第238話 ミンツァー邸
「う゛ーん、はぁ」
客間から出た廊下にて、アンジェリーナは大きく伸びをした。
時刻は午後13時を回ったところ。
普段ならば朝の6時には目が覚めるところ、さすがに疲労が溜まっていたのだろう。気が付けば太陽はすっかり高く昇っていた。
さて、これからの時間どうしたものか。
とりあえずクリスが戻ってくるまではここから動けないし。
そのとき、隣の部屋のドアがガチャリと開いた。
「あ、もしかしてちょうど起きたところだった?」
「おはよう。といってももうお昼だけど」
ギルはふあぁと眠気まなこを擦りながら腕をぐるぐると回した。
「まだクリスのやつは帰ってきてない感じ?」
「たぶんね。聞いてみないとわからないけれど」
「はぁ。あのバカ、とっとと帰って来いよ!」
「本当に」
怒りを露わにパンと拳を叩くギルに同意し、アンジェリーナはため息をついた。
どうしてクリスに対する悪感情がここまで高まっているのかというと、それは数時間前――。
――――――――――
「はぁっ!?裏切り者の正体がリブス宰相!?え、えぇ!!」
「どういうこと――」
衝撃の告白をしたためた手紙を前に、アンジェリーナとギルはパニックに陥っていた。
「だ、だって、俺たちの予想じゃリブス宰相ってどちらかというと被害者じゃなかった?」
「被害者っていうか――一回整理しよう。例の多発殺人事件の被害者は全員リブス派の人間だった。それで、そのリブス派が集合した過去の写真にベイリー大臣が写り込んでいて、でもベイリー大臣は今やリブス派の反対勢力を率いる存在。だからこそ私たちはベイリー大臣がもしかしたら今回の事件に関与しているんじゃないかって考えていたんだよね」
「あぁ。首謀者なんじゃねぇかって」
「うん。その場合、今度はリブス宰相が危ないかもしれないって」
それが、私たちがデュガラで得た成果物だったはず。
でもそこから何がどうひっくり返れば裏切り者がリブス宰相になるのか。
部屋に沈黙が流れる。
「えぇ?ますますわからなくなったんだけど。それじゃあベイリー大臣は何も関係ねぇってこと?リブス宰相はわざわざ自分の仲間を殺したってこと?何のために?」
「それに、この裏切り者の“範囲”も気になる。一体何を裏切っているのか。今回の殺人だけを意味しているのか。それとも私たちが予想していたように、ヤルパ戦争にも関与しているのか」
そしてなぜそれをクリスは知っているのか。
果たしてクリスが言っていることは本当に正しいのか。
「え、手紙の続きは?」
そういえばと、ギルは途中で驚きのあまり放り投げた手紙を拾い上げた。
「『とにかく今はそれだけお伝えしておきます。詳しいことは直接。では』――じゃねぇよ!!は?それだけ!?」
あまりにも不親切な内容に、ギルの導火線に火が付いた。
「あいつ、本当何考えてんだ!?」
「この感じ、急いでいたんだろうけれど。それでもこれはひどいね」
「こっちの感情かき乱すだけかき乱して、自己中心的過ぎるだろ!」
クリスらしいといえばクリスらしいが、これはなかなかの仕打ち。
沸騰するギルがそばにいなければ、私も呆れと怒りから取り乱していたかもしれない。
まったく――。
「これは、一刻も早く本人に来てもらわないとね」
「あぁ!とことん問い詰めないと気が済まねぇ!」
――――――――――
というわけで、二人はクリスの帰りを待ち焦がれていたのだった。
何としても事の真相を聞き出さなければならない、と。
「とにかく、今は待つしかないね――あ、そういえばギル、熱は?」
「んっ?あれ、何で知ってんの?」
「やっぱり出てたんじゃん」
「あ」
お手本のように見事に引っ掛かったギルを、アンジェリーナはじとっと見つめた。
「だ、大丈夫だよ。もう平熱まで下がったから」
「最高何℃まで行ったの?」
「――39℃」
そりゃあ、あの怪我だしね。
アンジェリーナははぁと大きなため息をついた。
「というかさぁ、腹減らない?俺、実はここ数日ろくなもの食べてなくて」
「地下牢生活だったもんね?確かに私もお腹は空いたけど」
露骨に話題を切り替えたなと思いつつ、アンジェリーナは自らのへこんだお腹をさすった。
言われてみれば私も昨日の夕食以来何も口にしていない。
何か口に入れたいけれど、突然押しかけた身でこういうことを言うのは少し気が引ける。
でも、腹が減っては仕方がない。
ギルに栄養あるものを食べさせる必要もあるし。
アンジェリーナは誰かいないかと辺りをきょろきょろと見回した。
今日は土曜日のはず。
ガブロは仕事かな?それとも家にいるのかな。
「いかがなされましたか?」
そのとき、背後からの声にアンジェリーナは後ろを振り返った。
「あ、あの、ガブロ様なら今執務室におりますが。あ、それとも、お食事ですか?」
ん?
