第237話 月光下

 ミンツァー家が統治するバスタコ領は、首都ミオラの西部に存在する大都市である。

 自然豊かで趣のある建物が並ぶ風景は有数の観光地としても知られている。

 とはいえそんな素晴らしい光景が見られるのは、あくまで日が昇っている時間帯のこと。

 真夜中の暗闇の中ではそれも何もわからない。


「ここか」


 ビスカーダ城の地下道から《瞬く一番星ティアメタフォラ》でテレポートし、到着したのは丘の上のレンガ造りの建物。

 家をぐるりと囲む外壁に、正面には大きな門がついている。

 クリスが言っていた通り、《さざめく薔薇庭アナジティス》によるサーチですぐに見つかったのは良かったが――。


「まぁ知ってたけど、立派なお屋敷だなぁ」

「そうだね」


 果たして、このまますんなりと中へ通してもらえるのだろうか。


 アンジェリーナとギルは近くの茂みに隠れ、中の様子を窺っていた。


 そもそもバスタコへ向かえと言われたのも物のついでのようだったし、クリスの思い付きという可能性は大いにある。

 その場合、何と説明したものか。

 門前払いされることも問題だが、それよりも王女ということがバレて城に連れ戻されるなんてことになったら一大事だ。

 かといって、このままじっとしているわけにはいかないし。


 よし、と覚悟を決め、アンジェリーナはドキドキと胸を鳴らしつつ、フードを目深に被り門のほうへと足を進めようとした。

 そのときだった。


「アンジェリーナ王女と近衛兵のギルさんですね?」

「「!?」」


 突然背後から聞こえてきた声に、二人は思わず飛び上がり、後ろを振り返った。

 見ると、そこにいたのは執事のように小綺麗な格好をした男。

 全く気配を感じなかった。私はともかくギルもだなんて、この人一体――。


「お待ちしておりました。さぁどうぞ中へ」

「「――え?」」




 邸宅の中に入った二人を出迎えたのは、外観に負けず劣らずの広々としたエントランス。

 さすが領主邸宅という感じではあるが、決して華美ではなく、温かみのあるいい雰囲気を醸し出している。

 しかし当の本人たちはそんなことを鑑賞する余裕などなく、頭に大きな疑問符を付けたまま棒立ちになっていたのだった。


「あぁ、遠路はるばる本っ当に申し訳ございません!アンジェリーナ様、それとギルさん!」


 そのとき、聞き覚えのあるよく通る声に、アンジェリーナははっと我に返った。

 廊下の奥からすたすたと走り寄る姿に、安堵から思わず声が弾む。


「ガブロ!」


 元宰相、バスタコ領の現領主にしてクリスの父親。

 ガブロ=ミンツァーはこちらを見て、ははっと笑った。

 隠居したと本人は言っているが傍から見ればまだまだ現役。

 先日の視察でバスタコに寄った際も、周りの者を巧みに導く手腕ぶりを見せてくれていた。

 王都にいた頃に比べれば白髪も増え、確かに年齢は感じさせるが、快活な口ぶりと目の奥に宿るギラリとした眼光は健在のようだ。


「いやぁ、ついさっきですよ。クリスの奴から急に電話がかかってきて、『アンジェリーナ様とギルさんが間もなくそちらに向かうと思いますので、出迎えよろしくお願いします』だなんて。本当、あいつときたら」

