第244話 ミシェル=ミンツァー

 強烈すぎる登場を果たしたクリスの母、ミシェル=ミンツァー。

 アンジェリーナとギルはその勢いに、口をあんぐりと開けたまま動けなくなっていた。


「ミシェル、アンジェリーナ様が困惑していらっしゃるだろ?」


 呆れた声にふと目を向けると、部屋の入り口にガブロが立っていた。


「あら、ごめんなさい!私ったらもうお会いできたのが嬉しくって」


 握り締めていたアンジェリーナの手をぱっと放し、ミシェルは満面の笑みでペコペコと頭を下げた。


「おかえりなさいませ。ミシェル様」

「セーオーー!!」


 ガブロの陰に隠れていたのだろう。

 ひょこりと顔を覗かせたセオを見るや否や、ミシェルはすぐさまそこへ飛んで行き、ぎゅっとセオを抱きしめた。


「ただいまぁー!今日も元気にしてた?」

「はい。今日は先日見つけた経済学の本を読んでいました」

「そう!面白い?」

「とても勉強になります」

「私そういうの弱いからよくわからないけれど、あなたが楽しそうなら良かった」


 何だこの怒涛の勢いは。


 アンジェリーナはむぎゅむぎゅと揺さぶられるセオを見つつ、完全に思考を手放していた。


「すみません、アンジェリーナ様。驚かせてしまって」

「い、いやぁ――すごく、明るい方、だね」

「本当にもう、申し訳ない。ですがあれが日常茶飯でして」


 あれが通常運転なのか。

 ガブロの口ぶりを考えるに、おそらくこの光景は毎日繰り返されているものなのだろう。


 アンジェリーナは改めてミシェルに目を向けた。


 少し癖のある亜麻色の髪に、緑がかった瞳。

 どことなく顔の雰囲気はクリスに似ている気がする。

 てっきり性格面も似ているのかと思っていたけれど、まさかこんな真逆だとは。

 かといって父親似というわけでもないし、クリスの性格ってもしかすると突然変異的なのか?

 まぁ、親子ともどもかなりの異端であることには相違ないけれど。


 ――――――――――


「え、じゃあ魔法でここまで飛んできたんですか!?」


 アンジェリーナとギル、そしてクリス、ガブロ、ミシェル、セオを囲んだ6人での夕食。

 普段の城での食事とはまるで違う賑やかな席に会話が花開く。


「まったくもう、この子ったら王女様に無茶させて。たまにとんでもないことやらかすんだから――あ。私ばっかり喋ってごめんなさい。こうして会うのも初めてですし、何か聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてくださって大丈夫ですから!」

「――はい!」


 聞きたいことかぁ。

 それは数えだしたら山ほどあるのだけど、あまり突っ込んだことを聞くわけにもいかないし。

 ――あ、そうだ。


「ミシェルさんって、いつもこのくらいにお帰りになるんですか?さっきクリスが『そろそろ帰ってくる頃』って言っていたので。貴族の夫人の方って結構、家にいらっしゃることが多い気がしたので」


 その質問に、ミシェルはうん?と首を傾げた。

 部屋の空気までなんだか変な雰囲気を醸し出しているような気さえする。


 あれ?私変なこと聞いたかな。


「おいクリス、まさか何も話していないのか?」

「――とりわけ話す機会もなかったので」


 もぐもぐとグラタンを口に頬張るクリスを横目で睨みつつ、ひそひそと話をするガブロにアンジェリーナは困惑を露わにした。


「えーっと?」

「あぁすみません、アンジェリーナ様。こちらの説明不足でして――実はですね?ミシェルは貴族出身ではないのですよ」


 ――え。


「まぁ要は平民の出ですね」

「小麦問屋の娘です!」


 その事実に、アンジェリーナとギルは思わず目を見開いた。


 ガブロが、平民と結婚していた!?

 嘘でしょう!?


