『状況が変わったので』って言ってたけどさ」
“状況が変わった”という言葉が意味することとして、真っ先に頭に浮かぶのはベイリー大臣の死。
でも果たしてそれだけなのだろうか。
「一言で言えば、“肩身が狭くなったから”ですね」
ん?肩身?
クリスは自室の扉を開き、首を傾げるアンジェリーナとギルに中へ入るよう促した。
「アンジェリーナ様のご指摘通り、こうなることはある程度予想はしていました。そもそもきっかけを作ったのは私の方ですし」
「どういうこと?」
「ヤルパへの突撃訪問。あれは私にとって、リブスに対する“宣戦布告”でした」
そう切り出すと、クリスは書斎机の椅子を引いて座った。
「アンジェリーナ様もギルさんも、私が内密にモンドリオール7世とバドラス領主補佐官に会っていたことはご存知ですね?あのとき私は彼らに“取引”を持ち掛けていたわけですが――」
「あ゛?取引?」
「簡潔に申し上げれば、リブスから私の方へ乗り換えないか、という取引です。ですがはっきり言って、向こうがそれに応じるかどうかはさほど重要なことではなく――ヤルパ訪問における私の最大の目的は、『私がヤルパを訪問した』という事実をリブスの耳に入れるというものでした」
思い返せばクリスが視察団に加わり、ヤルパを訪問したのは突然のことだった。
向こうの反応も予想外という感じだったし、何だか険悪な雰囲気さえ感じられた。
ヤルパとリブスが繋がっていたと知った今となっては、前々から探りを入れられていたクリスを不審がらないはずがない。
それまで表立った動きをしてこなかったとなればなおさらだ。
「こちらが行動に出れば向こうも何らかの動きを見せてくれるはず。まぁまさか、関係者ほぼ全員を殺すような強行策に出てくるとは予想外でしたが」
「つまり、リブスにしてやられたってわけか」
そのギルのぼやきにクリスは何も答えず、口元に手を当てた。
「こうなってしまえば、リブスがすべての責任をベイリー大臣に押し付けるのは時間の問題。案の定、大魔連邦の襲来により王宮が混乱している絶好のタイミングでベイリー大臣は自殺し、晴れてリブスは王宮の実権を握ったわけです」
「ちょっと待って」
その発言に違和感を覚え、アンジェリーナは声を上げた。
「確かに、王宮の二大派閥はリブス派とベイリー派だけど、たとえそのトップのベイリー大臣が亡くなったからといって、その下の革新派の人たちがいなくなるわけじゃないでしょう?それならリブス様の一強になるって訳ではないんじゃ――」
「いや、そもそもベイリーってリブスの部下だったんだろ?だったら派閥も何も、もともとなかったってことじゃねぇの?」
「そうでもないですよ」
ギルの言葉を否定し、クリスは続けた。
「ギルさんの言う通り、ベイリーはリブスの懐刀でした。ですがそれはベイリー個人に限った話です。つまり、その他の革新派はリブスの思惑など知らず、ただ単にベイリーが掲げた『偽りの信念』に共感し付いてきただけなんですよ」
「でもそれならなおさら、革新派の勢力は変わらないんじゃないの?多少衰えはしても――」
「もしも、そのリブスの政策方針が180度変わったとしたら?」
「え?」
ぽかんとするアンジェリーナの目を、クリスはまっすぐに見つめた。
「リブスを筆頭とした保守派の特徴の一つとして挙げられるもの――それは“戦争反対派”です」
その発言に、アンジェリーナははっと息を飲んだ。
今の情勢、戦争――血の気の引くような悪い想像がアンジェリーナの脳を駆け巡る。
「は?――まさか!」
同じ考えに思い至ったのだろう。
目を見開くギルをちらりと見て、クリスは先を続けた。
「街では今、王宮および国王に対する信用が急激に低下しています。オルビア様の死亡、大魔連邦の宣戦布告に加え、隠されていたはずのベイリー大臣の自殺についてもなぜか噂が広まっているようですし。『このような状況下において、このまま何もせず大魔連邦に降伏するようでは、国民に示しが付かない』『国の威信をかけて立ち上がる時がきた』――リブスの熱い主張に革新派の残党は心打たれたようでして」
その噂というのももちろん、リブスの差し金なのだろう。
明らかなる印象操作。
すべては己の私欲のために。
「ベイリー派を完全に掌握したリブスは、王宮において確固たる地位を手に入れました。もちろん、リブスがどんなに主張したとしても、国王が拒否すればそれまでですが――イヴェリオ様はこれまで閣議で多数決を採って可決となった議題を、独断で棄却したことは一度もなかったはずですので」
――お父様ならそうするだろうな。
あの人は、どうしても主体性に欠けるところがあるから。
「じゃあさっきの電話の内容って――」
「一昨日、閣議にてリブスの提案により多数決が採られました。結果は、私を除くその他全員が賛成。イヴェリオ様はその場で明確なご意見を述べられることはありませんでしたが――先ほど、今朝の閣議の内容が入ってきました。国王により最終決定がなされたと」
その言葉に、アンジェリーナはごくりと喉を鳴らした。
クリスの静かな視線が、アンジェリーナを貫く。
「ポップ王国は最後通牒の要求を全面的に棄却します。この国はまもなく、大魔連邦との戦争状態に移行するでしょう」
重く、苦しい宣告に、アンジェリーナは言葉を発することができなかった。
ここ数日、心を覆っていた暗雲がついにその全貌を表したようで。
そうなって欲しくはなかった。
もちろん、戦争が起こって欲しくないというのは当たり前だが、それ以上に、お父様には国王として、正しい決断をしてほしかった。
戦争を回避するために大魔連邦に降ることが、正しいと一概に言えることではないのはわかっている。でも、戦争を始めることが決して正しくないことだけはわかる。
国王としてのお父様に失望しているのは今に始まったことではないけれど、でも多少の希望は抱かせてほしかった。
「こうなってしまった以上、戦争を避けることはまず不可能。私たちも早急に行動を起こさなければなりません――ということでアンジェリーナ様、ギルさん」
空気を読んでか読まずか。
いつも通りの口調のクリスの呼びかけに、アンジェリーナとギルは暗い顔を上げた。
「久しぶりの勉強会と行きましょう」
「「は?」」
突拍子もないことを言われてこちらが驚くのは既定路線なのか?
シンクロしたアンジェリーナとギルの拍子抜けした声が、部屋にこだました。
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