第239話 リブスの企み

「おまっ、おまえー!!」


 こちらがどれほどその到着を待ち望んだことか。

 そんなこと気にも留めないというようにしれっと現れたクリスに、ギルは掴みかからんとばかりに詰め寄った。


「予想以上の憤りですね」

「なに冷静に返してんだ!」


 目をぱちくりとさせるクリスに対し、ギルが顔を真っ赤に燃え上がらせる。


「あ・の・手紙で納得できるやつがいるわけねぇだろうが!!」

「まぁそうですね」


 この温度差は一体――。


 傍からその様を眺めていたアンジェリーナは抱いていたはずの怒りや苛立ちを通り越して、ただただ呆れるしかなかった。

 ひと通り怒りをぶつけたギルも石のように動かないクリスに観念したのだろう。

 はぁーっと長いため息が口から漏れた。


「もういい。早く詳細を――」


 そのときだった。


「ク゛リ゛ス゛!!早く下りてこいっ!!!」


 屋敷中に響き渡る怒号が三人の耳をつんざいた。

 空気の振動を肌に感じさせるようなその声に、思わず身を竦める。


「なんだなんだ!?」

「この声、ガブロ?」


 馴染みのある快活な声からは聞いたこともないような怒りが滲み出ている。

 ガブロのこんな声、初めて聞いた。


「困りましたね。心当たりがありすぎて、果たして何に怒っているのか見当もつきません」

「――お前」


 ここに来てもなお表情を崩さないクリスに二人の呆れた視線が刺さる。


「とにかく下へ行きましょうか」


 本当に、この人は何を考えているのだろうか。


 クリスと出会って早8年。

 今更なことを考えつつ、アンジェリーナはクリスに続いて部屋を出た。




「遅い!」


 リビングへ行くとそこには眉間にしわを寄せ、腕を組み待ち構えるガブロの姿があった。


「すみません。何でしょう?」

「“何”じゃない!!お前、よくもアンジェリーナ様をぞんざいに扱ったな!?」


 なるほど。ガブロの一番の怒りはそこらしい。


「“ぞんざいに扱った”――自覚はありますが」

「自覚があるならするな!」


 父親に対してもこの感じなんだ、クリス。


 親子の現実を垣間見、アンジェリーナは一瞬にしてこれまでのガブロの苦悩をおもんぱかった。

 頭に血が上っていてこちらに気づいていなかったのだろう。

 視線が合うや否や、ガブロは怒りに溢れた表情をすっと引っ込め、アンジェリーナに深々と頭を下げた。


「あぁ申し訳ございませんアンジェリーナ様。お見苦しいところを」

「い、いや」

「アンジェリーナ様どうぞこちらへお座りください。おそらく話も長くなるので」


 一方のクリスはあくまでも自分のペースを崩さないつもりらしい。

 謝罪も早々に話を進めようとするクリスの肩をガブロが捕まえた。


「おいクリス、アンジェリーナ様に何を聞かせる気だ」

「なにって、説明責任を果たす必要がありますので。ちょうど良かった。もそこにいてください。その方が都合がいいので」


“父さん”?

