第236話 少女、霧中を駆ける
脱走を試みる最中、突然姿を現したクリスを前に、ギルとアンジェリーナは二人して呆然としていた。
「なんでここに――」
「待て」
檻から外に出てクリスに歩み寄ろうとするアンジェリーナを手で制し、ギルはその前に立ち塞がった。
「どういうつもりだ?お前。こんなところにそれも真夜中に現れて」
警戒心を最高潮に高めて、ぎりりと剣の柄を握る。
こいつの発言を信じるのならば偶然なんだろうが、アンジェリーナをつけてきた可能性だってゼロじゃない。
色んなことがあり過ぎて頭の隅に追いやられていたが、裏切り者の件だってあるんだ。
ヤルパでの怪しい言動を考えるに、クリスもその容疑者の一人。
気は抜けない。
しかし、そんな殺気に溢れたギルを目の前にしても、クリスは表情一つ変えずにけろっとしている。
「そんなに怖い顔なさらなくても、私はこれを渡しに来ただけです。ギルさん伝手にアンジェリーナ様にお渡しいただければと思ったのですが、直接お会いできたのならば好都合です――ということでこれを」
そう言うと、クリスは白い何かをこちらに投げて寄越した。
「?なんだこれ」
「手紙?」
キャッチしたそれを確認すると、白い封筒に『アンジェリーナ様へ』と書かれた文字が見えた。
「落ち着かれてから読んでください。それと、バスタコへ向かってください」
「「バスタ――え!?」」
ついでのようにさらっと放たれたその言葉に、ギルとアンジェリーナは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「バスタコってミンツァー家の治める――?」
「はい。どうぞミンツァー邸に。街の大通りをずっと真っ直ぐ行ったところにある丘の上の建物です。大きいレンガ造りなのですぐにわかるかと」
「ミンツァー邸。お前の実家に行けってことか?」
「えぇ。ではまた後ほど」
そう言うと、クリスはくるりと身を翻し、何事もなかったかのようにそのまま暗闇に消えていってしまった。
「おい、ちょっ――!」
「行っちゃったね」
取り残された二人は呆然と、その手紙を見つめた。
「何なんだ?一体」
「わからない。けど、今はとりあえずここから離れることが先決だから。移動しながら考えよう」
「!そうだな」
クリスがどうやってここまで来たのかは不明だが、これだけ騒ぎ立てたんだ。
すぐに監視が飛んできてもおかしくない。
ギルはアンジェリーナに続き、先程壊した床の穴から地下道へと飛び降りた。
鼻の奥をつーんと強く刺激する異臭と服が肌に張り付くほどの湿気。
地下牢の環境もなかなかのものだったが、これはその比じゃない。
「お前、ずっとここ通り抜けてきたのか?」
「うん、そう。テレポート使うよりもリスクないと思って」
「リスクって?」
「大魔連邦に私が時の宝剣の使者であることがバレてしまった以上、易々と使うわけにはいかないし」
「確かに」
「まぁどうせ、今使うんだけどね。一刻も早く逃げなきゃいけないし」
『逃げなきゃいけない』
その言葉にはもちろん、自分も含まれているのだろう。
改めてそこに気づき、ギルは思わず足を止めた。
「バスタコかぁ。ひとまずクリスの言う通りにするのが一番だよね。真意はわからないけれど、他に当てもないし」
「アンジェリーナ」
大剣を取り出しテレポートの準備を進めるアンジェリーナに、ギルは呼びかけた。
「逃げる前に、一つ聞いていいか?」
「ん?」
「お前、本当にいいのか?」
その質問の意図を感じ取ったのだろう。
アンジェリーナは神妙な顔つきのギルを見てすっと剣を下ろした。
「だって、このまま俺と逃げたらお前まで犯罪者になっちゃうだろ。今までの脱走とはわけが違う。王女の身分だって危ういくらいに――」
「ギル」
ほのかなランプの光に照らし出されたアンジェリーナの瞳が、まっすぐにギルを射止める。
「ギルにはちゃんと話しておくべきだった。私の決意を」
凛としたその姿勢にギルは背を正し、ごくりと唾を飲み込んだ。
「私の夢はこの国の王になること。そして誰の血も流れない平和を実現すること。そのためには王女の地位を捨てることはあってはならない。でも、私にとってそれと同じくらいにギル、あなたの存在は大切なものなの」
その言葉に、ギルの胸が、全身がどきりと震える。
「決して失ってはならない。私の夢を実現するために、あなたは必要不可欠。だから、私は今あなたを救います」
それは最高の誉れであり、しかし潰れそうになるほど重い重い告白だった。
ギルの内なる罪悪感をすべて払拭し、かつ絶対に逃れられない責任を突きつける言葉。
迷いの一切感じられない表情に、ギルはすべてを受け入れるほかの選択はないのだと悟った。
「でも、女王になるっていう夢も諦めない」
「――え」
ぽかんとするギルを前に、アンジェリーナは先程の真剣な顔から一転、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「心に決めた。私にとって何が一番大切か。私の軸は何なのかって。私にとって絶対に侵してはならないもの、それは、『この国を守るという使命』」
使命――。
決意に満ちた言葉に、心臓が鼓動を高ぶらせる。
「そのためには何だってやってみせる。ただそれは、今この状況じゃ出来やしない。だから一度離れる。王女という地位を捨てても、このまま王宮に留まることはできない。城の外から新たに国を守る方法を模索するつもり。そしていつか、何年かかったとしても、どんな方法を使ってでも、私は絶対に王宮へ戻り――女王になってやる!」
拳をぎゅっと握りしめ、アンジェリーナは熱のこもったその瞳をこちらへ向けた。
「だからギル、堂々と私に付いてきなさい!」
「はっ!」
ギルは満面の笑みを浮かべ、主君に敬礼を向けた。
――――――――――
『――たとえこの先、どんなことがあったとしても、闇に惑い霧中を駆けることになろうとも、私はこの選択を間違いなどとは思いません。
今の私にとって最も必要ないものは、王女の地位。
だから私はすべてを捨てて、ここを出ます。
無責任なことだとわかっています。王宮の信頼にも関わることだと。
しかしそれでも、私は私の夢を追い求めたい。
無謀を実現可能に、我儘に生きてみせます。
本当に申し訳ございません。許してくれなどとは言いません。
でも待っていてください。
必ず戻ってきます。女王となるに値する資格をもって。
絶対に。
王族失格の娘ながらあなたの幸運をお祈り申し上げます。
アンジェリーナ=カヤナカ』
「何が“王族失格”だ」
執務室の机に手紙を放り、イヴェリオは深々と椅子にもたれかかった。
「やっぱりお前は立派な王女だ」
空が青々と澄んでいる。
目に光を宿した少女の門出を祝うかのように。
イヴェリオはおもむろに内ポケットから鍵を取り出すと、机の引き出しを開けた。
中から黒い手帳を取り出して開き、一つチェックを入れる。
「私は私のやるべきことを」
6月4日。
その日アンジェリーナは王宮を出た。
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