「あはは――」


 言葉の節々に怒りを滲ませるガブロに、アンジェリーナは苦笑いした。

 よく考えてみれば、ここの親子の関係性というものを私はほとんど知らない。

 クリスとガブロ、そのどちらかと会うことはあっても、二人一緒の場面にはなかなか立ち会う機会がなかったから。

 ただ、クリスの普段の言動とこのガブロの感じから察するに、なんだか容易に想像できるような気もする。


「えーっと、じゃあガブロはクリスから事情はあまり――」

「えぇ、ほとんど聞いておりません。ですのでお疲れのところ申し訳ないのですが少々お話を伺っても?」

「もちろん。私も色々と話さなければいけないことがあるし」


 自分自身でも頭を整理しないと。


 ではでは、とガブロはアンジェリーナとギルを招き入れ、奥のリビングへと案内した。

 この部屋もまた案の定、天井も高くさすが貴族の家という感じなのだが、やはりどこか優しい雰囲気を覚える。


「さて、一体何から聞いたらよいものか――とその前に」


 ガブロはそこで言葉を切り、一人ソファの横に立つギルのほうへ視線を向けた。


「ギルさんのその怪我をどうにかしなければいけませんね」

「え」


 まさかここで話の矛先が自分に向くとは思っていなかったのだろう。

 ギルは目を点にして、そしてすぐさまぶるぶると首を振った。


「い、いやいや!俺は大丈夫ですので」

「地下牢の環境は劣悪と聞きます。その様子じゃあ相当ひどい目に遭ったのでしょう」

「しかし」

「治療してもらいなさい?化膿なんかしたら殊だし」


 ガブロの言う通りだ。すっかり失念していた。

 ローブの下、ぼろぼろのシャツからちらりと見えるその肌は、どこもかしこも赤黒く、あるいは青く腫れている。

 本人も相当の痛みだろうに、ここまでギルは一切の弱音を口にしていない。

 兵士としての義務なのか、あるいは従者としてのプライドなのか。


「――でも、俺も話聞いときたいし」


 なるほど。そういえばギルも相当な我儘だった。

 ここまで来て尚も渋るギルに、アンジェリーナはため息をついた。


「では、軽く応急手当だけここでしてもらってください」


 そう言ってガブロはくいくいと手を動かすと、どこで待機していたのか音もなく、救急箱を抱えた使用人がそばに現れた。

 この対応力、ガブロの凄さは十分わかっているつもりだけど、ここの使用人の人たちも結構な手練れらしい。


「さて、本題と参りましょうか。そうですね――あぁ、クリスは何か言っていましたか?」

「えっと、私が地下牢に潜入したときに偶然現れて、手紙を渡してきて、それでここへ来るように言われて――」

「『ではまた後ほど』って言ってなかったっけ?」


 隣のソファで手当て中のギルが口を挟んできた。


「そういえば言ってたかも」

「“後ほど”――なるほど」


 その一言から何を理解したのか、ガブロはうんうんと頷いた。


「おそらくクリスは明日明後日にでも、こちらに戻ってくるつもりなのでしょう」

「「え!」」


 予想外のことにアンジェリーナとギルは揃って声を上げた。


「でも、今は一番王宮が大変な時期で、大臣なんかが簡単に帰郷できる雰囲気じゃ――」

「それでも、その方が良いと判断したのでしょう。あるいは何か事情が変わったか」


 事情?


 その言葉に、アンジェリーナの胸に一気に暗雲が押し寄せた。

 大魔連邦からの脅威にさらされ、いつ戦争が始まるかもわからないこの非常時に事態が動くとなれば、それは良い方向に転ぶとは思えない。

 まさか――。


「ともかく、そういうことなら詳しい事情やは本人から聞くことにしましょう。それでなんですがアンジェリーナ様、手紙というのは?」

「ん?あぁ、これ!」


 今できることはない。これ以上考えても仕方がない。

 だからこそ、優先度の高い次の議題へと素早く切り替える。

 こういう手腕はさすがとしか言いようがない。


 アンジェリーナはポケットから手紙を取り出すとガブロに渡した。


「ふむ。まぁアンジェリーナ様宛てですしね。私がのぞき見するのも野暮でしょう。どうぞお先にお読みになってください」

「あ、うん」


 じゃあ何のために確認したのだろうか。


 そんな疑問を抱きつつ、アンジェリーナは手紙を再び受け取った。


「話を聞く限り、クリスも直接話をすること前提で書いたのでしょう。実際、手紙も薄いですし。アンジェリーナ様が出立なさる前にと急いで書いたのであれば、ある程度内容は予想できます」

「え?」


 それってどういう――?


「旦那様」


 ガブロに尋ねようとしたところ、ギルの応急手当にあたっていた使用人が声をかけた。


「ひとまずはこれでよろしいかと。傷の量も多いですし程度もなかなか。発熱する可能性は高いと思いますが」

「そうか。ではまぁ、とりあえず今日はここまでにしましょう。もう夜も深いですし、さぞやお疲れになったことでしょうしね」

「あ、え、でも」

「お部屋は一階の客間をお使いください。ギルさんはその隣に。念のため近くに使用人を待機させておきますので、症状が悪化したなどということがあれば、遠慮なくお伝えください」

