第241話 ブラックボックス

 沸々とした怒りが無尽蔵に湧き上がり続けている。

 事の真相を目の当たりにし、アンジェリーナは握った拳を未だ開けずにいた。


「アンジェリーナ――」

「あの、横から失礼しても?」


 そのとき、クリスに話の主導権を取られて以降、沈黙を保っていたガブロが手を挙げた。


「なんですか?今いいところなのに」

「『いいところ』ってお前、少しはアンジェリーナ様のことを慮ってやれ!ただでさえアンジェリーナ様はあの戦争で――」


 しかしそれ以上言っても仕方がないと悟ったのだろう。

 ガブロはそこで言葉を切り、大きなため息をついた。


「まぁそれはそれとして、クリス、お前さっきから、さもリブスが首謀者だと確定しているような口ぶりをしているが、証拠は挙がっているのか?」

「あ」

「そういや」


 先程までのクリスの話。

 どれも衝撃的過ぎて意識していなかったけれど確かに、あたかも真実のように語られたその話には何ら証拠が提示されていなかった。

 これでは机上の空論に他ならない。


「証拠、ですか――あ」


 そう呟くとクリスは突如立ち上がり、廊下のほうへ手を振った。


「ちょうどいいところに――セオくん!今よろしいですか?」

「はい?」


 たまたま通りがかったのだろう。

 クリスに呼ばれ、セオがとことことこちらに駆け寄ってきた。


「例の“ブラックボックス”持ってきてもらっても?」

「――あ、はい!」

「ブラックボックス?」


 意味不明な単語に首を傾げるアンジェリーナとギル。

 その一方、視界の端でガブロの眉がピクリと動いた気がした。


「こ、こちらです」


 数分後、戻ってきたセオは大きな大きな黒い箱をドンとテーブルに置いた。


「な、何これ?」

「見るからに重そう」


 ブラックボックスというからには何か良からぬ気配を感じるが、これは一体。


「まぁ一応、これが証拠ですかね」


 そう言うと、クリスは箱の蓋を開けてみせた。

 ギルと二人、中を覗き込み目を丸くする。


「!?」

「え、これ全部紙!?」


 そこにあったのは大量の紙。

 それもすべて文字や数字がびっしりと書かれており、見るからに重要そうな文書であることがわかる。

 しかし一目見てもそれが一体何を意味するのか、見当もつかない。


「ねぇクリス、これって一体?」

「簡潔に言えば、過去約6年の間に手に入れた、リブス派の不正の証拠ですね。裏帳簿だったり秘密裏の契約書だったり――まぁ要は先に示した横領等の直接的な裏付けになるものです」


 その発言に、アンジェリーナは再び目を真ん丸に見開いた。


 これがすべて不正の証拠!?

 いやこの量、100とかの話じゃない。

 これだけ膨大な量の不正があるということにも驚きだけど、それよりも6年の歳月をかけてこれを集めたという事実に驚かされる。

 あまりに淡々としているからよくわからないけれど、クリスは相当な執念を持って、この事案に臨んでいるのでは?

 全部全部、机上の空論などではなかった。

 さっきの話はすべて、クリスがこの6年の間に導きだした真実なんだ。


「クリス、あなたは――」

「おい待てクリス」


 そのとき、アンジェリーナの言葉を遮るようにして、ガブロの低い声が響いた。


「お前これどう考えても機密文書だよな?」

「えぇそうですよ」

「これをセオに預けてたのか?」

「はい」

「お前――お前!うちの大事な書生に何させてんだ!!」


 突如声を荒げ、ガブロはクリスに飛びついた。

 その様に、思わず目が点になる。


「何って、別に中身には一切触れさせてませんよ?ただ届いたものを受け取ってもらっていただけで」

「そもそもそういう闇深いことに関わらせるなって言ってるんだ!」


 怒り狂うガブロに対し、クリスの表情は頑なに変わらない。

 それでも掴まれた胸ぐらを払う素振りを見せないのは、罪を自覚しているからなのだろうか。


「あ、あの、すみません!私が勝手に――」

「セオは良いんだセオは。悪いのはすべてこの馬鹿だからな」


 あわあわとしてガブロを宥めようとするセオに優しい顔を向ける一方で、その言葉からはクリスへの棘が滲み出ている。

 こんなガブロの姿、初めて見た。


「なぁなぁアンジェリーナ」


 そのとき、後ろから小声でギルが話しかけてきた。


「何?」

「なんだかガブロ様、さっき俺たちを無下にしたことでクリスに怒ってたときよりも、今のほうが怒ってない?」

「――確かに」


 というよりも、明らかに実の息子よりも書生のほうを大事にしているような。

 いや息子だからこそ、この激昂ぶりなのか?