その人物にアンジェリーナは目を落とした。
おどおどとした挙動と高い声。
肩幅の小さい細い体と小さな手。
え、子ども?
そこにいたのは緊張した面持ちでこちらを見上げる金髪碧眼の男の子だった。
「えっと、あなたは?」
「あ、私は――」
「アンジェリーナ様」
アンジェリーナがそう尋ねたとき、奥のほうから使用人がこちらへやって来た。
「おはようございます。よくお眠りになられましたか?」
「はい。ぐっすりと」
「良かったです。お食事のほうご用意できますがいかがいたしますか?」
「あ、じゃあお願いします」
「かしこまりました。ギルさんの分もご用意しておりますので」
「ありがとうございます!」
どうぞと案内されながら、アンジェリーナは使用人に並んで歩く少年をじっと見ていた。
背丈は私よりかなり小さいけれど、何歳くらいだろう?
でも、言葉遣いもしっかりしているし、12, 13歳くらいかな?
その年齢でも使用人として働いている子も珍しくはないらしいけれど、でも、それにしては身に付けているものの質が高いような気がする。
それにあの金髪碧眼。似ているような――。
ダイニングに通されると、まるで二人が起きてくる時間がわかっていたかのように、すでにテーブルの上がセットされていた。
加えて、座って一分と経たずに料理が出てくるものだから、ここまで来ると怖いとさえ思えてくる。
出てきたのはサンドイッチと野菜たっぷりのコンソメスープ。
それを一口食べ、アンジェリーナは思わず口元をほころばせた。
空腹時に食べるものは何でもおいしく感じるとは言うが、断言できる。
ここの料理のクオリティは最高級だ。
ギルも同じ気持ちなのだろう。バクバクとサンドイッチにがっついている。
「どうです?お口に合いますか?」
「んっ!ガブロ」
おそらく使用人に聞いて来たのだろう。
おいしそうに自らの屋敷の料理を頬張る二人を見て、ガブロはニコニコしながらこちらに近づいてきていた。
「すごく、ん、おいしい。特にこのサンドイッチ、パンがとても」
「ありがとうございます。うちのパンを褒めていただいて」
うち?――あ、そうか。
「バスタコといえばバスタコブレッドだもんね」
「当たり前だろ!この具材を引き立てる最高のパンを作れるのはバスタコブレッドだけだろうが」
「――はいはい」
妙にぎらついた目をこちらに向けながらもサンドイッチを頬張る手を止めないギルを見て、アンジェリーナはふぅと息をついた。
そういえばこの人、バスタコブレッド信者だったなぁ。
前に街へ出たときも熱中して語ってたんだっけ。
「いやぁ、そこまで言ってくださるとは嬉しい限りですね――ん?なんだ、来てたのか」
「は、はい」
ガブロの視線の先を追うと、そこには先程の少年の姿があった。
「ちょうど良かった。あぁアンジェリーナ様、一人紹介したいのがいるのですがよろしいですかね?」
「?はい」
そう言うとガブロは手を招き、例の少年をそばに呼んだ。
「うちの書生です」
「書生?」
肩にぽんとガブロの手を乗せられた少年は恥ずかしげにぺこりと頭を下げた。
「セオ=ミンツァーです」
ミンツァー?