 この国の現状を考えれば二人が驚くのも無理はない。

 法律で明確に定められてはいないものの、ポップ王国には厳格な階級制度というものが存在している。

 それは王族に始まり貴族、平民、それからパレス兵などのさらに下の階級の者と明確に分けられており、それゆえ上の者が下の者を虐げるという何十年何百年と続く差別の機構が出来上がっているのだ。

 その身分制度の下で異なる階級の者同士が結ばれることは滅多にない。

 それが人の上に立つ領主とならばなおのこと。

 そういう者は普通、血を重んじる傾向にある。

 貴族、それもより上位の階級の家と縁を結ぶのが通例なはず。

 それをまるっきり無視して平民と結婚するだなんて、考えられないことだ。

 家の中からの反発はもちろん、領民からの批判が溢れかえるに決まっている。

 ガブロは、私が思っている以上に常識の外を行く人なのかもしれない。


 とそのとき、アンジェリーナはふと気が付いた。


 待って。それじゃあミシェルさんが日中家にいなかったのって?


「もしかして、ミシェルさんってお仕事なさってるんですか?」

「えぇ、実は。珍しいですが」


 珍しいなんてものじゃない。


 さも当たり前のようにそう言うガブロに、アンジェリーナは再び目を丸くした。


 たとえ平民出身だろうがひとたび領主夫人になれば、領主夫人としての役目が待っているはず。

 それは責務にも近しいことであり、領主との結婚を受け入れるということは、その運命を受け入れるということだと思っていた。


 ガブロも大概だが、ミシェルさんもまた相当肝の据わった人に違いない。


「えぇっと、ではミシェルさんは今でも小麦問屋でお仕事を?」

「いえ!私、実は家業は継いでないんですよね。学校を出てすぐに自分で店を始めて」

「自分の店!?」

「はい!今は『バスタコブレッド』っていうパン屋さんを経営しています!」


 ――ん?


 どこか聞き馴染みのある単語に、アンジェリーナの脳は一時停止した。


 バスタコブレッド?バスタコブレッドって――は?


「はぁーー!!??」


 アンジェリーナの口から言葉が飛び出すより前に、ギルがその場に跳び上がった。

 屋敷中に轟くような大声に、思わず耳がキーンとなる。

 一方のギルは嘘のように目をきょろきょろと動かして、挙動不審を露わにしていた。


「だ、だ、だって、バスタコブレッドの創業者は『ラスター姉弟』じゃ――」

「あ、ラスターは私の旧姓です。今は弟夫婦と共同経営していて」

「つ、つまりそれって、それって――」


 ギルは恐れ慄くように声を震わせ、そしてついにはがっくりと床に両膝を落とした。


「神か!!??」

「――気持ち悪いよ、ギル」


 歓喜に天井を仰ぐギルを見下ろし、アンジェリーナは冷めた声で言い放った。


 とはいえ、これで一つ謎が解けた。


 アンジェリーナは狂気に陥ったギルに目をぱちくりさせるミンツァー一家をそっと眺めた。


 ガブロもクリスも領地のこととはいえ、どうしてそこまでバスタコブレッドのことに反応するのだろうと疑問に思っていた。

 でも違った。

 他人事などではなく、まさに自分事だったのだ。

 そりゃあ、自分の家族のことを褒められたら嬉しいに決まっている。


「――ちょっと羨ましいかも」


 普通とは違う、でも確かにそこには微笑ましい家族の形がある。

 アンジェリーナは誰にも聞こえないような小さな声で、ぼそりとそう呟いた。




 ――――――――――


 ――ジリリリリ、ジリリリリ、ジリリリリ――ガチャ。


「はい――あ、お疲れ様です。どうでしたか?」


 電話口、その返答を聞き、クリスは驚きもせずに頷いた。


「そうですか。ありがとうございます」


 束の間の団らんに心安らごうとも、決して忘れてはならない。

 今、ポップ王国が置かれている状況を。

 危機迫る、その現実を。

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