 それにしても何だか――何を見せられているんだ?私たちは。


「あ、あの――」

「すみませんアンジェリーナ様、少しもたついているので、続きは部屋でしましょう。先に行って待っててもらえますか?すぐに向かうので――あぁギルさん、できればその箱を上に持って行ってもらえますか?」


 ぐわんぐわんと体を振られつつ、クリスはこちらにそう呼びかけた。

 これ以上ここでは会話不能なのは確か。

 当惑する心をそのままに、アンジェリーナとギルは仕方なくその場をあとにした。


 ――――――――――


「申し訳ございません、お見苦しいところをお見せして」

「あはは」

「面白かったけどな」


 それから結局10分ほどして、クリスは自室へと戻ってきた。

 ガブロに説教されてきたのだろうが、全く反省の色が見えないのは気のせいだろうか。

 だがおそらく、これがミンツァー家の日常なのだろう。


「クリス、それでその文書のことなんだけど」

「はい」

「それって一体どうやって手に入れたの?」


 気になるのはそこだ。

 怒涛の展開で混乱していたが、これだけの量の機密文書がこの場にあるのはどう考えても大変なことなのでは?

 というか、何かしらの罪に問われてもおかしくないような気がするし。


「そうですね。あまり詳しく話すとアンジェリーナ様まで共犯になってしまうので、簡単に話しますが――別に盗んでいるわけではないですよ?中にはものもありますが。基本的にはこれはすべて原本ではなく写しです」

「写し?」

「えぇ。写真に撮ったり地道に書き写したものを、あとで清書して再び文書の形に直したものです」


 そのクリスの話にアンジェリーナは首を傾げた。


「いやそれって十分盗んだことにならない?公になったら絶対駄目なやつだよね。『共犯』とか言っている時点で駄目だよね?」

「――まぁポップ王国は法が手薄なので」

「いやますますダメじゃん!」


 これを聞いている時点で私たちもすでに共犯なんだけどね。

 城を出た時点でこういうことになるのも予想はできたけれど。


 もはや諦めに近いものを感じつつ、アンジェリーナはため息をついた。


「それでアンジェリーナ様。一つ、共有しておきたいものがあるのですが」


 そう言うとクリスは箱の中から紙の束を一つ取り出した。


「これなんですが、何かわかりますか?」

「ん?」

「数字――あれか?いわゆる裏帳簿ってやつか?」


 それは確かに帳簿のようだった。

 それもなかなかに巨額が動いているよう。


 なんだろう、これ。

 ヤルパ王国――え?