 今、貴族からはとても発せられるとは思えないような言葉が聞こえた気がするけれど。


 しかし、今それを尋ねても仕方のないこと。

 アンジェリーナはクリスに言われるがままリビングのソファへ腰かけた。


「どこから話しましょうか?」

「どこからって、えーっと、何から聞けばいいのか」

「そもそもクリス!お前いつからリブスが裏切り者だって気づいてたんだよ」


 アンジェリーナの頭上からぐいっと身を乗り出し、ギルがクリスに尋ねた。

 こういうとき、思ったことを直球で言ってくれるのは本当にありがたい。

 ――というかギル、すでにリブス宰相のこと呼び捨てにしているし。


「いつから、ですか。難しい質問ですね。確信を持ったのは本格的に調べ始めた6年ほど前でしょうか。ですが、疑念の段階であればかれこれ30年くらいにはなるのでは?」

「「は!?」」


 その発言に、アンジェリーナとギルの声がシンクロした。


「30年って、どう考えてもおかしいでしょう?だって、クリス今30歳じゃん」

「えぇ。ですからワグナー=リブスを疑い始めたのは私ではなく――」


 そこで言葉を切り、クリスは横に視線を向けた。


「ガブロ?」


 視線の先、そこにはどこか気まずそうに椅子に座るガブロの姿があった。


「つまり、リブス宰相に目を付けたのはガブロってこと?」

「目を付けた、というほどのことではないのですがね」


 そう言うと、ガブロはすっと背筋を伸ばしアンジェリーナに向き直った。


「アンジェリーナ様、リブスが保守派を率いていることはご存じですか?」

「うん知ってる。親国王派だよね」

「えぇそうです。では、リブスがもともと国王政権に批判的な立場だったことは?」

「え」


 予想外の新情報にアンジェリーナは目を見開いた。


「そうなの!?」

「まぁ知らなくて当然です。このことを知っている者は今の王宮内でもほとんどいないと思いますよ。なにせかれこれ30年以上前の話ですからね」


 30年以上前――。

 私が生まれるよりもずっと前の話。

 というよりも30年前というとお父様だってまだ10代なんじゃないの?


「リブスは上流階級出身の貴族です。ですので王宮政治に加わった年齢も若く、クリスと同じくらい、つまり22,3歳の頃にはすでに王宮で下働きを始めていました。ですがその頃のリブスは今では考えられないほど尖った人物でしてね?かなり国王に対して否定的な考えを持っていました」


 ガブロは続ける。


「しかし、これは今でもそうなのですがね?そういう考えというものは排斥されてしかるべき、というのが常識なのですよ。実際、リブスがどんなに熱く訴えようとも誰もその言葉に耳を貸さない。下働きを始めて1年ほどは粘り強く主張を続けていたのですがね?あるときを境にきっぱりとそれをやめてしまった。それ自体はそこまで珍しいことではないのですよ。古いしきたりに負けて“自分”を失ってしまう者は五万といますから。ですが、問題はその後です」

「後?」

「リブスはあろうことか、180度方針を転換したのです。つまり国王に批判的な立場から擁護する側になった」


 その発言にアンジェリーナは首を傾げた。


「ん?それは変なことなの?周りに流されてしまう人たちが多いって言ってたけど」

「えぇ。しかしリブスはその比ではなかった。自ら率先して保守派の一員となり、熱心に動いた。それから約5年後、自身の派閥を立ち上げてしまえるほどに」


 5年――確かにそれは異常な速さな気がする。

 それまでコツコツと保守派として地位を築き上げてきたのならまだしも、突然コロッと立場を変えた者が賛同者を集め、それを率い、先導に立つなんてありえないことなのだろう。


「そのことを疑問視した人はいなかったの?ガブロ以外に」

「いた、かもしれません。ですが素晴らしい心変わりだと、賛同した意見のほうが強かったように思えます。それほどまでにリブスの求心力は凄まじいものでしたから。私とてその時点でリブスが怪しいなどと思っていたかというと――まぁとはいえ、私は他の者と比べるといくらかずれているところがありまして、素直にリブスを認めることができなかったのですよ。疑念にも及ばない、何か違和感を感じて」

「それで、調べ始めたと」

「えぇ」

「始めの頃は何も出てきませんでした。ですがリブス派が大きくなり始めた頃、派閥の一人の横領が明らかになりましてね」

「横領――」


 というと、金銭の不正な受け流し。

 政治の世界ではよく問題になるとクリスから学んだけれど――。


「それにリブス宰相が噛んでいたの?」

「いえ、全く。しかし金の流れを辿っていくとどうも不思議な点が出てきましてね?どうやらこれは一人では開拓しようのないルートなのではないかと」

「ルート――結局そのお金はどこからもらっていたの?」

「ポーラです」

「ポーラ!?」


 予想の斜め上から飛び出したその存在に、アンジェリーナは思わず素っ頓狂な声を上げた。


「つまり、ポーラ共和国が関わっていたということ?」

「国が関わっていたわけではありませんが。まぁ外へ通じる窓口は現状ポーラしかありませんからね。当然そういう不正が起こるのもポーラ繋がりであることが多々あるわけです。問題はその相手。ポーラ共和国の外務省の人間だったようで。当時横領したその男はまだそこまで強い権力を持っていたわけではなく、当然ポーラと通じられるほどの力は持っていなかった。なのに――」