「セオは私の親戚の子なんです。訳あってうちで預かっておりますが、なかなかに優秀で。なぁ?」
「そ、そんなことないです!」
へぇ。ガブロがここまで言うなんて。
何となくクリスに似ているなとは思っていたけれど、やっぱり血縁だったんだ。
それにしても、まさか書生とは。
「こいつ、私が家でアンジェリーナ様の話をしたら見事にファンになってしまいましてね?だから朝起きてアンジェリーナ様来ていると知ったらずっとそわそわしていて――良ければ握手してやってくださいませんか?」
「え!?」
「ふふっ、もちろん」
そう言うとアンジェリーナはすっと手を差し出した。
「初めまして。アンジェリーナ=カヤナカです」
「は、はじめまして――」
声を震わせ、セオは恐る恐る手を握るとぱぁっと目を輝かせた。
ずいぶん大人っぽい子だとは思っていたけれど、こういう子供らしいところもあるんだな。
立場上、こうやって握手をすることは多いけれど、ここまで純粋に嬉しそうにしてくれるなんて。こちらまで嬉しくなってくる。
「お二方とも、クリスが来るまでお暇でしょう?良ければ一階に簡易的な書庫などございますので、どうぞご自由に見て回ってください――あぁそうだ!二階にクリスの部屋もありますので、勝手に見てもらっても構いませんよ?中にあいつの置いていった本などもありますし」
「ありがとう、ガブロ」
では、と軽やかに身を翻すと、ガブロは自室へと戻っていった。
「クリスの部屋かぁ」
「行ってみるしかねぇだろ」
ここぞとばかりにニヤニヤとするギルをコラと諫めつつ、内心アンジェリーナもまたわくわくと心を躍らせていた。
――――――――――
「へぇ、ここがあいつの部屋か。さすがに大きいなぁ」
「本もたくさん。すごい」
昼食後、二人はさっそくクリスの部屋に立ち入っていた。
部屋には勉強机やベッドのほか、大きな本棚が並んでおり、そのどれにも本がびっしりと埋まっていた。
確かクリスは大学卒業後すぐに王宮入りしたはず。
家も今は王都にあるって言ってたし、この部屋は高等部までしか使っていないはずだけど。
ということは、ここにある本たちは全部、高等部までに読破したものってこと?
改めてクリスの優秀さに舌を巻きつつ、アンジェリーナはその蔵書一つ一つに目を向けていった。
「おっ、なんだこれ」
一方、本には微塵の興味もないらしいギルは部屋の探検まっしぐら。
どうやら目ぼしい何かを見つけたらしい。
「なになに?」
「これ、写真」
写真立てが机に置かれている。
写真にはクリスを含め、6人の男が写っており、それから見慣れぬ大きな物体が写り込んでいる。
「これ、もしかして車?」
「え!車ってあれだろ?何もしなくても自動で動く乗り物!」
「何もしないわけじゃないと思うけどね」
前に、クリスの勉強会で教えてもらった。
ポップ王国では馬による移動が主。
しかし、外国では今、車という新たな乗り物が開発され普及し始めているのだとか。
四角いボディに4つの車輪。
ガラスの窓の中には革の座席が並んでいる。
「すごい、初めて見た。これ、見た感じクリスの大学時代かな?」
「かなぁ?にしてはちょっとクリス以外の連中、結構はっちゃけてない?ほら、この人とか」
ギルが指さした先には、車の上に寝っ転がり盛大にピースサインを取る男の姿があった。
確かに、クリスとはまるで性格の違う人のよう。
というか、他の人たちもなんというか、元気?というか――。
「それ、私の大学の同期です。『問題児6人組』って呼ばれてましたけれど」
感情の乗らない淡々とした声。
その声にアンジェリーナとギルはばっと後ろを振り返った。
「お疲れ様です。ただいま戻りました」
「「クリス!!」」
全く悪びれる様子のないクリスに、二人は怒号を響かせた。
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