「ヤルパ!?」


 そこに書かれていた文字に、アンジェリーナは思わず大声を上げた。


 これ、ヤルパの機密文書?それも“王国”ってことは――。


「まさかこれ、ヤルパ戦争に関連してたりしてないよね?」

「さすが、その通りです」


 その返答にアンジェリーナは息を飲んだ。

 ヤルパがまだ王国という形を成していたとき、それはもう6年ほど前のことになる。

 その時期にクリスが欲しがるような不正の証拠といえば、ヤルパ戦争関連としか思えない。

 やっぱり当たっていた。


「先のヤルパ視察に私が同行したのは覚えてらっしゃいますよね?」

「もちろん」

「あれお前、ガブロ様の代理で来てたとか言ってなかったっけ?ほら、少数民族関連のことで――はっ!まさかそれ嘘!?」

「まぁ別に、それも嘘ではなかったのですが――ヤルパ戦争前のリブスと王国側の金のやり取りなど、不正の証拠が見つかればと思っていたのは確かです」


 嘘ではないが、本当の目的ではなかったと。

 何となく、クリスがまだ隠しごとをしているとは思っていたけれど、まさかそんな秘密を隠し持っていただなんて。


「それで、見つかったのがこの文書?」

「残念ながら直接的な証拠ではありませんが――この人物に見覚えありません?」

「ん?――あ」


 クリスが指した先、そこに書かれていた名前にアンジェリーナは心当たりがあった。


『マックス=ベイリー』


「え、じゃあこれって」

「はい。ヤルパ王国とベイリー大臣が秘密裏にやり取りをしていたという、完全な証拠です」


 ヤルパ王国とベイリー大臣が繋がっていた。

 この事実がどれほど重大なものか、わからないはずがない。


「今まで不正が明らかに見えたのはリブス派の中でも末端の方たちばかりでしたからね。ですのでこの文書はとても貴重なものです。何しろ、ベイリーはリブスに最も近い存在でしたから。ここから芋ずる式にリブスを引っ張り出せる可能性もありました」


“ありました”?


 そのクリスの言い方にアンジェリーナは疑問を覚えた。


「こんなもの、どこにあったんだよ?」

「古い資料を掘り返して発見しました。聞くところによると、この手の資料は破棄するように上から通達があったようなのですが、どうやら領主のトリスが面倒くさがって処分しなかったようでして。それで残っていたんです」


 面倒臭がるって、そんなの一番あってはいけないことなんじゃ?

 確かトリス様もリブス派の一員だって話だったし、これでは相当な失態ということになる。

 そのおかげで証拠が見つかったのだけれど。


「あ?待て」


 そのとき、何かを思い出したかのようにギルが声を上げた。


「もしかしてだけど、クリスがあの夜、領主側近のバドラスと密会してたのってこれと関係ある?」

「“あの夜”?」


 そのギルの発言にアンジェリーナははっとした。


 そうだ。そうだった。

 ヤルパを発つ前日、クリスが森の中の屋敷に入っていくところをギルは目撃していたんだった。

 それで、ギルと二人、クリスのことを怪しんでいたんだ。


「へぇ見ていたんですか」

「いやあんなの見かけたら怪しんでついて行くに決まってんだろ」


 おそらく人に見られてほしくない場面だったのだろうに、クリスは狼狽えるどころかさも感心したというようにへぇと唸った。


「えぇそうですよ。この“国家転覆の鍵”を見つけたので、そのことでバドラス様および前国王のモンドリオール7世に話をしに行っていました」

「話って?」

「まぁ、お願いを」


『お願い』――それは果たして言葉通りの意味なのだろうか。

 何となくそれ以上突っ込んではいけないような気配を感じ、アンジェリーナはその疑問を胸の内に仕舞った。


 それはそれとして――。


「ねぇクリス。一つ気になったんだけど、さっきリブスを引っ張り出せる可能性もって言ってたよね。“あった”ってことは今は“ない”ってこと?」

「――えぇ残念なことに。ベイリーが死んでしまったので」


 その意味深な言い草にアンジェリーナの胸がドキリと跳ねた。


「たぶん私がこの文書を手に入れたことに気づいたのでしょうね。うまく先手を取られました。おかげでこれ以上の追及は難しいでしょう」


 クリスは直接言っているわけではないけれど、実際に彼が思っていることは、私が想像していることと相違ないのだろう。

 今ならベイリー大臣の自殺が怪しいと、クリスが発言した意味がわかる。

 わかったところで不快以外の何物でもないけれど。


「アンジェリーナ様」


 その呼びかけに、アンジェリーナは顔を上げた。


「ここまでそれなりに立ち入った話を致しましたが、もともと私としてはこれ以上をアンジェリーナ様にお伝えするつもりはありませんでした。そういうことは影の者がやっておけばいい話なので――ですが、事情が変わりました。あなた様は城を出られた。それも自分の強い意思のもとに。その覚悟に私も応えるべきなのでないかと思いましてね」

「――なんだよ。まだ隠してることがあるっていうのか?」


 その大仰な話し振りに並々ならぬものを感じ、アンジェリーナはごくりと喉を鳴らした。


「ここからは完全に三人の秘密にしてほしいのですが」


 そう前置きすると、クリスは予想外のことを口にした。


「私はリブスが行っていることについて、ある程度賛同しているのですよ」


「え?」


 思わず漏れた呟きが部屋に響く。

 困惑するアンジェリーナの瞳の中には、いつも通り平然とした顔のクリスが映っていた。

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