「ポーラからお金をもらっていた」


 国レベルの話ではないにしても、相手は外務省の役人。

 片や派閥末端の人間。


「確かに、ちょっと引っ掛かるかも」

「えぇ。実行には第三者の手助けが必要なはず。そして一番身近にいる協力者となり得るのは」

「リブス宰相だった」


 その頃はまだ大臣ではなかったのだろうけれど、派閥のトップであり、もともと出身が上流貴族だったことも考えると、それなりの立場にはあったはず。

 隣国との独自のルートを築いていたとしても何ら不思議じゃない。


「そこから本格的にリブスのことを調べ始めました。とはいえ、詳しく見てみると似たような不正がちらちらと派閥内で見つかってきて。そこでようやく私の中で違和感が疑念へと変化したわけです。ですが、どうしてもリブスがそれに関わったという直接的な証拠が出てこない。表立って動くわけにもいきませんし、それゆえあまり深堀りはできませんでした」

「それでずっとくすぶっていたと」


 突然何を思ったのか、クリスがぽつりと呟いた。

 クリスには珍しく何やら嫌味を含んだその発言。

 見ると、ガブロが苦虫を噛み潰したように顔を歪ませている。


「あの、一つ聞いても?」


 そのとき、途中で戦線離脱したと思われていたギルが声を上げた。


「ベイリー大臣ってじゃあ結局何だったんですか?あの人だけ途中で派閥抜けてリブスと反対の立場になってますよね?それで俺たち、例の殺人事件ベイリー大臣が怪しいんじゃないかって思ってたんですけど」

「ベイリー、ベイリーですか――」


 ん?


 ガブロの顔に一層苦悶の表情が広がったのをアンジェリーナは見逃さなかった。

 何だろう――?


「あの方ならつい3日前に亡くなりましたよ」


 一瞬止まりかける思考。

 しかしその衝撃はすぐに二人の頭を貫いた。


「「えっ!!」」


 ベイリー大臣が、亡くなっていた?

 それも3日前?

 3日前といえば――。


「なっ!死因は!?」

「自殺、ということになっています」


 ということに?


 意味深なその言葉に、心に暗雲が広がる。

 しかし残念ながらクリスの抑揚のない声からは何も読み取れない。


「ゴホン、話を戻してもよろしいでしょうか」


 露骨にその話題を避けるかのように、ガブロはわざとらしく咳ばらいをした。


「ベイリーとリブスの関係なのですがね?ベイリーはもともとリブスの腹心ともいえる存在だったと認識しています。少なくともは。ベイリーが派閥を離れたのはリブスが大臣になる少し前のことでしょうかね?表面上は意見の対立による決別というものでしたが、何とも怪しさに満ち溢れたものではありました。現にベイリーもその後ほどなくして自身の派閥を立ち上げましたしね。あろうことか国王政権に否定的な革新派として。私は思いました。これはリブスの『計画』なのではないかと」

「計画?」


 ようやく飛び出してきた核心をつくような言葉に、心臓がドクンと鳴る。

 同じように気持ちが高ぶったのか、再びギルが上からぐいっと身を乗り出す。


「さっきからいろいろ聞いて、リブスがすごい昔から何か企んでいたってことはわかったんだけど、結局あいつはを企んでいるんだ?クリスだって裏切り者とは言っていたけど、を裏切っているんだ?それに例の殺人事件だって、リブスは関係しているんだ?」

「それは――」

「すべてです」


 ガブロの言葉を遮るようにクリスは静かに告げた。


「リブスはすべてに関わり、すべてを計画した張本人。その目的を単刀直入に申し上げるとするならば――“王家転覆”。そして“国家の掌握”。つまりリブスは今のカヤナカ王家を王座から引きずり下ろし、自ら国王になろうとしているのです」


 ついに放たれた一つの真実。

 とても飲み込めないようなその事実に、アンジェリーナは大きく息を吸い込んだ。

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