「いやいや、そんな気遣いしてもらわなくても」

「では、こちらご案内致します。王城よりも手狭ではございますが、シャワーもございますのでどうぞゆっくりとお休みになってください」


 こちらが一切口を挟む間もなく、ガブロと周りの使用人の連携に圧倒され、アンジェリーナとギルは客間へと連れられて行った。


 ――――――――――


「ふぅ」


 シャワーを浴びて一息。

 部屋のソファにもたれかかり、アンジェリーナはその体の重さに、自分が自覚している以上の疲労を痛感させられていた。


 城を抜け出してから今で2時間余り。

 まだ全然時間は経っていないけれど、心身ともに相当疲れている。

 本当に、クリスがバスタコへの道を示してくれていてよかった。

 そうでなかったら今頃どうなっていたことか。


 そのとき、コンコンコンとドアが叩かれた。


「アンジェリーナ、入ってもいいか?」

「うん、いいよ」


 適切な治療を受けたおかげだろう。

 貸してもらったであろう使用人着に着替えたギルは、先程よりも顔色が良くなったように見える。

 若干、普段よりも顔が紅潮して見えるのは気のせいではないのだろうが。


「なんか、怒涛の時間だったな」

「ね?」


 こちらと同じくふぅと息を吐きつつ、ギルは対面のソファに腰かけた。


「なんか、さすがクリスの父親って感じだよな」

「クリスとはちょっとタイプが違う気もするけどね」

「――ってそんな話をしに来たんじゃねぇんだよ」


 ギルはそう言うとぐいっと体をこちらへ乗り出した。


「手紙、早く読もうよ」

「わかってる。私もとてつもなく気になっているから」


 そう。意味深に渡された手紙。

 その中身が一体何なのか、二人とも気になって気になって仕方がなかったのだ。

 今考えてみると、『落ち着かれてから読んでください』と言ったクリスは、この展開を予測していたのだろうか。


「早く早く」

「わかったって」


 アンジェリーナは白い封筒の中から手紙を取り出し、広げてみせた。


『拝啓、アンジェリーナ様。

 この手紙をお読みになっている頃にはおそらく、バスタコの私の実家におられるのでしょう。心中お察しします。

 さて、さっそく本題なのですが、実は私は6年ほど前からある計画を進めていました。

 その計画というのは、裏切り者を炙り出し白日の下に晒すというものです』


「え」

「え?」


 唐突に告げられたその告白に、アンジェリーナとギルは思わず固まった。

 そして二人の視線は次の文へと移される。


『その裏切り者の名前は、ワグナー=リブス。ポップ王国の現宰相の男です』



「「は?はぁー!?」」


 その瞬間、二人のシンクロした声が部屋中、いや屋敷中に響き渡った。

 約6年間追い続けた裏切り者の正体。そのあっけない暴露に、二人はただただ叫ぶしかなかった。




 ――――――――――


 プルルルル、プルルルル――ガチャ。


「なんだ」

「そんな不機嫌な声出さないでくださいよー」

「その通信機は私からの一方通行のはずだ。お前が使うことは規約違反だぞ」

「そう言わずに!」


 闇の中、足音も衣擦れの音もせず、声だけが響く。


「規約違反といえば、デュガラでの失態は報酬減額させてもらうぞ」

「え!?いやだって、あれは事故っすよ?まさか、あの時間に常に王女のそばにいるはずの近衛兵がほっつき歩いているだなんて、思わないじゃないっすかぁ」

「それがその“近衛兵”だから問題なのだろう?第一、そのことはお前が私に報告してきた話だ」

「まぁそうっすけど。大丈夫っすよ。たぶん手首から先くらいまでしか見られてないんで」


 相手の苛立ちはお構いなしに、男はちゃらけた姿勢を崩さない。


「というか、ちゃんと埋め合わせはしたじゃないっすか?デュガラから急いで帰ってきて、予定になかった“大臣殺し”したんですから」

「――それで、要件は?」

「あぁはい、そうでした」


 早く会話を切り上げたいのだろう、さすがにこれ以上相手を怒らせても仕方ないと悟ったのか、男はふっと笑いを引っ込めた。


「クリス=ミンツァーですけどね?あれ、さとに帰りますよ。間もなく」


 通信機の向こうに、沈黙が広がる。


「――本当か?」

「嘘言っても仕方ないじゃないっすか。たぶん明日くらいには王都出るんじゃないんすかね?」


 疑心暗鬼を滲ませる間。

 しかし次の瞬間、通信ごしに乾いた笑いが響いた。


「ふっ、この非常時に何を考えているのか。やはり“ミンツァー”は手に余る。だがあれが何を企んでいようが丁度いい。王都から出てくれるのであればもう、これで私の邪魔ができる者はいなくなる――引き続き目を離すな。いいな」

「――了解っす」


 闇夜の中、白雲に隠れていた月が顔を出す。

 月光に照らされ、輪郭を得なかった男の目元がきらりと銀光りした。

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