第235話 地下牢にて
「あちらには!?」
「いらっしゃらないと」
「本当にここから飛び降りたのか?」
「それしかない。でもまさか」
「向こうを探せ!」
「何としてでも見つけ出せ!」
6月4日、午前7時。
アンジェリーナの自室。
そこには使用人やら兵士やらがごった煮になっていた。
誰もが血相を変えて慌ただしく出入りする中、ただ一人、イヴェリオは机の上に置かれた封筒を静かな面持ちで拾い上げた。
『お父様へ』
――――――――――
ぴちょん、ぴちょんと水の滴る音だけが響いている。
蒸し返すような湿気とカビの匂い。
たとえ一瞬立ち寄っただけだとしても、全員が迷わず不快だと答えるに違いない。
では、そこに3日閉じ込められたとしたら?
「んっ――」
呻きにも近いくぐもった声を上げ、ギルは重い瞼を持ち上げた。
体中が痛い。
いやもう、どこが痛いとかそういうこともよくわからない。
痛いと苦しいがごちゃごちゃになって、息をするのも辛い。
思考がまとまらない。
地下牢に収監されるということは死刑宣告をされたに等しい。
これは昔からの共通認識だ。
ここは法や倫理観などという言葉がそもそも存在しない。
なにせ今現在、このポップ王国には地下牢など存在しないのだから。
地下牢が実際に機能していたのは、軍の収容施設が整備されるまでの、今から100年以上前のこと。
それ以降、地下牢という施設は廃止されたことになっているのだ。
つまり、存在しない施設に収容される囚人などいるはずがない。
地下牢に入れられた時点で、そいつの人権は失われる。
ゆえにここは無法地帯であり、ここに収監された罪人は“殺してもいい”。
そういう罪人は憂さ晴らしの道具にうってつけだ。
特にパレス出身にして王女の護衛などという身分違いも甚だしい輩には、不満を持つ者も多かったのだろう。
この数日、殴る蹴るだの水を掛けられるだの、拷問と称して随分と痛めつけられた。
普通ならば死んでしまうかもしれないという状況でまだ意識を保っていられるのは、これと匹敵する、あるいはそれ以上の劣悪な戦場を経験してきたからに他ならない。
本当に皮肉でしかないが。
冷たい床の石に顔を擦り付け、どうにか体を起こそうと試みれば、ジャラジャラと重い鎖が鳴り、それに繋がれた手枷足枷が肌に食い込む。
「くっそ――こんなところで」
捕まっている場合ではないのに。
早く、アンジェリーナのもとへ戻らなければ。
あのとき、ライから攻撃を受けて、体の自由が全く利かなくなった。
あろうことかアンジェリーナに刃を向けるなど、近衛兵としてあってはならないこと。
それこそ、死んで詫びなければ釣り合いが取れないくらいのことをした。
それでも――。
『ギル、今一度、誓いを新たにしなさい。生きて、ずっと私のそばにいることを。その覚悟を持つことを』
あの約束を破るわけにはいかない。絶対に。
あいつは今、どこにいるんだろう。
頼むから、無事でいてくれ――。
ガタン
ん?
静かな牢に響いたその音に顔を向けてみれば、檻の外、床がガタガタと揺れている。
なんだ?
そのときだった。
バコンと一層大きい音を立てて、床が吹っ飛び、その下から見慣れたでかい剣が飛び出した。
「はぁ、やっと開いた!」
「はぁ!?」
続いて穴からぴょこりと顔を出したその顔に、ギルは思わず声を上げた。
アンジェリーナは辺りをきょろきょろと見回すと、ギルの姿を確認し、うっれしそうに笑った。
「ギル!良かった生きてた!!」
アンジェリーナは素早く穴から抜け出ると、ギルの牢の前で針金を取り出し、目にも留まらぬ早業で鍵を開けた。
「おまっ、馬鹿じゃねぇの!?というか、俺、お前のこと殺しかけて、ごめんで済む話じゃないのはわかっているけど、でも――」
「ちょっと静かにしてて!監視に気づかれるでしょう?」
「はぁ!?今まで散々でかい音出してたやつが何言ってんだ!?」
「――よし!取れた」
こちらの心情など一切お構いなしに、アンジェリーナはギルの発言を遮り、手枷足枷を器用に外して見せた。
こっちがどれだけ葛藤したと思ってんだこいつ。
一蹴された恨みを露わにアンジェリーナを睨みつつ、ギルは久しぶりに自由になった手足をくるくると動かした。
「お前のそのピッキング能力はどうなってんだよ。というか、また部屋の窓もそれで開けたのか?」
「いや、今回は対策されてダイヤル式だったから、剣で壊した」
「おい!――というか今何時?いや何日?」
「6月3日の――いや、ちょうど6月4日になったところ」
「真夜中じゃん」
相変わらずの並外れた行動力に、ギルは呆れと安堵からため息をついた。
「服、ぼろぼろだね。ローブは持ってきたけど――あと、さすがに剣は取って来られなかったから、とりあえず“これ”で我慢して」
「これって――え」
ローブとともに差し出されたそれに、ギルは目を丸くした。
見るだけで想いが込み上げてくる、短剣――。
「いやこれはお前が!――」
「非常時でしょう?預けておくだけだから」
「そうだけど――でも確かに、今は俺が持っておいたほうがいいのか」
護衛として、剣も持たずに主人を守ることなど考えられない話だ。
たとえそれが、主人の唯一無二の宝物だとしても。
ありがとうと一言発し、ギルはその短剣を受け取った。
「じゃあとりあえずここから離れよう。また地下へ潜ってそれから――」
「奇遇ですね」
唐突に響いた二人以外の声に、ギルとアンジェリーナはびくりと体を揺らした。
コツコツと靴の音が鳴り、ランプの明かりに見慣れた顔が浮かび上がる。
「いらしてたんですね。アンジェリーナ様」
「クリス!?」
そこに現れたのはクリス=ミンツァーその人だった。
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